奈落
74
誰かが呼ぶ声がする。
その声は焦りを含み、リースを不安にさせた。
ゆっくり目を開くと、周囲の光景に震え上がった。
辺りには無数の魔物の死体が転がり、大地は荒れ果てていた。
目の前には闇との境界が曖昧な黒い森があり、赤い目を光らせた魔物達が次々と抜け出してくる。どんよりとした空にひっきりなしに雷が閃き、その間を黒い影が飛び交っていた。
その先では想像を絶する大きさの大樹が燃え上がっており、手前には山頂が大きく抉れて背が低くなった山があった。
背後には天を貫く無機質な黒い壁が聳え立ち、等間隔で開かれている窓からは、黒いバリスタのような物が見える。壁の下ではオーガ並みに大きい白銀の全身甲冑が並び立ち、光り輝く大剣や炎を吹き出す槍、放電する大型のボウガンを構えていた。
戦場のど真ん中で目が覚めたリースは、今までにないほどの恐怖を感じて、しりもちをつく。
それが合図にでもなったか、魔物達が一斉に雄叫びを上げるとリースに向かって駆けてくる。
腰が抜けたまま呆然と迫る魔物達を見ていると、頭上が急に明るくなり、光の雨が降り注ぐ。
それによって多くの魔物が倒れ伏す中、二本の角を生やした巨大な魔獣が、他の魔物を薙ぎ払いながら飛び出す。
恐怖から振り返ると、今度は輝く剣を持った大きな白銀の騎士が、飛ぶように迫ってきていた。
頭を抱えて伏せたリースは叫んだつもりが声は出ず、大きな存在に挟まれる事も無く辺りは静かになる。
恐る恐る顔を上げると、どこかの高貴な者の部屋にいるようで、正面にはガラスの蓋がしてあるベッドがあり、傍らには青髪の少年がいた。
立ち上がってベッドを覗くと、若い古代人の女性が横たわっており、やつれた顔は死の影が見える。
少年が何かを問うが女性は首を横に振って瞼を閉じた。
悲痛な表情を浮かべた少年が静かにベッドを離れると、全身から青い光を放ち、空に溶けて消えていく。
瞬きをした次の瞬間にはどこかの深い森に変わり、目の前には二人の少女が背を向けて立っている。
その奥では膝をつき、手を合わせて祈りを捧げる緑髪の少女が、徐々に大樹へと変貌していく様が見えた。
赤髪の少女の肩は震えており、気遣う白髪の少女は何かを躊躇っている。
いつからいたのか、リースのすぐ横には黒髪の少女がいて、二人の背中に厳しい視線を送りながら何かを伝える。
赤髪の少女が急に振り返って睨むと、一筋の涙が頬を伝い、森の中へ姿を消していく。
リースには彼女達の姿が漠然としたイメージで見えていたが、この時見た赤髪の少女の顔は、どことなく自身に似ていてびっくりした。
すると、今まで見向きもされていなかったリースの元へ、白髪の少女がまっすぐ近づいてくる。
「――思い出して、あなたは―――」
まるで絵から抜け出してきた人物に話し掛けられた感じで、少女の見た目に反して大人びた声が、物理的な威力を持つかのように、強烈な衝撃となってリースの意識を暗転させる。
そしてどこまでも落ちる感覚を最後に途絶えた。
「……また…うっ!?いったぁ…?」
リースはここ最近見る不思議な夢を思い出すが、意識が覚醒するにつれて内容は朧気になり、代わりに身体中から酷い痛みを感じた。
目の前に転がる焦茶毛の豚土竜のグレモスと、傷だらけの両手、打ち身や擦り傷だらけの身体は、力を入れても入れなくても強い痛みを伝えてきて、暫く動けそうもない。
(生きてる…私、生きてる!グレモスを倒した!帰れるんだわ!ここから…里まで…帰れたら…)
リースは青く光る苔が僅かにあるだけの岩場にうつ伏せに倒れていて、手元には銅の柄と灰色に変色して割れた石が転がっていた。
痛みに耐え顔を反らすと、すぐ横は底の見えない深い闇の口が開いており、上を見ると同じく深い闇で見通せない、切り立った崖となっていた。
バルーンさえないほどの深淵で、リースは一人、深い絶望感に呑まれる。
(――あぁ、スノウ。どこへ行ってしまったの?ここで死ぬまで一人なんて…っ…里にっ…いればよかったっ!)
止めどなく流れる涙をそのままに、リースはモースの間を通り抜け、グレモスの背後までスノウに案内してもらった後の事を思い出す。
(…やったわ!焦茶毛の身体に背後からでも見えるほど長い髭。しっぽが周りのモースより長い…間違いなくグレモスだわ!)
