コラットの少女
51
冬のある日、昼下がりの都会の一角には、無断駐車する車があった。
ボンネットには晴れ渡った空の暖かな日差しを浴びて、気持ち良さそうに寝ている銀青色の猫がいる。
道行くOLや女子高生達は、珍しい品種の猫に携帯を向けて撮影していた。
そこへ向かいの飲食店から背広を着た男が出てきて、車を勝手に撮影する者へ向かって怒鳴り散らし、猫を手荒く払い除ける。
対向車線からはトラックが迫ってきており、女性達が悲鳴を上げるが、猫はなかなか動こうとしなかった。
その時、赤ジャージの学生がガードレールを飛び越え車道を走って渡る。
猫を抱き上げるも間に合わず、激しい衝撃の後、景色が暗転した。
「…思い出したにゃ。わたしは構ってくれない飼い主から逃げ出した猫にゃ。レイジに…レイジ?…レイジ!」
上も下もない真っ暗な空間で、シャケが膝を抱えて泣いていると、目の前に淡く光る人影が現れた。
「君は誰かさんと違って、ちゃんと役目を果たしてくれたね、ありがとう。これからは君の時間だ。彼に恩を返すもよし。自由に生きるもよし。悔いのないように、精一杯生きなさい」
「…にゃ?」
淡く光る人影は強く光り輝き、シャケが目を瞑ると頭上から誰かが呼ぶ声が聞こえてくる。徐々に意識が覚醒していくと、涙を湛えて覗き込むルーティ達がいた。
「シャケ!死んじゃだめよ!目を開けて!」
「良かった!目を覚ましましたよ!」
「…大丈夫?身体を起こす前に、状態を確認して」
先ほどまでの事が思い起こされ、自身の脇腹を手で触れる。致命傷だと感じていた深く抉れた傷は消え、血も汚れも綺麗さっぱりなくなっていた。
「生きてるにゃ…生きてるにゃ!」
「…フラウの治癒が間に合ったのよ。魔神は倒したわ」
魔神を消滅させた光が収まると、シャケの側にはフラウが座っており、わんわんと泣きながら全員を癒やして回った。
一人も欠く事なく生き残れた事に皆安堵したが、フラウだけ落ち着きがなく、泣いてばかりで今すぐ帰りたいと騒ぎ始める。
「シャケは血を失い過ぎてる。しばらく動けないからここで待機よ。その間に私達が闇ギルドの隠し部屋を探してくるから」
「嫌だ!」
「フラウ!?どうしたの!見てわかるでしょ?シャケは動けないの!」
ルーティを押し退けたフラウは、ヴィヴィが止めるのも無視してシャケを抱き上げると、出て行ってしまった。
「フラウ!?待って!」
「…仕方ないわ。野営地まで行きましょ…フラウも危うい」
大慌てでティアナと思しき死体を布で包み、フラウの後を追う一行。通路には夥しい量の血が入口まで続いていて、洞窟の外には雷火と、知らない探索者達が怯えながら待ち構えていた。
「とっ止まれ!それ以上進むな!」
「あっ!ルーティさん!大丈夫だ。先行していたパーティーだ」
雷火のリーダー、エレクが横で震えている男に言うと、ルーティ達を迎えて囲う。
「それは!…ティアナの遺体ですね。あの化け物は倒したのですか?」
「ええ、なんとか倒せたわ…迷宮杯の前で遭遇したけど、他はいないみたい」
ルーティが事の顛末を話している間も右往左往していたフラウは、その場に広がる血の匂いを嗅ぎ付け、シャケを抱えたまま進んで行ってしまう。
「フラウにゃ…皆から離れちゃだめにゃ…」
シャケが説得しても聞かず、ヴィヴィがなんとか追いつき、白い外套に追いすがるが、そのまま引き摺られていく。
「…フラウ~!いい加減にして!うぅ~無理~!」
ヴィヴィを引き摺ったまま野営地に向かうと、辺り一面、真っ赤な野営地に着く。フラウはその場に膝をつき、目の前の光景に涙を流した。
「――ララカ?皆は…」
土が盛り上がった場所が五つ、ララカが死人のように座り込み、シャケの声にも反応しなかった。
追いかけてきて来たルーティ達が、フラウを離れた場所まで連れていき、シャケを下ろして休ませる。
「お願いだから待って!みんな休息が必要なの。ここには人も沢山いるわ。シャケと一緒に休んでいて?いい?」
(人が何人いたって同じだ…魔神は…死なない!)
