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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第78話. 心機一転



「♪~♪~」


鼻歌を口ずさみながら、セシルは部屋の隅に設けられた簡易的な仕切り布の陰に身を潜め、窓から差し込む直射日光が家具や厚手のカーテンによって巧みに遮られることで生まれた柔らかくも奥行きのある陰影に包まれながら、自分の服の着心地や手触りをひとつひとつ丁寧に確かめていた。


襟元に指先を沿わせ、袖口や裾の小さな乱れを何度も整えつつ、軽く肩を揺らして布地の感触を確かめ、下ろしていた髪を楽しげに結い上げる手つきは、滑らかで、その指の隙間を通して柔らかな髪の流れを感じながら、鏡に映る自分の姿を確認することなく、手元の感覚だけを頼りに仕上げを進めていた。


(ふふっ、エリスさんが歌っていたあの歌、あんなに素敵な声で歌っていたから、つい耳に残っちゃった......今度、また会う機会があれば、ぜひ教えてもらおうかな)


そう心の中でそっと思い浮かべながら、頭の後ろで髪を結う手は迷いなく動き、指先で髪を整えるたびに、その長さや質感を手のひらいっぱいに感じ取って、仕上がりへの小さな期待と満足感が自然に胸に広がっていった。


そこに映し出される自分の姿は、これまでの冒険や戦闘の為の、動きやすく実用的な服装とはまるで異なり、まるで宮廷に仕える侍女のように清楚で格式を漂わせ、気品と柔らかさが絶妙に同居した華やかさを纏っていた。


普段の冒険や戦闘向けの服装が可愛らしさや動きやすさを重視していたのに対し、この装いは控えめながらも確かな存在感を示し、セシルの内面に秘めた品の良さや落ち着きを自然に引き立てていた。


生成り色の柔らかなシャツは肌に優しく沿い、手を添えたくなるほどの心地よさを感じさせ、その襟元に結ばれた大ぶりのリボンが視線を集めるアクセントとなって、控えめながらも存在感を演出していた。


その上に羽織ったジャケットは、セシルの体のラインに沿うよう精巧に仕立てられ、胸元から腰にかけて並べられた飾りボタンや真鍮の金具が光を受けて静かに輝き、動くたびにさりげなく光を反射して上品な雰囲気を醸し出し、袖口には可憐なレースと繊細なリボンが添えられていた。


下半身には脚のラインを適度に引き立てる細身のパンツが穿かれ、その裾は長旅に耐えた編み上げブーツにきっちり収まり、長時間の移動や活動にも支障のない動きやすさと見た目の美しさが絶妙に両立していた。


結い上げた長い髪は、傷ついた後頭部を守るようにしっかりとお団子にまとめられ、その周囲を三つ編みでぐるりと囲むように仕上げられ、セシルは無意識のうちに慎重かつ手際よく髪を整え、仕上がった髪の感触に胸の奥からふっと安堵と満足が湧き上がるのを感じて、小さく深く息を吐いた。


「よし、苦しくないし、いい感じ......かな」


自然な呼吸の流れに合わせて背筋をすっと伸ばすと、指先で仕切り布をそっと持ち上げ、その向こうの開けた空間へと足を踏み出しながら、身体に触れる豪奢な布地の揺らめきに圧倒されつつも、思わず小さく呟いた。


「ふっ。こんな豪華な服なんか着ちゃって。本当に、ここで働いている人みたいだな」


その言葉には自嘲めいた響きが僅かに混ざっており、同時に、このまま当分城を出られないのではないかというかすかな不安が心の奥に忍び寄るのを感じていた。


「......ん?」


そんな思考に沈みかけた瞬間、不意に空気を震わせるような明るく弾む声が耳を打ち、次の瞬間には床板を鳴らすドタドタと勢いある足音が、まるで風のような速さでこちらに近づいてくるのをはっきりと捉えたセシルは、反射的に顔を上げた。


「セシルーー!!」


「うひゃっ、ノエルちゃん?!」


視界の先には、手をぶんぶんと大きく振りながら全力で駆け寄ってくる小柄な影があり、その速さとタイミングはセシルの予想をはるかに超えていて、思わず上体をのけぞらせ、小さく悲鳴を漏らしながら体をびくりと震わせた。


しかしノエルはその反応をまるで意に介さず、勢いを緩めることもせず、真正面から飛び込むように突進してきたため、二人の距離は瞬く間に消え去り、セシルは両腕を大きく広げ、迫り来る衝撃を受け止めるべくとっさに体勢を整えた――が。


「わっ、ちょっ! あぶなっ――」


ドシンッ、と鈍く響く衝撃音が空気を振るわせると同時に、予想をはるかに超える勢いで押され、セシルは反射的に後ろへよろめき、倒れそうになる身体を必死に踏ん張りながら腕に力を込めて何とかその場に留まろうとした。


