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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第67話. 再び導かれ



――外はすでに完全に夜の帳が深く降り、静まり返った空に浮かぶ月の光が、厚手のカーテンを僅かに透かして、ぼんやりと部屋の中へと射し込んでいた。


息を潜めるようにして耳を澄ませば、窓の向こうに吹くわずかな夜風のそよぎすらも感じ取れそうな静けさの中で、セシルはベッドの上に身体を丸めるように膝を抱え、眠りから覚めたばかりの意識がぼんやりと漂うままに、ゆっくりと上体を起こした。


「ん、あれ......」


その動作の途中で、微かに頭が揺れる感覚に気づいた彼女は、無意識のうちに片手をこめかみに添え、まるで思い出のかけらを探るように、その場所をそっと撫でながら、眠りと覚醒の狭間に立ち尽くしていた。


(......たしか、最初の部屋? いつの間に戻ってきたの?)


目に映る天蓋の形や、淡く漂う空気の匂い、そして窓辺のカーテンがかすかに揺れるその光景のひとつひとつに、セシルは眠気眼ながらもここは、彼女がこの城で初めて目覚めた、あの落ち着いた雰囲気の漂う部屋であると確信していた。


(おかしいな。たしか、わたし......)


しかし、最後に彼女が覚えている情景は、長く続く廊下の途中で、カミュロに待つように言われ、そのまま意識が薄れ、どこか懐かしく温かい羽ばたきと共に、深い眠りの淵へと落ちていったこと。


その曖昧で断片的な記憶しかなく、どうやってこの部屋に戻ってきたのか、その過程についてはまるで霧がかかったように思い出せないままだった。


(もしかして、カミュロさんが、わたしをここまで?)


そんなぼんやりとした推測が頭をよぎるも、それ以上の思考を深めるには、まだ意識がはっきりと取り戻しておらず、瞼の奥には再び眠気が忍び寄っていた。


セシルはそのまま、二度寝をするようにふらりと布団の中へと身を沈め、再びまどろみに身をゆだねようとした――まさに、その瞬間だった。


――コンコン


「わ、わぁっ!? ひゃぁいっ?!」


静寂に溶け込んでいた空間に突如として響いた、扉の外からの控えめなノックの音。


小さく、けれど確かなその音は、あまりに不意を突いていており、セシルは驚きに身体を飛び起こし、慌てて布団の中から身を起こすと、思わず声を上げてしまった。


「ぃ、今、行きますね!!」


乱れた髪を手ぐしでどうにか整えながら、セシルはまだ夢の余韻が残るまま、ふらつく足取りで扉の方へと歩み寄っていった。


扉の向こうにいるのが誰なのか――ノエルだろうか、それとも、やはりカミュロなのだろうか――そんな考えが頭の中を駆け巡る中で、セシルは胸の内に渦巻く戸惑いや不安を、自分自身に言い聞かせるように小さく呟き、コクンと小さく頷いて、そっと扉の取っ手に手を伸ばした。


冷たい金具の感触が指先に伝わった瞬間、現実の輪郭がわずかにくっきりと浮かび上がる。その感触に軽く息を吸い込んだちょうどその時――


「クルル!」


「......へ?」


扉を半分ほど開けたところで、セシルの目に飛び込んできたのは、まるで今か今かと彼女の登場を待ちわびていたかのように、ちょこんと座り込んでいる一羽の大きな鳥の姿だった。


その全身は、夜の帳すら吸い込んでしまいそうなほどに深く、漆黒の羽毛で覆われており、僅かな月明かりを受けてきらりと艶めくその瞳は、まるで冷たいガラス玉のように美しく、どこか異質で、幻想めいた存在感を放っていた。


「えっ、あなた!」


その姿――そう、それは、確かに見覚えがあった。街で意識を失った直後、気づけば身を置いていた、あの現実と夢の境界が曖昧になった不思議な空間。


その中で静かに紅茶を差し出してくれたエリスの傍らに、まるで彼女の影のように寄り添っていた、あの黒い鳥とまったく同じ姿だった。


バタンッ!


「......あっ、閉めちゃった......いやいやいやいや、ちょっと待って!」


意味もわからず条件反射のように、扉を閉めてしまった自分の行動に困惑しながら、セシルはその場にへたり込みそうになるのを必死に堪え、額に手を当てながら、混乱した頭の中で言葉を探した。


「今のって......あの鳥さん、エリスさんの? いやいや、あんなに大きくて珍しい鳥さんを見間違えるはずないもんね」


記憶と現実が入り混じり、脳裏に疑問が次々と浮かび上がっていたが、それに答える明確な手がかりはなく、思考だけが空回りし続けていた。


冷静になろうとすればするほど、背筋を撫でるようにぞわりとした寒気が広がっていくのを感じながら、セシルは静かに目を閉じ、息をひとつ吐いた。


「......ということは、ここ......まさか、また夢の中? いや、やっぱり、現実?」


――コンコン


「クルッル~」


再び響いたノックの音。いや、今度はまるで鳥自身が扉の前で小さく羽ばたき、控えめな音を立てているかのようだった。


その不思議な音にセシルの心臓は再び跳ねたが、先程よりも確かな存在感を前にして、もはや無視することもできず、彼女は扉に背を向けていた体をそっと回し、ゆっくりと正面に向き直った。


「と、とにかく。せっかくあの鳥さんが来てくれたんだし、とりあえず行ってみるか.....よしっ!」


自分を奮い立たせるようにそう言葉を出すも、セシルの動きはまるで忍び足のように慎重で、扉の取っ手を握る指先にはかすかな震えが残っていた。


それでも、呼吸を整えるように小さく息を吐き、意を決して扉をゆっくりと開け放つと――そこには、やはり先程と変わらぬ場所に「クル~♪」とどこか機嫌よさそうに鳴きながら、体を左右にゆるやかに揺らす黒い鳥の姿があった。


