第10話:イズの1日
朝、いつものぼろ宿で目覚めたイズは、窓から差し込む眩しい朝日から逃げるようにベットの隅に移動する。
まだ寝ていたい。安宿でも布団の上はそれなりに気持ちいい。実際、イズは寝ようと思えば地べたでも快眠できるくらいなのだ、堅いベットで快眠出来ないはずがない。
そうこうしてる内に、十分、二十分と時間が経っていく。眠気が段々醒めてきて、空腹感が睡眠欲を上回る。
寝起きの悪いイズはむくりと起き上がり着替える。
宿に備え付けられた食堂は時間が経ちすぎると不味い料理しか並ばなくなるから、彼女はベットとの別れを惜しみながら部屋を出た。
食事を終えて、宿を後にする。
もちろん行き先は冒険者ギルド。
イズの場合、朝食大盛のコースで泊まっているから、そのぶん余分に稼がなきゃいけない。
宿を出ると、とてもなだらかな坂道を登る。最終的には黄金都市の街議会まで続く大通り。
冒険者ギルドはその中腹、街の上方にある貴族街から3キロくらい離れた位置にあるから、イズの泊まっている下町のぼろ宿からは2キロ近く歩く必要がある。
今の時期は春だからまだ良いけれど、夏になるとかなりしんどい所行だろう。
実のところ、このギルドの立地は、冒険者という荒くれ者を貴族から遠ざけながらも、反面、騎士団だけでは対応出来ないような有事の際にギルドから速やかに救援に向かう事が出来るように、さらには街の外にも冒険者をすぐに派遣できるようにという、貴族のプライドと貴族側の要求、そしてギルドとしての希望が折衷した結果なのだが、そんな事イズは知らない。
ただ、もっと稼げるようになって、もっとギルドに近い宿に泊まりたい。
そんな事を考えながら歩くこと25分。
漸くイズは冒険者ギルドにたどり着いた。
ギルドの中に入ると、まず始めに依頼の掲示板を見に行く。
まず目に入るのはその報酬だけであのぼろ宿に数ヶ月泊まれるような依頼。
数こそ少ないが、一つ一つが上位の冒険者しか手が出せないような高難度のもの。
そんな依頼に手を伸ばしたくなる気持ちを何とか抑えて、イズはランクFの最低位の依頼書を数枚持ち出して受付カウンターまで持って行った。
あれ?ロタがいない。
受付まで行って、まずそう思う。
自分の受付嬢である背の低い少女、ロタがいないからだ。
確かに、受付に座っているのはアリスという金髪の受付嬢で変わりないのだけれど、いつもならその奥でロタが書類の整理みたいな仕事をしているはずなのだ。
「おはよう、アリス。ロタは?」
「あ、おはようございます、イズさん。ロタ君は今日忙しいみたいなので、今日は私が対応しますね」
自分の質問に凄く丁寧に答えてくれるアリスは少し眠そう。ロタは時々この人に睨まれて怖がっているけど、どこが怖いんだろう?
