私が、幸せだったのだと気付いた時
私は普通の人間であると同時に凡人である。だけど、周囲の人間はハイスペック過ぎた。頭が良くて見た目もよくて、性格までも良いらしい。信じられない。
まぁ、あくまでも我が家の周囲のお話ですけど。
私達家族が住んでいるアパートの目の前には、高級マンションがある。そこに何人か私と同年代の女子一人と男子複数名が暮らしている。私は彼等と遊んだ事もなければ今の今まで同じ学校に通った事がない。だって、金持ちと一般人では住んでいる世界が違うのだ、と今の今まで思っていた。何があったかって、とある日の朝、アパートの前ででっかいキャンバスを抱えたまま倒れている少年がいたので、お弁当をあげただけである。仰向けで倒れている所をキャンバスの上に弁当箱を置いただけである。断言しよう。それ以外は何もやっていない。なのにだ。その日から付き纏われているのだ。
そいつの名前は、倉間 秋也。有名な絵画の巨匠達をも絵だけで感動させる天才なのだそうだ。ペキペディアに書かれてあって、10回ぐらい最初から最後まで読んだ。ようは信じられなかったのだ。
その天才が目の前に居て欠伸をしながら、ウトウトしている。場所は私の部屋で、だ。
「倉間さんさぁ、自分の部屋に戻りなよ」
「嫌です。ここに居るとインスピレーションが働く。気がしますので」
「んだそれ」
私の部屋の、私の敷布団を押入れから勝手に取り出して布団に潜り込んでいたコイツは、今にも寝てしまいそうだ。
「この薄い布団は体の節々が痛くなりますが、逆にそれがいい。あぁ、インスピレーションが来そう。な気がします」
「帰れ」
ボサボサの黒い髪はちゃんと整えればフワフワ艶々の綺麗な髪質をしている。以前そのバッチリ整えられた姿を見た事があるのだ。それはそれはもう美形過ぎて驚いた。そんな男がなぜここに居るのだろうか。
「由恵」
「ん?」
「俺さ、今度海外の絵画コンクールに絵を出す事にしました」
「ふーん。倉間さんなら良いとこいくと思うよ」
「もしも、金賞を取ったら俺に一生を捧げてください」
「は?」
その日から、倉間さんはうちに来なくなった。
最後に聞いたあのセリフは冗談だったのだろう。次に倉間さんと会った時にはすっかり忘れていた。
家電量販店に行って、我が家で寿命を迎えた洗濯機を新たに買う為に母が店員と金額の交渉をしている時だった。様々なサイズのテレビで、倉間さんの絵が映っていたのだ。海外の絵画コンクールで彼は文字通り金賞を取ったらしい、というのを初めて知った。それだけではなく、お向かいの高級マンションの同年代の人達は自分の得意分野を生かした特技で今や日本の大スターだ。
「…………今日の夕飯は焼き肉かな」
ニュースからCMに切り替わった時に、近所のスーパーの特売を目にした時にはもう、私の脳はそちらに集中した。
家に帰ると、すき焼きだった。すき焼きも好きだよ。うん。家族団欒ですき焼きに手を伸ばした瞬間にインターフォンが鳴った。安っぽい音でピーンポーンって鳴った。家族の顔を見渡すと視線が私に集まっていた。致し方なく玄関の覗き穴を見ると、そこにはいつぞやのボサボサ頭の美形が立っていた。
「あれ、倉間さん久しぶりですね。うちに上がって行きますか?」
「金賞を取ったので、約束通り俺に一生を捧げてください」
私は今まで彼の笑顔を見た事がなかった。そんな彼が幸せそうな笑みを湛えて玄関口に立っていた。
「いやいや。そんな約束はしてません。うち今すき焼きなんです。上がって行きますか?」
こっくりと深く頷いた倉間さんをリビングに連れて行くと、母が鍋に追加の肉を入れているところだった。
肉なくなるの早いな。
「あ、あら、秋也君じゃない。久しぶりねぇ」
追加しようとしていた肉をテーブルに置くなり、母は倉間さん分も用意し始める。
「ここ座ってください。今日はすき焼きなんです」
倉間さんの前にご飯と、卵が入った器が置かれた。
「さぁ食べましょう」
「うん」
すき焼きを食べ終わり、締めのうどんも食べホクホクとしている時に、倉間さんは爆弾を投じた。
