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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第76話. 葛藤に揺れ



──そんな、言葉では到底言い表せないような、重くも繊細な空気が場にそっと沈殿していた頃。すべての呼吸が慎重になり、誰もが言葉を探しあぐねるような沈黙の只中で、不意にその静けさを和らげるような、けれどどこか深い呆れと優しさが滲む、柔らかな吐息がセシルの背後からふわりと届いた。


「はぁ......」


それはため息に似ていたが、否定ではなく、まるで家族や長年連れ添った友人が見せるような、相手を誰より理解しているがゆえの、温かくも手厳しい諫めのようであり、その声の主であるノエルは静かに口を開いた。


「もう。カミュロは、そういうとこ本当に不器用なんだから。言葉ひとつなくて掴みつづけたら、セシルが困っちゃうでしょ?」


その、あまりに的確で柔らかい指摘に、先程までセシルをまっすぐに見据えていたカミュロの瞳が、まるで初めて自身の手元に気づいたかのように僅かに揺らぎ、そしてゆっくりと、視線を横へと滑らせるように逸らした。


その仕草には明確な意志というより、ふと心が現実から距離を取るような、どこか無意識の逃避めいた色があった。


そして、小さく息を吸い込んだ彼は躊躇いを混じらせるようにして押し殺した声で「...すまない」とぽつりと呟くと、それまで無言のまま掴んでいたセシルの腕を、丁寧でありながら、どこか戸惑うようにそっと離した。


その動作には、ただの謝罪というよりも、どこか自分の不器用さへの諦めや、どうしようもない自己嫌悪にも似た、静かな重さが滲んでいるようだった。


「いえ......大丈夫ですよ」


セシルの声は確かに安堵の色を帯びていたが、それは決して全面的な安心ではなく、どこかにまだ拭いきれない引っかかりを抱えたままの、慎重な柔らかさだった。


ふと、彼女が浮かべた微笑の奥には、未だに胸の奥に留まっているざらついた感情が影を落とし、彼女はそのまま、まるで沈黙の奥に潜む何かを探るように、カミュロの表情をじっと見つめていた。


彼の中にある、言葉にできない何か──それを、セシルは確かに感じ取ってしまったことで、その沈黙が単なる無言ではなく、語られなかった想いの塊であることに気づいてしまったからこそ、彼女はただ笑って「大丈夫」と言い切ることができなかったのだ。


だが、カミュロはそれ以上の感情を表に出すこともなく、あくまで平静を装うかのように、ひとつ息を吐くと、僅かに視線を逸らしながら、自らの中で何かを切り離すようにして、冷静な口調で話題を切り替えた。


「──そういえば。“同じ力を持っている”と言ったな」


その何気ないひと言に、セシルの表情はぱっと明るさを取り戻し、先程までの重苦しい空気を打ち払おうとするかのように、勢いよく早口で言葉を重ね始めた。


「なんだ、そのことを聞きたかったんですね! 実は、わたしも契約者なんです! だから“同じ力”って、そういう意味で!  あっ、でもカミュロさんのは概念型でしたよね。わたしのは少し違ってて、ちゃんと姿がある、所謂人型の契約悪魔で......それで、代償を渡して契約しているんですけど、だから体の中にいるわけじゃなくて、でも──」


その弾むような声には、彼と自分が“同じ立場である”という確信への喜びと、先程までの気まずさを埋めようとする無意識の焦りとが混ざり合っていたが、返ってきた反応は、彼女が期待していたようなものではなく──あまりに静かで、妙に間延びした空気が、ふとそこに生まれた。


カミュロの瞳がふと見開かれ、僅かながらも確実に驚きの色がその表情に差しており、最初に沈黙を破るように穏やかに声をかけたノエルまでもが、息をのむようにして唇を僅かに開きかけたものの、言葉を出すまでには至らず、結局そのまま喉の奥で呑み込んでしまったようだった。


「......あれ?」


その微妙な空気の変化に、セシルもようやく、自分の言葉が何かしら場に影響を与えてしまったことに気づき、つい先程まで軽快に繋いでいた言葉の流れをふと止めると、その続きを喉の奥でそっと飲み込んだ。


そして、彼女はゆっくりと両手を胸元で組み、指先をそわそわと不安げに動かしながら、人差し指同士をちょん、と触れ合わせると、静まり返る空気の中で、まるで意を決したように、小さな震えを孕んだ声音で、遠慮がちに問いかけた。


