第七迷宮区入り
5
「すげぇ!でけぇ!ケルベロスってやつか!?」
リースが腕を引いて連れてきた男は、魔狼を見るなり興奮した様子で騒ぎ始めた。
しかし遠巻きに眺めるだけで近づこうとはしない。振り返ったフラウの表情を見るまでもなく、リースは慌てて男の服を引っ張り注意を引いた。
「静かにしてください!えーと…そう言えば名前を知りませんね。私はリース、こちらはフラウさんです」
「…」
「な、名前ね…オレはレイジ。よろしくな」
身も凍るような鋭い視線を正面から受けたレイジは、視線を逸らし口元に手を当てて何事かを呟いている。
レイジの容姿は黒目黒髪で、十代半ばに見える顔はリースに同い年かと思わせた。
背丈は大人と変わらないが街の大人達に比べ線は細く、落ち着きなく辺りを窺っている様は頼りない。
夕闇が迫る時間帯。門前の人影は忙しく動き回り、少し離れた場所にいる異色な三人組を気にする者はいない。
「レイジさん…でいいですか?まず街に入るには身分証となるギルドカードか銀貨1枚が必要になります」
「ギルドカード!」
「…私にはありますがフラウさんはないので、この魔獣を衛士の人に渡して売却してきてもらいます」
「なるほど!」
「そのお金でレイジさんの分も含め、二人分の通行税を払います」
「おぉー助かる♪」
「…もう!ちょっと落ち着いてください!」
「ご、ごめん…」
魔狼のそばを行ったり来たりしているレイジの反応はいちいち大げさで、隣にいるフラウの表情がだんだんと険しくなる。これ以上時間を掛けたくないリースは捲し立てて話す。
「税を払っただけだとあなたはお金がないままですよね?今夜の宿代はどうします?街中でも野宿してると危ないですよ?だから孤児院にお願いして一晩泊めてあげますから、働いてください」
「こ、孤児院?てかいきなり働けって…な、なにをしろと?」
怯えた様子のレイジに対し、リースは足元にある魔狼を無言で指し示す。頭部を除いても2メートル近い魔狼の死体は、なかなかの重量だ。
「この魔獣を門の前まで運んでください。もちろん引き摺らないように。買い取りの時に値段が下がりますから」
引き摺らないようにとは無茶な頼みだとリース自身わかっているが、フラウの機嫌を損ねるレイジに少し意地悪な気持ちになっていた。
「え?マジ?一人じゃ無理じゃね?なんかすげぇ汚いし…」
「早くしないと門が閉まっちゃいますよ?」
「えっ!?ちょっとマジで!?」
ほぼ一方的に話終えると、リースはフラウの手を取り歩き出す。一人残され途方に暮れるレイジも、門が閉まると言われれば渋々魔狼の後ろ足を担ぎ、しっかりと背負い上げて二人の後を追う。後には魔狼の頭だけが残され、赤い目が恨めしそうに空を見上げていた。
迷宮都市。都市の東端に位置する第七迷宮区の北門は、高さ7メートルの分厚い木製扉に鉄板を張り付けた頑丈なものだ。
木材は北の森から伐採され、鉄板は森を抜けた先にある、南部ドワーフが住む鉱山都市から仕入れたものを使っている。
街を囲む外郭の壁も門ほど高くはないものの、一抱え程の切り出した石が積み上げられた堅牢な石壁だ。
門の前では武装した衛士が三人、列を成して待つ者達の通行手続きをしていた。
早歩きでついてくるレイジは意外と力があるようで、ダメ元で言った魔狼を引き摺らないという言い付けを律儀に守っていた。
子供の無茶ぶりに気を悪くするでもなく従う様は、リースに悪い人ではないと思わせ、歩く速度を合わせた。
「なぁ、キミのその服って一般的なのか?」
「え?私ですか?…一般的とは言わないですね。この街から北西にある魔法学園で使われていた学生服ですから」
「魔法学園!ってかそれって…中学生の制服だよね?」
「チュウガクセイ?なんですかそれ?」
「あっいや、なんでもないなんでもない…」
ずり落ちそうになった魔狼を担ぎ直すレイジ。切断された魔狼の首からはどす黒い血が滴っている。
「レイジさんこそ変わった服装をしていますね」
「あ~…ジャージって言うんだけど?魔法学園ってとこにはないの?」
何かを迷っている様子のレイジは口数が減り、リースの問いに対して魔狼の汚れが服に付かないかしきりに気にしながら問い返した。