後をついてきていた雷火達が、フラウの異変に困惑していると、ルーティが提案をする。
「迷宮杯までの道順を教えるわ。魔物もいない。手に入れたら直ぐ脱出しましょ」
「そうですね…またアレが出て来たら――」
「シッ!…フラウの前でその話はやめて」
雷火と男五人組のパーティーは交代で迷宮杯を取りに行き、全員が手に入れた後、揃って脱出することに決めた。
ティアナの遺体をアデルの墓の側に埋葬するレーン。サキ達は相談した結果、獣人達と同じくここに置いていく事にした。
「…ごめんね、ティアナ」
「逆の立場だったら彼女も同じ決断をしたわ。サキ、自分を責めなで」
「アデル…あの日、学園へ戻っていれば…」
雷火のメンバーは皆少なからず、死んだ二人に対して思うところがあった。悲しみ、涙を流しはしたが、今後の生活が変わるほどの素材を捨ててまで、死体を地上へ持ち帰りたいと思う者はいなかった。
埋葬したのは仲間に対する情けであり、探索者としてのマナーからだ。迷宮核がない今、いつ死体が迷宮に呑まれるかは定かではない。その前に死霊化する可能性が高いからだ。
ルーティ達はフラウとシャケをテントに押し込み、エレクから聞いた情報を元に、湖周辺を探索しに出かける。
「フラウにゃ大丈夫にゃ。もう少ししたら帰れるにゃ」
フラウはシャケを抱き締めたまま目をきつく瞑り、涙を湛えていた。
雷火達が出発した頃、ルーティ達も湖近くの大きな板岩が積み重なった場所で、隠し通路を発見する。
「まだ召喚者がいるかもしれない…慎重に行くわよ」
と、ルーティは気合いを入れたが通路は一本道で、最奥の大部屋には白いローブの男が倒れているだけだった。
「…気をつけて、死霊になってる」
ヴィヴィの指摘通りルーティが近づくと僅かに身体を起こした死霊は、用意していた聖水を浴びて崩れ去った。
部屋の中央には捻れた金の杖と、奥に崩れた祭壇があり、魔法陣らしき痕跡が焼け跡となって残っている。
「特にないわね…終わり?」
ルーティが崩れかけた祭壇の基礎を砕いて中を覗くと、小さな黒い扉が見つかる。ヴィヴィが開くと、黒い箱に入った虹色に輝く小石が入っていた。
「…あったわよ。闇ギルドが欲していた物が」
野営地まで戻ってくると、サソリ型ゴーレムの破片を担いだ五人組の探索者が、慌てた様子で走って来る。
「あっあの白い姉さんがもう行くってよ!」
「もう!フラウのやつ〜!…全員いるわね?抜け道を使って一気に戻るわよ」
「抜け道だって!?あんのかよ!?」
置いて行かれたシャケにルーティが肩を貸し、テントを押し倒したきり放置するアレク。雷火のメンバーから「ずるい」という小さな声が漏れると、ヴィヴィが輝く杖を振るい、近くの木がメキメキと折れて倒れた。
「…沈黙を誓うなら連れていく。従わないならここでしばらく寝ていて貰う」
全員迷わず誓いを立てて移動を開始するが、ララカは墓の前に座ったまま動かず、シャケが説得するも一切反応しなかった。
背後に回ったヴィヴィが唐突に杖で殴り付けて気絶させると、アレクに背負わせる。
「乱暴ですね。大丈夫なんですか?」
「…大丈夫よ。それよりあっちが大丈夫じゃないわ」
ヴィヴィの視線の先には、何度も振り返るバーバラを押して進むフラウがいた。辺りを怯えた様子で窺いながらどんどん先に行ってしまう。
高台の隠し部屋に着くと、ゴーレム素材を担いでいた女性陣が辛そうにしていた。ティアナが持っていた分も諦めきれずに分けた為だ。
「やっぱり俺達も持つよ」
「だめよ。まだ安全じゃないわ」
「いや、これだけ人数がいれば大丈夫なんじゃ…」