「えっと......こんばんは。で、あってるかな?」


恐るおそる投げかけたセシルの言葉に対し、その鳥はまるで意味を理解しているかのように、首を小さく上下に振り、「クルッル」と柔らかく鳴いており、その仕草のあまりの自然さに、セシルは思わず目を瞬かせ、口をつぐんでしまった。


(......やっぱり、何度見ても都合の良い夢や幻影なんかじゃないというのはわかっているんだよね。 でも、これを“現実”って断言できるほどには、まだ感覚がついてきてないな)


そんな曖昧な境界の中で、セシルはもう一度その鳥の姿をしっかりと見つめると、まるで彼女の迷いを振り払うかのように、鳥はふわりと片方の翼を広げて空気をすくい、ひとつ羽ばたいた。


その後、迷いの欠片もない堂々とした足取りで、背を向けたまま「のしり、のしり」と音を立てながら歩き出していったのだった。


「あれっ。行っちゃうの?! わたしのこと、あんなに呼んでいたのに!!」


思わず口をついて出たその声は、自分でも気づかぬうちに感情が滲んでいて、どこか置いて行かれるような不安と焦りが混ざり合った、心細い叫びのようなものだった。


けれど、その背中を追いかけようと足を踏み出した瞬間、セシルの胸の奥深くから、微かに知っているような――まるで夢の中で何度も歩いたことのある風景に踏み込むような、不思議な既視感がふわりと浮かび上がり、思わず彼女の心をそっと揺らした。


(うーん、少し歩いただけで、ここが現実か夢かくらい見分けられたら一番良いんだけどね......)


そう胸の内で問いかけながら、セシルは先を行く大きな鳥の姿に自然と目を奪われていた。


当の大きな鳥は、まるでご機嫌な鼻歌でも口ずさんでいるかのように、軽快かつリズミカルな足取りで廊下を進み、その一歩一歩が不思議なほど心地よく、どこか音楽のようなリズムを持って響いていた。


(ふふっ、この子。前と同じように楽しそうに歩いてるな。もしかして、またエリスさんの所に案内してくれてるのかな?)


現実か夢かさえも曖昧なこの場所で、自分が今置かれている状況の正体すら掴めないままだったけれど、それでも鳥の後ろ姿を眺めながら、セシルの胸が自然と温かくなるのを感じていた。


「実はね、ここ最近、鳥さんに好かれている気がするんだよね~」


ふと漏らしたその言葉には、ほんの少し前、廊下で眠りに落ちる直前に、ひょっこりと現れたあの愛くるしい小鳥の記憶が重なっていた。


小さな体でちょこんと佇み、セシルの近くに寄り添ってくれたあのときの温もりを思い出しながら、彼女はまるでその記憶をなぞるように、目の前を歩く大きな鳥に向かって、そっと語りかけるように話しかけた。


「クルッル!!!」


するとその声が、確かに届いたかのように、大きな鳥はと鋭く澄んだ鳴き声を響かせ、ぴたりとその場に立ち止まった。


そして次の瞬間、ゆっくりと身体の向きをセシルの方へと返し、その瞳にじっと彼女の姿を映しながら、力強く翼を大きく広げたかと思うと、ばさばさと音を立ててその羽根を上下に揺らし始めた。


まるで何かを伝えようと、いや、訴えかけようとするかのように、その仕草は、言葉ではなく身振りで感情を表すダンスのようでもあり、切実な想いが羽ばたきの中に滲んでいるようにも見えた。


「えっ......と?」


セシルは突然の動きに戸惑いながらも、真剣な眼差しで鳥の一挙一動を見つめ続けた。


だが、いくら観察しても、その羽ばたきに込められた意味を完全に読み取ることはできず、やがて彼女はそっと視線を伏せ、小さなため息を漏らしながら、申し訳なさそうな声音でぽつりと呟いた。


「その、ごめんね。あなたが、何かすごく大事なことを伝えようとしてくれてるのは、......ちゃんと分かってるつもりだけど。わたしには、それが具体的に何なのかがどうしても分からなくて......」


「......」


その言葉を耳にした途端、懸命に羽を動かしていた鳥の動きがぴたりと止まり、まるで落胆の気配をそのまま表すかのように肩をがくりと落とし、小さく体を縮めてしまった。


そして、そのまま何も言わず、大きな鳥は静かに背を向けると、今度はトコトコと小さな足音だけを残して、廊下の奥へと去っていこうとした。


「あっ、ちょっとッ!!」


取り残されることへの不安と、伝えられなかった後悔が一気に押し寄せたセシルは、思わず声を上げると同時に、さっきよりもずっと速い足取りで鳥の後を懸命に追いかけた。


数秒後には無事にその背中に並ぶ位置まで追いついたものの、セシルの胸の内には、言葉では言い尽くせないもどかしさと、申し訳なさ、そして何よりも自分の無力さに対する悔しさが、じわじわとこみ上げてきていた。


(はぁぁぁ......この子の言葉が理解できたら、もっとちゃんとお話できたのにな)


唇をきゅっと噛みしめ、額にかかっていた髪を片手でかき上げながら歩くセシルの近くでは、大きな鳥もまた先程までの生き生きとした様子をすっかり失い、今はただ静かに、どこかしょんぼりとした雰囲気を纏いながら、セシルより少し早い歩調で廊下を進んでいた。


その背中を見つめるたび、セシルは、今どんな状況に立たされているのかという疑念より、大きく押し寄せる自責の念に胸を締めつけられながら、それでもただただ、沈黙の中を導かれるように、その後ろ姿に寄り添って歩き続けることしかできなかったのだった。

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