しろいひと
森の端で何かが蠢いている。
チセは目を凝らした。
その瞬間。
森の中から奇妙な生き物が飛び出し、凄まじい勢いでチセの方へ向かってきた。
四本足で駆ける姿は獣のようであるが、顔は潰れたように崩れ、大きく裂けた歪な口からはどす黒い液体が垂れている。
背中の曲がり具合など、全体的にバランスがおかしい。体は黒い靄のような奇妙な毛皮におおわれているが、所々剥き出しの皮膚は木乃伊のように乾燥し、萎びて、朽ちているように見える。
体がすくんで動かない。本能的に、このままでは殺されると感じているのに、逃げることができない。叫ぶこともできない。
剥き出しの皮膚から膿とどす黒い液体を吹き出しながら、不規則な脚の動きで、それでも凄まじい勢いでチセの方へ一直線に向かってくる。その姿は正に異形の化け物だった。
チセはきつく目を閉じた。
その時だった。
閃光が走り、化け物は背後から大きく切りつけられた。どす黒い血液が空に向かって高く吹き出す。
余りに一瞬の出来事で、チセは何が起きたのか理解できなかった。
化け物を切りつけた人物は、動きの止まった化け物に刀を突き刺すと、ぐっと力を込め、その力でひらりと舞い上がり化け物を飛び越え、チセと化け物の間に躍り出た。
その人物は刀を地面に突き刺し手放すと、左腕へと右手を伸ばした。
ガシャンという音と共に、銃口が顔を除かせた。
「人の体の中に、機会が入っているなんて――」
呆然とする頭で、チセは銃口が火を吹くのをただ見ていた。
その人物は全身から血を吹き出す化け物に更に攻撃を加えるべく、刀を構えた。青白い刀身が太陽の光を受けて鋭く光った。
「オオオォォ…ォォン」
突然、化け物が凄まじい叫び声を上げた。辺りの空気がビリビリと震える。
「ひっ」
チセは思わず耳を塞ぎ、余りの音量と恐ろしい声に目眩がし、その場にうずくまった。
その瞬間化け物は草原に向かってまっしぐらに走り出した。
チセに気をとられたその一瞬の間に化け物はあっという間に見えなくなり、その人物は化け物を追うのを断念したようで、刀を鞘に納めると、チセの方へ歩いてきた。
白い髪。白い顔。切れ長の目に鋭い光を称えて、まっすぐチセを見ている。
年は二十歳にはなっていそうだが顔は作り物のように冷ややかで、何か冷たい威圧感のようなものを纏っている。
白に近いグレーの長いコートは見たことのないデザインで、全身白っぽいその姿は霧に紛れてしまいそうだ。化け物の返り血は、ジュウウと音を立てて消えていった。両目の下にまっすぐ伸びた傷があるように見えたが、近づくとそれは傷ではなく皮膚の継ぎ目のようなものだとわかった。
男はチセの目の前まで来て止まった。身長が高い為、少し首を曲げてチセを見ている。
チセは立ち上がった。
少し怪訝そうな顔をしてチセを見るその男はとても冷ややかで恐ろしいのに、なぜか切ないような、懐かしいような感覚にとらわれた。
「…あなたは、誰?私を、助けてくれたの…?」
男はグレーの瞳を見開き、少し驚いたようだったが、ちょっとためらってから、静かに口を開いた。
「俺は――ファントム。この世をさまよう、亡霊。」