東の洞穴
73
どことも知れない場所に佇むリース。
なぜここにいるのか、いつからこうしているのか、思考には霞がかかったようで、なにもわからない。
周囲は植物を彷彿とさせる、不思議な形状の建物に囲まれている。高さは孤児院と同じ二階建てくらいの、ガラス質の壁は透けていて、薄い緑色をした液体が下から上へ向かって流れていた。
屋根があるべき部分も、ガラスでできたような青い花の蕾があり、複数ある建物の中には蕾が開いているものもある。入口は見当たらなかったが、丸窓から覗いた内部には人がいた。
広場を行き交う白い衣を着た人々は皆、金髪碧眼の美男美女揃いで、リースは彼らが人の祖先にあたる、古代人だとボーッとする頭で理解する。
彼らは歩いているのではなく、緑色に淡く光る通路を滑る様に移動していく。そして所々にある円陣に入ると光の輪が幾重にも現れ、頭から足先まで覆うと一瞬で消え別の円陣から現れていた。
正面には街とは異質な感じのする階段があった。
幅広の透明な板を重ねた階段は天に届かんばかりに続き、階段の左右にはアーチ状の大きな建物が何段も重なり、階段を支えるように聳え立つ。その建物の間を水が流れ落ちる様は美しく、緑鮮やかな樹木が生い茂げる。
中は暗く見通せないが、入口には幾筋もの光の線が流れ、見たこともない文字が浮かんでいた。
リースが階段の先、遥か高みを見上げると、太陽が眩しく目を細める。すると急に空が落ちてくるかのような感覚を覚え、咄嗟に振り返り屈むと、先程とは違う場所にいた。
背後は目眩がしそうな程の高さで、階段が遥か下まで続いている。恐る恐る見回すと、左右には美しい女性の彫刻がなされた白い石柱が六つ並び、その先には山脈の頂きが続く。
足元は見たこともない様々な獣が描かれた石畳が広がり、その間を網の目状に水が流れていた。
山の頂きを平らにならしたようなその場所は、青く透き通る泉になっていて、中央には島がある。
そこには古い小さな庵が建ち、長椅子には若く美しい金髪の女性と、青い髪をした少年がいた。
その背後には視界に収まりきらない程の大樹が聳え、見上げていくと遥か高みには、蜃気楼のように霞む街が空に映る。
二人は楽しげに話をしているが、リースには聞き取れず様子を見ていると、庵の裏手に赤髪の少女と白髪の少女が現れて覗き見をしている。
少しして女性がリースのすぐ横を通り階段を下っていくと、青髪の少年が振り返り、少女達に気付く。少女達は見せつけるようにいちゃつき、少年は呆れた顔をして首を振った。
その時、世界そのものが震えたような感覚と、言い知れぬ不安がリースの胸に満ちる。唐突に目の前の大樹が激しく燃え上がり、赤く染まる空には黒い人影が複数現れた。
樹海には闇が広がっていき、幾つもの赤い目が迫るのを見て後退る。背後の何かに躓き後ろへ倒れると、どこまでも落ちていった。
「―――あぁぁ!?…あ、また…な!?何をしてるの!?」
目覚めたリースは飛び跳ねるように上体を起こす。その際、足に何かが当たり、スカートの端から自分の足ではない小さな足が出ているのを見て、慌てて引っ張り出した。
すると顎が少し赤い少女は悲しそうに眉を下げ、四つん這いのまま逃げようとする。
「ま、待ちなさいっ!なんでスカートの中に入ってたの?」
少女は首を横に振るだけで何も答えず、どうしたものか悩むリースは自身の足を見て気付く。昨日ボルナフに引き摺られてできた擦り傷が綺麗になくなっていたのだ。
「あっ!スノウが治してくれたの!?そうならそうと言ってよ。ありがとう!」
少女を抱き直し頬擦りすると、微笑むスノウがキスしようと顔を近づけてくるが、うまく顔を反らして逃れる。
「――ちょ、ちょっと待って。キスはだめよ?…!?」
よく見ると瞼を閉じたスノウは頬を赤くし、小さな唇を舌嘗めずりしていた。
何を考えているのかわからず、不安から離れると身の回りの確認を始め、さらに気付くことがあった。
スノウは泥だらけになっていたはずのリースといても汚れることはなく、逆に服の汚れが消えて綺麗になっていたのだ。
(これは…フラウさんの外套と一緒?)