「......も、もしかして......わたし、変なこと言っちゃってました? えっと、その。カミュロさんが契約者である事は使っていた大剣を見た時には確信していて。 それに、他の契約者の存在に会えるなんて嬉しくて。 でも、かといってわたしから聞けるような雰囲気ではなかったので、今その話題に触れて貰えたのが嬉しくて、つい......」


視線は不安定に揺れ、誰かの顔色を探るように宙を彷徨っていた。そしてその仕草のまま、答えのない沈黙に押し潰されるように、ひどく遠慮がちな、怯えを孕んだ声音で、ぽつりと問いかけた。


そんな空気を、ほんの僅かに和らげるように、カミュロはふっと肩の力を抜いて息を吐き、先ほどまで張り詰めていた空気とは異なる、どこか穏やかな、それでいて苦笑を含んだような柔らかな表情を見せた。


「いや......まさか、そんな無防備に、本来は他人に語るべきじゃないような情報を話し出すとは思わなくて少し、驚いただけだ」


その声音には、責め立てるような棘は一切なく、むしろ呆れと戸惑いというより僅かに優しさすら混ざり合っており、そして一拍の間を置いてから、目を細めると、まるで独り言のように「不用心だな」と付け加えるように静かに零した。


その言葉に、セシルははっと目を見開き、次の瞬間、頬を一気に朱に染めて、恥ずかしさをどうにか誤魔化そうとするように首をぶんぶんと振りながら、慌てて手を振った。


「ち、ちがっ、違うんです! 警戒心がないとかじゃなくて、ただ、わたし。別に今の情報を知られたからって何かされるとは思ってなくて......それに、お二人になら、言ってもいいかなって思っただけで、その......!」


言葉を重ねるたびに、自分でも何を言っているのかわからなくなってきたのか、セシルの声は次第に小さくなっていき、やがて今にも視線を落としそうなほどにうつむいてしまいそうな気配すらあった。


その様子を見つめながら、カミュロはそっと視線を落とし、彼女の口にしたその言葉の意味、その裏にある真意をそっと拾い上げるように受け止めようとしながらも再び口をゆっくりと開いた。


「......そうだな。俺と“同じ契約者”だと言っていたな。それについて、一つ修正しておきたいことがある。勘違いされないように言っておくが、俺は別に──」


「えっ!!ちょ、ちょっと!!! 待って!!」


その言葉が最後まで紡がれるよりも早く、まるで空気そのものが切り裂かれたかのように、これまで沈黙を守っていたはずのノエルの甲高い声が室内に鋭く広げながら、その場の雰囲気を一瞬で塗り替えた。


ノエルは、もはや自分でも制御しきれない衝動に背を押されるようにして椅子を引き、勢いそのままに立ち上がると、その反動で無意識のうちに手を突いたテーブルの縁が「ダンッ」と鈍くも鋭い音を立て、その一撃はまるで何か取り返しのつかない真実がこぼれ落ちるのを防ぐかのような、最後の砦を叩く警鐘のように響き渡った。


その動作に込められた異常なまでの切迫感と焦燥は、普段の彼女の振る舞いとは到底結びつかないほどに激しく、それはまさに“これ以上、彼に言わせてはいけない”という、ある種の本能めいた防衛反応に近い衝動に突き動かされていた。


「っ、びっくりした!......ノエルちゃん、ど、どうしたんですか?」


突如として走ったその衝撃に、セシルは反射的に振り返りながら、驚きに目を大きく見開いて言葉を詰まらせ、思考の追いつかぬまま立ち尽くしていた。


同時に、彼女の肩にとまっていた小鳥もセシルの動揺を察したのか、小さく羽を震わせながら「きゅるり」とか細く鳴き声を上げ、何が起きたのか分からないまま、ちょこんと首をかしげるようにして身じろいだ。


一瞬、室内の時が止まったかのような沈黙が流れ、全員の視線が、まるで何かを問い詰めるかのようにノエルへと集まり、その視線の圧力の中、彼女は「えっと......」と僅かに唇を震わせながら声を出しかけるも、その先の言葉は喉の奥で引っかかり、続きは形にならないまま霧散していった。


その口元と僅かに震えている手の様子には、明らかに言葉と感情の間で引き裂かれるような葛藤が浮かんでおり、言うべきか、隠すべきか、進むべきか、引くべきか──あらゆる選択肢が一瞬で脳裏を駆け巡った末の迷いが色濃く滲み出ているようだった。


だが次の瞬間、彼女はまるでその迷いすら吹き飛ばすように音を立てて両手を合わせ、不自然なほど明るい笑みを無理やり口元に貼りつけると、そのまま空気を強引に切り替えるように、明るく朗らかさを装った声を張り上げた。