「由恵さんを俺にください」
母と父の目が大きく見開かれ、目が飛び出すぐらい驚いていた。かく言う私は自分の湯飲みを床に落として割ってしまうぐらいには驚いた。
さっきの「俺に一生を捧げてください」は冗談じゃなかったのか。
「しゅ、秋也君。うちの由恵でいいのか…?」
父は戸惑いながら、必死に考えて出しただろう、その切り出しは悪い方にしか向かわないのと思うのだ。
「もちろんです」
「で、でもねぇ、秋也君ならもっと可愛くて綺麗な子とか、居ると思うのよねぇ」
「由恵さんじゃなきゃ意味がありません」
言い切った倉間さんは、割ってしまった湯飲みを片付けながら、両親と倉間さんの会話を聞いていた。
私と倉間さんは大学生だ。それも、今年就活で忙しい身である。
倉間さんは大学を卒業後、フランスへの留学が決まっている。日本に帰ってくるのは何年後になるのかはわからない。私は、と言うと全く仕事が決まっていない。明日は面接が二か所入っているが、決まっている訳ではないので苦しい事この上ない。
「でも、倉間さん。倉間さん、来年にはフランスに留学するんですよね。私は、フランスには行けません」
「由恵、絵はどこでも描けます。日本に居ても描けます」
「し、幸せにしてくれないと、一生なんて捧げません」
「精一杯幸せにします」
湯飲みをそそくさと片付けて倉間さんの隣に座り直すと、私は父と母に向けて頭を下げた。
「倉間さんに着いて行かせてください」
「由恵…」
「私、倉間さんの事信じてみようと思う。だから、失敗したらまた戻ってきていいですか?」
「まだはや」
「えぇ。いつでも戻って来なさい」
父は大号泣していたが、母も少しだけ目に涙を浮かべていた。
「全く、来る前に連絡ぐらいしてくださいよ」
私の狭い部屋に、私の布団を勝手に敷いて真っ先にそこに寝転んだ倉間さんは恨めしそうにこちらを見ていた。
「一生を俺に捧げてくれるって約束したのに」
「一方的な約束は約束じゃありません」
布団を頭から被ってしまった倉間さんの頭を撫でると、少しだけ震えていた。
彼の精神は子供のままだ。体を震わせて泣いているのかどうかはわからないが、拗ねているのだけはわかる。
「倉間さん」
「秋也って呼んで」
「秋也」
下の名前で呼ぶと、布団からひょっこり顔を覗かせた。覗かせたと言っても目から下はまだ布団に埋もれている。
「秋也は、大学卒業したらどうするの」
「もう、日本にアトリエ作ったし、海外に行くのは旅行ぐらいだよ。俺、画家だから、世界中色んなとこ行って、絵を描きたい。由恵はそれに着いて来てくれればいいよ。いつも一緒がいい」
「子供が出来たらどうするの」
「一緒に世界を回ればいい。家にずっと居てもインスピレーションは生まれない」
「バカ」
夢を見ている。私が必ずいつも一緒に居るという夢を。
「俺、由恵と一緒なら幸せだよ」
それから、とんとん拍子に話が進み、彼と私が25の歳に結婚式を挙げた。25というのは彼のよくわからない拘りと、秋也の仕事が忙しかった為だ。
籍だけは、プロポーズを受けた次の日に入れたけれど、結婚式は挙げておらず、結婚式までの間に子供も出来ていなかった。これも謎の彼の拘りがあり、結婚式を挙げた翌年に双子が生まれ、大変な日々を送っている。
マイペースな夫と、その夫によく似た子供達に振り回される毎日が愛おしかったとそう思えるようになったのは、子供が独り立ちし、また彼と二人だけの静かな生活に戻った時だった。
「由恵、俺は幸せだよ。君が隣に居てくれるからずっと大好きな絵を描いていられる」
「私も幸せ。また二人っきりだけど、色んな所行こうね」
「うん。バミューダトライアングル見に行こう」
「………え…?」
私、そこまで言ってない。
ここまで、ほのぼのとした話は書いた事がないかもしれません。
幸せの形って様々ですけど、夫婦間で想い合って最後までほのぼのと過ごせる方って実際そんなに居ないのではないかと思います。ある種の理想的な関係なのでは、と思います。
※小説の書き方テスト的に変えました。