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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第一部. 契約悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る歯車
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第5話. 引き離されていく絆



――あれから、セシルはエルナの小さな背中を追いかけるように、薄暗く湿った森の中を、ただひたすら、無言のまま歩き続けていた。


少し前を行くクロノスとエルナは、どこかぎこちなくも笑みを交わしながら、静かな会話を交わしていた。


だが、その後ろで一人、言葉もなく黙々と足を運ぶセシルの胸の奥では、抑え込んでいたはずの記憶の断片が、まるで壊れた堤防から溢れ出す水のように次々と溢れ出し、頭の中を容赦なくかき乱していた。


村を襲った魔獣の咆哮。それに重なるように上がった住人たちの悲鳴。どこか遠くで聞こえた、火に包まれる家々の爆ぜる音。


「すぐ戻る」と微笑んで出ていったきり、帰ってこなかった父。崖の下に姿を消す直前、ほんの一瞬だけその顔に浮かんでいた、諦念とも絶望ともつかぬ表情の母。


一つひとつの情景が、今になって妙に鮮明に、現実味を持って脳裏に蘇ってくる。それらは鋭い刃となって、呼吸のたびにセシルの胸をえぐるように痛めつけ、次第に彼女の心を押し潰そうとしていた。


(お願い......やめて......思い出したくない......)


逃げるように視線を落とし、こめかみに手を当てて、震える呼吸を無理やり整えながら、小さな声で心の中にすがるように呟いた、まさにその時だった。


突如、目の前に眩しい光が差し込んだ。闇に慣れた目には強すぎたその光に、セシルは反射的に顔を手で覆い、瞬きを繰り返しながら立ち止まった。


(ッ、まぶしい...!)


その同時のタイミングで頭上を覆っていた木々の天蓋が切れ、森の暗がりを断ち切るようにして、太陽の光が勢いよく降り注いできていた。長く続いた夜のような暗闇がようやく終わり、朝が来たのだと、日差しの暖かさが肌を刺すように伝えてくるようだった。


それはまるで、「終わり」ではなく「始まり」を告げる光にも思えたが、今のセシルにとって、その鮮烈な明るさはあまりに容赦がなく、胸の奥を不意に強く締めつけてくるような、不思議な痛みを伴っていた。


そして、目の前では、エルナの姿がその光の中へと溶けるようにして歩いていくのが見え、セシルも躊躇いながらも、彼女もまた、その背中を追って足を踏み出した。


そして彼女の眼前に広がったのは、森を抜けた先の広い土地に、まるで兵舎のように整然と並べられた、小さな小屋の群れだった。


無機質に並ぶその建物群は、一見すれば人が暮らす村のようにも見えたが、そこには不気味なほどの静寂が漂っていて、風の音すら耳に届かないほどに、生命の気配が希薄だった。


(村......?でも、音がしない。まさか、ここって......)


廃村。その単語が脳裏をよぎった瞬間、セシルは足を止め、周囲に目を配りながら、どこか異様な空気を肌で感じ取ろうとしていた――その時だった。


「はぁ、はふ......やっと森、抜けられたね......」


隣から聞こえてきた、息を切らした声に、セシルは肩を揺らしながら振り向くとエルナが膝に手をつき、肩で大きく息をしていた。


その顔には明らかな疲労が滲んでおり、セシルは一度だけ前方を歩くアキラとクロノスに目をやってから、そっと手を差し伸べ、言葉にはしないまま、ただその手には「大丈夫?」という想いが込められていた。


(お姉ちゃん、すごく疲れてる。どこかで、ちゃんと休ませてあげたい......)