暗い洞穴内に明かりが差し込み、外が明るくなり始めたのを確認すると、マッチから借り受けた小さな燭台の火を消し、身だしなみを整える。少女は残念そうに指をくわえながらリースのスカートの端を掴み、見失わないようにしていた。
(フラウさんと一緒でよくわからないわ…キスしたら何かあるの?)
朝食の用意を始めたリースは、昨夜渡された食料の残りを調べる。マッチ達が台車に載せて運んできたものは、堅い日持ちするパンや塩漬けの肉、干した野菜類と木の実を練って焼いたクッキーだった。
どれも長旅の際に食べられる物で、以前落ちてきた馬車に積まれていた物だとマーチは言っていた。
最初ボルナフが独り占めしようとしたが、酒と交換してくれとせがまれて渋々交換したらしい。
だが彼ら小妖精の口には合わず、処分に困っていた里長が持っていけと言ったようだ。
日持ちしない物から食べ始めたが、思ったより空腹を感じていなかったので、かなりの量が残っている。
飲み物は果実酒と蜂蜜酒が小さな樽に入っていたが、リースは酒を飲まないので端に除けていた。
しかし今朝確認すると、不思議な事に減っていた。
腐らせまいと生野菜や果実入りパンを食べながら、今までにわかったいくつかの里の特殊性を考える。
まず時間の流れが一定ではない事。初日は気付かなかったが、日の出や日の入りまでの時間が、リースの体内時計と違うのだ。
他にもあまり空腹を感じなかったり、物の大きさがまちまちである事がわかった。
リースの頭ほどもある赤い野菜は、地上では本来片手で持てる位の物で、豆粒ほどの縞模様の果実は地上では抱えるほど大きい物のはずだった。
(話には聞いてたけど、妖精や精霊の住む世界は人の世界と色々違うのね。モースも聞いた話では豚くらいのはずだし)
食事を終えると出掛ける準備を始める。
食事中、離れていたスノウが戻ってきて手を繋いだが、顔が少し赤いのに気付いて額に手を当てる。
すると微笑えんでいるつもりか、にやけた顔をしてリースにしなだれかかってきた。
(もしかしてお酒飲んでるの!?)
頬をつねると嫌がり、ムスッとした顔をするスノウを連れて東へ向かった。
マッチ達は明日に迫った収穫祭の準備が忙しいらしく、里は楼や屋台が建ち賑わっていた。
リースは妖精里で食材を得る事が収穫祭と思っていたが、実際は里の畑や果樹園の収穫らしく、妖精里の食材はほとんどがモース達の分になると言う。
ミニマム達の味覚は繊細で人の食材より、自分達が里で育てた食材の方が合うらしい。
東の洞穴へ向かう途中、右手前方に建つ藁葺き屋根の大きな建物の前には、多数の小人が集まり、中央には金の羽飾りを頭に付け、白い衣を着た小人が緊張した表情をしていた。
(なんだろう?…あ、祭りなら豊穣の女神様への儀式か何かかな?)
