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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第79話. 言葉がなくても



――しばらくのあいだ、ノエルは途切れ途切れに、それでも胸の奥を真っ直ぐにさらけ出そうとするかのように勇気を振り絞り、一語一語を慎重に選びながら語り続けていた。


その様子を前にしたセシルは、一度として口を挟んで遮ることなどせず、むしろ静かに目を細め、微かな声の震えを一滴も取りこぼさぬようにじっと耳を澄ませ続けていた。


彼女の肩先にとまっていた小鳥もまた、ノエルの不安を映すように小刻みに羽を震わせていたが、ノエルが吐き出す言葉と吐息のリズムに寄り添うように、やがてその震えを少しずつ鎮め、今ではまるで静かな呼吸を共に数えるかのように首をこつんと傾げ、幼子の耳を澄ますように声を聞き取っているのだった。


「......あたしが言いたいのはそれ、だけ......」


ようやく言葉が途切れ、すべてを吐き出しきったノエルが長く深い息を漏らした瞬間を待ち構えていたかのように、セシルは静かに床へと腰を下ろし、その小さな目線の高さに自分を合わせた。


彼女の仕草は赤子をあやす母のような柔らかさを漂わせながらも、決して子ども扱いをするのではなく、むしろ対等な人間として正面から受け止めようとする眼差しを湛えていて、その瞳の奥に宿るぬくもりは、背をそっと撫でてくれるような安心を纏っていた。


「そっか。色々考えてくれていたんだね。教えてくれてありがとうね」


「うん......」


その一言は、冷え切って強張っていた胸をまるごと包み込む厚手の毛布のようにノエルの心に広がり、張り詰めていた糸がふっと緩んで弾けるような解放感とともに、彼女は深く息を吐き、肩から余計な力を抜いていく。


その小さな頷きは、長いあいだ纏わりついていた緊張や迷いが少しずつ解けていき、ようやく辿り着いた安らぎの岸辺にそっと身を横たえる人の姿を思わせた。


しかし、その一方で――ノエルが安心の布に包まれて安堵を覚えていたその時、セシルはなおも床に座ったまま両腕を抱き込み、ぎゅっと組み直すと、ふと遠い天井の一点を探るように視線を漂わせ、深く息を吐きながら思慮の糸をたぐる人間特有の呼吸を置き、やがて静かに唇を開いた。


「んー、でもね――」


「えっ......」


唐突に差し込まれた転調のひと言に、ノエルは胸の奥に再び細い不安の糸が張り直されるのを感じ、思わず顔をはっと上げた。


けれどもその視線をしっかりと受け止めたセシルは、まず安心を先に手渡すように柔らかく口角を上げ、小さな笑みを渡してから、続ける言葉を一つひとつ丁寧に紡ぎ置いた。


「自分のことを全部、何から何まで知ってもらわなきゃ相手は離れていってしまうって、心のどこかで思ってるよね。でも同時に、全部を一度に打ち明けたら嫌われるんじゃないかって、その怖さがずっと胸の中に居座っていて、二つの思いがいつもぶつかり合っている......そうじゃないかな?」


「......っ」


核心をそっと撫でるように差し出された問いかけに、ノエルは一瞬で息を飲み込み、揺れる瞳を伏せながら声を落とした。


そして、ほんの瞬きひとつ分の沈黙が落ち、そののち彼女は視線を逸らし、呼吸を整えるように胸を上下させながら、絞り出すように言葉を返した。


「......だって、カミュロが、『悩むくらいなら全部言った方が楽だ。俺だったら言える』って、そう言ってたから。だから、余計に言わなきゃって思って......でも......」


その名が唇からこぼれた瞬間、セシルは組んでいた腕の力をすっと緩め、こらえきれないように小さく吹き出し、「カミュロさん、そんなこと言ってたんだ...」と苦笑を零したがすぐに表情を引き締め、気まずそうに俯くノエルの顔をまっすぐに見据え、言葉を落とした。


