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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第76.67話. 踏み抜いた一本道



「貴様、殴りやがって!! ただで帰れると思うなよ!!」


こめかみを押さえながらも怒りを募らせた男は、激情に任せるようにその手を拳へと握りしめ、今度は明確な殺意を込めた動きで、下から振り上げるようなアッパーカットを、目の前のマントの男の腹部に向けて打ち込もうとした──だが、その一撃が届くことはなかった。


まさに刹那、マントの男はその拳の軌道を正確に読み取ったかのように、すっと肘を動かして相手の腕を受け流し、まるで遊ぶような動作でそれを軽々と防いでみせたかと思うと、次の瞬間には、その受け止めた肘を用いて、逆に相手の胸部、正確には肺の位置を狙い澄ました一撃を繰り出し、ドンと鈍い音を立てながら容赦なくその急所を撃ち抜いた。


「ぅぐ......はっ.....!」


肺から空気が強制的に吐き出されたかのような苦悶のうめき声をあげながら、男はその場に崩れ落ち、酸素を求めて喘ぐように口を開けたまま、もはや立ち上がることもできず、膝をついたままその場に沈み込んだ。


(なっ、あの動き......あんなの、咄嗟にできるような素人技じゃないだろ)


クロノスはその一見すると無駄なく、むしろ洗練された武術的動きを目の当たりにしながら、あっけに取られたようにその場から動けずにいた。


「ふぅ〜......」


すると、マントの男は、自身の攻撃で沈黙させた男をちらりと見下ろすと、緊張をほどくように息を吐きながら右腕を軽く回しそのまま、ゆっくりと顔を上げた。


そして次の瞬間、その視線がぴたりとクロノスの目をとらえ、空気が弾けるような、バチンと音が鳴ったかのような錯覚すら覚えるほどの鋭い視線の衝突が、二人の間に生じた。


(っ、見られた。こちらにも仕掛けてくるか?)


反射的に、クロノスの体に力が走り、体勢を崩さぬよう身を引きながら、敵対の意志を見せれば即座に対応できるよう、臨戦態勢へと移行する──しかし、その構えを無力化するような、あまりにも意外な声が、そこに飛び込んできた。


「あ、あっ」


声は驚くほど素っ頓狂で、つい数秒前までの緊迫感を瞬時に霧散させてしまうほど間の抜けた響きに、クロノスはただ怪訝そうに眉を顰めていると続けて、マントの男は慌てだしたような話始めた。


「わ、ぁわあぁぁ! こ、これは、ち、違うんです、断じて痛めつけてやろうなんて思ってなくて! あくまで、正当防衛です! 本当に、そうなんです!」


「.........」


慌てふためくような口調とそれに連動するような手の動きは、まるで怒られるのを恐れて必死に言い訳を繰り返す子どもそのものであり、その言葉のひとつひとつは聞いているだけで腰が抜けそうになるほど締まりがなく、なおかつ全力で場違いだった。


(なんだあの、わざとらしい態度は......だが、本性を隠す為に取り繕っているようには見えないのが不思議でしかない)


その慌てる声音には、狙って出しているような演技の気配は一切感じられず、むしろ本心から動揺し、自分の意思が誤解されることを極度に恐れているような、妙な真っ直ぐさと誠実さが滲んでいた。


だからこそ、クロノスはどう反応していいのか判断がつかず、混乱と呆れと、それでも残る一抹の警戒を胸の奥に押し込めるように、静かに眉を下げながら、深々と長い息を吐き出した。


(......なんなんだ、本当に。まさか、あれが素だと言うのか)


言葉にしがたい複雑な思いが胸の奥に澱のように渦巻いたまま、クロノスはゆるりと首の後ろに片手を回し、ひとつ深く伸びを打った。


(ったぁ、馬鹿馬鹿しい。さっさとあいつらと合流するか......)