「知らないです。私は学園に通った事はないので…あっ服は寄付されたんですよ。新しい服ができたとかで、古い服は迷宮都市の孤児院に配られたんです。だから今ではこの服を着てる子は孤児院の子供って事になります」
「そ、そうか…」
リースはそう答えながら自身の右手が前後に揺れているのを見る。フラウが歩みに合わせて繋いだ手を前後に振っているのだ。
ただ顔が無表情なので楽しいのかどうかは読みとれなかった。
(フラウさんていったい何者なのだろう…知ってる事がちぐはぐで、見た目は大人の女性って感じなのに時々子供っぽいし…)
「シャドウウルフ?」
「なんて美しいんだ…」
フラウを観察していると前から声が聞こえてくる。
門の前では大きな馬車に乗った商人風の格好をした人と、対応をしていた若い衛士がこちらを見て驚いた顔をしていた。
日の入り間近の薄暗い道に、突如真っ黒な狼が現れ、その傍らには騎士姿の真っ白な女性がいるのだ。
(やっぱり驚くよね。それにフラウさんほど綺麗な人は滅多にいないもんね)
リースが我が事のように喜んでいると、年配の衛士が若い衛士の後頭部をはたきながら近づいて来るのに気付く。どうやら先ほどの感嘆の声は若い衛士からだったようだ。
「ちょっと待て、その魔獣は死んでいるのか?」
衛士長らしき人物に問われたレイジは無言で振り返り、頭部がないことを示す。
「あのっ!…私には身分証があるのですが、こちらの二人にはありません。なので魔獣を売って通行税にしたいのですが」
「よし。時間がないからとりあえず門内の詰め所に来てくれ。その魔獣なら銀貨1枚どころか金貨は確実だろう」
ゴーン!ゴーン!ゴーン!ゴーン―――
衛士長の話の終わりに閉門を知らせる鐘がなる。
慌てて門をくぐると、大きな扉は若い衛士達によって閉ざされていく。
落ち着きのないレイジはキョロキョロしながら誰ともなしに呟いた。
「閉門に間に合わなかったらどうするんだ?」
「ん?門の外にも衛士の詰め所があったろ?あそこで朝まで待つんだ。基本、緊急時以外では開かないからな」
すぐ隣にいた若い衛士が答えると、レイジはびくっとしてチラ見する。それほど変わらない年齢の男だったが、彫りの深い顔に無意識に敬語になる。
「そ、そうですか…安全なんですかね?」
「んな訳ないだろ?ただ扉には鍵があるし、門内の詰め所と小窓で繋がってるから、何かあれば夜番の衛士が助けてくれるさ」
そう言って門内の詰め所に入っていく衛士。
そこへ街の方から駆けてくる者がいる。
ショートカットの明るい青髪を風に靡かせ、薄金色の目を鋭く光らせた女性だ。
整った顔立ちは気が強そうで、左耳に着けた銀色の耳飾りが光る。革鎧を着て腰に剣を吊るした標準的な冒険者の格好をしている。
「待って!閉めないで!」
「おわっ!?…な、なんだぁ?」
「あっ…」
魔狼を担いだままのレイジは脇へ押し退けられ、リースは咄嗟にフラウの背後に隠れる。
女性は気付かずに途中まで閉まった門を抜けようとして、衛士長に道を塞がれた。
「まてまて!今から街を出る気か!?」
「どいて!子供が1人いないの!街を出たのを見たって人が!」
「子供?――」
衛士長がフラウの方を振り返ると、死角になっていて気付かない女が訝しむ。
「ル、ルーティ姉さん…」
「っ!?、あんた!―――っ!?」
ルーティと呼ばれた女が飛び掛からんばかりに詰め寄ると、事情を知らないフラウが身構える。危険を感じた女は慌てて距離を取った。
「ちょっと退きなさいよ!」
「断る」
「まっ待ってください!フラウさん違うんです。知り合いです!」
リースが前に出ようとするがフラウは背後に隠して離さない。
衛士長は今にも暴れだしそうなルーティの腕を捕まえる。
「なにか事情があるようだが、この子らには魔狼の売却と通行税の支払いをしてもらはないと困るんだ」
「魔狼!?あっ!リースあんたその肩!!」
「だ、大丈夫です!フラウさんに魔法で治してもらいました」
「大丈夫じゃない!!」
「えぇい!落ち着けと言ってる!!!」
衛士長が怒鳴るとルーティはびくっとして大人しくなる。
「とりあえず全員詰め所までこい!」
衛士長に腕を引かれて連行されていくルーティ。
リース達もとぼとぼと後に続いていった。