モルト帰宅
10
「本当に行くのかい?」
「えぇ…私達の生は無限に近くとも、――としての生は終わりに近い」
「―――は許さないだろうね」
「…早いか遅いかの違いでしかない」
「そう…ならあとは見守るとしよう」
―――は左手に触れ、光りが満ちる。
翌日、まだ日も出ていない頃にフラウは目覚めた。
何かを思い出しそうで思い出せない。
ふと足元の窓の外から、気配を感じて身を起こす。
少し肌寒さを感じて、無垢なる乙女の外套を羽織る。
厚めのカーテンを脇へ引くと、いびつな窓の外は真っ白だった。
「フフフ…」
フラウは僅かに目を見開き、窓越しの存在を再度確認する。うっすらと青みがかり透き通った女は、一瞬鏡を見ているかのようにフラウ自身に似ていた。だが明らかに違う存在。人の温もりを感じさせない氷の精霊が笑っていた。
「アケテ。アケテ――サマ」
「っ!?」
窓枠に氷の手を付けギリギリまで覗き込んでくる。
ギシギシと軋む窓は、瞬く間に凍っていく。
フラウは頭痛を感じ顔をしかめる。
「…アケテクダサイ――サマ」
「こ、ことわる」
頭を抑えたまま窓から離れると、外は日の出により明るくなり始め、氷の精霊は霞んでいき見えなくなった。
(精霊がなんのようだ?)
――コン、コン――
控え目に扉がノックされリースの声がする。
「フラウさん…起きてますか?もうすぐ朝食になります」
フラウは頭を振るとカーテンを元に戻し、手早く身支度を済ませて扉を開けた。
「おはようございます♪」
「おはよう」
満面の笑みを浮かべ挨拶をするリースに、フラウは先ほどの事などすっかり忘れてしまっていた。
「もう少ししたら朝食です。うちは夕食までないので、たくさん食べてください」
「…またなのか?」
「え?…お腹空いてないですか?」
「私は…いい」
フラウは食事が苦手だった。
身体の中に異物が入る感覚に慣れないのだ。
フラウ自身、食事や睡眠を必要としないことを自覚している。昨夜は隣のリースが美味しそうに食べていたので、真似をしてみただけなのだ。
「そっそうですか…すみません」
「なぜ謝る?」
「えっと…食事合わなかったですか?」
「違う。そうじゃない…お腹がいっぱいなんだ」
「わっわかりました。一応パンはとっておきますね。あと外に汲んだばかりの水が桶に入っているので、顔を洗ってさっぱりしてください。私はお手伝いに行ってきます」
そう言うとリースは足早に行ってしまう。
(人は食べなければ死んでしまう生き物だ。私は…人ではないのだろう。ならばいったい何者なのだろうか)
部屋を出て左手すぐの玄関から外へ出た。
先ほどまで寝ていた部屋の窓は凍った様子もなく、おかしなところは見当たらない。
小さな庭を挟んだ通りの先からは、僅かながらも人々が活動し始めた喧騒が聞こえてくる。
右手の隅には井戸があり、桶には水がなみなみと汲まれていた。
「…どいてくれ」
顔を洗おうとするも、桶の水にはあやふやながらも小さな人の姿を維持する精霊が浮かんでいた。水をパシャパシャと飛び散らせながら何かを必死に伝えてくる。
「――!――!」
しかしフラウには理解できず、無視して冷たい水を掬うと精霊は井戸の中へ消えていった。
居間へ向かうと食卓には全員揃っていた。
なぜか笑いを堪える子供達とルーティ。
食卓には昨夜と似たような食事が並び、六つある椅子には五人の子供と、未だ毛布にくるまり寝入っているレイジの姿があった。
「…ぷっ!くっくっくっ」
「ルーティ…はぁ、フラウさんおはようございます」
「「おはようございます!」」
「うおっ!?」
ロサナの挨拶に合わせて子供達が元気な声で挨拶をする。ガタンッ!と椅子を倒しかけながら飛び起きるレイジ。
「アッハハハッ!!」
「レイジさんはお寝坊さんですね。もう朝食の時間ですよ?」
「は?…な、なに?マジで?ちょっと勘弁してよ…」
「南部じゃ日が昇る頃には起きるものよ。そして日が沈めば寝るの。あんたはどっから来たの?」
「…はいはい、夜の国から来ましたよ」
顔を真っ赤にして不貞腐れるレイジをおいて、子供達は食べ始める。フラウはロサナがリースの隣に移動させてくれた椅子に腰掛け、パンを食べるふりしてマジックボックスへしまってしまう。気付いたリースと目が合うが何も言わなかった。
「レイジも食べ終わったら顔を洗ってきなよ」
「へいへい」
