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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第51話. 不信募る存在



――やがて、場面はクロノスから提案を受けた数日後、馬車に乗り込む前夜へと移り変わっていた。


「着替えよし、外貨両替したお金もよし...っと」


静かな部屋の中で、セシルは腰の後ろにかけるように装備した、大きめの圧縮型ウェストバッグの中身を、指差し確認しながら一つ一つ確かめていた。


旅支度も大詰めとなり、緊張感と僅かな高揚感が入り混じった表情を浮かべる彼女の様子からは、明日からの出来事に対する期待と不安の両方が感じられた。


そんな中、不意に「こんこん」と軽やかな音が扉越しに響き、それに続くように、何やらひそひそと小さな話し声が聞こえてきた。


扉の外で誰かが言い争っているような、あるいは、躊躇いながら相談しているような、そんな空気が伝わってくる。


「はーい!入ってきていいよ!」


不思議に思いながらも、セシルは手を止めて扉の方へと視線を向けると、彼女の声に応じるように「ガチャ」と控えめな音が鳴り、少しだけ開いた扉の隙間から、ひょこりと一人の少年の頭が顔を覗かせた。


どこか照れくさそうな様子で、セシルを見上げるその視線の主は――ルカだった。


「あら、ルカくん。どうかしたの?」


彼のもじもじとした挙動に首をかしげつつ、セシルはゆっくりと立ち上がり、膝を折るようにしてルカの目線まで身をかがめ、表情をやわらげながら、優しくその瞳を覗き込んだ。


すると、開いた扉の奥から、やや苛立ったような女の子の声が飛んできた。


「ちょっと、ルカ。そんなとこで突っ立ってないで、さっさと入んなさいよ」


その声の主は、ルカの背中を後押しするように現れた女の子――ブリギッタだった。


セシルは二人のやりとりに思わず笑みを浮かべながら、代わりに扉を大きく開き、彼らを部屋の中へと迎え入れた。


よく見ると、ブリギッタの腕には大きめの紙袋が抱えられており、ルカの小さな手にも、丁寧にラッピングされた箱のようなものが握られており、その意外な光景に、セシルはさらに首を傾げる。


そんなセシルの反応を横目に、ブリギッタは照れ隠しのように咳払いを一つし、ルカの頭を肘で小突くと、抱えていた紙袋を片手で丁寧に支えながら、まるで自分が代表するかのように前に一歩出てきた。


「すみません、セシルさん。お忙しいところ、少しだけお時間いただけますか?」


「うぅん、全然気にしないで。それで、何かあったの?」


セシルは軽く手を振りながら、気遣うような笑みを浮かべ、ブリギッタとルカに向けて視線をやさしく投げかけた。その声色からは、彼らの訪問を心から歓迎している様子が滲み出ていた。


ブリギッタは、緊張気味に所在なさげな足取りをしているルカにちらりと一瞥をくれると、意を決したように腕に抱えていたやや大きめの紙袋を、そっと丁寧に片手で差し出してきた。


「こちら、セシルさんに、私からのささやかな気持ちです。よろしければ、受け取ってください」


「そ、そんな!ウィップソードまで正式に頂いたのに......わざわざありがとう!」


セシルは驚きと恐縮の入り混じった声を漏らしながらも、ブリギッタの差し出す紙袋を両手でそっと受け取り、しばらく手の中の紙袋の重みを感じたあと、セシルは思い切って袋の中に手を差し入れてみた。


指先に触れたのは、ふわりと柔らかく温もりを含んだ布の感触を覚え、カサッという微かな紙の音と共に取り出したその品を目にした瞬間、セシルの瞳がぱっと輝きを増した。


「わぁ......かわいい......」


その一言には、思わず漏れ出た素直な感動が込められていた。彼女の手には、落ち着いた深い緑を基調に、胸元には清らかな白いリボンが優しく結ばれた、上品で可愛らしい服が丁寧に畳まれていた。


服を手にしたまま、セシルはきらきらとした目を輝かせながら、ゆっくりとブリギッタの方へ視線を向けると、そこには、視線を逸らし気味に、指先で自分の髪をくるくると弄びながら、どこか照れたような表情を浮かべるブリギッタの姿があった。


その仕草があまりにも愛らしくて、セシルは何も言わずにふわりと近づくと、そのまま彼女を包み込むようにぎゅーと優しく抱きしめていた。


「本当にありがとう、ブリギッタちゃん。こんなに可愛い服、明日さっそく着てみるね」


「......気に入っていただけたなら、嬉しいです」


突然の抱擁に一瞬驚いた様子を見せたブリギッタだったが、すぐにその腕の中の温もりに安心したように、穏やかな笑みを浮かべて応じた。


そんな二人のやりとりを横目に、もじもじとその場で揺れていたルカは、まるで「自分だって!」と言いたげに、小さくガッツポーズを作ると、思い切ってセシルの服の裾を軽く引っぱった。


