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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第56話. 序章に過ぎない



――やがて、色とりどりの声と熱気に満ちた屋台の喧騒を背に、セシルが緩やかに足を進めていくと、次第に通りの雰囲気が落ち着きを見せはじめ、賑わいの中心から外れたその先には、まるで別の時間が流れているかのような、整然とした街並みが広がっていた。


両脇に立ち並ぶのは、丁寧に積み上げられた石造りの壁や、木目の美しさを活かした温もりある木造の家々。


白く塗られた壁面は午後の陽光を柔らかく反射させ、赤い屋根瓦はまるで深く呼吸するかのように空の青に映え、その光景全体がひとつの穏やかな風景画のように、彼女の目の前に静かに広がっていた。


(風が気持ちいい......さっきの場所とはずいぶん雰囲気が違う。肩の力が抜けるような空間だな)


通りを行き交う人々もまた、先程の貴族たちとは異なり、どこか肩の力が抜けたような自然な佇まいで、子どもと笑い合う母親、店先で軽口を交わす商人と客など、そこには飾らぬ日常が息づいていた。


風に揺れる布製の幟が軒先にささやかな彩りを添え、路地からは焼き菓子や熟れた果実の甘やかな香りがふんわりと漂い、ほんの一瞬、セシルの心に過去の記憶を呼び起こす懐かしさを運んできていた。


だが、それでもこの場所は彼女が過ごしていた場所とはどこか違っており、街並みの輪郭は似ていても、そこに流れる空気には、時の積み重ねによって洗練された静けさや、他者に気を配ることで磨かれたような落ち着きがあった。


(今のところ、目立った異変は見当たらない......かな)


セシルはそう心中でひと息つくように呟くと、さりげない仕草で周囲の建物や人々の装いへと視線を滑らせ、目に映るあらゆる情報を意識の中で丁寧に拾い上げていった。


最初は警戒で強ばっていた表情も、風景と共鳴するように徐々にやわらぎ、知らぬ間に歩調も落ち着いたものへと変わっていた。


(そういえば、クロノスさんが言ってた“今の王が怪しい”って話が本当だったらどうしようかな。いきなり聞き込みなんてしたら、それこそわたしの方が怪しまれちゃうし......)


そんな風に思案を巡らせながら、セシルは視線を街の細部へと向けていた。


陽気な声をあげて笑う子どもが通行人に何かを勧めており、すれ違う大人たちの表情にもどこか余裕があり、忙しそうな足取りの中にも、日常を大切にするような優しい気配が漂っていた。


しかし、どれほど風景が穏やかであっても、彼女の胸の奥には、まるで肌に触れた冷気のように拭えない違和感が、静かに張りついていた。


街角に響くざわめきの中に、ふと耳を澄ませば、そこには確かに微かで冷たい“何か”が混じっており、その気配は言葉にはならぬまま、見えない糸のようにセシルの背中をじわじわと引いていた。


(......どれだけ平和そうに見える場所でも精霊とつながりがあるなら、油断はできない。ちゃんと気を引き締めておかないと、だね)


そう静かに決意を新たにすると、彼女は再び足を踏み出し、人通りの多い広場を抜け、喧噪から離れた住宅街の方角へと進んでいった。


石と木で築かれた落ち着いた印象の家々が並ぶその一帯では、人通りもまばらになり、喧騒の名残は、いつの間にか静けさの中に吸い込まれていた。


(よしっ!とにかく、王に関して調べる方法は後で考えるとして、今はもう少し歩いてみて、何か違和感がないか確かめてみよう!)


そして、ふとした瞬間、視界の端に映り込んだある一角に、セシルの足がぴたりと止まった。


何気ない町並みのなかにぽつりと佇むその場所は、周囲の建物に囲まれながらも、そこだけが時間の流れから切り離されたかのように静謐で、まるで意図的に隠されていたかのような、不思議な隔たりを纏っていた。


「......庭園?」


そこには、煉瓦で作られた低い門柱と、漆黒に輝く鉄製の門扉が据えられており、その存在は周囲の景観からまるで切り離されたかのように異質でありながら、同時にどこか整然とした美しさを備えていた。