慎重なサキはエレクの申し出を固辞した。赤銅色のサソリ型ゴーレムは早々に諦めていたが、まとまった量のミスリル銀の価値に、判断力を鈍らせていた。
「ここからさらに急な登りよ?戦闘は受け持つから分け合って」
「そう言えばルーティさん達のゴーレムは?」
「…秘密。誓いじゃ済まないわよ?」
沈黙するルーティに代り、ヴィヴィに脅されたエレクは激しく首を振る。慌てて荷物を担ぐと隠し部屋の螺旋階段を上がっていく。
「ふぅ…あっ」
「なに?」
「なっ何も…」
急勾配の階段を登る途中、アレクはずっと寝たままのララカを背負い直し、柔らかな感触に一瞬緩んだ顔を見せる。前を行くルーティに睨みつけられ冷や汗をかいた。
中層の隠し部屋に着いたがフラウの姿はなかった。代りにいたバーバラが隠し扉の先を指し示す。ルーティが何か言おうとしたタイミングで懐の携帯鐘が八回震え、迷宮へ入ってから三日目の夜を迎えた事を知った。
「今日はここで休みましょ…何してるのかしら?」
見下ろした螺旋階段の先では、ゴーレムを担ぎながら登る雷火の一行が遅れていた。五人組みの男達はサソリの鋏や針、脚の破片を担いでいたが、力と体力だけはあるようで余裕が見てとれた。そんな彼らはエレク達に対して何事かの交渉をしている。
「結構よ。中層まで来たら後少しだし」
「いやいやいや。その様子じゃ置いてかれちまいますぜ?1割…いやその指2、3本で代りに運ぶってのはどうよ?」
「兄さん。運んでもらおうよ?」
「マリック。よく考えて。これはティアナ達の犠牲の上に得た物でもあるのよ?誰にも渡さない」
意見が分かれた雷火達だったが、アコの強い意志に感化されて断った。交渉していた男は大きなため息をつくと、一段飛ばしに上がっていく。
「何やってるの?中層からも同じくらいの螺旋階段が続くわ。狭いけどここで休みましょ」
暗い顔をする雷火六人と、男五人は中央の螺旋階段を挟み左右に分かれて陣取った。
部屋は狭く、十人を越える一行が全員横になれるほどはなかった。
ルーティ達は入口近くに集まり、彼らに見えないよう白い石板を囲んで確認すると、入口の外でうろうろしている反応が一つあった。ヴィヴィがため息をつきながら回転扉を通ってフラウを連れ帰る。
「1人で先に行かないの!今日はここまでよ…大丈夫?」
フラウの姿を見るなり叱りつけたルーティだったが、顔色が悪い事に気付き、早々に寝かせる。
「…外の祭壇部屋に瘴気溜まりがあったわ。恐らくあの時迫って来た造られた魔物達のね。フラウが浄化したみたいだけど」
苦しそうな表情をして横になっているフラウを心配し、シャケがぴったりくっついて添い寝すると、抱き寄せられた。
「フラウの行動にはわからない事が多いわ。リースに会って落ち着きを取り戻すといいけど」
「…リース、ね…落ち着きはするでしょうけど。解決にはならないかも」
ヴィヴィは時折都市中央で見かけた赤髪の少女を思い出す。
鑑定していた捻れた金の杖はお気に召さなかったようで、アレクに向かって放り投げると、バーバラを呼び階段を少し下っていく。
「…バーバラ。あなたがどんな悩みを抱えているか私は知らない。けど生きていたいなら私の所に、冒険者ギルド前の魔道具屋まで来なさい。出来ることなら協力するわ。それまで禁忌魔剣は預けておく」
バーバラはしっかりと頷き、約束すると皆の所へ戻り朝まで休んだ。
翌朝、迷宮で四日目の鐘一つに、簡単な食事を終えると出発する。
フラウはやはり心ここにあらずで、どんどん進んで行ってしまい、ララカは一度も目覚めず死んでしまったかのようだった。
ルーティが懐に隠した白い石板を見ながら進むと、先行する反応が脇にそれていく。慌ててシャケを追わせて連れ戻した。