「ん~、なぁに?」


セシルはルカの小さな仕草に気づき、そっとブリギッタから体を離すと、しゃがんでルカと視線を合わせた。


すると、ルカはやや照れくさそうにしながらも、丁寧にラッピングされた小箱をセシルに差し出してきた。


「ルカくんからも?......ふふっ、ありがとうね」


セシルは優しく微笑みながら箱を受け取る。その直後、ブリギッタが小声でくすりと笑い、セシルの耳元にそっと囁いた。


「それ、ルカがほぼ一人で作ったものですよ。でも安心してください。実用性と耐久性は私が保証しますので」


中身の見当がまったくつかなかったこともあり、「うん?」と、思わず小さな声を漏らして箱を見つめていたセシルだったが、ふと視線を横にやると、ルカが両腕を広げて、まるで「自分にもぎゅーしてほしい」とでも言うように、少し照れながらも期待に満ちた目でこちらを見つめていた。


その様子にセシルは思わず頬を緩め、小さく笑みを浮かべながら、手に持っていた箱と、ブリギッタから受け取った服の入った紙袋を、崩れないよう丁寧に傍らへとそっと置くと、そのまま優しくルカを抱きしめた。


まだ幼いその小さな体は思っていたよりも細く、けれどしっかりとした温かさがあって、セシルは自然と目を閉じながら、その鼓動に耳を傾けるように、ゆっくりとぎゅっと抱きしめる力を込めた。


(なんだか安心するな......)


そんな想いが交錯する中、何か感謝の言葉を返そうと口を開きかけたその瞬間、彼女の頭上から、どこか軽やかで、それでいて少し呆れたような声が降ってきた。


「まさか、揃いも揃って同じ事考えているとは」


呆れとも苦笑ともつかない柔らかな声が静かに響いた瞬間、セシルたち三人は一斉にその声の主がいる方へと顔を向けた。


すると、そこには、扉にもたれかかるようにして立ち、腕を組みながらこちらを見つめているクロノスの姿があった。


「あっ、クロノスさん。こんばんは」


セシルは彼の登場に驚きつつも控えめに手を振り挨拶をしていた一方で、クロノスの存在に気づいたブリギッタとルカは、互いに視線を交わし合い、まるで事前に打ち合わせをしていたかのように息の合った動きで親指を立て、合図のように送り合うと、ブリギッタがゆっくりと口を開いた。


「ほら、ルカ。お邪魔になる前に戻りましょうか」


「うん!」


ルカは小さくそう返しながらセシルに向けて軽く手を伸ばし、元気よくハイタッチを交わした。


そしてその勢いのまま、二人は扉の前で立っているクロノスの横を、まるで風のように軽やかに通り過ぎていった。


あまりにも素早く立ち去った二人の様子に、セシルは一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに口元に柔らかな笑みを湛えると、膝を伸ばして立ち上がり、先ほど受け取ったプレゼントの入った紙袋と小箱を丁寧に拾い上げた。


「二人から貰ったんだな」


そんなセシルを見ていたクロノスはセシルの手元にある物へと目線を落としながら静かに言うと、セシルは微笑みながらその問いにうなずき、少しだけ頬を赤らめた。


「はい。何も用意していなかったわたしが、ちょっと恥ずかしいくらいですよ」


そう言いながら、セシルはルカから手渡された箱にそっと手を伸ばし、リボンを丁寧に解き、ラッピングの端を破らぬように器用な指先で慎重に剥がしていき、そして、やがて中身が姿を現した瞬間、セシルの口から自然と小さな声が漏れた。