だが、それでも二人の身体は絡み合ったまま微妙にバランスを失い、やがて力を抜いた瞬間に床へと流れるように沈み込むように座り込み、まるで空気の波に身を委ねるかのように自然にその形に落ち着いた。


「いったたぁ~」


一瞬全身を貫いた不意打ちの衝撃に心臓が跳ね上がるような感覚に包まれたものの、クロノスとの実戦訓練で自然に身につけた鋭い反射と柔軟な体捌きのおかげで、ほんの一瞬の間に体をひねって衝撃をいなし、無事に受け身を取ることができた自分を、セシルは内心でほっと安堵し、短く小さく胸の中で息をついた。


「はぁ、間一髪~。ノエルちゃん、怪我はない? 突然、飛び込んできたからびっくりしちゃったよ」


大きな怪我もなく、この一瞬の出来事をやり過ごせたことへの安堵と、運良く無事でいられた幸運を胸の奥でそっと噛みしめながら、セシルは勢いよく飛び込んできたノエルの小さな体を優しく受け止めると、余計な罪悪感や心配を抱かせないように声色は軽やかで柔らかく、耳に心地よく響くような優しい調子を選んで彼女を落ち着かせるように視線を落とした。


「......待ちわびたから、迎えに来てくれたのかな?」


ノエルに軽やかで甘みのある響きを帯びた問いをそっと投げかけると、その瞬間、目の端に映った彼女の小さな肩が微かに震える様子に気がつき、セシルは思わず口を閉じてしまった。


(あれ......震えてる、の?)


その震えは、戸惑いや緊張、そして幼さの残る素直な反応が入り混じったもので、セシルの視界に小さく浮かぶその動きは、言葉にしなくとも全てを語っているかのようであった。


「......」


そんなノエルの様子をじっと見つめながら、セシルは言葉を飲み込み、無言のままその小さな動きをただ静かに受け止めていると、やがてノエルは、慎重に言葉を選ぶかのようにゆっくりと小さく首を横に振り、躊躇いがちに前髪を触りながら、ゆっくりと口を開いた。


「......あのね、セシル、見てほしいのがあるの。あたし――......っ」


しかし、ノエルは唇を開きかけた瞬間に動きを止め、前髪を触っていた手をそっと下ろすと、口元に柔らかく、僅かに作ったような笑みが宿った。


その表情の変化は、先程までの緊張や深刻さをまるで覆い隠すかのようで、次の瞬間には声色も軽やかに変わり、話題を自然にすり替えるかのように明るく響かせながら、前髪に隠れて表情は見えないものの、その視線はほとんど無意識に、楽しげに空間を泳いでいるようだった。


「そ、そういえばっ! 髪型もお洋服も、すっごく似合ってるね!」


「え?」


唐突かつ予想外の方向転換に、セシルは思わずまばたきを何度も繰り返してしまったが、ノエルはその反応をまるで気にせず、むしろ何かをごまかすかのように首を上下左右に小刻みに動かしながら、セシルの髪や服装の細部に至るまで興味深そうに観察し続けていた。


その視線には好奇心と愛着が入り混じり、セシルにとっては完全な不意打ちであり、困惑しながらも小さく「えぇ......」と漏らし、少し呆れたように目を細めて首をかしげるほかはなかった。


(んー、さっきのノエルちゃん......ちょっとルカくんに似てたんだよね......何か大事なことを言いかけたような気がしたけど、気のせいなのかな......)


セシルの脳裏には、幼さゆえに周囲に必要以上に気を遣い、本音や望みを胸の奥に押し込めてしまうルカの姿が重なり、先程のノエルの行動と自然に結びついた。


(......でも。わたしが無理やり聞くわけにもいかないからね)


それ以上踏み込んで問い詰めることは、ノエルの心を追い詰めてしまうかもしれないという思いが、胸の奥で静かに支配的になり、セシルは小さく息を吐いて肩の力を抜いた。


無理やり聞き出すのではなく、ただ見守ることを選ぶ自分の決意を確認しながら、ノエルを抱えつつも手で床を支え、静かに立ち上がろうと腰に力を込めたその瞬間、視界の端に小さな鳥がふわりと映り込んだ。


小さな翼を必死に羽ばたかせ、頼りなげでふわふわとした飛び方をするその鳥は、まるで迷子の子どもが親を見つけたときのような切実さを滲ませ、一直線にノエルの頭上に向かってくると、ふわりと高度を下げて迷うことなく着地した。


「ヒチチ!!」


甲高く響く鳴き声に、セシルが話しかけるよりも先に、ノエルが「げっ、鳥ちゃん......」と、焦りと戸惑いが混ざった声を漏らし、慌ててセシルからわずかに身体を引き離した。頭上の小さな重みを確かめるように手を差し伸べようとしたその動きはぎこちなく、表情には動揺がはっきりと浮かび、口元は僅かに震えていた。


