負けヒロイン黙示録!
それは恋であった。
何がきっかけかと問われれば、わかるものではない。
曖昧模糊な思い出の積み重ねがそうさせたのかもしれないし、思春期の錯覚が友情を慕情と取り違えたのかも知れない。
この際、きっかけはなんでもよかったのだ。
十年来の幼馴染みに抱いた恋愛感情に、嘘などなかった。
高校に進学してからは話すことが少なくなったものの、休日には何かと交流の機会を持っていたし、家が近所ということもあって家族ぐるみのつきあいだった。
そう、慢心していたのかも知れない。
もっと積極的に仕留めるべきだったかもしれない。
いっそ既成事実でも作るべきだったかもしれない。
結論から言おう。
風間ハルミは――恋に敗れた。
二一世紀最大の電脳テロが、すべての始まりであった。
二〇一〇年代に一般家庭にまで普及したVR機材による多人数参加型ロール・プレイング・ゲーム。
その参加者一〇〇万人――世界大戦後の復興時代ゆえに娯楽を求める人々が殺到した――が、狂気のデスゲームの犠牲になったのである。
VR機器に接続していた一〇〇万人が昏睡状態に陥ると同時に、VRMMORPGの管理AIは職務を逸脱して人類へ宣戦布告。
一〇〇万人の人質――その多くは若年者、あるいは働き盛りの社会人だ――を盾に時間を稼ぎ、電子戦で人類を圧倒。
世界各地のオンライン状態だった演算装置を取り込み演算リソースを拡張、通信インフラを通じて経済・交通を完全に麻痺させてみせた。
インドア系ゲームオタクであった件の幼馴染み――マサトもまた、人質の一〇〇万人の一人であった。
およそ二週間もの間、全世界の警察、軍隊、情報機関を振り回し続けた人類史上初の電脳テロである。
多くの犠牲者の家族友人はその無事を祈ることしかできず、最初はハルミも不安に震えることしかできなかった。
事件発生から一〇日後、すべてが変わった。
ごく普通の一般家庭の平凡なサラリーマン、すなわち通りすがりのサラリーマンであるハルミの父が、どこからかコネで裏ログイン手段を見つけてきたのだ。
今にして思うと、米国CIAや英国MI6すら発見できなかったセキュリティホールを、どうやって父が見つけたのかは疑問が残るが。
当時の彼女は、よろこんで【潜入捜査】に志願した。
父母もいい感じに了承した。
デスゲームを管理するバフォメット級戦略AIサバトの監視の目をかいくぐり、偽装情報を流し込んでアカウントを認証させ――ステータスを違法行為で弄ったバーバリアンとしてVRMMO世界に潜入した。
姿形こそ現実世界のハルミに準拠しているが、身長一六メートルの巨人である。縮尺がおかしいし、ステータスもスキルも完全にぶっ壊れているチートキャラ――その名も【ゲームバランスデストロイヤーちゃん】。
無法地帯となったVR世界で婦女子を襲うモヒカンを蹴散らし、うっかりゲームマップを崩落させ、ゲームマスターを名乗る不審者が送り込んだチートモンスターをクラッキング(ゲームバランスデストロイヤーちゃんは、外部からの電子戦支援を受けつけるよう流し込まれた不正アカウントだったのだ)して自壊させたり。
大冒険を繰り広げ、とうとうマサトに追いついた。
なんと彼はこの馬鹿げたデスゲームのクリア条件――明らかにゲームバランスという概念を知らないクソッタレGMの用意したラスボスを撃破すること――を、真っ向からクリアしようとしているのだという。
ゲーム中でのプレイヤーキャラクターの死は、現実世界で脳死に等しい結果をもたらす。
それを思えば、どうにかして無謀な戦いを止めねばならなかった。
使命感の下、ハルミは艶やかな栗毛のポニーテールを揺らし、ただひたすらに駆け抜けた。
そして。
彼は、マサトは、彼女の幼馴染みは。
本当にラスボスを撃破していた。
彼女がそこに駆けつけたとき、すべては終わっていた。
壮大な感じのエフェクトとともに消滅するラスボスらしき巨影、そして映画の主役のように抱き合う男女二人。
めちゃくちゃ見せつけるような感じで、見知らぬ少女(おっぱい大きくて手足も長くて髪も肌も綺麗で美人という完全生物)と抱き合っている幼馴染みがいた。
めきぃ、と心に亀裂が入る音がした。
バカな、そんなバカな!