アレクはフラウの方向音痴を思い出し、シャケが手を取って先に行かせないよう歩く速さを調整した。
帝国騎士達との一戦があった大部屋に差し掛かると、多数の探索者達が行き交い、中層の攻略が活発になってることを知る。
「あ、結局大部屋続きの先は確認していませんね。なんか迷宮杯へ続く道より大変でしたが?」
「迷宮って時が経つにつれ横に広がっていくんでしょ?大樹迷宮と樹海迷宮のように迷宮内で繋がるとか?」
「大部屋の連続でしたら、第一迷宮区の城塞迷宮に似ていますね」
アレクとルーティが話しているとエレクが加わってくる。
エレク達は普段一区、二区を中心に活動しているらしく、第一迷宮区の城塞迷宮は大部屋の連続と広く高い天井の通路が続く迷宮だという。
内部はどこかの城塞を思わせる作りで、天井や壁には何かが描かれていた壁画跡があり、魔物はまとまって現れ、時には砦を築いている場合もあるようだ。
エレクの話を聞きながら進む一行の後ろでは、歩調が合わされて楽になったサキ達が親指を立てていた。
中層の元は安全地帯だった場所まで来ると、中央の廃村は賑わい、探索者の姿が複数垣間見えた。
「廃村は取り戻したみたいね。中層への足掛かりに整備され始めてるわ」
「抜け道って…やっぱずるいわ~」
男五人組が憐れみの視線を廃村の探索者達へ向ける。
外周を静かに移動して隠し部屋に辿り着き、何事もなく表層まで帰ってきた。
「この分だと外は…お昼かな?闇ギルドの一件があって、夏の宴のようにはいかなかったわね」
「それでも充分早いです。迷わず戦わずでも正規の道を進めば片道三日はかかりそうですよ」
三番目に発見された坑道迷宮はその発展も進み、大迷宮に分類されていた。
立て続けに発見された第四迷宮以降はまだまだ浅く、中層までなら既に多数の人が立ち入っている。
逆に第一、第二は発展が進み過ぎて各層の厚みが増し、攻略はかなり遅れていた。
「第一迷宮区にはゴーレムマスターって呼ばれている少女がいるらしく、つい最近中層に達したと聞きました。完全攻略時代ですかね?」
「…その子なら知ってるわ。古代人が造り出した兵器や自動人形、核ゴーレム等の技術を復活させた天才。旧文明のゴーレム技術を復元した功績を賛えて、特例で老賢者の地位になったそうよ」
つまらなそうに話すヴィヴィの「どうせ金でしょ」という呟きが聞こえ、エレクは苦笑いして下がっていった。
迷宮入口で荷物を降ろしていると、フラウとシャケはいつの間にかいなくなっていた。
先に警備室で迷宮杯到達を伝えれば、衛士や探索者達から拍手喝采が起こる。ルーティ達はぎこちない笑顔を作り、手を振りながら外へ出た。
しかし話を聞きつけた探索者達から祝われ、深層の話を買いたいと言って近づいてきた情報屋にはもみくちゃにされる。
年長の衛士が急ぎ両ギルドへ使いを出したが、ルーティが二人ほど先に出ていていないと伝えると、困った顔をして話し合っている。
急ピッチで広場に壇が設けられると、昼過ぎの迷宮前広場には大勢の人集りが出来た。
雷火も駆け出しの五人も緊張した顔をして辺りを見回し、ルーティは知り合いの冒険者から話し掛けられると手を振って答えた。
「…私は迷宮杯を取らなかったし、フラウが心配だから追うわ」
「え?いいの?ギルドマスター達が来るんじゃない?」
「…到達祝いなんて見せ物、断ってもいいのよ。ギルドは犠牲者を大勢出した悪い印象を払拭したいだけなんだから」
と言い残して去っていくヴィヴィ。ひきつった顔して見送っていると、向かいからニコニコ顔の衛士達が包囲を狭めてきていた。