セシルのそんな心の声が届いたかのように、前方を歩いていたアキラが唐突にこちらを振り返り、にやりと人懐こくもどこか意味深な笑みを浮かべて言った。


「随分と歩いただろう?もう少しだけ、頑張ってくれよ〜」


その軽さの裏に何かを隠しているような声に、セシルは小さな不安を覚えながらも、「もう少し」と言われたことで、エルナがすぐにでも休めるかもしれないというわずかな希望に胸を撫で下ろした。その直後、再び隣から、今度は笑みを含んだ声が聞こえてきた。


「ありがとう、セシル。手、貸してくれて。でもね......もうちょっとだけなら、私も頑張れるから」


顔を上げたエルナの微笑みには、どこか安堵の色が滲んでいたが、それでもその表情の奥には、明らかに無理を押し隠す影があった。


セシルはその違和感を感じながらも、強く咎めることができず、ただその笑顔に何かを言い返すこともできずにいた。


ただ一つ、目の前の背中が、小さな身体で大きなものを抱え込もうとしているように見えて、胸の奥がきゅうっと痛んだ。


「......お姉ちゃん」


その名を呼んだ声は、まるで風に紛れるようにして、静かに消えていき、その背中に手を伸ばすこともできず、ただ見つめることしかできない自分の無力さが、セシルの胸を切り裂くように痛めていた。


ふと、視線を先に向けると、クロノスの背中が目に入った。彼はアキラのやや後方を歩いているが、エルナのことなどまるで意識していないかのように、淡々と前を向いて歩を進めていた。


(クロノス様......どうして、お姉ちゃんに何も声をかけてくれないの......)


村でずっと見ていた、優しく微笑み合っていた二人の姿がセシルの中に浮かび、その記憶と今の彼の無関心な態度との間に、埋めがたい違和感が生まれていた。


確証などない。ただ、何かが変わってしまったという、説明のつかない感覚だけが、セシルの胸をざわつかせていた。


それでも、せめて自分だけは姉を支えたいと、セシルは静かに息を吸い込み、決意を込めるようにして少しだけ歩幅を広げ、エルナの横へと駆け寄っていった。


そして、エルナに追いついたセシルは、そっとその腕に自分の腕を絡めるようにして寄り添いながら歩き出した。


彼女のその仕草に、エルナもわずかに驚いたように目を瞬かせたが、次の瞬間には優しく微笑み返し、二人は寄り添うようにして進んでいった。



◇◇◇



やがて、二人並んで歩く彼女たちはアキラの背中に追いつき、そのすぐ後ろ、少し距離を置いた場所をついて行くようにして進んでいき、足元で小さく擦れる砂利の音だけが、静寂な空間にささやかに響いていた。


だが、不意にアキラがぴたりと足を止めると、彼は振り返ることなく、ただその場で静かに立ち尽くすしていた。


それを見て、セシルとエルナもやや遅れて立ち止まり、突然の動きに戸惑いと僅かな緊張を滲ませながら彼の背中を見つめていた。


「さてと、役者は揃ったな――」


その瞬間、アキラの口から漏れた低く静かな声が、まるで空気そのものを震わすかのように場に響いた。


先程までの軽薄で気楽な響きはどこにもなく、代わりにその声には冷たく重たい、どこかぞわりと背筋を這うような圧が滲ませており、そのただならぬ気配に、空気そのものがねじ曲がったかのような錯覚が広がり、まるで目の前の現実が静かに崩れていくようだった。


(......何、この空気......?)


セシルの全身に、言葉にはできないが確かに“嫌な予感”が走った。だがその感覚は、まだ明確に危険と断言できるほどの確信には至っておらず、ただ心の奥底に鈍いざわめきを残していた。


一方、隣にいたエルナは、戸惑いと不安の混ざった目でセシルを見上げながら、思わず彼女の腕を強く掴んでいたが、その手にはまだどこかに希望の残滓が宿っているようにも見えた。


やがてアキラがゆっくりと振り返ると、彼の表情は一見すれば穏やかな笑顔だったが、その目元や頬の筋肉の動きには妙な作為を感じさせ、まるで仮面を貼りつけたような、不気味な違和感を伴っていた。