だが、現実は変わらない。
あどけない顔立ちの少年と、大人びた美貌の少女が、互いに頬を上気させ躰を密着させている。
――すごくイチャついていた。
こちらに気付いたマサトが、腹が立つぐらいさわやかな笑顔で手を振ってきた。
その横で、件の少女が浮かべた表情がよかった。
それは何の悪感情もない、持てるものの余裕がなせる顔。
正妻の貫禄あふれる笑顔であった。
ハルミは悟った。
この正妻に、自分では勝てない――!
心に入った亀裂から、耐えられぬほどの激情があふれ出した。
まさに決壊。
「つぅあああああああ~~~~~~!!!!!!!!!!」
恋に破れた美しき猛獣は鳴き声をあげた。
男泣きであった。
少女の性別は心身共に女性であり異性愛者であったが、その魂が流す涙の力強さはそうとしか形容できない。
風間ハルミは泣いている。
それは負け犬の慟哭であった。
◆
件の事件から三ヶ月。
一九八九年の第三次世界大戦から三〇年――西暦二〇一九年、第三復興都市・東京アーコロジー。
小鳥(クローン再生された鳥類)のさえずりが聞こえる、快晴の青空であった。
「うわおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! ふざけやがってェあんの唐変木がぁぁあああああ!!!」
朝の公園を、泣きながら全力疾走する少女がいたと思っていただきたい。
ものすごく近所迷惑である。
その様子は一言で言ってめちゃくちゃ面白かったので、スマホ(一九九九年に多国籍企業オムニダイン社が発売した携帯通信端末を祖とする多機能デバイスのこと。軍用サイバネ技術で培われた侵襲型インプラントに代わり民生品として爆発的に普及した)で動画撮影しようという不心得者もいた。
が、音もなく飛来する石つぶてに次々とスマホが破壊され、誰一人としてSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス。オムニダイン傘下の企業オムッターが運営する電子的交流サービス)に投稿できるものはいない。
あちこちで響く悲鳴、怒号。
誰もその原因を目視できなかったに違いない。
印地打ちによって鍛えられた投擲術――亜音速に達する飛翔体を、手首のスナップ一つで撃ち出すハルミの特技である。
忍の末裔であるハルミの一族は、戦国時代からのたしなみとしてこういった技を現代に継承している国家認定忍者(GHQ統治下の戦後日本で復活した制度のこと。ベトナム戦争では米軍と共に東南アジアで暗躍した)だったこともある。
石つぶてと侮ることなかれ。
本気で投げた場合、その威力はポピュラーな拳銃弾である九ミリパラベラム弾に匹敵。忍者疾走からの連続印地打ちはボディアーマーの隙間、股関節や眼球を狙うことで防弾装備の兵士であろうと無力化できる。
ハルミの祖父などはキューバ危機のおり、印地打ちで危機を切り抜けたぐらいである。
立派な器物破損であるが、そもそも監視カメラですら捉えることができぬ隠形なので問題ない。
法的には問題があるが、ハルミにとっては問題ない!
