表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
96/115

第93話. 花模様と小鳥



――やがてカミュロはセシルを連れて、鉄製の棚に大小さまざまな瓶が整然と並び、色とりどりの液体が光を宿したフラスコや薬瓶が所狭しと置かれている、どこか研究室を思わせる薬剤室へと足を踏み入れていた。


部屋全体には薬草と薬液が複雑に混じり合ったような独特の香りが満ちており、その匂いは鼻腔の奥をくすぐるたびに清潔な印象を与えていた。


「座ってくれ」


カミュロは部屋の中央にぽつんと置かれた、質素な丸椅子を手で示し、落ち着くように促す声で静かに彼女へ座るよう告げた。


その声音には優しさとまではいかないが、セシルを無闇に不安を煽らぬよう配慮した、ささやかな気遣いが感じられた。


「ありがとうございます」


セシルは言われた通り小さく頷くと素直に腰を下ろし、少し緊張をほぐすかのように肩を揺らしながら、興味深そうに室内へ視線を巡らせていた。


「......すごい。薬とかは、こうして保管されているんですね!」


羽織っていた上着を膝の上へ静かに置き、きょろきょろと周囲を見回すその瞳には、未知の世界へ踏み込んだ子どものような純粋な好奇心が宿り、棚に並ぶ瓶が光を反射するたび、はしゃいでいるのがわかった。


一方のカミュロは扉を閉めながら、そんな彼女の様子に僅かに口元を緩めていたが、すぐに表情を引き締めて、目的を果たそうと無言のまま鉄製の棚へ歩み寄った。


そして彼は棚の中の瓶を倒さぬように扉を注意深く開け、中に並ぶ瓶の並びを丁寧に見渡しながら手を伸ばしたが、ふと動きを止めた。


(......?、 奥の瓶......位置が微妙に変わっている。ノエル様が触れたのか?)


小さな違和感が胸を掠め、眉を寄せたカミュロは周囲に潜む気配を探るように棚の奥を覗き込みながら、一瞬だけ疑念を抱えたものの、すぐに余計な憶測を断ち切るように思考をまとめた。


(まぁいい。後ほどノエル様に聞けば済む話だな......)


そして、手早く目的の瓶を掴み出したカミュロは、見えない警戒の糸が緩むように肩の力をそっと抜き、安堵が混じった息をひそかに吐き出した。


そして、何事もなかったかのように身を翻してセシルへ歩み寄ろうとした――が、その瞬間、彼の視界に飛び込んできた思いも寄らぬ光景に、心臓を掴まれたかのように動きを止め、鋭く目を見開いた。


「おい。おい、待て!」


「......?」


視線の先では、セシルが胸元のリボンを解き終え、真っ赤に染まったシャツのボタンに手をかけ、今にも脱ぎはじめようとしていた。


その行動の意味を理解するよりも早く、カミュロの身体が反射的に動き、セシルの手を掴み取る勢いで制止していた。


「えぇっと......どう、されましたか?」


傍目から見れば、まるで胸ぐらを掴んで威圧しているようにも見える緊迫した構図だったが、セシル本人は何が問題なのか本気で理解できないとでも言いたげに小首を傾げていた。


「ッ、本当に危機感ってものがないんだな。今すぐその手を退かせ」


「は、はい......!! でも、こうしないと手当てできないのでは......?」


セシルは、頭の上に疑問符がいくつも浮かんでいるかのような声音で返しながらも、カミュロの有無を言わせぬ迫力に抗うことはできず、素直に手を離した。


そして、カミュロはすぐに持っていた瓶をそっとテーブルに置き、外れかけていたシャツのボタンを、手早く掛け直しながらも、自分でも何に照れているのか分からないといった風に表情を曖昧に揺らしていた。


「......手当てに必要な処置だ。動くな、余計に悪化する」


低く落ち着いた声で注意を促したその瞬間、彼はセシルの肩へ大きな手を添え、次いで指先から澄みきった水の糸を紡ぎ出すと、その細い流れが刃物のような鋭さを帯びて空気を切り裂き始めた。


水刃はカミュロの指先に忠実に従い、血で濡れた布地の上を滑るように進み、縫い目へ針を通すかのような繊細な軌跡を描きながら、必要最小限の範囲だけを迷いなく切り開いていく。