「でも。それってさ、比べている相手が付き合いの長さも、積み重ねた時間も桁違いで、もう何でも知っているくらいの間柄の人でしょ? ほら、二人ってどんな関係なの?」


「えっとね......カミュロは、あたしが生まれた時からもういた、はず。それに、父上と母上がいなくなってからは、一人、付きっきりで......」


ノエルは小さな指を一本ずつ折りながら、記憶の奥から思い出を拾い上げるようにゆっくりと言葉を紡ぎ、その声の端々には幼い頃からずっと寄り添ってきた人の存在を思い返す懐かしさと、同時にそれに甘えすぎてきたのではないかという後ろめたさが微かに滲んでいた。


その一方で、セシルの胸の奥には、その言葉の中に潜んだ「一人、付きっきりで」という断片が引っかかりとなって落ち、瞳の奥を真剣に揺らしながら、口元へそっと手を添えては、思考の糸をたぐり寄せようとする気配があった。


(父上と母上がいなくなってからは、一人、付きっきりで......?)


胸の奥に芽生えかけた疑念が重く沈みかけたそのとき、不安を帯びたノエルの声が「セシル?」と呼びかけてきて、現実へと引き戻されたセシルは、慌てて握った指先に力を込め、わざとらしいほど大げさに咳払いをして空気を入れ替えると、あえて強引にでも会話の歩幅を合わせ直すように軽やかな調子を装い、場を整えるように声を投げかけた。


「うん? あ、えっと......おっほん。 えっとね。じゃあさ、わたしなんてどう? 色々あったし、すごく長い時間を一緒に過ごしているような気がするかもしれないけど、現実には昨日初めて会ったばかりなんだよ? ノエルちゃんが生まれたときからずっとそばにいた人と、昨日会ったばかりのわたしを比べるなんて、それはどう考えても不公平でしょ〜」


ノエルは「......たしかに」と小さく応じ、視線を落としながら前髪を弄ぶように指先で揺らし、その髪影の中には心の迷いや揺らぎが映し出されているかのようで、沈黙の重みが胸の内に余計な広がりを生み、ますます彼女を言葉のない世界へと押し込んでいった。


そんな彼女の表情を見つめたセシルは、言葉がやがて言い訳に変わってしまわないうちにそっと顔を寄せ、まるで背中に柔らかな布を掛けてやるように笑みを添え、優しく安心を手渡すように言葉を重ねた。


「ほら。それに、わたしなんてね、ここに来た理由も、生まれ育ちのことも。昨日、手当をしてもらったときに少し気づかれたかもしれないけど、体のことだって詳しく説明していない。ほんの断片しか渡せてないけど......それでも、もう嫌いになって距離を置きたいって思ってる?」


セシルがその言葉を静かに差し出した瞬間、ノエルは驚いたように大きく瞳を見開き、バッと勢いよく顔を上げると、まるで何かを必死に否定するかのように身を乗り出し、そのままセシルの腕に縋るように掴みかかり、一気に距離を詰めてきた。


「そ、そんなわけないでしょ!! あたしはセシルが何も言わなくたって、こうしていっぱい話したいし!それに、それに............ぁっ」


勢いのまま必死に言葉を重ねたノエルだったが、先ほど自分で告げた不安や恐れと、いま口から飛び出した断言の響きがどこかで矛盾してしまっていることに気づいたのか、はっとして口元に手を押さえ、喉の奥で息を呑み込んだまま固まった。


その姿を見守るセシルは、一瞬だけ自分の手に巻かれている包帯へと視線を落とし、指先でなぞるように触れながらも、責めるようにではなく、むしろ慈しみを込めるように目を細め、代わりにその沈黙を埋めるかのように穏やかで柔らかな声を差し伸べた。


「ねっ。だからね、『全部を打ち明けなきゃ一緒にいられない』なんてことは、ほんとはないんだよ。人にとって本当に大事なのは、どれだけ多く話したかじゃなくて、その人を『どれだけ大切に思っているか、その想いが伝わっているかどうか』なんだよ」


