TOKIO
2021年、東京。東京オリンピックの終わった翌年。アイドルグループ「TOKIO48」は、次回シングルのセンターを決める「これっきゃないでしょ!? 総選挙」を迎えていた。前回総選挙のトップ、唯原麗奈は、その愛嬌ある言動と天然暴走キャラで、人気を博し、2連覇を目指している。
彼女は今回より、東京都から許可が出た街宣カー演説に出向き、黄色い声でファンにこう訴えかける。
「これでみんなも麗奈の瞳に萌えドッキュン。BL食べちゃう腐女子が参る、脳内ぐるぐるアンコールワットで諸行無常で萌えドッキュン」
一聴しただけでは何を言っているのか分からない彼女の言葉は、呪文のようにお経のように、ファンの心に染み渡っていく。
「麗奈ちゃーん!!! くるくるバイオで萌えドッキュン!!!」
そう声援を投げ掛けるファンを前に、麗奈は胸の内で思う。
(マジキモ。『くるくるバイオで萌えドッキュン?』。はぁ? マジで何言ってるか分からないんですけどー。私みたいな女のマネでしか自分を表現出来ないのね。分かる分かる。あんたらみたいな男達には女はそりゃ寄って来ねぇよなぁ)
そう内心ほくそ笑み、嘲笑いながら、麗奈は我流の、独特なリズムのある言葉をひたすらファンに投げ掛ける。
「五重塔から舞い降りた、墜落魔天使、ハートを射抜いて萌えドッキュン! タンゴとマタンゴ、煙に巻かれて酩酊気分でガンダラサンダラ萌えドッキュン!」
彼女の計算ずくとも言える、言葉の羅列と響きに、男達の脳内物質は分泌し、全身マヒナスターズ状態に、ファンは追いやられていくのだった。
そんな総選挙の真っただ中、メイクとサングラスとカツラという完全武装で麗奈は、本当の彼のもとへと出向いていく。彼女はファンとTOKIO48メンバーの暗黙の了解である、「恋愛禁止」をも軽々と飛び越えてみせていたのである。
麗奈はホテルの最上階にて、モデルでラッパーでもあるDJ・AKITOと逢瀬を重ね、濃密なキスを交わす。AKITOは世界進出も視野に入れているアーティストで、前途を有望視されている男だ。
そのAKITOの胸に抱かれながら、麗奈は官能に溺れる。
(こんなに気持ちいいことがあるのに『恋愛禁止』? 冗談じゃないんですけどー。所詮『TOKIO48』は私が女優になるための踏み台。こんな次元でチンタラやってる場合じゃないのよねー)
AKITOと熱い時間を過ごした麗奈は、AKITOでさえも振り回すかのように、気紛れに夜の歓楽街へと出向いていく。彼女は、ホストクラブでたくさんのホストを侍らせて、アルコールの渦に飲み込まれていく。
(ふぅ。お馬鹿でチャメッケありありのアイドル演じるのもしんどいわー。でも結構私のクリエイティヴィティ―入ってるしー。何だかんだ言って自分の作った『萌えドッキュン』って言葉、結構気に入ってるしー。それでみんなが洗脳されてくなら、それに越したことはないわ)
そんな風にうらぶれ、すさんだ裏の顔、心情を持ちながらも麗奈は、今日も街宣カーに乗り込むのだった。昨日の二日酔いで頭に鈍い痛みを抱えながらも、彼女は自分の仕事をこなしていく。これも全て自分の顕示欲と欲望を満たすためだ。「自分のために」全てをこなす。これが彼女の心持ちであり、プロフェッショナリズムでもあった。
「タージマハルの墓から飛び出た三蔵法師と孫の悟空が萌えドッキュン!それからついでに……」
彼女はそこまで口にして軽い目眩を覚える。どうやら昨夜ホストクラブで飲み過ぎたらしい。彼女はふらつきながら、運転手のもとへ歩み寄ると、車を一旦、路傍に停止して欲しいと頼み込む。
「あの、すいません。運転手さん。ちょっと車酔いしたみたいで。しばらく車を止めていただけますか?」
すると運転手は突如として、猟奇性に満ちた瞳を、麗奈に見せてこう不敵に笑い掛ける。
「お嬢様、少し遊びが過ぎたようですね。これであなたの夢もお・し・ま・い」
「はぁ!?」