「わっ! ちょ、切っちゃうんですか?!」


「......」


セシルは唇を不満げに尖らせ、「もったいないですよ〜」と小声で抗議を続けるものの、カミュロは完全に聞き流しているかのように無言で作業を続け、傷つけないよう細心の注意を払いながら、患部へと続く道だけを正確に確保していた。


(......止血されている、のか)


控えめに開かれた布地の隙間から覗いた肌には、カミュロが予測していたような荒れた裂傷の跡ではなく、丁寧に折り畳まれたシーツの切れ端が包帯代わりに巻かれ、血が広がらぬようきっちりと止血処置が施されていた。


まるで誰かが急ぎながらも心を込めて、セシルの身を案じて手を差し伸べてくれた――そんな優しい痕跡が確かにそこにあった。


(......てっきり傷が開いたまま放置していると思ったが。いや、俺やノエル様以外の誰かが?)


カミュロは眉を僅かに緩め、そこに宿る他者の気遣いの痕を静かに読み取るように目を細めていると、その視線に気づいたセシルは、ぱっと顔を上げ、嬉しそうに口を開いた。


「あっ、これ! 実は中央の人に手当てしてもらったんです。でも、全然怖い人とかじゃなくて、むしろすごく優しかったですよ? 危ない事はなかったですよ。むしろ止血を怠ったことを怒られちゃいました!」


「......そう、か......なら、いい」」


カミュロは短く、抑え込んだ感情が僅かに滲む声で返事をした。その声音には、どこか納得できない思いや、自分でも説明のつかない小さな刺に刺されるような複雑な感覚がほんの一瞬だけ浮かんでいた。


そんなカミュロの些細な感情にカミュロは自らの深いところへ押し込めると、包帯代わりに巻かれていたシーツを指先で慎重に解き始めた。


解かれる布が滑り落ちるに従い、隠されていた傷口がゆっくりと露わになっていた。


(やはり酷いな......この状態でよく痛みを表に出さずに平然としていたな)


露出した傷は、彼が想定していた通りの深さと痛痛しさを孕んだものだったが、それが少女の身体へ刻まれているという事実が改めて目の前に突きつけられた瞬間、カミュロは思わずセシルへじとりとした視線を向けてしまった。


しかし、そんな真剣な視線の意図をまるで理解していないらしいセシルは、最初こそ「え?」と目を瞬かせて戸惑いを浮かべていたものの、すぐにぱあっと花が咲いたような笑みを浮かべ、無邪気な笑顔で彼に応じてみせていた。


「......」


返す言葉が見つからず、カミュロは心の奥底に渦巻く呆れと、先程の出来事の積み重ねによって身体の芯から押し出されてくる疲労をまとめて吐き出すように、小さな溜息をそっと零していた。


その僅かな吐息の音にすら敏感なセシルは、びくりと肩を震わせて小動物のように身を縮め、俯き加減で指先を見つめながら心の中で「間違っちゃったかな」と幼い反省会を静かに開いているのだった。


互いに言葉では上手く伝えられない感情が微妙にすれ違っていくその空気の中、カミュロはセシルに巻かれていたシーツを解きながら、滲み出した血が滴となって床に落ちてしまわぬよう気遣いながら、瓶と共に用意していた清潔な布を取り、傷口の周囲を優しくトントンと叩いていった。


(......これを拭ったらすぐに包帯を。いや、傷痕を残さないためにも薬を――)


そう内心で治療の段取りを組み立てながら、カミュロは真剣な鋭い眼差しを傷へと注ぎ、今この場で最も正確な判断を下すべく集中していた。


だが、次の瞬間、まるで思考の歯車が突然空回りしたかのように、彼の視線が一点へと吸い寄せられ、その指先までもがぴたりと固まり、時間が一瞬だけ凍りついたように動きを止めた。


(――花びらの......模様......)


