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マッドサイエンティスト

ねぎまも虫歯がないって言ってたよな。


「麻酔しても痛いんですか? 私、麻酔すれば平気です」


とすなぎも。虫歯経験はあるらしい。

Mr.サイモンは頬を触りながら語った。


「なん十年も前に行った。奥歯の治療、痛かった。頬は麻酔でしびれてて、でも、歯だけはしっかりどこをどうしてるのか分かるくらいで。まー、痛いの痛くないのって」


「虫歯とどっちが痛いんですか?」


ねぎまが興味津々。


「治療」


うっわー。虫歯作らないようにしよっと。


「私、早くMr.サイモンのように立派な虫歯を作ります」


すなぎもは宣言した。


「そっか。飲め」

「はい」


変な会話。


「かー。いいね。ねーちゃん。いける口だ」

(たしな)む程度です」

「いやいやいや」


すなぎもとMr.サイモンはさしつさされつ。


「もー、紫色ってだけでみんなにバカにされちゃって」


すなぎも、愚痴出てきた。


「ははは。今は白がいいって世の中だ。でもな、お歯黒って文化があったと聞いた。それがクールって」

「……お歯黒」

「見た目なんて、慣れ。もし本当に虫歯が治るなら、使うヤツはいる。そしたら、色なんてどーってことない。食いもん噛めりゃいーんだ。白にする技術もできるかもしれん」

「ですよねー」

「元気出しな、ねーちゃん」


すっかり2人の世界。


「でも、歯が大きくって、マウスが血だらけになったんです」


すなぎもは、マウスの上顎に穴が開いた話をした。


「もともとネズミってそーゆーもんだからな」


は?


「あの。そーゆーものって?」


気になって、オレは会話に割入った。


「もともとネズミやウサギの歯ってのは、伸び続けるもんなんだ。あいつらは、上の歯と下の歯をこすり合わせて、要は、歯ぎしりで伸びるのを止める」


「「「そうなんですか?!」」」


ちょっと待った。すなぎもも知らなかったの? 歯の研究してるのに。


「ときどき、歯ぎしりが下手で歯が伸びすぎて、食えなくて死ぬ」


マジで?


「じゃ、紫色の歯のせいじゃなかったってことですか?」


すなぎもがめちゃ嬉しそう。


「いや。そんなのはときどき」


どーんとすなぎもが落ち込む。分かりやすっ。

箱の中にいたマウスは3匹とも漏れなく歯が巨大だった。Mr.サイモンもiPadの写真を見て、そのことは承知している。


「……」

「でもな、ねーちゃん、考えてみな? なんで歯が伸び続けたのか。

 ひょっとしたら、歯ぎしりする上の歯よりも、その紫の歯の方が硬かったから、かもしれない。I see……前よりも丈夫な歯が生えるってことだ。

 もう1つ。伸びるのが速くて歯ぎしりが間に合わずに伸びすぎた。抜けた歯が生えてくるなら、早い方がいい。

 それにな、ネズミだったから伸びただけで、人間だったら伸びない、かもしれない」


すげー。Mr.サイモンに後光が差す。


「目から鱗です!」


すなぎもは、神を崇めるようにMr.サイモンを見つめた。


「で、それって、どーやって歯の種置くんだ?」


サイモンさんが尋ねると、すばぎもは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに、バッグの中から化粧ポーチを取り出した。ポーチの中には、ビン、ペンみたいなもの、歯磨き粉が入っているようなチューブが入っていた。ペンみたいなものはマイクロピペットという物だと教えてくれた。

ビンは2つ。透明なガラス製で小さな風邪薬のビンに似ていた。同じものを大学の研究室でいくつか見たっけ。このビンのガラスの厚さは1ミリくらいじゃないだろうか。オレは部室の窓の桟にあった透明なカーブしたガラスを思い浮かべていた。


「こっちは虫歯の進行を中断させて周りに歯を形成します。こっちのは、ある段階まで歯胚を培養したもの」


ねぎまがビンの1つを手に取っている。


「すなぎもちゃん、前歯用とか奥歯用とかって別じゃないの? それに、人に寄って歯の質って違うけど」


「そー思うでしょ? でもね、歯胚って犬歯の場所に置けば犬歯になるし、奥歯に置けば奥歯の形になるの。この歯胚もどきもその予定。えーっと、成功ならなんだけど。質は、ほら、紫の歯だから」


「万能ぉ」


ぱちぱちぱちぱち


ねぎまは手を叩いて賞賛。


「ネズミの虫歯に置いたときは、どーした? 歯に置いたやつ、エサ食べると腹ん中入るだろ」


Mr.サイモンが質問した。


「一応、ボンドみたいなもので歯の周りを固定して、水だけをスポイトで喉の奥に与えました」


かわいそ。マウス。


「何日くらい?」

「2日半。最初、食べさせなかったら死んじゃって。いろいろ試しました」


心の中でマウスのために涙を流すオレ。ねぎまもオレのシャツの袖口をぎゅっと握った。

実験のために餓死&絶食。研究のためとはいえ辛すぎる。マウスとふれあい動物園をしたオレは、円らな黒い瞳を思い出した。


Mr.サイモンも興味があるのか、すなぎもに詳しく訊いている。


「固定したボンドってのはこのチューブに入ったやつか?」

「そうです。虫歯ができた暁には、是非使いたいって思って。研究室からこっそり貰ったんです」


セキュリティ堅くても、そこまでは管理できないよな。


「ふーん。これで歯の種植えるのか?」

「いえ、このマイクロピペットは歯胚を培養液の中から取り出すだけです。歯の種、歯胚っていうんですけど。それは、注射器を使いました。 

 なんですけど、こっちは怖くて自分でも無理かもしれません。虫歯の方は失敗しても歯の表面を歯医者で削ってもらえばいいだけだけど、歯胚みたいなのは歯茎に埋め込むわけだから。マウスのときだって位置が難しいのに、人間なんて。それに、不適合で体が拒絶したらって思うと」


