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夜な夜なイケメンを足元にかしずかせるの

「この間ね、化学の質問したとき、研究室がどんなとこなのか知りたいって言ったら、案内してくれるって。シオリンも私もリケ女じゃん?」

「すなぎもちゃんの説明、分かりやすいよ。ね」

「ね」


ももしお×ねぎまは、顔を見合わせて、こてっと首を傾ける。

いつの間に仲良くなってんの。オレのクラスに来た教育実習生なのに。


「そーいえば、2人とも理系だったんだっけ」


改めて。

4人の中で文系はミナトだけ。ま、オレは受験のときに文転するかもってゆー、なんちゃって理系だけど。


「ももしおちゃんとねぎまちゃんって、そーゆー方面進みたいの?」


ミナトが質問。このメンバーでその手の話って初。


「聞いて聞いて! 私はねー、女性投資家になる予定。でね、大学ではAIの勉強をしたいの。今じゃブラックロックだってテクノロジー集団なんだもん。そして昼は東証、上海、ムンバイで稼いで、夜はNY市場。株、為替、国債、小麦、石油、金、全部に精通するの。

 ゆくゆくは『バビロンの賢者』『金持ち父さん貧乏父さん』『資本論』みたいなロングセラーを出して、印税生活。ニューヨークのペントハウスに住んで、夜な夜なイケメンを足元にかしずかせるの」


ももしおが野望を語った。マルクス大先生に並ぼうとしてるのか、コイツ。


「あのさー、ももしお。ニューヨークのペントハウスに住むなら、昼がNYで夜がアジアな。あとさ、昼も夜も稼ぐなら、男と夜遊びする時間ねーし」


突っ込まずにはいられない。


「ももしおちゃん、印税生活を狙ってるんだったら、もはや投資家じゃないんじゃない?」


いつもは優しいミナトにまで突っ込まれ、ももしおの頬はぷーっと膨らんだ。

ねぎまがももしおの頭をよしよしと撫でている。


「マイマイは?」

「え? 私?」


そーいえば、ねぎまの将来の夢とかって聞いたことないかも。


「周りと一緒にする」


ぜんぜん見えねー。


「マイマイ―、具体的にー」


ももしおがリクエスト。


「一世代前くらい、女は家で家事育児介護だったじゃん。いつの間にか、専業主婦の呼び名はひきこもり主婦でしょ? 世の中の流れに逆らってまでしたいことって、ないかな。うふっ」


そんなこと気にしたこともなかった。


「将来の夢はお嫁さんじゃないよな。最近は」


ミナトが昭和のおとぎ話を持ち出す。

と、ももしおがだーんとテーブルに両手をついて立ち上がった。


「ちょっと、そんなこと言ってられるわけないじゃん。

 日本の1人当たりの平均収入は低下してるんだよ。なのに生活にかかるお金は増えてる。公共料金、通信費、家賃、税金。女性も老人も働くこと前提なわけ。残業制限とジョブシェアで、各々に少しずつ日々の糧が行き渡るように調整されてきてるじゃん。超高齢化の先は桃源郷じゃなくて、引退が許されない過酷な社会。国民は生かさぬよう殺さぬよう」


昭和どころか江戸時代んなってるじゃん、ももしお。


「女子っていろんなこと考えてるんだなー」


だらんと頬杖をつきながら感想を述べると、ももしかからブーイングを喰らった。


「ちょっと宗哲君、まるで他人事じゃない。マイマイ1人に丸投げするつもり? パートナーの協力が必要じゃない。男の人には家事の全部引き受けるくらいしてもらわないと。女の人より体力があるんだもん」


目の前にももしおの人差指の先がびしっと突き出されている。

それを寄り目で見ながら、自分の顔が熱くなるのを感じた。

え、それって。


「あの、////// なんか、その……。結婚前提になってるんだけど」


あかん。めっちゃ嬉しい。ねぎま、女友達の間ではそんなこと話してるわけ? オレと結婚したいって?


「シオリン、どうしてそんな発想になるのかな?」


あれ? ねぎまが冷たい反応。


オレ、すっげー、未来を夢見てるのにさ。

一緒に暮らして、子育て一緒にしちゃったりして、運動会で「パパかっこいー」とか言われるの。でさ、長期休暇には軽井沢に泊まって家族でテニス。子供が呆れるくらいラブラブで。


「ごめーん、マイマイ」


てへぺろっと謝って、ももしおはすとんとイスに腰を下ろした。


がっくりと肩を落とすオレ。

温度差。オレの方が好きって気持ちが強いんだろーな。


気分が下がったところで、ガラスの窓に描かれる水滴の点線を眺めた。

外はすっかり日が落ちてシーバスの最終便が泳いでいく。



みなとみらいほど観光地化されていない横浜駅周辺は、まばらに開発が進みダイバーシティ化している。様々な人が行き交い、観光客で溢れている。

中心の横浜駅は日本のサグラダファミリア。今日もどこかが工事中。



かもめ歩道橋を渡って横浜駅に戻ると、前方からグレーの塊がこっちに向かって来た。

人の波はそのグレーの塊を明らかに避けている。分かる。オレだってあの臭いは苦手。だが、異臭は確実にオレ達に向かって近づいてくる。


「おう」


オレ達の1m前で、グレーの塊はすりきれた袖口と一緒に左手を挙げ、日焼けしたしわくちゃの顔をほころばせた。挙げた左手は日焼けして皺が刻まれ、伸びた爪の先は漏れなく黒い。笑った目が皺に埋もれてなくなっている。