セシルの二の腕――血の赤に紛れてさりげなく浮かび上がるように、その肌には微かに紫を帯びた青白い花弁のような小さな跡が、鱗状に連なって神秘的な紋様を描き出していた。


その不気味でありながらもどこか惹きつけられるほど美しい花びらの紋様に、カミュロは一瞬だけ完全に目を奪われて動きを忘れてしまっていた。


しかし、次の瞬間には目の奥に焦りが燃え上がるように形相を変え、まるでこの世に許されない異変を見つけたかのような必死な表情をセシルへと向けた。


「これは、何故こうなった! 一体、何が原因でこの跡がッ――!」


「ひぇっ、なっ.......ちょっ。落ち着いてください!!」


セシルの外傷を癒す力について問いただすときでさえ、これまでのカミュロは彼女を怯えさせないよう細心の注意を払い、声を荒げることもなく冷静に言葉を選んでいた。


だが、それまで保たれていた穏やかな空気は一転して凍りつくような焦りと苛立ちを孕んだものへと変わっていた。


そのあまりにも急激な変化にセシルは思わず小さく悲鳴を漏らして怯みながらも、どうにか彼を落ち着かせようと必死に言葉を返した。


「っ.........悪い、取り乱した」


カミュロは自分がセシルの肩を無意識に掴みつけて傷を広げてしまわなかったことを幸いに思いながら、己の行動に気まずそうに眉を寄せて視線を逸らし、数歩後ろへ下がった。


その気遣いを見送りながら、セシルは自分の腕へと視線を落とし、拭われた血の隙間から浮かび上がった紋様を確認すると、まるで「あっ、これの事ね」と納得するように小さな声で呟いていた。


そして次の瞬間には、その何気ない反応の裏に何かを感じ取ったかのように、再び顔を上げて真剣な瞳でカミュロをじっと見つめた。


「......もしかして。この花模様の事、何か......思い当たることがあるんですか?」


その言葉が空気を震わせた瞬間、カミュロの動きが僅かに止まり、彼はまるで息を呑むようにして目を伏せながら視線が逸らしており、その仕草には、言葉にできない何かが確かにあった。


しかしセシルは、すぐさま問い詰めたり追撃したりすることなく、カミュロの沈黙を一つの答えとして受け止めるように、ただ膝に掛けていた上着へそっと手を添えたまま、静かに続きを待ち続けた。


「っ......」


カミュロは、そんな彼女の気遣うような沈黙に、小さく喉を詰まらせるような息を吐き出すと、気まずさを隠すためか視線を外したまま、低くくも明確な意志を乗せて呟いた。


「.........今の俺には、答えられない。少し、時間をくれ」


そう言いながら彼は胸元へ手を添え、まるでノエルに対して向けるような丁寧な所作で頭を下げていた。


セシルは一瞬ぽかんと目を瞬いたものの、心当たりを抱えつつも焦って口にしないよう必死に気持ちを整えているカミュロの不器用な真面目さが可笑しくて、小さく笑みを漏らした。


「ふふっ......カミュロさん、あの時もちゃんと待っててくれましたよね。だから今度は、わたしが待つ番です。どれだけでも、ちゃんと待てますから」


「......あぁ」


セシルの微笑みと、急かすことなく待つという姿勢を真正面から受け取ったカミュロは、どこか安堵したように瞼を細め、小さく首を傾げながら短く答えた。


たとえ互いに欲しい答えへ辿り着けたわけではなくとも、そのやり取りの中には確かに信頼と理解が生まれ、ふたたび穏やかな空気が二人を包み込み始めた──そんな最中、不意に聞き慣れた甲高い鳴き声が静寂を破り、部屋中へ弾けるように反響した。


「ピッ、ヒチチチ!!」


「あっ、鳥ちゃーん!!」


その声へいち早く反応したセシルが勢いよく顔を上げると、カミュロの背後から、まるで彼女を待ちわびていたかのように小鳥が勢いよく羽ばたき、一直線にセシルめがけて飛び込んで来ていた。


セシルもまた嬉しさを隠しきれず、迎え入れるように自然と両手を大きく広げていた。


「キュュピッ!」


「捕まえた〜! んもぉ、ふわふわに戻ったね〜」


「ヒチ♪」


勢いよく胸元へ飛び込んできた小鳥を両手ですっぽり包み込んだセシルは、頬がゆるみきったまま、そのふわふわとした羽毛を指先で愛でるように優しく撫で続けた。


そして気づけば、愛おしさが身体の奥から溢れ出したかのように、柔らかな毛並みに頬を寄せてスリスリと夢中で擦り寄り、その羽毛に染み込んだ温もりさえ吸い込みながら、全身で幸福を味わっていた。


(不可解だな......)