子供達は食べ終わると自分が使った食器を台所へ片付ける。リースとマールは洗い物を始め、カリムは水瓶の水の減り具合を確かめると汲みに出ていく。
残ったリオとアニィはフラウに興味津々だったが話し掛けられず、庭に飛び出していった。
「もう少ししたら開門の鐘が鳴って、モルトさんも帰ってきますよ」
ロサナ達が帰り支度をしていると――ゴーン!――と一度きりの鐘が鳴り響き、開門を知らせる。一通りの家事を済ませたリース達と共に外へ出ると、荷馬車に乗った二人の男がやって来ていた。
三十代位に見える赤みを帯びた金髪長身の男は、一見ごく普通の男だったが、荷馬車の御者台から飛び降りた身のこなしは軽快だった。しかし外に出ていたにしては軽装な、ただの布の服と思われる身なりで、武装と言えば腰の剣くらいなものだった。
「「おかえりなさい!」」
「ただいま!リースが戻ってると北門の衛士長から聞いてるよ。無事でなりよ…!」
子供達に出迎えられたモルトは、一人一人の頭を撫でていき、リースの後ろに立つフラウを見て驚く。
「君は…?」
「彼女はフラウよ。森で魔狼に襲われていたところを助けてくれたそうよ。こっちはおまけのレイジ」
「…なんか扱いがひどくね?」
ルーティの話しを聞きながらもモルトは何かが気になるようで、フラウを観察している。紹介の仕方に不満があるレイジとルーティが言い争いを始めると、我に返り、話題を変えた。
「…また魔狼かい?…うーむ…あぁこちらは商人のコダルさんだよ。こちらも昨夜森で襲われていてね。手助けしたところ魔狼を譲ってもらえたんだ」
紹介された商人は恰幅のいいおじさんだった。御者台からは降りようとせず、馬を巧みに扱い荷馬車の向きを変えてる。
「はじめまして皆さん。モルトさんには本当に感謝していますよ。譲ったなんてとんでもない!危うく命を落とすところでした」
「魔狼?やっぱり群れがいたんだ…」
「モルトさん。私はロサナを送って一度帰ります。午後にまた来ますから」
「ルーティ君、ロサナ。ありがとう助かったよ」
ロサナは母親と二人で経営している、都市中央区にある治療院の娘だ。ルーティもロサナの繋がりで時折モルトの手伝いをしている。
「あぁそうだ!ルーティ君。コダルさんに魔狼を冒険者ギルドまで運んでもらうことになっててね。帰り道だし案内頼めるかな?」
「ええ、いいですよ…そうだ!フラウ達も来なよ。身分証ないんでしょ?」
「おっ冒険者ギルドか♪いくいく」
フラウはずっとリースを見ていたが、モルトに続いて子供達と一緒に孤児院へ入って行ってしまった。
「大丈夫ですよ。モルトさんは見ての通り優しい方で、子供達の父親代わりみたいなものですから」
ロサナの声に頷き、動き出したコダルの荷馬車についていく。
「うわ!あの黒い…魔狼?が2匹もいるぞ!」
「さすがモルトさんね。迷宮都市一の心気使い」
「心気?心気って…なに?」
「はぁ!?ほんとに知らないの?あんた人種でしょ?って言うか昨日使ってたんじゃないの?」
「は?使ってた?」
レイジはルーティの言っていることが理解できなかった。
「本当に知らないみたいね…心気っていうのは人種のみが使える特別な力よ。例えば身体能力を高めたり、老化を抑えて長命だったりね。たしかモルトさんは50を越えているはずよ」
「は!?いやいやいや!20後半か30にしか…」
レイジ達の話に曖昧だった記憶が刺激されて、フラウはモルトが放つ力について思い出していた。
(心気というのは己の魂に働きかけて力を引き出す技だったか…ただ扱える者は人種だけと言う話は知らないな)
「じゃじゃあオレにもとうとう…ハッハハハッ」
「?…昔ここらであった獣人達との戦争で、人が身体能力の優れた獣人相手に渡り合えたのも心気のおかげって話らしいわよ」
「えっ!獣人!?いる…ぐむっ」
レイジは突然自分の口を押さえると、あーだの、うーだのと一人唸り始め、何か考えているようだった。
一行は七区から西の都市中央区へ向かう。
高さ五メートルはある第二の壁、内郭が見えてきた。
商人コダルとルーティ、ロサナはそれぞれの身分証を見せる。三人ともギルドカードを持っており、商人ギルド、冒険者ギルド、治癒師ギルドに参加していた。
フラウとレイジも外郭の守衛所でもらった仮身分証を渡して通過する。
そして壁を越えると街並みは一変した。




