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足首のホクロまで覚えてたこととは別だけどね

「マイしか見てねーって」


こーゆーのは、要するに愛情の確認作業なわけで、深い意味はない。と思う。

祖父母や両親の犬も食わない夫婦喧嘩を見てきた。結局気づくと、前よりもべたべたしていることが多い。

どうやって修復してるのかってのは知らねーけどさ。


それより、ねぎまが嫉妬とかしちゃってくれてるってのが、なんか、ちょっと、嬉しいかも。にやける。


ご機嫌をとるために、恋愛映画にでも誘……、


ぐいっ


ねぎまがオレの手首をひっつかんで、駅の柱の方にオレを引っ張った。


うわっ


よろけながら柱の陰。


ぐいっ


今度はカーディガンの首元を引っ張られる。オレは顔をねぎまの前につき出す形になった。


ちゅぅぅぅぅぅぅぅ


されたのは長いキス。どくんと心臓が大きく跳ねて、オレは魂を吸い取られた。

ぞわっとする。肩と腕の辺。

いつの間にか目を閉じていた。


唇の柔らかい感触がなくなったとき、目を開けるとねぎまの後頭部が見えて、オレはねぎまに手を引かれていた。


耳、熱い。たぶん、オレ、顔、真っ赤。

嬉しい。恥ずい。ヤバい。

なに? 今のキス。突然。


オレはねぎまに左手を引かれながら、右手で口を覆ってふらふらと連れ歩かれる。

やばっ。まだ心臓、暴れてるじゃん。


おおっと改札。

慌ててパスモを出す。


ぴっ


どこ行くんだろ。


「マイ」


呼びかけてみた。


「美味しいタルトのお店があるの。シオリンと寄ろうって言ってたんだけど、シオリンが気を利かせてくれて」


いや、どー考えても、あれは気を利かせたわけじゃねーし。


「あのさ、怒ってない?」


控えめにご機嫌伺い。


「最近塾と部活と男テニばっかりで、あんまりかまってくれないことだったら、ちょっと寂しいよ」


へ?


「そーだったっけ」

「うん」


なにこれ。かわいー。


「ごめん。なるべく時間作る」

「ううん。いーの。たぶん、私の方が会いたいだけだから」


きゅぅぅぅぅぅん


ううん。オレも。オレも会いたい。めっちゃ好き。

なんだ、ねぎまもオレのこと、すっげー好きじゃん。オレら、らぶらぶじゃん。




タルトの店に入った。

休日ってこともあって、お店はいっぱい。少し並んでから入店。


タルトに乗っかるブルーベリーを食べながら、部室の窓を思い出した。正確には、割れた窓ガラスの破片に混じる、厚さ1ミリ程度の透明なカーブしたガラス。


「あのさ、男テニの部室の窓、割れたじゃん?」

「うん。直った?」

「とっくに。でさ、オレ、写真送ったじゃん。薄いカーブしたガラスがあったって」

「うん、あったね」

「なんか、今日見た薬のビンとかとカーブ具合が一緒のあったなーって」

「写真じゃ、今一つ分かんなくって。宗哲クン、取ってきてくれればよかったのに」

「だから、犯人捜しはしないんだろ?」

「そーだけど」


「オレ実は、この間休み時間、男テニの部室から戻るとき、すなぎも見たんだよ。

 もー、キャラバレしたから言うけどさ、タバコ吸ってた」

「部室の近く?」

「部室棟へ行く途中の、椿だか山茶花だかがいっぱいある辺」

「あんな誰もいないとこ?」

「タバコ吸うとこ、見られたくなかったんじゃねーの?」

「それはそうかも。喫煙所なんて、職員室の外の廊下だけだもんね」


我が校には喫煙所はあるものの、誰も利用しない。職員の中には喫煙者がいないから。

時折、学祭やら体育祭のときに父兄が使う程度。昨今、タバコを吸う人間は肩身が狭いと思う。


今日、研究室でそこら中にたくさんのガラス製のビンがあるのを見た。

更に、爆発のような音から薬品を連想した。

そこに、すなぎもが重なる。


が、不鮮明で不確かなことを口にできない。でも、なんか、引っかかるんだよな。


「窓ガラスが割れた日も、すなぎもはあの辺でタバコ吸ってたのかなって」


「それと、宗哲クンが足首のホクロまで覚えてたこととは別だけどね」


さーせん。







次の水曜日、どや街へ行くことになった。

気が進まない。

石爺は愛すべき人間だ。けどさ、風呂入ってねーんだもん。髪、汚れと汗で固まってるんだよな。爪も指も真っ黒。

いい人なんだけど。


基本、お茶を出すとかってタイプじゃないから、まだいい。

石爺が気さくに勧めてくれても、申し訳ないが、オレ、石爺からのもん、飲み食いできねー。



すなぎも、ももしお×ねぎま、ミナト、オレの5人で関内の駅からどや街へ歩いた。


かつて労働者の街と呼ばれたどや街は、すっかり高齢化が進み、今は福祉の街。介護施設やデイサービスの看板がちらほらある。


石爺はどや街近くの公園で日向ぼっこをしていた。誰かが隣に座っている。この人が噂の九龍城砦にいたことがあるって人? 