その顔を見た途端、エルナは小さく肩を震わせ、セシルは無意識に一歩前に出て、エルナを守るようにしながら警戒を込めた声で問いかけた。


「ねぇ......これから、どうするの?」


問いかける声には、ごく僅かに揺れがあった。アキラはその問いに対して、まるで時間を稼ぐようにゆっくりと頭を掻き、ちらりとクロノスの方へ意味深な視線を投げた後、やがて口元に手を添えながら、まるで秘密を打ち明けるかのように語り出した。


「そうだな......単刀直入に聞こうか。――お前ら、“精霊様”って、聞いたことあるか?」


「精霊......様......?」


セシルがその言葉を繰り返すように呟くと、その声は掠れ、喉の奥から自然と零れた。


彼女は思わず隣のエルナに視線を送ったが、エルナもまた不安げに首を横に振り、答えを持たないままセシルの腕にしがみつくように身を寄せた。


アキラはそんな二人の様子を見て、やれやれとでも言いたげに大袈裟な溜息を大きくつくと、まるで今から語ることは当たり前の常識だと言わんばかりの口調で言葉を続けた。


「簡単に言えば、この世界の根幹に関わる存在だよ。圧倒的な力を持ち、この世界に秩序と変革をもたらすようなものさ。で、――僕が君たちをここに連れてきた目的、それはその“精霊様”の力を、君たちに宿してもらうことなんだ」


「私たちに......?力を、宿す......?」


エルナが困惑を滲ませながら反芻するように呟き、無意識のうちにセシルの腕をさらに強く握りしめていた。


その間、セシルの胸の内には言い表せないざわつきが広がっていった。それは恐怖でも怒りでもなく、ただひたすらに気持ち悪く、吐き気にも似た直感的な嫌悪感だった。


「そう。君たちには、その力を受け入れる“器”としての素質がある。そして――」


アキラはそこで言葉を切ると、まるで舞台上の役者が見得を切るような芝居がかった動作で、ゆっくりと指を伸ばして誰かを指し示す。その先は――セシルだった。


「セシル、お前だよ。これまで出会った中でも、精霊様の器として最も相応しいのは」


「......わたし?」


名前を呼ばれた瞬間、セシルの体はぴくりと反応し、息を詰めたままその言葉の意味を咀嚼しようとしたが、頭の中は真っ白になっていた。


自分のことを指されたという事実が、まだ現実味を持って飲み込めず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


すると、そんなセシルの隣で、エルナは顔を強く顰め、大きく首を振ると抗議するように声を上げた。


「待って!!精霊とか器とか、まだ意味が分からないけど、セシルが“相応しい”って何よ!適当に言っているだけなんじゃ――」


その瞬間、アキラの表情が僅かに歪み、セシルを指していた腕を静かに下ろすと、今度は腕を組みながら、視線をクロノスへと向け、片手で彼を示すように指差した。


「適当?そんな訳ないだろ。お前ら、クロノスから貰った果物、食べたよね?」


「えっ......?」


その言葉にセシルもエルナも戸惑いの色を隠せず、しかし確かに食べた“あの果物”の存在を思い出し、そして自然と、二人の視線はクロノスへと向けられた。


だが、視線の先のクロノスは目を合わせることなく、顔を伏せたまま、まるで罪を抱えるようにその足元を見つめていた。そんな中、アキラは愉快そうに口角を上げると、再び口を開いた。


「あれはね、僕が作った精霊様の力に反応する測定用の果実だったんだよ。蜜の中に、試験的に抽出した精霊の力を数滴だけ加えてあってね......遠くからでも分かるくらい、セシルと反応して光っていた時には、正直、鳥肌が立ったよ」