まぁ、そんな事はどうでもいいので、とりあえず持ってきた依頼書に印鑑を押してもらう。
これでギルドでの用事は済んだ。
特に話すような事もないのでイズは早々にギルドを出ることにする。
「行ってくる」
「はい、怪我をしないように気をつけてくださいね」
「ん、問題ない」
どこかとても心配そうなアリスに背を向けてギルドを出る。今日の依頼は平原での薬草の採集。午前中には終わるかな?とそんな事を考えながら、平原に向かった。
●●●
シグルスの平原。
シグルスの街を出て数キロ東へ向かった先に広がる長草と短草の入り乱れた草原。
そこが今日のイズの狩場。
尤も、狩場とは言っても未だFランクのイズには許可されてないエリアも多いし、戦ってはいけない魔物も多いのだが、こっそりとならバレないので今日も今日とて平原の奥に進んでいく。
イズも乗ってきたような馬車が通る道から離れた所まで。
「認識阻害」
ある程度歩いて、イズは光の魔法を使う。
なぜならイズはこれ以上進むことが許されていないから。
Fランクが行くことの許可された、道路の周辺10キロ以内と言う条件。これは本来14になって成人仕立ての子供が多いFランク冒険者が、何らかの事件に巻き込まれた際にギルドから直ぐに救援を出せるようにと言う理由なのだが、それを知ってか知らないでか、イズは関係ないとばかりに先に進む。今日の依頼は風鈴草の採取とか採取依頼ばかりで歯ごたえがないからだ。
もっと魔物を倒したり、歯ごたえのある仕事をしたいのに、ギルドがそれを許してくれないから。
「あれは、ゴブリン・・・」
イズはため息をつく。
ゴブリンは本来Eランク以上の冒険者しか刈ることが出来ないが、それでもイズにとっては役不足。
だからイズは無視して歩き続ける。
やはりここは平原だからあまり強い魔物がいないのか。
実のところイズはもっと強い魔物のでる、平原とは反対側にある『森』に行きたかったのだが、向こうは最低でもCランク以上でないといけないしこっちで我慢しているのだ。
ランクってやっぱり邪魔・・・
なら冒険者ではなくて、傭兵をやればいい。傭兵なら規則に縛られることないじゃないかと、そう思うかもしれないが、そういうわけにもいかない。イズにもいろいろ事情がある。
だからこうやってこっそりと、バレないように光の魔法で姿を隠しながら歩く。誰にも気付かれずにこっそりと強い敵と戦うために。薬草の採取は戻るときにでも
「いた」
イズは立ち止まると腰に下げた杖剣を引き抜く。
目の前にいるのはそれなりの大きさの毛むくじゃらの黒いヤギのような魔物。エヴィルゴート、危険度Dランクの、つまりはDランクパーティーかCランク以上の冒険者にしか戦うことの許されないような強敵。
この町に来てから初めて出会った大物の魔物。
いつもは無表情で端正な顔に思わず笑みがこぼれる。もう薬草の採取は飽きたのだ。
実際、このクラスの敵と戦ったことはほとんどないが、似たような敵なら師匠の所で戦ったことがある。
そんな自信が彼女を突き動かした。
「氷の槍 二重」
そう唱えるとともに、イズは走り出す。
両脇に生成された細長い氷の結晶がエヴィルゴートに直進し、それを追うように走る。
さすがは危険度Cというべきか、すんでのところでイズの攻撃を察知したエヴィルゴートは大きな角のついた頭部をぐるりと回し氷の槍を粉砕した。
『ギャルル!』
山羊とは思えないような鳴き声をあげてイズを睨み真っ黒な体毛が逆立つ。
危ない
本能がイズにそう告げて、イズはとっさに魔法を詠唱した。
「氷の盾!」
エヴィルゴートが大地を蹴ると同時に、左手に持つ杖剣が仄かに輝き、イズとエヴィルゴートに挟まれるように巨大な雪の結晶が現れる。
太陽の光を屈折させて、透き通るように青く輝くそれは、次の瞬間ひび割れた。
イズを打ち倒さんと突進したエヴィルゴートの角が突き刺さったのだ。
だが、そんな事をイズは気にしない。