扉には蔦や草花を模した優美な文様が施され、その奥には、丹念に手入れされた鉄柵が、まるで柔らかな腕で包み込むかのように敷地全体を囲んでいた。


「わぁ......綺麗。こんな遠くからでも、ちゃんと手入れされてるのがわかる......」


完全に閉ざされている印象は不思議と薄く、むしろ外からでも自然とその内側の様子が目に飛び込んでくるほどに、その庭はどこか柔らかく開かれていた。


柵越しに広がる庭園は、まるで現実の断片をそっと切り取って、幻想のなかに再構築したような、精緻でいて夢幻的な景色であり、風に揺れる木々の葉は深みのある緑に輝き、その根元には、季節も種類も異なるはずの花々が違和感なく共存し、それぞれが瑞々しい色彩をまとって静かに咲き誇っていた。


「......すごい。ここって、潮風が届くはずなのに。あんな繊細そうな花が、こんなにも瑞々しいなんて――」


思わずこぼれたその言葉には、驚きと感嘆、そしてそれらを押し殺しきれぬ心のざわめきが織り混ざっており、気づけば彼女の足は無意識のうちに門扉の前まで進んでおり、その視線は庭のさらに奥、柔らかな陽の差す茂みの向こうへと引き寄せられていた。だが、その瞬間。


ドクン。


「......ッ、ぅ......!」


まるで心臓を内側から鋭利な杭で突き上げられたかのような衝撃が、容赦なくセシルの身体を貫くと、次の瞬間には焼けつくような熱が背骨の内側を奔り抜け、しびれるような痛みが神経を通じて右腕の奥から波紋のように広がっていた。


「ぐっ......あ、熱っ......!」


思わず呼吸が詰まり、肺は空気をうまく取り込めず、喉奥ではかすれた呼気がせわしなく擦れる音だけを残すと、そのまま膝から崩れ落ちるように地面に手をついたセシルの意識は、もはや周囲の視線や物音などすべてを振り払い、その身に宿る奇妙な疼きだけに焦点を絞っていた。



右腕の二の腕――そこに刻まれた青白く輝く、龍の鱗にも似た花模様の異形の刻印。その模様が、今まさに意思をもって脈動していることを、彼女は視線を落とさずとも明確に感じ取っていた。


それはただの痣や傷跡ではなく、彼女が目覚めた時にはすでにその肌に宿っていた、得体の知れぬ力の証であり、彼女の内に秘められた“何か”の存在を確実に示す刻印だった。



以前、その模様が疼いた際、クロノスの力を注がれることで、模様は一時的に青白さから紫がかった色へと変化し、痛みは沈静化した。


しかし今、全身を打ちのめすようなこの脈動は、かつて経験したそれをはるかに凌駕しており、まるで、何かが彼女という存在に気づき、眠る力を呼び起こそうとしているような。そんな、外部からの意志すら感じさせる、明確で激しい干渉だった。


「ッ、ぅぅ......っ」


歯を食いしばり、痛みに震える右腕を必死に抱え込みながら、痛みに逆らうようにして深く息を吸い込みながら、その意識の奥で微細な違和感が、まるで声のように形を持ち始めていた。


(......いる。この近くに......歪んだ力を放っている人が。しかも......これは、偶発的なものじゃない。意図的に――誰かが使ってる......!!)


脳裏にその確信が閃光のように焼きついた時、セシルの視線は鋭く細められ、なんとか熱のこもった顔を上げながら一点へと導かれた。


「......まさか、この庭園から......?」


目の前に広がる静謐と美しさに満ちた庭園。その奥に、はっきりとした証拠があるわけではないが、直感に近い感覚で、そこに“何か”が潜んでいると彼女は感じていた。


低く漏れたその呟きには、もはや驚きの色は薄く、代わりに研ぎ澄まされた警戒と緊張が濃く滲んでおり、右腕に奔る痛みはいまだ治まらず、それでもセシルは、逃げるどころか、その先へ進む決意を瞳に宿していた。


(......確証はない。でも、この庭に近づいた瞬間に反応したってことは――確かめるべきよ)


そう心の奥底で呟いた彼女は、まだ熱を帯びる身体をなんとか支えながら、目の前に佇む重厚な金属の扉へと、震える指先をそっと伸ばした。


冷たく硬い金属の質感が指に触れた瞬間、冷気が静かに彼女の肌を撫でたかと思うと、きぃ。という軋みと共に、扉は重たげにわずかに開いた。


(はぁ、ふぅ......大丈夫。こんなにも早く目的の人物に辿り着けたのなら――むしろ、運がいいと思えばいい)