そう言ってひと呼吸置いたセシルは、小さく息をつき、ふと何かを思い出したように「あっ!」と声を上げ、人差し指をぴんと立てながら再び口を開いた。


「そうだ! それにね、わたし、ここに来る前に仲良くしてもらった人にも、別に全部を言えたわけじゃなかったし、相手から全部を聞けたわけでもなかったんだよ。でもね、それでも別れるときには、新しい服とか、手作りの武器をプレゼントしてもらっちゃったの。ね、不思議でしょ? お互いに全部を打ち明けていたわけじゃないのに、ちゃんと想いは伝わってたんだよ~」


「......」


セシルの声は穏やかに空気を包み、その温もりに触れたノエルは言葉を失ったまま黙り込んでしまい、二人のあいだに落ちた沈黙は水面のように澄みきっていて、けれども決して重苦しいものではなく、それまで交わした言葉を心の奥深くへじんわりと染み込ませる余白のように感じられた。


やがて、その沈黙にノエルを溺れさせまいとするように、セシルは小さく息を吐いて場を切り替えると、肩にとまっていた小鳥へ横目をやり、わざと調子を明るくして声を続けた。


「ほら、それにね。この子だって、結局どこから来たのかなんてわかってないんだから。全部知らなくても、こうして一緒にいられるものなんだよ」


「ヒチ?!」


突然自分が話題に引き合いに出され、視線を集められた小鳥は驚いて羽をばたつかせ、セシルの肩の上でバランスを崩しかけながら慌てて立ち直ると、抗議するようにふわふわの体を上下に揺らして見せていた。


その仕草は小さな必死さゆえに可笑しみを帯びており、その様子にセシルは思わずくすっと笑い、しかし楽しげに挑発を含ませるように声を弾ませた。


「だって~、最初は偶然遊びに来た野生の子だと思ってたんだけどさ......どう考えても人間慣れしているし、わたしたちの言葉を理解してるみたいに振る舞うし。もしかしたら、どこかのおうちの子かもしれないし、本当は名前だってあるのかもしれないでしょ?」


そうしてセシルが茶目っ気たっぷりに語りかけると、小鳥は「ピッピッ!」と甲高い声をあげながら、その小さな体を精一杯に震わせ、セシルの頬へ小刻みに頭突きを繰り返していった。


その様子はまるで「何をいう!」とでも言いたげで、つぶらな瞳を不満げに細め、何かを必死に訴えようとするように羽をばたつかせる姿には、可笑しさと同時に、確かな意志の力が宿っているかのように思えた。


そんな小鳥にセシルは慌てて「ちょ、ストップストップ!」と叫びながら、片手を差し出して必死に防御を試みるものの、ふわふわとした羽毛に覆われた柔らかな小さな体から繰り出される意外なまでの力強い突撃は侮れず、彼女はその場で押され気味になり、ひたすら受け身の防戦一方に追い込まれてしまっていた。


「......」


その様子を目の当たりにしていたノエルは、言葉を失ったままじっと二人と一羽の小さな攻防を見守りながら、胸の奥にひらめきのように浮かんできた思いを、消えてしまわぬようにそっと両手で抱きしめるかのように受け止めていた。


――そうだ、互いのことを何から何まで隅々まで知り尽くしていなくても、人はこうして共に笑い合い、同じ時間を分かち合うことができるのだ。


むしろ、わからないことを抱えたままでも一緒にいられる関係こそが、本当の意味での信頼や安らぎにつながるのではないか。


セシルと小鳥のやり取りに宿るささやかな温かさは、ノエルにとって理屈や言葉を超えた雄弁な答えとなり、その生き生きとした光景は胸の中にぽっと灯がともるような明るさを生み出し、冷えてこわばっていた心の隅々にまでその光がじんわりと広がっていくのを、彼女ははっきりと感じ取っていた。


「ぷっ、あっはは。鳥ちゃん、ほんとに勢い強いってば~」


そうしてセシルの必死の「やめて~!」という悲鳴めいた声が響き渡るのに釣られるように、ノエルは長いあいだ張り詰めていた肩の力をふっと抜き、胸を締めつけていた緊張の縄が自然とほどけていくのを感じながら、堪えきれなくなった小さな笑い声をこぼし、そしてその笑みには安堵と解放の色が滲んでいた。

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