取りあえずこれで奴の突進を防げたのだ。それに氷の盾はそれほど魔力を消費しない。確かに後先考えずに突っ込んだのはダメだった。久々の強敵に少し興奮していたけれど、反省は後でいい。今は目の前の敵に集中する事にする。
イズは目を光らせるように、青い瞳でエヴィルゴートを凝視する。特徴的なのはやはりその脚部。パンパンに筋肉の膨れ上がった太ももと、細く伸びた足首に黒く光る足の爪。エヴィルゴートの生態は聞いたことがあったけど、その足の生み出す加速力があれほどまでだとは思わなかった。
再びエヴィルゴートが吠える。
まるでイズを捕食対象としか見ていないような、いや、実際にそうなのだろう。さっきまで狩る側にいたつもりだったのに、いつの間にか狩られる側に回っている。
そう思った。
瞬間、エヴィルゴートの姿が消える。
まるでもともと何も無かったかのように、一瞬にしてその姿が掻き消える。
「どこ?」
殺気だけを残して姿を消した敵に戸惑う。
音もなく、四方八方で草木が揺れ、足跡が残る。エヴィルゴートの魔法による認識阻害。イズの光魔法とは違い、闇の認識阻害だからこそ、視界に映らないだけでなくもの音さえ聞かれることが無い。
これがエヴィルゴートが危険度Dと言うランクに位置付けられている所以であり、逆に言えば、危険度Cどまりである理由でもあった。
イズはため息をつく。
エヴィルゴートの怒気に晒され、突然姿を捉えられなくなって、一瞬自分が獲物にされているような感覚を受けたが、緒っと冷静になってみればそれほどでもないと、そう思ってしまったのだ。
正直期待外れ。
イズは吐き捨てるようにそう呟いて跳ねる。軽やかに、跳ねる。
直後、イズがほんの数瞬前まで立っていたところを何かが通り抜けて、その風圧でイズの髪の毛が靡く。
認識阻害の使い方がなってない。
真下に残されたヤギの足跡を眺めながら、イズは杖剣に魔力を込めた。
「照らせ 輝け 強発光」
どたばたと走り回り痕跡を残しまくっているとは言えど、姿が見えないのは少しめんどくさいから、イズは魔法を唱える。闇の付与魔法を解除するための光の魔法。イズが持つ魔力は光の正属性と火の負属性。闇は光の負属性に分類されるから、それをレジストするためには同程度の光の正属性魔法を行使する必要がある。
イズを中心に強烈な光が生まれ、後方で魔力が歪んだのが分かる。相反する二つの属性の魔力が衝突したときに起きる反発現象。見つけたと、一言そう呟いて、イズは杖剣を片手に駆け出した。
「凍てつけ 纏え 氷属性付与 、輝け 纏え 光属性付与」
イズの持つ銀色の剣に冷気が宿り、そして発光する。
まるで『クリスタル』のような、幻想的で神聖な光。そしてイズはそんな光の剣を、目の前の闇に向かって突き立てる。
ガキンと、魔力の流れが歪み、光の属性がレジストされる。エヴィルゴートの闇を纏った体毛がイズの光と拮抗する。だけど・・・ただ、それだけ。イズにはもう一つ、属性があるのだから。
剣の纏う氷の剣がエヴィルゴートの体に深々と突き刺さる。
当然だろう。
本来、魔物の毛皮と言うのは、外敵から身を守るためにかなりの強度を誇っている。
そんな体毛が、光と反発し、露わになった皮膚に直接剣が入ったのだ。
何度も何度も、イズはエヴィルゴートを切り刻む。
半狂乱になった敵が暴れ、怒りで単調になった攻撃を避けて、また切り刻む。
傷口に氷が張って、徐々にエヴィルゴートの動きが遅くなる。
これで終わり
イズはそう呟いた。
「氷の重圧」
エヴィルゴートの体に影が落ちる。現れたのは、直径5メートルはありそうな巨大な氷の塊。
そしてそれが、落ちた。
ズドンと大きな音を立てて、氷塊が山羊を押しつぶす。
そして数秒後、イズの目の前には氷の下敷きにされたエヴィルゴートが呻き声をあげていた。
ザクリ
イズは片手間に剣を振るい、今にも息絶えそうなエヴィルゴートの首を断つ。真っ赤な血が地面に飛び散って、その臭いが鼻ついた。
これで危険度D?