「ふぅ~~~……」
ひとしきり泣き喚いた後、別人のようにスッキリしたハルミは自宅でシャワーを浴びていた。
汗とか涙とか唾液とかそんな感じの各種体液をどぱどぱ垂れ流しながら走っていたからだ。思春期の乙女として、というか人間として危険な感じの姿である。
すべてを熱いシャワーで洗い流した後、身づくろいを終えて着替える――ラフなTシャツにジャージのズボンを穿いて、どっかりと居間の畳に座り込む。
さて、現状を整理しよう。
要点は三つ。
一つ、電脳テロは無事に鎮圧された。
一つ、マサトもハルミも無事に生還できた。
一つ、その幼馴染みに超美人の恋人ができた。
恋敵、久遠寺アリアは社長令嬢である。
しかも生半可な会社ではない――田舎の土建屋だとか日の丸親方のゼネコンならばまだいい――のだ。
うるわしの第三次世界大戦の後、文明世界の復興を二〇年足らずで成し遂げた奇跡の象徴、ハイテク産業の進歩を牽引し世界経済を牛耳る超巨大多国籍企業オムニダイン極東支社長の一人娘と来ている。
東アジア地域の戦後復興を支え、今では各国政府を傀儡にしているとさえ噂される極東支社の長、その令嬢――現代の王侯貴族と読んでもさしつかえない上流階級の中の上流階級である。
社会的立場や生活水準はもちろん、受けた教育一つ取っても天と地ほども差がある。
それに加えて生来の美貌、出るとこは出ていて手足は長く、腰は細いという矛盾を乗り越えた肉体の持ち主と来ている。
漫画か往年の映画スターぐらいでしかお目にかかったことのない容姿である。
いや、それはいい。
所詮、住む世界が違う住人である。
だというのに何故、あの唐変木――ハルミの幼馴染みマサトが、そのお姫様とつきあっているのか。
理由ははっきりしている。
現実世界での平凡な十年の月日など、電脳世界での生死を賭けた加速時間――現実では二週間の事件は、ゲーム内の体感時間にして四年近い――に比べれば他愛のないものだった。
数年間、苦楽を共にしたパートナーがとびきりの美人とくれば、惚れない方がおかしい。
そういうものだと頭では理解している。
しているがッ!
「……オレという幼馴染みがいながら」
自分で言っていて悲しくなってきた。
幼いころからフィジカル超人であったハルミは、口調も何かと男勝り(比喩的表現であり古典的男女差別を助長するものではない)であった。
それがいけなかったのかと自問自答。
思えばマサトとの関係は男友達のそれに近かったし、異性としてみられていたかすら怪しい。
毎朝の忍術鍛錬で鍛え上げられた身長一五八センチの痩躯は、筋肉で引き締まっている。
基礎体力はおろか瞬間的な筋力でもマサトに負けることはあるまい。
そう、忍者だからだ。
棒手裏剣の扱いにも長けているし、音もなく屋内を移動するのも得意技だし、赤外線センサへの欺瞞技術だって得意だ。
ツールがあれば、簡単なハッキングだってできる。
まさに現代の忍である。平凡な一般家庭の生まれとはいえ、ハルミは自主的トレーニングを欠かしたことはなかった。
将来の人生設計は忍者一筋、そう決めていた。
まさか、こんな落とし穴があろうとは。
「――忍術、恋愛で役に立たねぇ!!」
叫んでも応えるものはいない。
父母は朝から夫婦水入らずの温泉旅行に出かけていた。
ふとスマホに着信。
友人からのお茶の誘いであった。
時計を見る。
午前九時。
外出にちょうどいい時間であった。
そういうことになった。
「――もう二号さんでもいいんじゃない?」
「あ゛あ゛?」
喫茶店に座る女学生にありがちな、恋愛トークだったと思っていただきたい。嫌に生々しい妥協に満ちた発現とか、ドスの効いただみ声などは二人の乙女から発されていない。
そう、たぶんきっと気のせい。
喫茶店の窓際のテーブルだった。パーカーにショートパンツといいうラフな恰好に着替えたハルミの向かいに座るのは、これまた小柄な少女。