「そんな段階か」


「いえ。そんなことないです。試せないだけで。理論的には、人間だって。でも」

「でも?」

「歯があったらできないんです。抜けてないと」

「ねーちゃん、親知らずは?」

「まだ生えてません」

「はっはっはっは。まだまだガキか」

「それに、試したいけど、もし試したとしたら、教授に怒られると思います」

「『先生に怒られる』のが嫌か。優等生だな。ま、そーゆー人生が無難だ」


どや街に流れ着いたMr.サイモンが言うと説得力がある。

横文字の名前に九龍城砦に住んでたなんて噂つき。クリント・イーストウッドみたいな外見も相まって、ハードボイルドでアウトロー。背負った人生がダークそう。


「ぜんぜん、私なんて優等生じゃないよ」


すなぎもが酔った勢いでぶちまける。


「ん?」

「教員免許のために髪黒くしただけ。金髪だったんだから」

「教員って先生か?」

「履歴書に書いてあったら『何かを頑張った人』みたいに見えると思って」


意外にあざといな、すなぎも。

でもさ、そう見えたいって思うところは優等生的思考なのかも。金髪だろうがタバコを吸っていようが、所詮、我が校の卒業生。型から逸脱したタイプじゃないと思う。


「ふーん」

「いっつも抜けてて。失敗ばっか。ときどき自分辞めたくなる」

「はっはっはっは。辞めたければ辞めればいい」


OUT発言をするMr.サイモン。

一応オレはホローした。


「何言ってるんですか。先生の研究は注目されてるんですよね?」


Mr.サイモンはオレの言葉を鼻先で笑った。


「教科書通りのガキだな」


どうぞ。なんとでも。


「よーねーくーらー。おまえ、辛い思いしたことねーだろ。人生は死ぬほど辛いこともあるんだよ」


おーっと、酔っ払いのすなぎもが清純派をかなぐり捨てた。

Mr.サイモンはすなぎもの言葉を正した。


「ねーちゃん、死ぬほど辛いんじゃない。死ぬより辛いだ。ま、そんなとき、正直に『死にたい』なんて口に出したら、先進国じゃ鬱病で入院させられるけどな。はっはっはっは」


「え。あ、は、ははは」


どう切り返せばいい? もう、笑っとこ。

ん? ねぎまが笑っていない。


「ですよね。全ての人が生きる希望に満ち溢れてなきゃいけないなんて。そんな社会、キモい」


ねぎま、何それ。どーした?


「ま、そんなに人生甘くねーよな。でもな、絶望しかない社会よりずーっとマシだ」


Mr.サイモンはぐびっと紹興酒を飲み干した。

味わったことがあるのかもしれない。絶望が蔓延った社会を。

病気、紛争、食糧難、貧困。人生経験が浅くて無知なガキのオレにはそれくらいしか思いつかなかった。


虫歯からすっかり話が逸れてしまった。

逸らしたMr.サイモンは、自ら話を元に戻した。


「で、ねーちゃんは、それを試したいって?」

「そりゃそうですよぉ。一生懸命研究したんで」

「ファッキンティーチャーに怒られるぞ」

「認めてもらえなくてもいーし。研究発表なんてできなくて。自分の考えたことができるのかできないのか。いっそのことマウスになりたい。色が紫ってだけで自分の歯って感じるのかどうか。歯が生えてくるときに違和感があるのか、噛むときに痛いのか。人間用に遺伝子組み換えしたのが本当に使えるのか。要するに答え合わせ?


 もうね、人間がよりよく生活するためとかそんな大義名分、どーでもいい」


あらま。聞いちゃった。

思考的にマッドサイエンティストと変わらないじゃん。


「正直だなー、ねーちゃん。飲め飲め」

「はーい。Mr.サイモンもどーぞ」


そこからは、3人で昔々の香港の無免許歯科医の話を聞いた。

九龍城砦の歯科医のことなんだろうか。治療だと言って金歯を取ったり、死体から金歯を取ったりして集めて換金する話。あかん。OUT過ぎる。


ネズミの肉は美味しくないって話も聞いた。繊細なオレは軽く眩暈。


Mr.サイモンはわざわざこの手の話をチョイスしてるわけじゃない。普通の会話の中に、ふっと異世界のことが紛れ込んでくるだけ。ネズミの肉の話なんて、すなぎもがマウスの話してたときに、さらっと通り過ぎた。


Mr.サイモンは九龍城砦にいたことがあるとは言わなかった。オレ達も尋ねていない。1番最初に知ったどや街のルール「過去について尋ねない」。

九龍城砦にいたことはただの噂。でもさ、火のないところに煙は立たないって実感。



「住めば都って日本語にあるけど、住んでも都にはならねー場所もある。横浜は住まなくても都だな」


Mr.サイモンの上の前歯の隅は黒くなっていて、下の前歯は天辺が黒くぎざぎざになっていた。


あの場所に虫歯があったら、キスするときに困りそう。って、ないか。じーさん過ぎる。


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