「そ、そうだ! セシル! お着替えしよ! あのね、さっき私が選んでた服、すごく似合いそうだったし、早く試してもらいたくて待ってたの! ね、ちょうどいいタイミングでしょ? カミュロのお話は............えっと、それはまた今度ゆっくり聞けばいいしっ!」


その唐突な話題転換と妙に早口な言い回しからは、もはや“話を逸らす”というより、“今すぐここから引き離さなければならない”という、ある種の使命感に近い焦燥が透けて見えており、そして何よりも明確だったのは、彼女が決してカミュロの顔を見ようとしないことが何より、この行動の裏にある切実な理由を物語っていた。


「じゃ、ほら。行くよ!!」


ノエルは慌てたように言葉を零しながら、迷いなくセシルのもとへと駆け寄ると、小柄な体躯とは思えないほど機敏な動きでその手をぱっと取り、まるで彼女を“真実”という名の災厄から遠ざけるために必要な力を振り絞るかのように、一気に引いた。


「え?! ちょっと、ノエルちゃん?! 急にそんな──!」


セシルが戸惑いと困惑の入り混じった声を上げる間もなく、ノエルはその手を強く握ったままキッチンの出口へと向かって歩を進めた。


そして、二人が扉の前へとたどり着いたその瞬間、ノエルは躊躇いの一切ない動きで取っ手に手をかけ、まるで外の空気へと逃げ込むように「バンッ」と音を立てて扉を開け放ち、そのまま勢いに任せてセシルを引き連れて部屋の外へと飛び出していった。


「ノエルちゃ──っ」


その抗議の声は、扉が力強く閉ざされる「バタンッ」という重たい音にすべてをかき消され、残された室内には、突如として訪れた深い静寂だけが支配することになり、カミュロの言いかけた言葉も、セシルの呼びかけもその一枚の扉の向こう側へと押しやられ、まるで何事もなかったかのように、空間は沈黙に包まれた。


「......」


そして、一人取り残されたカミュロは、扉の閉まった方角をしばし無言のまま見つめ続けていたが、やがて僅かに眉をひそめると、重たいものを引きずるような息を吐き出した。


「......自分のことを語れないからといって、あそこまで露骨に遮るとはな。随分と強引な真似を」


どこか呆れとも皮肉とも取れるような声音でひとこと零すと、カミュロはそのまま視線をゆっくりと床へと落とし、それきり何も言葉を発することなく、静かな足取りでテーブルの方へと歩を進めていった。


そこには、先程丁寧に用意されたにも関わらず、取り残されてしまった一皿のマドレーヌが、まるで場に取り残された想いの象徴であるかのように、ぽつんと所在なげに置かれており、その皿の存在感は、室内の静けさとあいまってどこかもの悲しげにさえ映った。


カミュロは、その皿にそっと指先を伸ばすと、縁をなぞるようにして持ち上げ、しばらく無言のまま見下ろしていたが、その手元で重みを感じることもなく、ただ皿の冷たさだけが掌に広がっていくような、そんな感覚に包まれていた。


ふとその瞬間、彼の耳に蘇ったのは、先ほどセシルが照れくさそうに、それでいてどこか覚悟を滲ませながら語ったあの言葉──「それに、お二人になら、言ってもいいかなって思っただけで」という、どこか頼りなげで、それでいて真っ直ぐな信頼のこもったあの声だった。


あまりに真っ直ぐなその言葉は、今になってようやく、彼の心のどこか深い部分に届いていたのかもしれない。


無邪気さと信頼が入り混じったその声が、ふと記憶の隙間から零れ落ちるようにして耳元によみがえった瞬間、カミュロの瞳が僅かに細められ、まるで目の前に彼女の姿がまだ残っているかのように、ぼんやりと遠くを見つめる眼差しを浮かべた。


それは、感情が揺れる瞬間をほんの一瞬だけ許したような、柔らかい変化だったが──しかし、彼はすぐにその揺らぎを内側へと引き戻し、何事もなかったかのようにその瞳を伏せると、皿を手にしたままひとつ、静かに踵を返して背を向けた。


そして、流し台の方へと歩み寄りながら、まるで、現実に戻るためのように、何の意味もない作業にかこつけ、淡々と皿を重ねる音を立て始めた。


──まさしく、自分の胸の内に僅かに芽吹きかけた想いの種を、誰にも悟られることのないように、深く心という名の土の奥底へと埋め戻してしまうように。

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