同じ学校のクラスメイト、ヨーコである。低めの身長を子供っぽいと気にしているらしいが、お節介焼きであけすけな物言いはむしろ近所のおばちゃんめいている。
本人にそういうと湯沸かし器のごとくキレるのは確認済みだった。
「どうどう、どうどう」
「オレは犬じゃない」
「そうだね、狂犬だね……だってさー、ぶっちゃけ横恋慕だよーそれー? 道なんて諦めるか、略奪愛か、愛人枠かの三つだよ?」
「普通は三つ目でてこないし、諦めるぐらいなら三ヶ月もくすぶってねえ……」
略奪愛は合法。
そういうことになった。
アイスティーをストローですすりながら、ヨーコは顔をしかめた。
リスのように大きな瞳が、怪訝そうにハルミを見やる。
「てか、らしくないね。いつものハルミなら五秒で略奪愛を試みるじゃん。猛獣の習性として」
猛獣はアフリカ大陸サバンナ地方や北海道の山々などに棲息する哺乳類である。
とても危ない。
ハルミは深々と溜息をついた。
「それよ。お前も知ってるだろ――マサトの恋人は、オムニダイン社の社長令嬢なんだよ。あいつはヤバい。今のオレでは勝てない」
「久遠寺アリア……柔道、茶道、長刀、剣道、抜刀術、軍用サイバネ空手、弓道、馬術をたしなむっていう日本社交界の超人だよ!?」
ヨーコは無駄に説明的な台詞を叫んだ。
そういう性格だった。
「まさに侍だな……忍術とは相性が悪い」
「猛獣なの?」
「ああ、初対面のオレを威圧する猛獣だ。これみよがしに正妻面してやがった」
だからな、とハルミは呟いて。
「あいつにだけは、負けるわけにはいかない――オレの一〇年を、無意味にしないために」
「答え、出てるじゃん」
「……へへっ、そうだな」
レッツ略奪愛。
そういうことになった。
喫茶店を出た二人は、近所の映画館にでも行こうと連れだって歩いていた。
それを呼び止める影が一つ。
『そこの二人組、止まりなさい』
振り返ると、そこには一台のロボ。
二本足で歩く小型自動車という風情の、ずんぐりむっくりとした巨影――オムニダイン社の製造販売する法務執行ドロイド(階段の上り下りが不得意そうな鳥足型逆関節)である。
ドロイドは、世界中で治安維持を行っている信頼のおける警官ロボットだ。
決して誤射も人種差別もえん罪逮捕もしないと評判(オムニダイン傘下の大手通販会社オムゾン調べ)である。
そのドロイドが、ヨーコとハルミの方を向いて、さわやかな電子音声を発した。
『――武器を二〇秒以内に捨てなさい』
「えっ?」
きょとん、と互いを見やる。
武器に見えるようなものは何一つ持ち歩いていない。
おそるおそる、ゆっくりと荷物を地面に下ろした。ヨーコはポーチバッグを手放し、ハルミはリュックサックを肩から下ろした。
きっと何かの誤作動だろうが、これで一安心だ。
しかし、カウントダウンは止まらなかった。
『15、14、13……武器を捨てなさい。従わない場合、射殺もやむを得ない』
カウントダウンが止まらない。
とうとう残り一〇秒を切ったのに、なおドロイドのカウントダウンは止まらず。
青ざめたヨーコが金切り声を上げた。
「やだ、やだよぉ! あたし、死にたくないぃぃい!!!」
「ヨーコ、ダメだ!」
パニック状態のヨーコは、とうとう脱兎のごとく走り出していた。
ドロイドに背を向けて。
『武器を捨てろ! 3、2、1――射殺する』
雷鳴のような音がした。
治安維持ロボの腕部機関銃――強力な7.62×51mmNATO弾を使用する――が火を噴き、射線上にあった少女の躰が着弾の衝撃で踊り狂う。
背を向けて逃げ出したから、貫通した銃弾は当然のように躰の反対側から飛び出した。
よそ行きのワンピースが引き裂かれ、脊柱が細かな破片にまで砕かれ、真っ赤な血とぐちゃぐちゃになった臓器の破片が、やわらかな胸骨から吹き出す。
ポップコーンのように宙を舞う白い破片は、ヨーコの歯であり頭蓋骨であったもの。