「あっ...短剣...」


中に入っていたのは、革のカバーに収められた、彼女の手にちょうど合うサイズの美しく仕上げられた短剣だった。


革のカバーにはシンプルながらも繊細で可愛らしい星模様が施されており、手に取るだけでその丁寧な作り込みが伝わってくる。


セシルはしばらく見つめたのち、息を吐くようにして微笑んだが、その目に浮かぶ光は、どこか遠い過去の景色を映しているようだった。


それを感じ取ったのか、クロノスの瞳にもわずかに陰が差し、ぽつりと小さく呟いた。


「......今、どっかの誰かのこと、ぎったか?」


その問いに、セシルは一瞬だけ動きを止め、そして短く息を吸い込むと、静かに視線をクロノスに向けた。


「どこの誰の事でしょうね...」


言葉こそ曖昧にしていたが、その目に映る想いは明確で、互いに言わずとも分かっている事実が、会話の余白に静かに滲んでいた。


セシルは、短剣を再び箱に戻し、紙袋に入った服と共に自分のそばに置いていた鞄の隣にそれを優しく置いた。


そして、そのまま体の向きを変え、わざわざここまで来たクロノスの真意を尋ねるべく、腕を体の前で軽く組みながら口を開いた。


「あの、先程『揃いも揃って同じ事考えている』って、言ってましたけど?」


彼はその問いにそっと横を向き、扉にもたれていた体を離すと、片手でどこか気恥ずかしさを誤魔化すように無造作に頭を掻いた。


そして、僅かな沈黙のあと、クロノスは懐から縦長の白い紙袋を取り出した。どこに隠していたのかもわからないそれを、ほんの少しだけ躊躇いながらも、セシルへと差し出した。


「えっ......もしかして、クロノスさんも!」


その瞬間、セシルの瞳がぱっと輝きを増し、手をぱちんと打ち合わせると、嬉しそうに小さく跳ねながら、まるで今にもスキップし出しそうな勢いで一歩を踏み出した。


けれど、次の瞬間、何かを思い出したかのようにぴたりと足を止めると、慌てた様子でしゃがみ込み、自分の鞄を開くと、そこから黒い紙袋を丁寧に取り出した。


顔をほんのりと赤らめながらセシルは立ち上がり、クロノスへと向き直ると、まるで彼の動きに合わせるように一歩踏み出し、「はいっ」と明るく声を添えて、彼の差し出した袋と交換するように自分の紙袋を差し出した。


突然、手に大きめの袋を持たされたクロノスは、思わず目を瞬かせながら、それをまじまじと見つめ、やや困惑したように尋ねた。


「これ、は...?」


その問いに答えるように、セシルは自分の胸元に受け取った紙袋を抱えるように持ち、嬉しそうに微笑むと、驚いた様子のクロノスを見つめながら、まるで自分の中の小さな思いを包み隠さず伝えるように、優しい声で言った。


「えっへへ。余計なお世話かもしれませんが、クロノスさんにも、一歩踏み出してほしくてですね」


その言葉には、彼に対する敬意と優しさ、そしてどこか寄り添うような祈りが込められており、クロノスは、その真っ直ぐな想いを受け止めるように、ゆっくりと袋の中を覗き込むと、中から現れたのは、黒を基調とした重厚感のある素材で仕立てられた一着の服だった。


それは、これまで彼が身に纏ってきたような、どこか格式ばった貴族風の装いとは異なり、どこか軽やかで、それでいて静かな強さを感じさせる服だった。


セシルの中には、長らく変わることなく身に着けている彼の服が、何か過去に囚われた象徴のように感じられていたからこそ、願いを込めて「今の自分とは少しだけ違う、新しい何かに手を伸ばしてほしい」という気持ちが、この服には宿っていた。


クロノスがその服を手にしたまま、言葉を失ったように固まっていると、セシルは少し緊張した面持ちで、クロノスの顔色を伺いながら、彼から受け取った白い紙袋を開け、そっと中を覗き込んでいた。


すると、袋から現れたのは、丁寧にビニールに包まれた一対の黒い手袋だった。布地は薄手で柔らかく、その表面には繊細なレースの装飾が縁を彩るようにあしらわれており、どこか儚げで、それでいて品のある美しさが漂っていた。


「っ、きれい......」


その小さな呟きに、クロノスはハッと我に返ったようにセシルを見つめ、次第に表情をやわらげながら語り始めた。


「セシルは、ずっと手足に包帯を巻いているだろ。きっと、傷を隠すためなんだろうが......それだけじゃない気がしてな。もしそうなら、こういうもののほうが、お前の手にもちゃんと似合うと思ったんだ」


その言葉は、どこまでも静かで、けれど確かな優しさを帯びていた。セシルはその声に応えるように、手袋を両手で大事に抱きながら、顔をぱっと明るくしてクロノスに満面の笑みを向けた。