その何気ない仕草には、この路地裏に足を踏み入れた最初の目的をまるで思い出せないかのような無関心の気持ちが込められていた。


そして、まるで興味を失ったかのように、背を向け、通りの奥へと立ち去ろうと一歩を踏み出した瞬間、掠れながらも必死な響きを含んだ声が背後から飛んだ。


「ま、まっ、待ってください!!」


「......」


その必死な呼び声に、クロノスは足を止めると、無言のまま肩越しに視線だけを投げ、次に何をしでかすつもりなのかと、半ば呆れながらも興味を捨てきれない観察者のような目で見つめた。


すると、視界の端ではマントの男が駆け足で近づく様子が見えた事で、クロノスは思わず呆れたような声を漏らした。


「はぁ、さっきからずっとコソコソとつけ回してきたのはあんただろ。一体何がしたいんだ?」


クロノスの呆れた声と、無意識のうちに滲み出ているプレッシャーを全身に浴びながらも、マントの男は必死に近づいて来ていた。


そして、ようやく追いついた彼は両手の指先をもじもじと落ち着きなく動かしながら、それでもはっきりとした声で返した。


「えぁっ。さ、流石に気づかれてましたよね......こんな場所にまんまと誘導されましたし、わかってはいましたけど......」


その正直すぎる物言いと、演技では到底ないと断言できる自然体の態度に、クロノスは「こんな変なやつに関わったら時間の無駄だな」と内心で呟くように思いながら、小さく息を吐いた。


そしてそのまま、背後からまたなにかを言おうと「あっ、ま、待っ...」という情けない声を無視するように歩き出そうとした──が、次に飛んできた言葉は、彼の足を確実に止めるには十分すぎるほどの爆弾だった。


「待ってください!! 俺、アストラル教団が行うある行事を壊滅させたいんです!!」


「...っ!」


その瞬間、クロノスの眉が僅かに動き、一瞬の沈黙を挟んだのち、彼の全身の気配が音もなく一変させた。


(今、こいつ......教団と言ったか?)


そして、蓄積された力が呼吸とともに静かに収束し、同時に彼の身体は一切の迷いを排したようにくるりと回転してマントの人物の正面へと向き直った。


次の瞬間には、その掌が無言のまま相手に突き出され、赤黒く脈打つ力がじわりと浮かび上がった。空気が一段階、いや二段階は重く感じられるほどに圧が立ちこめ、周囲の世界そのものが沈黙と緊張の帳に覆われていった。


「引き留めたかっただけのつもりなら──冗談でも軽々しく口にしていい言葉じゃなかったな。後悔する前にさっさと視界から消えてくれるなら、まだ情けをかける余地はある」


「っ、違います!!冗談じゃありません!!」


思わず反射的に叫んだ直後、その場には数秒に及ぶ静寂が流れ、その間、マントの男の挙動には明らかに怯えが浮かびかけていた。


「......反論するように叫んだりして申し訳ないです。でも、これでも必死なんです」


マントの男は小さく呟くように言葉を漏らすと、彼はそのまま覚悟を決めたかのように両手をそっとフードへと持ち上げ、躊躇いがちに頭を覆っていた布を後ろへと押しやった。


そして、ゆっくりと顔を上げると、裏路地に差し込む僅かな光に照らされたその素顔が明らかになった。


「俺、エンデと言います」


そう、名乗りながら露わになった顔は、声の印象そのままにどこか頼りなげで、まるで風に吹かれたら倒れてしまいそうなほど表情は不安定だったが、その目に宿る光だけは違っていた。


そこに浮かぶ真剣な眼差しは、クロノスのような存在の目をも欺こうとするものではなく、ただ真正面からこの世界に立ち向かおうとしている者のそれだった。


(エンデ? たしか、その名は......)