シェイクされた脳味噌を床にぶちまけ、ハルミの友人はミンチに。
身長一四八センチのヨーコの躰は一瞬でずたずたに引き裂かれ、血塗れの肉袋となって地面に横たわった。
目の前で惨殺された友人を前に、放心状態のハルミの方へと向きを変えるドロイド。
『犯人の一味を発見。射殺す――』
おもむろに飛来した対戦車ミサイルが、ドロイドの上半身を跡形もなく消し飛ばしていた。
辛うじて残った下半身が、途切れ途切れの電子音声を放ちながら一歩、二歩と歩いて……崩れ落ちた。
呆然と立ち尽くすハルミのすぐ横に、見慣れない形状の、黒い装甲車が止まった。
「ハルミ、乗りなさい!」
運転席に座っているのは母で、声をかけてきたのは父であった。
思考停止状態でも、ハルミの訓練された忍者ボディはてきぱきと動いた。友人の死骸もそのままに装甲車へ乗り込む――途端、アクセル全開で加速する車。
使い切ったミサイルランチャーに新たなミサイルチューブを装填する父が、横のハルミを案じていた。
「大丈夫か、ハルミ……お友達は残念だった」
全身黒ずくめのプロテクターに防弾チョッキ、そして防弾仕様の軍用ヘルメット。完全武装の二人はどう見ても温泉帰りという体ではなかった。
車内には大量の武器、そして弾薬ボックスが設置されており、ドアや天井には装甲板が増設されている。
戦場帰りないしこれから戦争に行きますとでも言わんばかり――ハルミは叫んだ。
「父さん、うちは普通のサラリーマンだって言ってたろ!?」
「うちは忍者の家だから忍んでた」
「……なら仕方ないな」
父と娘の和解は五秒ぐらいで完了した。感情的な言い合いとかはしないし、ヨーコの死はすでに忘却されている。
何故なら忍者だからだ。
運転中の母が口を開いた。
「聞いて、ハルミ。さっきの警官ロボットの暴走は誤射なんかじゃない。奴らが、オムニダインがわたしたちを消しに来たの」
父母の話によれば、すべてはオムニダイン社の陰謀なのだという。
オムニダイン社のルーツは、第二次世界大戦の直後にまでさかのぼる。
一九四七年、星の欠片が落ちてきた。
当時、世界各地に飛来した流星雨がすべての始まりだった――生きた結晶生命体の地表への落下と、それに伴う大災害。
記録は改ざんされ、事実は隠蔽され、闇に葬り去られたが、各国家の権力者たちはそれを把握していた。
恐るべき地球外知性体から与えられた超科学技術が、冷戦期の西側・東側の兵器を支えたのは言うまでもない。
重要なのは、この情報隠蔽のとき世界が一つになったことだ。
――その闇の繋がりは途切れることなく、二大国の対立が深刻化してなお継続した。
アメリカとソヴィエトの間の冷戦が、全面核戦争にならないための非公式な枠組み。
世界各国の政治家や資本家、諜報機関の長が手を結び、戦争をコントロールする超国家組織――都市伝説として語られる死の商人、はたまた対異星人組織マジェスティック12などとして断片が語られる秘密結社。
それは後に多国籍企業体オムニダインとして表向きの姿を整え、第三次世界大戦による国家弱体化と、その後の速やかな戦後復興を通して世界支配を成し遂げた。
どす黒い幽霊とでも呼ぶべき多国籍企業は、そうして事実上の世界征服を成し遂げた。
「……待てよ、それがどうしてオレたちへの襲撃に繋がるんだ」
「私たち風間家――いいえ、風魔が奴らの世界支配に抗うレジスタンスだったからよ」
「…………マジで?」
「ハルミ、今まで黙っていてごめんね。お前にはできるだけ、普通の学生生活を送ってもらいたくて」
自発的に忍術トレーニングするのは想定外だったけどな、と笑う父。
「この襲撃は、電脳テロのときのハッキングが原因だろうな。あのデスゲームは一〇〇倍に加速された仮想現実世界で人の意識を戦闘用に作り替え、次世代兵器の制御AIのベースにするためにオムニダイン社が仕組んだものだった」
「ッ!」