「......ありがとうございます。とても、嬉しいです」


その笑顔はまるで、曇りのない空のようだった。クロノスもまた、セシルから受け取った服に視線を落とし、心なしか表情をほころばせると、ぽつりと呟いた。


「あぁ......俺の方こそ。大切にさせてもらうよ」


その短い一言には、どこか不器用な照れ隠しのような響きが滲んでおり、それは彼の頬のわずかな赤みとなって表れていた。


セシルはそんな小さな変化を見逃さず、まるでその奥に隠された感情を引き出そうとするように、じっと彼の目を見つめた。


そのまっすぐな視線に気づいたクロノスは、バツが悪そうに軽く咳払いをすると、セシルの肩を軽く押して室内へと促しながら、後ろ手で扉を静かに閉め、再び話を切り出した。


「......まぁ、さて。本題だ。本当はもう少し早く話しておくべきだったんだがな。明日から向かう場所について、俺からも少し説明しておこうと思ってな」


「わっ、助かりますそういうの!やっぱり、自分で調べただけじゃ分からないことも多くて...」


パッと顔を明るくしたセシルは、嬉しそうに微笑み、クロノスから受け取ったレースの手袋と交換するように、部屋の奥にあった椅子を一脚引っ張ってきて、クロノスの前に差し出した。


「どうぞ、座ってください!」


「あぁ、すまない」


クロノスは差し出された椅子に目を落とし、静かに礼を述べながらゆっくりと腰を下ろした。その姿を確認してから、セシルも自分用の椅子を持ってきて、向かい合うように座ろうとしたところで、クロノスが再び口を開いた。


「......さて。全部を話すとなると時間がかかるからな。逆に聞くが、セシル、お前は自分でどこまで調べた?」


その問いに、セシルは意外そうに目を瞬かせながらも、すぐに気を取り直して椅子に腰を下ろすと、考えるように手を顎に添えた。


「ぅんと、まず、基本的なこととして......オルフィエラ王国がある大陸って、海国になっていて、ここからは船に乗らないと行けないってことですよね」


その言葉に、クロノスは何も言わず膝を組み直し、頷いてみせた。その静かな反応に、セシルは自分の言葉が間違っていないことを確認して、続けるように口を開いた。


「それと......ええっと、数年前に新しい王様が即位してから、王国全体の方針が大きく変わって、軍事も外交もすごく活発になったって書いてありました。同時に中の制度とかも結構変わったみたいで」


そう語りながら、セシルは一度クロノスの顔を伺うようにちらりと見てから、少し躊躇いがちに続きを口にした。


「それで、その王国を治めている王族の一族は......所謂、“天使”なんだって」


その一言を告げた瞬間、セシルはまるで悪いことを言ってしまったかのように、視線を下げてしまった。その様子を見たクロノスは、わずかに眉を寄せ、不満げな口調でぽつりと呟いた。


「いや、待て。その様子だとセシルが考えていることが大体分かるな」


「えっ?」


不意に言われた言葉に目を丸くしたセシルは、顔を上げてクロノスを見る。クロノスは、足を組み直すと、落ち着いた口調で話を続けた。


「そもそもだ......お前、『悪魔』と『契約悪魔』を同じ存在だと認識していないか?」


「えっ、違うんですか?名前に“悪魔”ってついてるから、てっきり仲間かと......」


その素直な反応に、クロノスは「仕方ないな」と言いたげにわずかに肩をすくめながら、続けた。


「悪魔ってのは、己の欲望を満たすためなら、他者を傷つけることにも一切躊躇いを見せず、時に喜んでそれを実行する外道ばかりだ。相手の命だって何とも思っちゃいないし、俺らのように契約関係すら存在しない。そもそも思考の根本がまるで違う」


そこまで口にしたところで、ふとクロノスの視線が、わずかにうつむき加減で自責の念を滲ませるセシルの表情を捉えた。


どこか申し訳なさそうに眉を下げる彼女の姿を見た瞬間、彼の中にふっと小さな変化が生まれ、張りつめていた空気を和らげるように、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「......まぁ、良かったな、相手が俺で」


その一言は、冗談めかした口調ではあったが、どこかしら本音がにじむような静かな響きを持っていた。クロノスは言葉を続ける前にわずかに間を取り、セシルの様子を確かめるように視線を向けたあと、軽く肩の力を抜いたように、穏やかながらも低く響く声で語った。


「俺以外の奴に、“悪魔”なんて言葉を投げたらな――感情が希薄なやつだろうと、あるいは理知的で冷静沈着なやつだろうと、その瞬間にはきっと躊躇なくお前のことを八つ裂きにしていたかもしれんぞ」


その言葉の最後には、僅かに唇の端を上げた彼の笑みが添えられており、セシルがどう反応するのかを心のどこかで楽しんでいるかのように、皮肉とも冗談とも取れる曖昧なものだったが、同時にそこには確かな余裕と、戯れを含んだ柔らかな空気が漂っていた。