クロノスは、警戒を解かぬまま手を構え続け、目の前の男――エンデと名乗ったその人物を、値踏みするかのような鋭い視線で黙したまま見据えていた。


すると、重く張りつめた沈黙に耐えかねたのか、エンデはほんの一瞬だけ視線を逸らし、息を詰めるように小さく肩を動かしたが、すぐに覚悟を決めたように再びクロノスを真っ直ぐに見据え、躊躇いがちながらも口を開いた。


「あの......念のための確認なんですが。あなたは、セシルさんと一緒に行動していた――あの時の方で、間違いありませんよね?」


その問いに、クロノスはほんの僅かに目を細めたが、それは警戒でも拒絶でもなく、むしろ相手の言葉の背後にある記憶の断片を掘り起こそうとする動きに近かった。


「あぁ......あんたか。セシルが言っていた、教団の招待状を渡してきたっていう、妙な男とは」


「えっ、あ、はい。あはは......その、渡したというか押し付けたっていうか......あの時は本当に必死で、よく覚えてないまま。気がついたらセシルさんの腕、強引に掴んじゃってて......その、今になってすごく申し訳なく思っています」



──エンデがしどろもどろに語ったその出来事は、クロノスの記憶の中にも確かに刻まれていた。


あれは、約一ヶ月と数週間前にアキラが精霊の力に呑まれ、この街で制御を失って暴走した時。セシルとクロノスは何が起こったのかも理解できぬまま、突如として巻き起こった炎と逃げ惑う人々の混乱の渦の中、偶然セシルとぶつかったエンデから、紫の花が描かれた奇妙な招待状を渡されたことがあったそうだ。


後に騒ぎがようやく落ち着き、セシルの心もいくぶん安定したころ。彼女から、エンデから貰った言う招待状と、同時期に混乱の中で拾ったという青白いガラス製の花のブローチを見せられ、そのブローチの造形と招待状に描かれていた花の絵柄とがあまりにも一致していたことで、教団の影が背後にあるのではと疑念を抱いた。


それ以来、クロノスは一人で教団に関する断片的な情報を探り続けていた。だからこそ、最初こそ警戒と呆れを抱いていたものの──エンデの名を聞いた瞬間、その正体を確信したのだ。



エンデは、クロノスに自らの存在を認識させ、敵意を抱く相手ではないと理解してもらえたことに、僅かな安堵を覚えた様子を見せながらも、緊張と抑えきれない焦燥を滲ませた声音で、静かに口を開いた。


「それで......その俺が伝えたい事というのは、半年後に行われるものなんですが──」


一方で、クロノスはというと、指先に纏わせていた赤黒い力を依然として収束させず、そのまま淡く揺らぎ続けさせたまま、無言のまま耳を傾けていた。


その様は、まるで相手の言葉が終わるまでは決して自らの立場を崩さず、最後までその真意を見極めようとする意志の現れのようでもあり、あるいはこの場の緊張を安易に緩めることは許されないと、無意識のうちに自分へ言い聞かせているようでもあった。


だが、その胸の内では、確実にひとつの認識が静かに形を結びつつあった。──そう、今この瞬間、エンデと向き合い、言葉を交わしているという事実こそが、“本来であれば決して踏み込むべきではなかった領域”へと、とうに自ら足を踏み抜いてしまっていることを、否応なく突きつけていたのだ。


(あの時。“あの者”と相対したとき、ある程度は覚悟していたつもりだったが。......やはり、俺たちはとっくに“引き返せない”ところまで来てしまっていたんだな)


その考えを言葉にすることはなかったが、クロノスの眼差しは、確実に何かを受け入れようとしていた。


それは、もはや無関係でいることは許されないという現実を認め、後戻りという選択肢がとうに消え去ったことを理解し、目の前にいる“これからの道を左右する存在”と向き合う決意を宿した、深く静かな眼差しだった。



そして、エンデが語り始めた“あの行事”の話がセシルの耳へ届くまでには、もう少しだけ時間が必要だった。


彼女がその話にたどり着くのは、ほんの僅か先のこと──それでも確実に待ち受ける未来の交差点であり、避けて通れない出来事であった。

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