「石爺、元気?」


ももしおがフレンドリーにしゅたっと手を挙げた。


「こ、こん、こんにちは」


石爺は、どもりながらももしおに挨拶を返した。


「「「「こんにちは」」」」


オレ達も挨拶。石爺と一緒にいたじーさんにも。


「この間のねーちゃんか。こんにちは。石さんモテるな」


石爺と一緒にいたじーさんは、額が広い。クリント・イーストウッドに似ている。石爺を「石さん」と呼んだ。


「石爺、お土産だよー。カルパスとチーズたら」


ももしおは手土産のカルパスの大袋を見せた。


「あ、ありがと。サイモンと食う」


ん? サイモン?


「Mr.サイモン?」


オレは、石爺の隣で笑う老人に聞いた。


「おう。サイモン」


思いっきり外国人じゃん。名乗ったときの発音がバリバリ、Simonって感じだった。

外見は普通に日本人と一緒。東洋人。

香港って、昔、イギリスに統治されてたから、西洋風の名前がなのかも。


Mr.サイモンの、上の前歯の隅に黒い虫歯がちらっと見えた。なるほど。虫歯の先生。

でも、どーやって習うわけ?

「虫歯の作り方を教えてください」って嫌味っぽくない?


そこは気を遣うなんてこととは、ほぼ無縁のももしお。単刀直入。


「サイモンさん、このお姉さん、すなぎもちゃんにね、虫歯の作り方を教えてあげてほしいんだ」

「おう」


オロオロするオレに反して、Mr.サイモンは軽やかに返事をしたのだった。



夕方の公園は寒い。

年配の石爺とMr.サイモンよりも、秋風に身を震わせたのはすなぎもとオレ達だった。

石爺とMr.サイモンは、ハードな環境を生き抜いてきた強者(つわもの)。ビバークくらい朝飯前って人種。


ってことで、Mr.サイモンの部屋へ案内された。

大井競馬場で石爺と意気投合したMr.サイモンは、東京の足立区辺りから横浜に流れ、今は石爺の隣の部屋に住んでいるという。

部屋は4畳。総勢7名。多過ぎ。なので、半分は石爺の部屋にいることになった。


石爺の部屋はドアが開きっぱなしになっていた。防犯もなにもあったもんじゃない。

んー。でもなー。この部屋には誰も泥棒に入んねーと思う。既に入った後みたい。

石爺の部屋は布団が敷きっぱなし、その周りには様々なものが転がっている。コンビニ弁当の空、ビールの空き缶、空のペットボトル、でかいのガラスビン、お菓子、ティッシュ、脱ぎっぱなしの服。くしゃくしゃの競馬新聞。


汚部屋が苦手なオレは、迷わずMr.サイモンのとこ。虫歯について質問するすなぎもと、オレにくっついて来たねぎまがMr.サイモンの部屋。ももしおとミナトが石爺の部屋。ごめん、ミナト。


部屋を分かれたら、がさがさと隣から音が聞こえてきたから、きっとミナトが片付け始めたんだろーな。ももしおはゴミの上に平気で座れる女。



オレは虫歯にも歯の再生に関しても興味なし。傍観者でいることにした。



Mr.サイモンの部屋は、まあまあ、片付いていた。

靴を脱ぐ場所以外に4畳。小さな冷蔵庫もあったし、石爺の部屋の前を通ったときのような生ごみの腐った臭いはなかった。


かといって、お茶を出されたら湯呑に口をつけられるかどうかというのは別。

幸い、Mr.サイモンは自分の分1個しかコップを持っていなかった。オレ達が持ってきた紙コップとウーロン茶で乾杯。


Mr.サイモンは三つ折りにした布団を椅子代わりにして座り、すなぎも、ねぎま、オレは床。


あ。

床、掃除機かけていないっぽい。ざらざら。そもそも掃除機なんてないのかも。



ねぎまが、すなぎもは大学で歯の再生について研究していると紹介した。


「そーか。ねーちゃんは大学生か。難しいことしてんな」


Mr.サイモンの言葉に、すなぎもはバッグの中からiPadを取り出し、でかい牙のような紫色の歯が生えたマウスの画像を見せた。


「難しくないです。こんな感じで。これは、歯を抜いたところに歯の種のようなものを置いたんです」

「ほー。これはまた立派な歯ぁだな」


次にすなぎもは、点々と紫色の模様がついた、マウスの歯の拡大写真を見せた。アップってグロッ。


「歯の種を作る途中の段階のものを虫歯のところに置くと、こんな風になりました。これ、一応、虫歯の進行が止まってて、紫色のところは歯と似た硬度です」

「ふーん」


「マウスで実験しても分からないことがります。痛いのか痛くないのか、違和感があるのか、快適なのか。だから、自分が虫歯になって調べたくて。どうしたら虫歯になりますか? できれば奥歯に作りたいんです」


すなぎもは真剣に訴えた。なんか妙。真剣なんだろうけど。


「ま、ねーちゃん。一杯飲もう。虫歯に大事なことは不摂生だ」


Mr.サイモンは、新しい紙コップにテレビの横に置いてあった紹興酒を注いだ。

ねぎまとオレの分も用意しようとしていたから、丁寧にお断りした。感じ悪かったかも。さーせん。

でもま、人間ができたMr.サイモンは、年の功で非礼を許容してくれた。ん? 非礼じゃなくて未成年飲酒禁止法って法律があるって。


「「「「かんぱーい」」」」


再乾杯。


「歯医者はなー。行きたくない。シットデンティスト。削る音を聞くだけで歯が痛くなる」


Mr.サイモンの言葉には時々英語が入り込む。

オレ、虫歯できたことないから、分からん。歯科に行くのは検診だけ。


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