リースは隣にいるスノウの頭を撫でると鞄を預け、バケツから銅の柄と黄色い魔法石を取り出す。スノウはバケツの水から出された魔法石に嫌な顔をするが、離れず側にいてくれた。
柄の両端にある三本爪の片方に魔法石を近づけると、爪が開いて石をしっかりと掴む。その時、風下にいたモース達が魔法石の匂いに騒ぎだす。
「スノウ!いくわよ!」
スノウが慌ててリースのスカートを掴み、共にしっぽまで走り出すと、グレモスが異変に気付き、キョロキョロと辺りを見回し始める。しっぽに飛び付くと鳴き声を上げ、瞬時に跳躍して群れから飛び出した。
「きゃー!」
しっぽをしっかりと掴むリースとスノウを連れて、一度の跳躍で柵を越え、さらに飛ぶと里の西側に広がる野原まで到達する。
途中、驚いた顔をした小人達に出会うが、ただでさえ小さな小人がさらに小さく見えて、おかしく思えて笑うと、自分のしていることが他人事のように思えてくる。
(いけないいけない!登らなきゃ!)
リースがしっぽを伝って上がるとスノウも遅れて続くが、グレモスがしっぽを揺らして振り落とそうとする。
必死になって登るとグレモスが偽物の野原に向かって跳躍し、幾つかのバルーンを踏み台に空高く上がっていく。
その拍子に背中まで上がる事ができたリースは、周囲の光景に愕然とする。
いつの間に里を出てしまったのか、周囲は暗く断崖絶壁で、下は底が見えないほど深い。
グレモスの後頭部まで急いで這ってきたリースは、銅の柄を両手に持ち、魔道具を使う用量で魔力を流すと蒼白い雷光が発生して、力一杯グレモスの後頭部に叩きつけた。
「ブキューーー!!」
「―――!?」
雷光が激しくグレモスを打つと変な鳴き声を上げて、急速に萎んでいく。突然足場を失い投げ出されたリースは、スノウがいない事に気付く。
「スノウ!どこ!?助けて!」
縮むグレモスのしっぽには鞄が絡まっており、リース共々裂目へ落ちていった。
リースは再び気を失っていたようで、一定のリズムで起こる震動で目が覚める。すると岩場ごと移動している事に気付いた。
身体の痛みはまだ強かったが、身の危険を感じたリースは不自然な形の岩にしがみつき振り返る。そこには大きな岩の顔があった。
(ゴーレム!?)
しがみついた岩はゴーレムの指だったようで、大きな手の平に乗せられ運ばれているようだ。
頭は顔で言う左目部分が窪んでいて、クルクルと忙しなく回転する球体が浮いている。その他はのっぺりとしていて、蒼白い岩の身体は大きく、手足が異様に長い。
滑らかな表面をしており、全体的にツルリとしたゴーレムだった。
背後にもう一体同じゴーレムがいて、体長八十センチくらいまで縮んだグレモスと鞄を手の平に乗せ、両足と片腕でバランスをとりながら谷間を進んでいる。
(どこへ行くの?――あっ!?)
急な眩しい光に目を覆うと、鳥の鳴き声や川のせせらぎが聞こえてきた。
「――!?…綺麗」
そこは奈落の底とは思えないほど明るく、緑豊かな庭園が広がる美しい場所だった。
裂け目との境界となる両壁には、さらに大きなゴーレムが左右に立ち、ゴツゴツとした身体は苔むして壁と一体化している。リースを乗せたゴーレムが通過すると、その肩や頭に止まって羽を休めていた鳥が飛び立つ。
振り返ったリースは、グレモスと鞄を運ぶゴーレムが裂目から出てくるのを見る。壁面を両足で踏ん張るようにして移動しており、さらに下があるとわかり恐ろしさから震えた。
中央付近の空き地まで来ると、何もないと思われた空間が歪み、周辺の景色を反射する不思議な材質の建物が現れた。
壁にアーチ状の入口ができると、ゴーレムに背中を押されて入り、左右に複数の部屋がある通路を進む。
様々な物が山積みになる部屋や、墓標のような黒い石板が並ぶ部屋。見たこともない装置がある部屋等を横切り、突き当たりの両開き扉まで来ると、扉はひとりでに開いて頭の中で直接声がする。
(――どうぞ、入ってきて…)
(――!?)
(そう、念話よ。大丈夫。ここは安全)
弱々しい念話は終わり、怯えながらも部屋に入る。
正面には大きなガラスの容器に入った金髪の女性がいた。
中は液体で満たされていて、白い衣を着た美しい女性は、あの夢に出てきた古代人のようだった。
容器の周りにはリースには理解できない装置が並び、低い音が響かせている。
(ここへ、人が来るのは、初めてね。私は、エルゥスィス。あなたから、したら、古代人。フフ)
(古代人!?遥か昔にみんな死んでしまったはずじゃ…あ!あの、助けてくださりありがとうございます!)