「石爺じゃん。こんにちはー」


逃れられないオレは観念して挨拶した。

横浜駅の東口からすかーんと西口に抜けるメインストリート。人でごった返しているというのに、オレ達の周りにはぽっかりと直径3mほどの穴が開いた。


「石爺、久しぶりー。遊びに来たの?」


としゅたっと右手を挙げるももしお。


「ご無沙汰してます」


ねぎまはぺこりと丁寧にお辞儀。


ミナトは「こんばんは」と時刻に沿った挨拶をした。


目の前の老人は全身グレー。髪は白7割と黒3割のゴマダラ。いつ散髪したのか分からない感じでぞろぞろと伸び、肩にかかろうとしている。おまけにその髪は最近洗っていないらしく、何本かが束になって、このまま進化すれば天然ドレッドヘアになるんだろうなと思わせる。

元はホワイトグレーだったかもしれない作業服は油やら正体不明のシミがつき、不思議な色味。襟には汗染み線。しわくちゃのズボンは膝の部分が出て穴が開いている。極めつけは、秋が深まり冬の足音が聞こえているこの季節にビーチサンダルというところ。

石爺。オーバー80のどや街の住人。


「と、と、と、とも、ともだち、む、む、む、むか、迎え、にき、来た」


石爺は緊張の度合いによってどもり具合が変わる。オレとミナトにはどもらない。が、ももしおには弱冠どもる。ねぎまにはマックスでどもる。


「電車で来るんですね。友達」


オレが話せば、


「競馬場で友達になったんや」


とどもらずに答えた。


横浜には様々な人がいる。セレブいるかもしれないが、安宿に住んで日々をしのぐ人だっている。

夏、石爺が人に絡まれているとき、ももしお×ねぎまが救った。というか、オレが「おまわりさん、こっちです」と大声でオオカミ少年を演じた。それ以来の知り合い。


出会い方が良かったんだか悪かったんだか、石爺はオレを「いい人」認定し、どこで出会っても気さくに話しかけてくれる。

石爺の人の尺度はシンプル。自分に親切にしてくれた人、何かをくれた人は「いい人」。たとえ社会的な正義から外れた人間であっても、自分が接している部分だけで判断する。そもそも石爺は、ある意味社会的なことから乖離した場所で生きているし、毎日学校や会社に通うようなタイプの人間は石爺に寄り付かない。オレ達はスーパーレアなケース。


「友達、いいねー、石爺。じゃっねー」


ももしおがぐっと右手の親指を立てた隣で、


「それでは」


とねぎまがぺこりとお辞儀をした。


「「じゃ」」


ミナトとオレも笑顔で別れの挨拶をすると、石爺は「またな」と笑った。タバコのヤニで黒ずんだ歯が覗く。

後ろ姿を見送る。黒いリュックにはS字型のフックでぶら下げられたビニール傘が揺れてズボンの裾を濡らしていた。ずるぺた。ずるぺたというビーチサンダルの音は、ざっざっざっざっと行き交う中で妙に浮き上がって聞こえながら遠のいていく。 


石爺から少し離れただけでオレ達は人波に舞い戻った。

臭いを吸い込みたくないばかりに呼吸回数を減らしていたオレは深呼吸した。横浜駅の人まみれの臭いでも3秒前に比べれば、富士山並みに清らかに思える。


「相変わらず、石爺。競馬好きだよなー」


年金と生活保護で生計を立てているらしい。競馬とタバコを止めれば、もう少し楽に生活できるかもしれないのにとオレはいつも思う。けれど、石爺はたし算やひき算が苦手で、何かを買ったときにお釣りの計算すらできない。計画的にお金を使うなんてことはムリなんだろう。


「趣味を通じて友達ができるっていいね」


なんて、ねぎまはポジティブシンキング。そーゆーのってさ、俳句とか登山とかの趣味じゃね? 競馬って趣味に入るっけ? ま、感じ方は人それぞれ。


石爺に初めて出会ったとき、オレは自分がいかに恵まれたガキなのかを思い知った。のうのうと生息する自分のことが恥ずかしくて申し訳ない存在だと思った。が、石爺はそんなことを気にすらしない。

石爺はまるで他人を気にしないから。

人にどう見えようがどう思われようが、自分のしたいことをして快適に生きている。

ある意味、達観している。





「あ、すなぎもちゃんだ♪」


ねぎまがすなぎもを見つけた。

オレ達と同様に、教師達の多くも横浜駅を利用する。なんといっても日本最多の6社が乗り入れている雑多な……いや、巨大な駅。横浜周辺で遊んだ帰りは、仕事帰りの教師と一緒になることが多々ある。


「せんせー!」


ももしおが手をぶんぶんと振る。


「あら? 百田さんと根岸さん」


すなぎもは、ももしお×ねぎまににっこりと微笑んだ。

軽く顔を傾けたせいで、さらさらっと黒髪が揺れる。いい匂いがしそう。


「この4人で研究室の見学に行きます。よろしくお願いします」


そう言って、ねぎまがぺこりとお辞儀をしたので、つられてミナトとオレもぺこり。


「こちらこそよろしくね。こちらの2人は?」


一応、オレ、先生のクラスなんっすけど。


「米蔵です」

ミナトです」


聞かれたので自己紹介。

二三言、言葉を交わして解散し、オレは横浜駅の端の端、相鉄線乗り場へ向かった。

もちろん、自宅最寄り駅付近のドラッグストアでシャワージェルを買うことを忘れなかった。


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