「お?人の子じゃないか。もう怪我治ったのか?」
「あっ、は、はい!もう大丈夫です…それよりあれはなんの準備ですか?」
「ん?あぁ、天人様への感謝の舞いをするんだよ。サルサユエル様がいなかったら里はなく、俺らもとっくの昔に滅んでただろうからな」
小人達は口々に天人に感謝をしており、ここでは神より崇められていると知る。
「それと命脈から妖精里への供給の準備だな。供給の開始と同時にモースが上がって行くんだ。その時を楽しみにしてろ。煙突が綺麗に光るからな!」
(――!なるほど!モース祭の日に妖精里周辺の田畑が淡く光るのは、命脈っていうものから栄養が送られてくるからなのね。みんながその綺麗な光景に見とれている間に食材が無くなる)
小人達が忙しく移動していくと、洞穴へ向かう。
ボルナフのいた東の洞穴はあの時のままで、ひどく汚れて荒れ放題だ。
スノウは近づきたくないのだろう、手を離して遠くに行ってしまう。
(うぅ…薄情者~。私だって行きたくないわ。けど何かグレモス退治に、役に立つものがあるかもしれない…)
洞穴の脇には馬車の残骸から割れた樽、どこから持ち込んだか、朽ちた家具や廃材が山となって悪臭を放っている。
(――う~!くさい!匂いだけで病気になりそうだわ!落ちて来た物を何でもかんでも集めて放置しているのね)
鼻をハンカチで覆い洞穴へ近づくと、入口周辺はやけにぬかるんでおり、それだけで身の毛がよだつ。中は暗く燭台に火を点けると、様々なゴミが散乱して足の踏み場もない。
奥に人一人が入れる場所が見えたが、リースは既に我慢の限界で、逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。
(うぅ~!?むり~!あり得ないわ…入るなんて無理よ…ごめんなさい…フラウさん、みんな…?)
と、引き返そうとする時、奥に光る玉が幾つか見えた。
それはフラウに見せてもらった魔法の品で、属性の力を秘めた玉だと思い出す。リースは目を閉じ、息を止め、無心になると、一歩また一歩と踏み出していき、心の中で数えた目算の歩数に達すると目を開けた。
(これこれこれ!はい!おしまい!)
一瞬にして目の前に並ぶ品々を手に取り、脱兎の如く洞穴を飛び出すと、スノウに全身を擦り付けるようにして抱きついた。
「スノウ!汚れちゃったよぅ!」
リースが抱きつくと、スノウは珍しく嫌がり抵抗する。
「くっ…スノウのいじわる」
「…おめぇ、何を一人でクネクネしてるんだ?気持ちわりぃ」
いつの間にかマッチとマールがいて、スノウが見えない二人は、リースの奇行に顔を引きつらせている。
「…なんでもないです。それよりこれを見てください!属性付きの魔法石です!それに変わった形のランタンと…?」
リースは言いながら不思議な形をした銅の柄を見る。
あの場にはボルナフの私物らしき、黄緑色をした不気味な杖もあったが、無視して使えそうな物を選んだつもりでいた。
だがやはり気が動転していたようで、刀身のない銅製の剣の柄を選んでしまったようだ。
銅の柄は全体的に彫刻が施してあり、中央に玉のような丸い膨らみがある。上下に握りと、両端にはそれぞれ三本の爪が何かを掴むような形状をしていた。
どれもひどく汚れていて、見せつけられたマッチ達は一歩退く。
「なんだか知らねぇが…ばっちぃな!近づくなよ?」
「ほんと汚いわね。川で洗ってらっしゃいよ。あ!直接川に入れないでよね!?」
「…はい」
汚いと言われたリースは、鼻を摘まんで距離を取られると、ひどく傷付いた顔をし、スノウの手を取ろうとするが避けられた。
西側まで早歩きで移動して川の水をバケツに汲むと、全て投げ込み手を洗う。
(うぅ…ぐす…)
道中、小人達とすれ違った際にも鼻を摘まんで避けられ、小声で臭い臭いと言われ続けたリースは泣き出す。
(ひどいわ…孤児院でも身だしなみには気を配っていたから、臭いなんて言われたことないのにっ。スノウまで私を避けるなんて!)
少し離れた場所にはスノウが嫌そうな顔でリースを見ており、マッチ達も遠くから見ていた。
(――あれ?ちょっと待って?スノウにはフラウさんの外套と同じ力があるんじゃ?)