(…まだ、助かったとは、言い切れないわ。今は、ここから、地上まで、帰れない。私は、動けないから、助けて、あげられないわ。この身体は、死んでるの…)
驚いたことに目の前の女性は死んでいると言う。
彼女エルゥスィスは天人サルサユエルに保護された古代人で、ここへ運ばれた時には既に助からない状態だったらしい。
彼女の意識は装置と共にあり、サルサユエルが不在時に、この地の管理を代行していたと言う。
(…あの方に、なにがあったか…わからないわ。私の力も、弱まりつつある…彼女達の悪戯で、あの方の庭園が、傷つくのは、無念だわ)
(彼女達?…もしかして)
(そう、ピクシー。彼女達が、やってきてから、ここの管理に、必要なラインが、途絶えてしまった)
(やっぱり!…あっ、ら、らいんですか?…なにかお力になれますか?)
リースは痛む身体を無理して背筋を伸ばすと、エルゥスィスがお礼を言うが、まずは身体の治療をするよう勧められた。
小型ゴーレムの案内のもと、途中通りすぎた部屋に向かう。
その際にエルゥスィスはグレモス退治の感謝として、その素材を使い魔道具を作ってあげると、なぜか楽しそうな声色で話した。
何に使うかわからない様々な機材が並ぶ部屋に着くと、壁際に並ぶベッドに横になるよう、事務的な冷たい感じの男の声を発するゴーレムに指示される。
横になるとガラスの蓋が勝手に閉じて、青いガラスの表面には見たこともない文字が浮かびあがり、白い光が頭から爪先まで何度も往復すると、身体の痛みが引いていく。
(す、すごいわ…こんなものがあるなんて…治癒師の人が知ったら首を吊りそう)
エルゥスィスの部屋に戻る途中、案内するゴーレムとは見た目が違う、小型ゴーレム達の行動を見掛ける。
外壁の一部は近づくと外が透けて見え、庭園の管理から鳥の世話、建物の清掃まで、複数のゴーレム達が休まず働いているのが窺えた。
建物内部では人に近い見た目をした小型のゴーレムが動いており、物が山積みになっている部屋から物を運び出し、隣の部屋へ整理している。
黒い石板はやはりここまで落ちてきた者達の墓標らしく、不思議な事に入口の仕掛けをゴーレムがいじると、部屋が丸々入れ替わり、違う墓石が並ぶ部屋になった。
奥の部屋に戻ると、エルゥスィスの亡骸が眠る容器前には、テーブルが用意されていて、金属質の帯で覆われた、不思議な本と隣にはリースの鞄、その上には白い本が乗り、横に小さな鳥籠風のランタンが並ぶ。
(鞄の中を、見させて、もらいました。そのケージはあなたの?)
リースは首を振って入手までの経緯を話すと、エルゥスィスは何かを理解したようで、鳥籠のランタンは妖精を捕獲する魔道具だという。
(――それじゃあ、あのボルナフがピクシーを?)
(おそらく。ケージに捕らえた、ピクシーに逃げられ、落とされた…それから人が通ると、悪戯をするのでしょう)
(あ、あいつ~!どこまでも迷惑掛けて!…ならこれを使ってピクシーを捕まえれば、ここの管理が出来るのですね?)
(そう、ピクシーが奪った、黄金の鏡筒を、取り返して、もらえれば、里までの、転送陣を開けるわ)
リースが請け負うと銀色の金属帯が十文字に巻き付き、表紙中央の銀盤に暗い光りを放つ水晶玉が嵌まった、黒革の本が浮き上がる。
(それには、私の意識の、一部が写して、あるわ…あなたに、預けます)
(――え!?あ、ありがとうございます?)
リースはよくわかってなかったが本を手に取ると、頭の中に情報が流れ込んで来る。この本が知りたい事の情報を補足してくれるようだ。
だがやはり禁啓言語は影響するようで、所々霞が掛かったように理解できなくなる。
(あぁ…案内してくれたのは自動人形と言うのね…あ!スノウがいなくなったのは、里に満ちる力の影響範囲から出たからなのね…今なら!)
リースが白い本を撫でると白い綿が現れ、次の瞬間には白髪の少女になる。強く抱き合いお互いの無事を喜んだ。
(その子は…そう、あなたが…)
(…?)
(ピクシーの、いる場所へは、ここから、いけます。あなたが、案内できますね?)
スノウは頷くとランタンを持ち、リースも鞄に本を入れると手を繋ぐ。そしてエルゥスィスに礼を言って部屋を出た。
(白の、聖霊様…あれから、気の遠くなるような、月日が経っても、まだ…でも、一度失われたら、望んだ形には、戻らない…)
装置が立てる低い音が静かになり、部屋の明かりが落ちる。
ガラスの容器に入って眠る美しい女性が数回明滅し消えると、内部には干からびて骨と皮だけになった女性が現れ、泣いているかのように震えながら浮いていた。