ふとそう思ってしまうが気にしない。そんなことよりもこの死体をどうするかなのだ。
Cランク以下の冒険者しか、ソロで狩ることが許されていないエヴィルゴートの素材を、最下級のFランクであるイズがギルドに持ち込むことなんて出来やしない。
大きさを無視して収納出来る魔法の袋があったらまた違ったかもしれないが、そんな高いものを持っている訳がなかった。
諦めよう
この程度の強さなら何時でも倒せるから。
だから、少し惜しい気はするけど、イズはこの場から立ち去る事にする。もし魔物の密猟がバレたら1ランク分の降格。Fランクのイズの場合はそのまま冒険者を続けられないから。
そうして、イズがエヴィルゴートの死体に背を向けたとき、突然誰かから話しかけられた。
「おいおい、お嬢ちゃん。誰かと思えばロタの奴の冒険者さんじゃねぇか。こんな所で何してんだ?ここはあんたみたいな初心者が来る所じゃないと思うんだけどなぁ?」
見られた?
そう思って振り向く。
見ると、イズを見下ろすように丘の上に立つ男が1人、2人、3人、4人。下品な笑みを浮かべながらこっちを見ている。
困った・・・
男たちが首からかけているプレートは赤みがかった茶色。つまりは銅プレートのCランク冒険者。
イズの実力なら1人相手なら勝てるかもしれないけれど、相手は4人。それに基本的に冒険者同士での争いは禁止されているのだ。今の状況では正当防衛と言い張るのもむりがあるだろうし、本当にどうしよう。そう思いながらも、出来ることのないイズはだんまりを決め込む事にする。
「あれれー、そこに倒れてるのはエヴィルゴートじゃないかなー?おかしいなー、あれは危険度C。あんたみたいな初心者が勝手言い魔物じゃ無いんだけどなー」
男たちのうちの誰かが白々しくしゃべる。
どうにかして言い逃れないと。
「あれは、迷ってたら襲われたから闘っただけ。それだけなら別に規約違反にはならないはず」
相手が一部始終を、つまりはイズが自分から襲いかかった事までは見られていないと信じてはったりを言ってみた。
「へへへ、ならあんた。どうして素材を持ち帰らなかったんだ?倒しちまったんなら、その素材をギルドまで持ってって、報告するのが冒険者の義務だろ?」
返す言葉に詰まる。
そう言えばそんな決まりがあったような気がする。
「なに?押し黙っちゃって、何か言ってくれないと分からないよ?お姉さん」
チャラ男みたいな男が一歩イズの方に踏み出して、イズは一歩後ずさる。どうしよう。このまま逃げたとしても、ギルドに報告されたらお仕舞いだ。かと言って、戦ってもたぶん勝てない。
「ちょ、ちょっと、慌ててたから・・・」
「慌ててた?へぇ、その割には落ち着いて戦ってたじゃねぇか、なあ?」
やっぱり戦ってた所から見られてた?
分からない。どうすればいいんだろう?
「見てたの?」
「ああ、最初からずっとな」
「そう・・・」
もう言い争っても勝ち目がない。
そう考えて、イズは諦める。
もし、イズがもっと熟練した冒険者なら、男たちの言葉がブラフである可能性に目を遣れていたかもしれないが、まだ社会に出て間もないイズにそんな事は思い浮かばなかった。
「分かった、交渉しよ?何をすれば、ギルドに報告しないでくれる?」
イズは観念してそう訪ねる。だけど、
「へへ、あんた、今の自分が交渉出来るような立場にあるとでも思ってんのか?」
男たちが再び下品に笑う。
下衆が・・・
そう思うけれど、今のイズに選択肢はない。このまま冒険者登録を消されたら、目的が果たせなくなるから。
「まぁ、俺達は優しいからなぁ、この後、今日1日俺達の言うことを聞くってんなら、黙っておいてあげないこともないぜ、へへ」
「・・・分かった、何をすればいい?」
嫌だけど、凄く嫌だけど、イズは首を縦に振る。
そんなイズの顔を見て、下品な男の顔がさらに下品な表情を作った。
「へへ、そうかい。じゃあ、取りあえず俺達について来な。話はそれからだ。ああ、あとそこのエヴィルゴートの素材は俺達で貰うぜ」
イズは言われるがままに男の後を歩くことにする。
何かいい素材でもあったのか、後ろで男の仲間達が騒いでいるのを聞きながら、イズはどうやって切り抜けようかと、再び考えを巡らせた。