落ち着いて身の回りを確認してみると臭い物などなく、不思議に思いつつ属性石を手に取ってスノウに近づく。
すると嫌そうな顔して離れていき、マッチ達も鼻を摘まんで距離を取った。
(これ!?でも私にはわからないわ)
「ひぇ~!?ひでぇ匂いだ。生ゴミが腐ったような匂いがするぞ?なんなんだ?」
「腐った!?なによ…だめなの?」
どうやらフラウに見せてもらった物と違って粗悪品らしく、がっかりすると魔法石をバケツに投げ入れた。
精神的に疲れたリースは、マッチ達に誘われ果樹園を見学しにいくと、以前落ちてきた男達の話を聞く。
「あのうるさい男が落ちてきたのは二年?三年?前でよ。実を食べるのを頑なに拒否したのよ。洞穴に住み着いてからは食い物よこせだの、モースに乗せろだのうるさかったなぁ」
赤い果実を転がしながら運ぶ小人が嫌そうな顔をすると、樹の上で黄色い小さな実を籠へ落としている小人が話を引き継ぐ。
「しばらく後に冒険者風の男が落ちてきたな。落ちた時にあちこちぶつけたのか血だらけで、すぐ死んじまった。あのナメクジみたいな男はそいつが持ってた物を勝手に自分の物にして喜んでたぞ」
するとマッチが何かを思い出したのか、両手を打ち合わせて笑いながら話す。
「そうそれだ!思い出したぞ♪あの銅の柄だ。爪の所に色の付いた石を嵌めると、バリバリと雷が出てな。それを振り回しながら無茶苦茶なこと要求するから、里長にぶっ飛ばされてモースの群れの中を泣きながら走り回ってたぞ。うははは!」
「――!なるほど、魔法石を嵌めて使うものなのね」
魔道具らしき銅の柄の使い方がわかったが、あの臭いと言われた魔法石を使うのかと思うと、気が重くなる。
「それから最近になって立て続けに二人落ちてきたわ。商人風の男は臭い男に唆されて煙突を登って、途中で落ちて死んでしまったのよ」
マーチが迷惑そうに話すと、台車を引く小人が死体はボルナフに預けたが、暫くの間、洞穴の脇に放置されていたと言い、墓はあったかと問われたリースは、青い顔してゴミ山になっていた先程の場所を思い出す。
一人目の男はどうしたのか気になり問うと、小人達が北東の壁際に埋めたと言う。
「三人目の男は変な首輪を付けた男でよ。あのオークみたいな男に惑わされず、実を食べるか悩んでたな。けどある晩に川で溺れて死んだ。みんな奴が魔法で殺したに違いないと言ったが、証拠がねぇって言い張るんだ。ただ死体からは首輪が無くなってたんだよ。洞穴の中になかったか?」
続きを言いたそうに我慢していた別の小人が一気に話すと、首輪の行方を聞いてくる。
暗い顔したリースは知らないと答えると、三人目の男もボルナフに預けたと言い、別の小人が思い出したように、暫く洞穴脇に放置されていたのを見たと言う。
マッチ達は何も思わないのか、平気な顔で笑い話を始め、リースだけは先程のぬかるんだ場所と、供養されずに放置された男達を連想し、気分が悪くなった。
荷物をまとめるとスノウを連れて牧草地まで走る。
(…帰りたい…帰りたい!こんな所で死にたくない!絶対にグレモスを退治してやる!!)
涙が頬を伝い流れるが、目をカッと見開き、群れるモース達を睨む。スノウの手を握る手に力が入るが、優しく手を擦ってくれる。
今は昼過ぎで遠く里の方からは、賑やかな音が聞こえる。
暖かな風が吹き抜ける牧草地は穏やかな時間が流れ、眠けを誘うようだ。
だが明日には収穫祭が始まり、モースに乗った小人達が出発してしまう。
「…スノウやるわよ!グレモスを見つけて倒しましょ!」
リースは気合いを入れ直し、右手には銅の柄と黄色い魔法石が入ったバケツを持ち、左手をスノウと繋ぐと柵を越えて、二度目のグレモス退治に向かう。