だがその一方でカミュロは、セシルの手の中で愛嬌を振りまき、モフモフと甘えている小鳥へ不審げな視線を向けつつ、すぐ背後の閉ざされた扉へ鋭い視線を送り込んでいた。


(ノエル様が不用意に入らぬよう、扉は鍵まで掛け、完全に閉め切ったはず......それなのに、あいつ――何故入って来れた)


カミュロは一瞬、あの小鳥が扉の隙間から無理やり身体をよじって侵入してきたのではないかと考え、確信を持てぬまま再び扉へと視線を向けた。


(......いや、あり得ない。精々、衛生害虫がやっと通れる程度。ましてや、あのサイズの奴が通れるはずがない)


どれほど目を凝らしても、小鳥が通れそうな穴どころか向こう側からの空気すら漏れる隙間すら見当たらず、その理解できぬ現象への不安は、気づけばそのまま小鳥への不信感へと繋がっていた。


だが、その時──セシルの腕の中で無邪気に甘え、愛嬌を振りまいていたはずの小鳥が、まるでわざと狙い澄ましたかのように動きを止め、ふいにパチリとカミュロの視線を正面から受け止めるようにして、瞳を重ねてきた。


「......っ?!!」


黒曜石を思わせるそのつぶらな瞳が、彼を射抜いた瞬間、背筋へ鋭い冷気が駆け上がり、息が凍りつくような感覚に全身が痺れる。


(ぅ......くッ......)


そして、耳元で紙が擦れるような微かな音がざわりと重なった瞬間――そのざらついた響きに引きずられるように、頭の奥底へ誰かの声が容赦なく流れ込み、脳内を無理やりこじ開けられたかのように、意識へと何かが雪崩れ込んできた。


──『困った事に鍵関係なく入って来れちゃうのよね、この子。だから、カミュロくん。あなたも、入ってほしくない時は、遠慮なく扉に張り紙とかを貼ったりしてね』


突然の衝撃に、瞬きひとつ忘れたかのように視界が揺らぎ、脳裏へ突きつけられた「知らない声」の正体が掴めないまま、恐怖と混乱が波となって押し寄せた。


呼吸さえ乱れ、一歩、また一歩と後ずさりしながら、込み上げる動悸を抑えるように強く胸元へ手を添えて必死に体を支えていた。


(ッ......な、んだ......今の、は...... 俺の知らない記憶......?)


頭の中を掻き乱すように浮かび上がった断片的な声は、現実の感覚を奪うほど生々しく、しかしどこか遠い誰かの記憶のようでもあった。


混乱の渦に囚われ、現実との境が曖昧になっていく中で、カミュロはただ、自らの足元に視線を落とし、崩れかけた意識を繋ぎとめるように息を荒げていた。


「っ、カミュロさん?」


「っ......!」


はっと顔を上げると、さっきまで座っていたはずのセシルが、不安そうにカミュロを見上げながら、いつの間にか目の前に立っていた。


そして、その肩には、あの小鳥が留まっており、つぶらな瞳で可愛らしく首を傾げながら、まるで状況を伺うように二人を見比べていた。


(至って、普通だな......あれは、気のせいだったのか。いや、あれ程はっきりと見せつけられたのに......)


頭の奥に残る残響が消えず、理性と感情の狭間で揺らぐ思考をうまくまとめられないまま、カミュロはただ言葉を失い、複雑な表情のまま小鳥を見つめた。


「......また、傷を受け持つ力を使う気か。やめろ」


不意にぼんやりとした視界の中、セシルが何かをしようと手を伸ばす気配を捉えた瞬間、カミュロの身体が反射的に動くと、彼女の腕を優しくも素早い動きで掴んでいた。


「え、やっ。でも、外傷じゃないですし。立ちくらみくらいなら、いいかなって......」


「大人しく座ってろ」


短くそう言い放つと、彼は迷いを振り切るようにセシルの手を離さず、そのまま引くように歩き出した。


まだ胸の奥には不穏な余韻が残り、疑念は拭えないままだったが、今はただ、自分の事よりも彼女をこれ以上危険なものに触れさせまいとする意志だけが、彼を突き動かしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