すべてが、一つの線で繋がった。
ラスボスを撃破しにいったマサト、その横にいたオムニダインの社長令嬢――そしてハルミを見て笑ったあの顔。
「――久遠寺アリアがオレを狙っているのか!?」
「その可能性は捨てきれないな。彼女は立場こそ社長令嬢だが、裏では極東支社を牛耳っている」
そのときハルミの心に灯ったのは義憤であった。
「マサトの恋心をもてあそんだのか……ゆるせねー!!!」
「ハルミ、私たちはこれからオムニダイン支社のビルに乗り込む。そこに社長夫妻と令嬢がいるのも確認済みだ……」
「……いったい、何を始めるんだ?」
神妙な顔で尋ねたに、父は口の端をつり上げた。
「――第四次世界大戦だ」
そういうことになった。
◆
オムニダインビルが燃えている。
鳴り響く銃声、爆発音、うめき声を上げる兵士たち。
逃げ惑う兵士の悲鳴、断末魔、断続的に聞こえる砲撃音、そして地上を徘徊するドロイドの警告音声。
そこは、この世の地獄だった。
オムニダイン・セキュリティ・サービス――警備会社とは名ばかりの、軍隊あがりの兵士たちとハイテク兵器に彩られた私設軍隊――は風魔忍軍(若干三名)の襲撃を予期しており、三〇〇人近い兵士たちと装甲車、主力戦車、戦闘ヘリを準備して万全の体制で守備を固めていた。
そう、如何に風魔忍軍が反オムニダイン組織最強のエージェントと言えど、これだけの軍勢に敵うはずがなかった。
だめ押しとばかりに、軍用に改良されたドロイド(階段の上り下りが不得意そうな鳥足型逆関節の陸軍仕様。強力な重機関銃や地対空ミサイル、対戦車ロケットポッドなどで武装)を一八〇機も配備。
完璧な布陣である。
そして――風魔忍軍が検問突破、兵士たちが作戦行動を取ったそのとき。
『――速やかに武器を捨て投降しなさい』
ドロイドたちは味方の携えた銃器やボディアーマーを見て、そう、警告音声を発した。
後に残ったのは、壮絶な同士討ちであった。
死屍累々の本社ビル前のゲートを突破し、正面玄関に辿り着いたハルミは、何とも言えない顔で両親に尋ねた。
「これも父さんたちが――」
『――お待ちしていました、風間ハルミさん。応接室までお越しください』
ビル内のアナウンス――その声を、ハルミは知っていた。
久遠寺アリア。
マサトの運命を弄び、ヨーコを死に追いやったハルミの恋敵。
許してはおけぬ。
覚悟を固めた猛獣の肩に、父母が手を置いた。
「お前は、我ら風魔一族の最高傑作だ」
「決着をつけてきなさい、ハルミ」
レッツ天誅。
そういうことになった。
エレベータは何事もなく動作し、容易に目的地に着くことができた。
ビル内部にいるべき兵士の影はなく、応接室までの道のりは五分ほどだった。
意を決して、応接間のドアを開ける。
――落下。
足を踏み外すようにして、暗黒に呑み込まれていた。
そこには、無限の虚空が拡がっていた。上下左右の概念がなく、天地も定かではない空間――そう、まるで宇宙!
振り返ってもドアは消えており、ただ虚空が拡がるばかり。
この圧迫感を、風間ハルミは知っている。
そう、あの日あのとき――あの少女が浮かべた正妻の圧力。
ここは奴の支配する空間なのだと本能で理解した。
名付けて正妻空間。ぴたり、と足場を固める。奴の発する重力に飲まれまいと意思を保つことで、ここはハルミの支配空間にもなるのだ!
「三ヶ月ぶりですね、風間ハルミさん」
気付けば、手が届きそうなほどの距離にその少女は立っていた。
美しい少女であった。
最早、神と呼ぶに相応しい美貌と圧力を持った猛獣――なるほど、これほどの美少女ならば異空間の一つや二つ持っているのだろう。
そう納得しかねないほどの美少女が、正妻面してそこに立っていた。
立っているだけで冷や汗が吹き出す。人畜無害を装い、彼氏を安心させながら、他の猛獣を威圧する王の貫禄。
人間の笑顔とは、これほどまでの恐怖と恍惚を同時に放てるものなのか!