その言葉を聞いた瞬間、セシルは口を押さえ、本能的に吐き気を覚えるような感覚に襲われた。


しかし、それ以上に激しく反応したのはエルナだった。怒りをあらわに顔を紅潮させながら、クロノスに向かって声を荒げ始めた。


「ッ、クロノス!!今の話、本当なの!?じゃあ、今までの優しさも、全部――」


すると、それまで俯いていたクロノスは、彼女の言葉に反応するように顔を勢いよく上げると、まるで否定したい気持ちを全力でぶつけるように、必死な声で叫んだ。


「違うんだ、エルナ!!本当に俺は――!」


だが、その言葉は最後まで届くことはなく、アキラがすっと腕を伸ばし、クロノスの言葉を制するように前に手をかざすと、そのまま冷ややかに、しかし余裕すら感じさせる口調で言葉を挟んだ。


「ちっ......いい加減黙れよ。僕は、やっとここまで来ることができたんだ。今さら、お前ら全員をこの状況から逃がすわけにはいかないんだよ」


その言葉を受けたクロノスは、拳を強く握りしめながら口を閉ざし、やがてエルナたちから目を背けるように視線を逸らし、陰を落とした表情で沈黙した。


その一連の光景を目にし、状況を瞬時に理解したセシルは、隣のエルナに顔を寄せ、極めて小さな声で耳打ちするように囁いた。


「お姉ちゃんには悪いけど。今のクロノス様は、もう信用できないよ。わたしが囮になるから、お姉ちゃんだけでも今すぐ逃げて」


だが、セシルの覚悟を聞いたエルナは、掴んでいた腕を強く引き寄せ、自身の胸元へと抱きしめるようにしながら、勢いよく首を横に振った。その動きには、言葉にしきれない強い拒絶が込められていた。


「ッ......嫌よ!!そんなことできるわけないじゃん!!セシルを置いてなんて行けない!!」


エルナの悲痛な声が響くと、二人の様子を傍らで見ていたアキラは、腕を組んでいた姿勢を解きながらクロノスに視線を送り、何かを命じるように目だけで鋭く合図を送った。


それを受けたクロノスは、視線に応じるように手をゆっくりと前へ差し出しながらも、どこか戸惑いを隠しきれない様子で、迷いの色を宿していた。


次の瞬間、セシルたちの足元から、重々しく響く音と共に異様な気配が立ち上った。セシルは驚愕で目を一瞬、大きく見開いたが、即座に我に返ると、咄嗟に掴まれていたエルナの腕を力いっぱい振りほどき、そのまま彼女を後方へと突き飛ばした。


「っ、きゃっ!」


突き飛ばされたエルナは、倒れ込みながらも必死にセシルに手を伸ばしたが、セシルの目前には、まるで空中を這う大蛇のように、真紅の鎖が地面から這い上がるように現れていた。


その異様な光景を前に、セシルが正体を見定める暇もなく、真紅に染まった鎖は彼女の足元に絡みつき、獲物を捕らえるように絡みついていった。


「な、なによ!!離れなさいっ!!」


セシルは身をよじり、足を動かしながら鎖を解こうとするが、それはまるで生き物のように抵抗し、動けば動くほど力を増しながら締めつけてくる。


その鎖には無数の細かな棘が仕込まれていたのかのように、足で暴れるたびに針のような鋭い痛みが走り、セシルは思わず顔を歪めてうめき声を漏らした。


その様子を遠目に見ていたアキラは不満そうに眉をひそめ、クロノスに向かって冷淡な声を放った。


「おい、クロノス。あんな生ぬるいもんじゃ、すぐに解かれるだろ。もっとしっかりやれ......あぁ、骨は砕かないようにしろよ」


アキラの命令が冷たく響き渡ると、クロノスは一瞬躊躇いながらも、苦悩の色をその瞳に宿しつつ、再び手を掲げて指を静かに動かした。すると、セシルとエルナの間に再び真紅の鎖が現れ、二人の距離を遮るように横たわり始めた。


(...ッ、こんなものっ!)