そう自分に言い聞かせるように、セシルは心の奥底でそっと呟いていだがその言葉が彼女の不安を完全に拭い去ってくれることはなく、むしろ、張りつめた心の表面に薄くひびが入るような感覚だけが残った。


その瞬間、痛みによって滲み出た汗がこめかみから顎へと細く伝い落ち、セシルはそれを反射的に手の甲で拭った。


「顔......あつ。でも、ある意味チャンスなのよ、わたし。絶対に、行かないと......」


触れた額の肌は、乾ききらない汗のぬめりと、微熱に浮かされたような脈動を帯びており、その感触がまるで、現実という名の重荷を指先に直接刻みつけるように、生々しく彼女の感覚を揺さぶっていた。


それでも尚、彼女はひとつ深く呼吸をしようと、肺の奥底まで空気を吸い込もうと試みたが、その空気は、まるで煮え立つ鍋から立ちのぼる蒸気のように熱を帯びており、喉の奥から胸の中央へと、じりじりと焼きつくような感覚が這い上がってきた。


それでも――と、まるで言葉を噛みしめるようにして、自らの意志を奮い立たせるように、セシルはそっと一歩を踏み出そうとしたその時だった。


「入らないんですか?。」


耳元にふっと吹き込まれたような声が、唐突に、背後から落ちてきた。まるで数センチ先に誰かが立っているかのような、妙に近く、そして異様なまでに柔らかな声だった。


「だ、れ......!」


反射的にセシルの肩が跳ね上がり、踏み出しかけた足が地を止まり、心臓が大きく脈打つと、全神経が瞬時に警戒へと切り替わり、わずかな動作で首を回して背後を窺おうとしたその視線の先には――純白のマントを纏い、まるで雪の中から切り出された彫像のように、冷たく、そして静謐な雰囲気をまとった男性が立っていた。


深く被られたフードの奥からは、いくつかの束に分かれた前髪が左右に流れ落ち、長く伸びた後ろ髪もまた風にそよぐように柔らかく揺れており、額の中央には整った分け目が覗き、その顔立ちは中性的でありながら、ただ一つ、穏やかに細められた瞳だけが、異様な存在感を放っていた。


「ふふっ、驚かせてしまいましたね。わたくし、そちらの庭園で書を広げるひとときがとても好きでして。もしご迷惑でなければ、ご一緒にいかがでしょうか?。」


そう声をかけてきた男の左腕には、見るからに分厚く、そして年月の重みを感じさせる古びた一冊の書物が抱えられており、表紙には見慣れぬ文様が細やかに刻まれ、背には色とりどりの栞がいくつも挟まれている。


そうした外見のひとつひとつが、彼がただの旅人でもなければ、読書家というだけの存在でもないことを物語っていた。


「......いえ、わたしは――」


突然の誘いにセシルは、何か返さねばという焦りにも似た思いと、正体の知れぬ相手に対する警戒心とが入り混じり、言葉を選ぶ余裕もなく、その場しのぎのような曖昧な声色で、かろうじて口を開いた。


そして、ゆっくりと体の向きを変え、正面からその男を見据えたとき、胸の奥で微かに鳴っていた警鐘は、冷たく硬質な不穏さを帯びて、次第に激しさを増していった。


(......な、何。アキラさんや船で会ったあの人とは、雰囲気が......全然違う......)


「おや。もしかして、熱でもあるんですか?随分と、お辛そうに見えますけど。」


セシルが警戒の眼差しを向けているにも関わらず、男はまるでその視線を受け流すように、むしろ心配している風な口調でそう言いながら、音も立てずに一歩、また一歩と近づいてきた。


その足取りは穏やかだったが、確実に彼女の間合いへと侵入してくるその様子には、どこか言い知れぬ違和感があった。自然なはずの動きが、なぜか不自然に映る、そんな感覚。


(......なんだろう、今すぐここから離れなきゃいけないような。背中がざわつく。何、この気持ち......)


