ショートショート034 議論のすりかえ禁止法案
その国の政治は、誰が見てもレヴェルの低いものだった。
国のために真に議論すべき提案がなされているにも関わらず、議論をすりかえて話を進めさせない議員が、国会内で幅を利かせていたのだ。
そのあまりの酷さに国民はスッカリあきれ果て、あんな政治家どもに税金など払いたくない、という不満を誰もが感じていた。
そんなある日、A党はついに腹をくくり、「議論のすりかえ禁止法案」なる法案を提出した。それは読んで字のごとく、政治における議論のすりかえを禁止する法案だった。
議論のすりかえが行われたかどうかについては、特別製の論理問題特化型コンピュータが判断を下す。したがって、「すりかえてはいない」などと言い張ってごまかすことは不可能である。コンピュータこれすなわち絶対的判断者であり、この国が力を注いで作りあげた特別製コンピュータに、見抜けない論理矛盾など存在しないのだ。
この法案を提出するにあたってA党が掲げた展望は、まずは国会においてのみ実施することとし、成果が見られれば地方自治体にも同様のコンピュータを導入して地方政治にも適用していこうという、妥当かつ壮大なものだった。
だがこれは、A党にとってもダメージの小さくない法案だ。なにせ、身内の恥をもさらしかねないのだ。辞職に追い込まれる議員も、一人や二人では済まないかもしれない。下手をすれば逮捕されることだってありうる。
しかし、べつにA党が愚かな善人の集まりだったというわけではない。そのデメリットを大きく超えるメリット、すなわち国民の絶対的な支持を長期にわたって得られるだろうと、そう確信していたのだ。当然、党内でも激しい対立が巻き起こったが、法案推進派は反対派を無理やり抑え込んだ。具体的には、後ろ暗いところの多い反対派議員にカネを渡した。そのうえで次の選挙には出馬しないよう言い含め、さらに議員を辞めてからもカネの流れにしっかり食い込めるようなポストを用意した。そうしたら反対派の議員は喜んで黙り込んだ。
A党の方針が固まり法案が国会審議にあがると、当然のごとく国会は荒れに荒れた。国民はそれを見て大いに盛り上がった。SNSやインターネット掲示板では無数の人間が賛同の意志を示した。テレビではコメンテーターたちがいつものように、本当にあるのかないのかわからないようなリスクやデメリットをあげつらって不安をあおった。だが、国会運営の酷さたるや国民の我慢の限界を超えていたので、そんなコメンテーターのブログやSNSはすべて炎上、なかにはクラッキングを仕掛けられて個人情報を盗まれ、あられもない画像をネット上に拡散されて社会生命を断たれ、ついには自殺する者まで出始める始末。批判する者は、そうして誰もいなくなった。
そのころ国会では、猛烈に反対していたB党をA党がうまく誘導し、B党が反対する理由を喪失してしまうような言質をとっていた。これにより大義名分を得たA党は、議論を先延ばしにしようとするB党を無視して、とうとう強行採決に出た。もちろんB党は猛反対。ある者は議長席に身投げをしたところ頭を打って大出血し、議長の顔が二重の意味で真っ赤に染まった。またある者は牛歩戦術に出たものの、転がっていたプラカードにつまずき倒れ打ちどころが悪く前歯を折ったあげく失神し、救急車で運ばれていった。なお、その票は白票だった。
しかし、そんなB党の必死の努力も実らず、すりかえ禁止法案は賛成多数で可決、成立した。この強行採決の国会中継では、テレビやネット中継、タイムシフト再生数などを含めると、平均視聴率は八十六パーセントという驚異的な数字を記録した。特に議長が返り血を浴び怒り狂って暴れ回り、その際カツラが落ちたそのときの瞬間最高視聴率はなんと九十八パーセントにも達した。ネット動画の画面はすさまじい量のコメントで埋め尽くされ、その配信を行っていた国内最大手ネット動画企業のサーバーはついにダウン、大規模な損失を叩き出し、あっけなく最大手の座から転げ落ちた。
そんなドタバタもようやく落ち着いたころ、ついにすりかえ禁止法が施行された。これによって議論のすりかえなどは行えなくなり、まともな国会運営が行われるようになった。
A党が実現したこの大成果に、世論は拍手喝采を浴びせた。そうしてまともな議論だけが行われるようになり、国の政治は良い方向に向かい始めた。
すると不思議なことに、国会中継の視聴率が落ち始めた。その数字はみるみるうちに一ケタになり、投票率も大幅に低下。しまいには放送局に「おもしろくないぞ」というクレームまでつきはじめた。ネットの盛り上がりもすっかり影を潜め、トレンドに入ることもまったくなくなった。
このままではいけないと危機感を持ったA党は、すりかえ禁止法の廃止を提案した。それはB党にとっても都合の良いことだったので、すんなりと可決された。
そうして再び視聴率は上がり、SNSも和気あいあいとしはじめ、その国の政治は以前のように活気のあるものとなったのだった。