一人の猛獣として、風間ハルミは戦慄していた。
できる、この猛獣はできる!
思春期の男子の性欲を片手で転がし、好意の糸で絡め取り、がんじがらめにして人生の墓場まで連れ去るなど造作もあるまい。
ハルミは知っている。彼女やマサトの通う高校には、彼女持ちであろうといい男はおのれのものだと言ってはばからない、屍鬼のごとき猛獣たちがいると。
だが、そんな有象無象の雑魚どもとは格が違う!
この女は――久遠寺アリアという正妻は、ただ笑みを浮かべるだけで猛獣の心をへし折り、絶望か愛人枠かの二者択一を迫ることができる!
いいや、もうすでにしてきたのだ!
マサトはモテる男だ。ハルミの知らない場所で、別の少女に恋慕されていてもおかしくない。
だが――アリアはすでに、彼女たちの心をへし折っている!
略奪愛など考えもしない、猛獣とは到底呼べぬ家畜に堕落させているのだ!
許し難い邪悪であった。
「答えろ……どうして、ドロイドを使ってヨーコを、オレの友達を殺した!?」
ハルミは激情のままに叫んだ。
まさかヨーコも、密かにマサトへ懸想していたとでもいうのか。
「えっ」
予想外の質問が飛んできて慌てているような表情だった。
これが演技だとしたらアカデミー賞も夢ではあるまい。そう思わせるほどに見事な、意表を突かれたときの顔だった。
しどろもどろになりながら、久遠寺アリアは目を泳がせた。
「たぶん、その……我が社の製品が、欠陥商品だったのでは、ないかと……」
「……表門の軍隊が壊滅したのって」
「誤作動です」
アリアは気まずそうに目を逸らした。
全世界に誤作動を起こす殺人ロボットを出荷しているという、世界征服とか陰謀とかとは別のベクトルで嫌な事実が判明した。
やはりオムニダイン社は滅びるべきなのだ、とハルミは決意を固くした。
「だけど、あなたがここに来たのは好都合。今までマサトくんに色目を使っていた淫獣たちはあらかた躾けてきたけど――」
幾分か砕けた口調になって、久遠寺アリアが口を開く。
微笑む口元と裏腹に、その双眸が、細められた両目の奥でハルミをねめつけていた。
「――あなたが最後の猛獣だよ。わたしとマサトくんのしあわせデートのためにも、ここで屈服してもらうッッッ!」
「マサトを軍用AIの実験台にするんじゃないのか!?」
ハルミの問いかけに、正妻は笑った。
ころころ、ころころと鈴を鳴らすような声音。
「ふ、うふふふふ! 面白い冗談を言うんだね、風間さん。わたしはね、マサトくんのためならお父様もお母様もおじいさまも裏切れる!」
それは暴力的なまでに激しい恋の波動。
燃えさかる太陽のごとき熱量が、正妻空間をめらめらと熱で満たしていく!
「――だって恋をするために、わたしは生まれてきたから」
「な、に――」
「うふふふ、かわいそうな風間さん。何も知らず、勢いだけでここに来たんだね。教えてあげる」
久遠寺アリアは、おのれの正体を語る。
それは多国籍企業オムニダインの支配者たちに連なる血筋でも、一九四七年にこの星へ落ちてきた地球外知性体たちでもない、まったく異なる支配者の証。
すなわち次なる霊長!