やがて男は、顎に軽く手を添え、まるで親しみを込めるようにセシルの顔を覗き込みながら、ふわりと片手を持ち上げ、指先を彼女の頬へと向けてきた。


「ッ......!」


次の瞬間、ぱしんっと乾いた音が空気を裂いた。セシルの手が、反射的にその伸ばされた男の指先をはたき落としていた。


そこには、彼女自身も気づかぬほど鋭く明確な拒絶の意志が宿っており、その動きには一切の迷いがなかった。


「......っ、あ、ご、ごめんなさい......。もう、行きますから......」


無意識のうちに相手の手をはたき落としたという事実に、自分でも驚きを隠しきれないまま、セシルは頬の奥にじんわりと残る微かな熱と、胸の奥に燻るような不安とを抱えながら、男の横をすり抜けるようにして、その場を離れようと足を踏み出した。


(......な、なんなの、今の人。言葉にはできないけど。絶対に、関わっちゃいけない......そんな――)


頭では理由の輪郭すら掴めないのに、心の奥では確かに赤い警鐘が鳴り響いているような感覚だけが強く残っており、その場にもう一瞬でも留まってはいけないという直感に突き動かされるままに、セシルは足取りも覚束おぼつかないまま、地を這うようにしてとにかく前へと身体を進めていた。


背中に突き刺さるような、静かでありながら異様な重さを孕んだ視線の気配を、ひしひしと感じながらも、セシルはその正体を確かめる勇気など持てるはずもなく、ただ一度も振り返ることなく、息を殺すようにして、その場から逃げ出すように歩き続けた。



________________________________________ 



「うーん......振られてしまいましたね。」


誰もいなくなり静まり返った庭園の扉の前に立ち尽くしながら、男はセシルに振り払われた自らの手元にそっと視線を落とすと、落胆とも苛立ちともつかない、奇妙に温度を欠いた声音で、まるで独り言のように、ぼやくように呟いた。


その手のひらに刻まれた温もりは既に消え失せていたが、彼の目はどこか愉しげな光を秘めており、次の瞬間、男はまるで軽業でも披露するかのように、手にしていた分厚く古びた書物をふわりと宙へと放り上げた。


「実に、残念なことです。」


そんな言葉と共に、空中を漂うように舞ったその本は、ほんの刹那、重力を拒むかのように宙に浮かんだその本は、やがて細かな光の粒となって弾け、風に溶けるように掻き消えた。


「......やはり、声をかけるには少々時期尚早でしたか。もう数歩、あの子自身に奥へと足を踏み入れさせてからでも、遅くはなかったかもしれませんね。」


その口調にこそ柔らかさが滲んでいたものの、そこに込められていたのは感情の揺れではなく、むしろ狙いを外した狩人が獲物の逃げ道を冷静に観察し直すような、緻密で静かな観察者の気配に満ちており、言葉の端々に漂うのは後悔ではなく、次の機会を見据えた確信だった。


「あらあら、扉も開けたままになんてしちゃって......。」


男はそのまま、セシルが乱雑に開けたままにしていった庭園の扉へと静かに歩み寄ると、傷つけぬように古書をなぞる指先のような繊細な手付きで、両手を扉に添え、その重みを受け止めるようにして、ゆっくりとそれを閉じていった。


きぃ。と、湿気を含んだ鈍く低い金属音が空気の層を震わせるように響いたその瞬間、男はふとその場で足を止め、感情の色をほとんど消した静かな瞳を、しかしどこかで未来を見据えたような含みを孕ませながら、セシルが去っていった方角へと静かに投げかけた。


「......まあ、構いませんよ。まだこれは、物語の序章。ようやく最初のページが捲られたばかりですからね。栞を挟む機会など、これからいくらでも訪れます。」


そう呟いた男は、ひとつ小さく笑みを浮かべると、まるで読みかけの本を棚に戻すような、肩の力の抜けた口調で言葉を締めくくり、すっと踵を返して、人の気配が戻りつつある街の方へと、何事もなかったかのように歩き出した。


その足取りは、喧騒の隙間を縫って通り抜ける風のように滑らかだった。誰にも存在を気取らせることのないまま、男の姿は人々のざわめきの中へと溶けていき、やがて最初からそこに存在しなかったかのように、完全にその場から姿を消していた。

改めて読んだときに、あまりにも台詞が少なくてつまらないな。と感じてしまったので、無理やり感が出ない程度に足してみました!!

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