「?」


セシルはその様子を静かに眺めながら首を軽く傾げ、一瞬の間、場に沈黙が包み込むような空気が流れたかと思うと、突如として小鳥はノエルの頭部の髪を足でしっかりとつかみ、そのまま身体をぶらんと垂らして前髪を払いのけようと必死に動き出した。


「うな、うわっぷ! いやっ、やめて鳥ちゃん!」


瞬間、ノエルは無意識のうちに目元を前髪ごと押さえ込み、小鳥との必死の攻防に巻き込まれるかのように体を揺らしていたが、その揺れの中には戸惑いや焦りが入り混じりながらも、必死にバランスを取ろうとする意思が見え隠れしており、肩の微かな震えや小さな身振りに至るまで、セシルは一目で状況を察し、言葉をかける前に躊躇わずにそっと手を伸ばした。


そして、セシルは小鳥の小さく柔らかな体が暴れて落ちてしまわないよう、両手をゆっくりと差し伸べると同時に、ノエルが過剰に緊張しないよう空気を保ちながら捕まえた。


「ヒチ...」


セシルの手の中に大人しく収まった小鳥は、頭だけを手の隙間からのぞかせ、ふわふわとした小さな体をかすかに震わせながら、じっとノエルを見つめ、少し不満げな表情でその存在をアピールしているようだった。


その様子を目にしたセシルは、ほんの僅かに首を傾げながらも、その困惑を顔に出さず、静かに小鳥を肩の高さまで持ち上げ、丁寧にゆっくりと降ろすと、落ち着かせるように穏やかで柔らかい声をかけた。


「ほらほら。嫌がっているのに、無理やりするのはよくないでしょ~」


セシルの声は、軽やかでありながらも安心感のあるトーンで、小鳥に自分を信頼してもらうように問いかけると、小鳥は全身でぶんぶんと否定の意志を示し、片方の翼を勢いよく広げながら、まるでノエルを指し示すかのように、何度も「ピッ、ピッ、ピッ」と立て続けに鳴き、必死に何かを訴えかけるかのようだった。


だが、セシルはその小さな抵抗を微笑ましく見守りながら、「うんうん、わかったよ」と言わんばかりに静かに目を細め、落ち着かせるように手で覆うように撫でながら、小鳥がノエルに向けた必死のサインを受け止め、ノエルが口を開く前に優しく話しかけた。


「ノエルちゃん......自分のこと、話さなきゃって考えてくれたんでしょ」


その言葉を耳にした瞬間、ノエルは思わず顔をパッと上げ、驚きと少しの恥ずかしさが入り混じった表情を浮かべ、「ッ......まさか、鳥ちゃんとのお話、聞いてたの?!」とまるで信じられないといった様子で震える声を漏らしていた。


しかしセシルは、少し首を傾げながら「鳥ちゃんとのお話?」と、ほんの僅かに首をかしげる仕草を添えて不思議そうに呟くと、すぐに口元に控えめな笑みを作り、声のトーンを自然に落として、緊張をほぐすように優しい声をノエルに向けた。


「ふふっ、違いますよー」


その短くも優しい言葉を届けると、セシルは撫でていた小鳥からそっと手を離し、ゆったりとした動作でノエルに手を伸ばすと、小鳥とのちょっとした攻防で乱れてしまった髪の毛を、まるでそっと触れることさえ気を遣うかのように、丁寧に整え始めた。


「っ!......」


突然の手の接触に、ノエルは思わず肩を小さく震わせ、まるで一瞬跳ねたかのように反応したが、その直後には何も言わず、ただ静かにセシルの手の動きに身を任せ、少しずつ落ち着きを取り戻していった。


その様子を穏やかな眼差しで見守りながら、セシルは場の空気が重くなりすぎないよう、軽やかでどこか冗談めいた口調で、しかし相手を否定せず、温かく包み込むような柔らかい声を続けた。


「逆に、どうしてそこまで。自分のことを話したいと思ったのかな?」


「............笑わない?」


セシルは、そんな不安げなノエルの表情を見つめながら、小さく頷き、静かに次の言葉を待つ姿勢を崩さずに、ただ耳を傾けていた。


「ちょっと、長くなっちゃうと思うんだけど――」


ノエルはやがて、溜め込んでいた思いを少しずつ吐き出すかのように、ポツリポツリと、これまで言えなかった自身の境遇の異常さや、前髪で目元を隠している事や体から溢れ出た謎の力に対し、何も聞かずに寄り添ってくれるセシルの存在がどれほど心を落ち着けるのか、そして、セシルが自分を庇ったために実際に暴行に遭ってしまったことへの後悔や戸惑い。


さらに、いつもだったら、そう簡単に他人に話しかけないカミュロといつの間にかどこか楽しそうに会話していることに抱いた、嫉妬にも似た複雑な感情まで、少しずつ言葉に乗せていった。


そのすべてを、セシルは遮ることなく、途中で言葉を差し挟むこともなく、ただ静かに耳を傾け、ノエルが心のままに吐き出す思いを一つひとつ受け止め続けた。

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