麗奈が、驚愕の表情で顔をしかめると同時に、街宣カーはファンの待つ人の波へと突っ込んでいく。ファンを次々と轢き、なぎ倒し、血まみれになりながら最後は激しく横転する街宣カー。麗奈は何が起こったか分からないまま、一瞬瞳を閉じて、そして目を開いた。
すると彼女の目の前には、やはりあいも変わらず、優しく微笑んで手を差し伸べてくれる「ファン」がいた。ファンは目の前の大惨事、事故など何事もなかったかのように、嬉しそうに笑って麗奈を担ぎ上げてくれる。麗奈は喜びと混乱の余り、涙をポロリと零してこう口にする。
「そう。そうよね。何があっても麗奈はみんなのアイドル。みんなの心の拠り所。くるくるハートで『萌えドッキュン』よね!」
ファンは麻痺したかのような、忘我の瞳で、麗奈を抱き上げて、祭り上げる。そして東京の街並みを闊歩していく。人通りは彼女を祝福する人だかりで一杯だ。麗奈は、感動の余り涙をまたも零す。
「なになに? あんなにひどい事故を私の街宣カーが起こしたっていうのに、こんなにみんな私を歓迎してくれるの? 知らなかった。みんなホントに最高! ありがとう、ありがとう! マジキモなんて言ってみんなホントにゴメンね」
麗奈の頬を伝う涙は止まらない。彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにして、両手で顔を覆う。
「みんな、ゴメン。ゴメンね。これまでファンを裏切るようなマネばっかりして、ホントにゴメン。これからは『恋愛禁止』もしっかり守る。ホスト遊びもやめるわ。みんなありがとう! ホントにありがとう! そしてホントにゴメンね!」
麗奈は、涙と喝采と愛情に包まれて、しばらく瞳を閉じた。そして一瞬の沈黙のあと、目を開こうとした時、彼女は聞き慣れない30代中頃の男の二人組の声を耳にする。
「脳波がモノスゴイ勢いで亢進している。何か胸の昂ぶる幻覚、幻視でも見ているんでしょう」
「幻覚、幻視」
「そう。幻覚と……、幻視」
二人組の男の話を前にして麗奈は、混乱する。「幻覚!? 幻視!? 一体この男二人は何を言ってるの!? だって私はみんなのアイドル、くるくるバイオの萌えドッキュン。唯原麗奈よ!?」。そんな彼女の心の叫びを知ってか知らずか、二人の男は会話を続ける。
「で、彼女結局何をしたんです?」
一方の男に、そう訊かれたもう一人の男はこう口にする。
「長い二重生活から端を発した精神錯乱ですよ。一種のパニック障害です。彼女、今日昼間、街宣カーに乗って演説している途中で、突然奇声をあげて、運転手のハンドルを激しく切ったんですよ。それで車は激しく横転。多くの死者が出ました」
(死者が出た!? 精神錯乱!? この私が!?)
体を起こして反論しようにも、麗奈の体はどうやら拘禁具のようなもので縛られていて、動けない。そして更には、麗奈の口には猿ぐつわのようなものも嵌められていて彼女は、喋れない。身動き一つ出来ない麗奈を前に二人組の男、白衣を着た医者は言葉を交わす。
「二重生活なんて彼女も辛かったでしょう。そして挙句には精神錯乱による病院収容。憐れみで言葉も出ないです」
「可哀そうに。人を欺くのも自分を欺くのも、限界があったということでしょう。……人間、そういうものですよ。往々にして」
「そうですね。これで彼女も辛い現実から『さよなら』出来て、ある種、ある意味幸せだったのかもしれませんね」
「ええ、そうですね。それでは……、私達は行きましょうか。彼女にはしばらくの安静が必要だ。もう元の心身には……、戻れないでしょうが」
「はい……」
そう沈痛な言葉を残して、二人の医者は、白く塗装された病室から立ち去っていく。あとに残されたのは麗奈と、彼女の悲しみだけだった。白衣の医者を見送り、取り残された麗奈は、誰に向けるでもなく静かにこう零すのだった。
「麗奈はみんなのアイドル。くるくるハートで、萌えドッキュン」