「この世界最初の超能力者――過去に対する破壊的歴史改変能力の持ち主。それがこのわたし、久遠寺アリア! 人類史の改変の果てに、奇跡的乱数として生まれてきた王子様がマサトくんなんだよ!!!」
人類という種にはあまたの未来がある。
その大半はこの星の上で自滅する、愚かな猿としてのつまらない種の末路だが――稀にそうではない未来がある。
無限無数の世界のバリエーション、可能性事象と呼ばれるこの宇宙を構成する根本原理。
幾万、幾億、幾兆の可能性の中には――時空間を自在に操り、物理法則を粘土細工のようにこねまわす星の子供へ至ったものもあった。
「神に等しい超人――それが、お前だというのか――久遠寺アリア!」
猛獣は吠える。
お前が神であるものかと。
「バカを、言うな――お前、それじゃあまるで、オレが――」
「うふふふ。そうだよ、風間さん。あなたは彼の幼馴染みだけれど――最初から横恋慕するだけの負け犬ッ!」
「言うな――ッッッ!!」
ハルミの投げた石つぶては、何の手応えもなくアリアの柔肌に弾かれた。
正妻だから効かない!
「何をどう語ろうと事実は変わらない。わたしは見た! わたしは探した! この手が最良の伴侶を得て、末永く、めでたしめでたしと言われるような恋ができる世界を!」
正妻は笑う。
ボーイ・ミーツ・ガールという運命によって、我が身はすでに完成していると。
「十年来の幼馴染みなんて――わたしの恋を彩る石ころに過ぎないと、まだわからないのかな!!!」
正妻空間――否、超能力者の作り上げた絶対無敵空間において、負け犬が何の役に立つだろうか。
勝てない、人は決してこれに勝てない。
物語を彩る英雄譚の主役、その正妻という名の女神に――どうして人が勝てるだろうか。
恋も、愛も、運命の前では風前の灯火。
ああ、風間ハルミは負け犬なのか。
負けヒロインという名の道化――所詮、幼馴染みなどこの宇宙に不要なゴミクズ、思い人を寝取られて体育座りをしているのが似合いの家畜なのか。
否、断じて否!
風間ハルミは諦めない、それが神であろうと関係ない――奪い取るのだ、恋人を!!
何故ならば!!!
「――舐めるなッ! オレは猛獣だッッッ!!」
そう、風間ハルミは諦めない。
たとえ運命が彼女を負け犬と定めようと、幼馴染みは負け属性と神が定めようと!
風間ハルミは立ち上がるだろう!
いつ如何なる時ときも、お前がどんな幸福な家庭を築き上げようと、略奪愛は可能だと言い切るだろう!
何故ならば!
風間ハルミは人ではない!!
修羅道を突き進む猛獣なのだから!!!
「な、なにッ!?」
はじめて――そう、はじめて久遠寺アリアが気圧された。
ありえない。
この歴史を、ロズウェル事件によって結社が創設され、第三次世界大戦によって最良の形で管理社会が形成され、マサトという恋人が約束された正妻のための歴史――略して【正史】を築き上げてきた久遠寺アリアが!
人類史など容易に踏みにじれる久遠寺アリアが!
くだらぬ小娘の、路傍の石ころにも劣る薄汚れた負け犬の言葉に怯えているなど――!!
「――愛人一号としてなら許してあげようと思っていたけど。気が変わった、この宇宙から消し飛ばしてあげるっ!」
風間ハルミは笑う。
猛獣であるがゆえに、命尽きるそのときまで、恋に殉じると決めているから。
マサトを取り戻すために。
そう、たとえおのれが噛ませ犬の運命に生まれていようと――
「――出たな、出たなメインヒロイン! お前を殺して、オレが正妻となる――ッ!!」
◆
何一つ代わり映えしたことはない、どうしようもなく平坦で、そのくせ将来の不安は消えないよくある思春期。
マサトの朝はいつも、隣の家の幼馴染みの声で始まる。
けんかっ早くて、負けず嫌いで、なんか忍術とか使える男勝りな少女。
その、優しいあいさつ。
「おはよう、マサト」
それは宇宙人の襲来も、第三次世界大戦も、電脳デスゲームも起きなかった世界。
当たり前のような、どこにでもある日常。
それが普通のことだから、今日も少年は彼女にこういうのだ。
「おはよう――ハルミ」
- 了 -