その視線を正面から受け止めたセシルは、思わず背筋にぞわりとしたものを感じ、「ヒェッ...」という情けない声を漏らしながら、小さく肩をすくませていた。けれど、クロノスは気にも留めない様子で、すぐに話題を進めた。


「とにかくだ。セシルが考えていたように、俺が“悪魔”で、あの王国が“天使”が治める王国だから入れない、というわけではない。そんな単純な理由ではないんだ」


そう言われたセシルは、少し照れたように頬を赤らめながら、自分の心の中を読まれていたことに気恥ずかしさを感じているように、無意識のうちに自分の髪を指でくるくると弄び始めた。


「ありゃ、やっぱり考え読まれてたんですね。ごめんなさい、わたしの認識、ちょっとズレていたみたいで。あれ、でも、それじゃあ......クロノスさんが入れないのって、結局、何故なんでなんですか?」


軽く首をかしげながら問いかけるセシルに対し、クロノスは一瞬だけ視線を泳がせると、何とも言えない表情を浮かべながらぼそりと呟いた。


「......聞かないでくれ。若気の至りってやつだ」


それはまるで、触れてはいけない黒歴史をさらりとかわすような返答で、どこか照れと後悔が混じっているようで、バツが悪そうに目線を逸らしていた。


そんな彼に対し、彼女は小さく「くすっ」と笑い声を漏らすと、口元に手を当てて優雅に目を細め、クロノスの反応をどこか微笑ましげに見つめていた。


クロノスはその視線に少し気まずさを覚えたのか、わずかに視線を逸らしながらも、少しだけ咳払いをして言葉を続けた。


「まぁ、いい。ある程度のことを調べてるようで安心した。それに、ちゃんとあの大陸で使える通貨に換金しておいたのも、感心だな」


その言葉に、セシルは「えへへ」と照れくさそうに笑いながら、自分の頬を軽く掻いた。素直に褒められたことが嬉しかったのだろう、笑顔には喜びがにじんでおり、その様子はどこか子供のようにも見えた。


だが次の瞬間、クロノスの表情は一変させながら真剣な面持ちへと変わり、組んでいた足を解くと、静かに背筋を伸ばし、まっすぐにセシルの瞳を見つめた。


「さて――『数年前に新しい王様が即位した』と言ったな。それに関して、俺が調べてみて少し不審に思ったことがある」


「不審に...ですか...?」


セシルはその言葉に、クロノスが単なる事実の共有ではなく、何か引っかかるものを感じているらしいということが、その表情から読み取れ、無意識のうちに姿勢を整え直しながら、小さく反応を呟いた。


「あぁ、噂に聞いたところによれば、今の王は先代の王が亡くなった後、弟に当たる人物が即位したらしいな」


「あっ、それなら、わたしも聞きました! 今までずっと表舞台には立たなかった、弟が突然現れて、無事に王になれたって!」


セシルの声には活気があった。彼女にとっては一度耳にした話であり、特に疑問を抱くこともなく信じていた情報であり、彼女は自然と身を乗り出すようにして、クロノスの話に聞き入っていた。


だが、そんな彼女を前に、クロノスはふと目線を落とすと、静かに、しかしどこか影を帯びた表情を浮かべて口を開いた。


「だがな。その亡くなった先代王には――()()()()()()()はずだ」


「へっ......?」


言葉の意味を理解するより先に、セシルの思考が止まった。


ついさっきまで当たり前のように語っていた話が、まるごとひっくり返された衝撃に、彼女は思わず息を飲み込むと、ややあって、恐る恐る、確認するように声を出した。


「なっ、だって、さっきわたし『今まで表舞台に出ていなかった弟』って言いましたよね? ただクロノスさんが知らないだけで――」


「言っておくが、立ち入りを制限されている俺でもな、あの亡くなった王とは――過去にある意味、深い交流があったんだ」


その口調には一切の冗談が交じっておらず、語尾の強さも、妙にリアルで、嘘をついているようにも見えない。


セシルはその言葉に、まるで冷水を浴びせられたかのように言葉を失い、しばらく返す言葉が見つからずにただ目を泳がせていた。


やがてクロノスは、再び足を組み直し、やや長めのため息を吐いてから、静かに話を続けた。


「俺が言いたいのは、“弟”の存在そのものが怪しいということだ。しかも、その周囲で歪みの力が確認されていたとなれば......今のあの王国には、何かしら裏があると考えるのが自然だろう」


セシルは彼の言葉に「それは間違いだ」と言い切ることも、「気のせいだよ」と笑い飛ばすこともできなかった。


ただ、その胸の奥に、得体の知れない不安の種のようなものが、静かに沈んでいくのを感じていた。

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