セシルは咄嗟にその鎖を振り払おうと、腕を大きく振り上げたが、その腕さえも、気づけば背後から忍び寄った鎖に巻きつかれ、瞬く間に拘束され、続く瞬間には、前方から伸びた別の鎖が彼女の首元に巻きつき、無慈悲に締め上げていった。


「う"っ......ぐ、かぁっ......!」


掠れた苦悶の声が漏れ、セシルは両手を封じられたまま、必死に身をよじるも脱出は叶わず、呼吸さえ満足にできないままその場に崩れ落ちていた。


一方、突き飛ばされて座り込んでいたエルナは、その異常事態にようやく正気を取り戻し、目を見開きながら立ち上がると、涙を滲ませた瞳でクロノスの元へと駆け寄った。


「もうやめて、クロノス!!お願い、セシルが苦しんでるのよ!早く、早く離してあげて!!」


エルナの必死な叫びに、クロノスは顔を背けながらも、どこか後ろめたさを感じているように、沈んだ声で低く呟いた。


「すまない。今の俺には......彼には、逆らえないんだ......」


「な、んで......!?どう、して......そんな......!」


絶望に顔を歪めたエルナは、震える手でクロノスの腕を揺さぶりながら、まるで壊れたように涙ながらに叫び続けた。


しかしクロノスは、それに応じることなく、ただ黙って口を噛み締め、視線を逸らすことしかできなかった。


そしてその様子を横目に眺めていたアキラは、満足げな笑みを浮かべると、なおも冷酷な命令をクロノスに告げた。


「おい、クロノス。そいつを――別の場所にでも連れて行け」


命令を受けたクロノスは、一瞬その場に立ち尽くしたが、やがて伸ばしていた手とは逆の手で、エルナの肩にそっと触れようとした。


しかしその手は、エルナの怒りと恐怖を込めた拒絶の意志によって激しく払われた。


「いやっ、やめてっ!!」


その叫びが響く中、クロノスの顔には言葉にできないほどの苦悩が浮かび、絶望と罪悪感に満ちた眼差しが揺れていた。


だがその隣で、アキラはセシルの方に視線を移すと、冷ややかに言葉を続ける。


「はぁ......いいのかな、そんな反抗的な態度で。そんなことをしていたら。彼女、本当に死んじゃうよ?」


その一言に、エルナの表情が一気に蒼白になり、反射的にセシルの方を振り返ると、その瞳に映ったのは、首に巻きついた鎖に締めつけられ、もはや声すら出せないほどに苦しげな表情で呻くセシルの姿だった。よく見ると、鎖が巻きつく肌はすでに血の気を失い、青白く変色し始めていた。


その光景を目の当たりにしたエルナは、まるで時が止まったかのように凍りつき、細かく震えながらその場に立ち尽くした。


しかし、次の瞬間、胸を締め付けられるような衝動に突き動かされるように、振り返ってアキラの方へ駆け寄り、涙混じりの声で懇願するように叫び声を上げた。


「やめて! セシルが......セシルが死んじゃう! お願い、お願いだから......! 私、大人しくするから......言うこと、聞くから......だから、これ以上セシルを傷つけないで......!」


その瞳には、まさに零れ落ちんとする涙が張りつき、恐怖と切実な想いがないまぜになったその声は、痛々しいほどに響いた。


エルナはもう、誇りや恥じらいすら捨てており、ただただ、愛しい妹の命を救いたい一心で、床に膝をつき、両手を前に差し出して、赦しを乞うように頭を垂れていた。


アキラはそんな彼女の必死な懇願を、まるで他人事のような冷たい目で見下ろしていたが、やがて無言のままクロノスに視線を送った。


その目配せに応じるように、クロノスもまた顔を僅かにしかめ、複雑な葛藤を滲ませた表情を浮かべながら、静かにうつむく。


しばしの沈黙の後、彼は重たい足取りでエルナに近づき、その腕を掴むと、言葉を発することなくその場から彼女を連れ出そうと歩き始めた。


アキラはそんな二人の背を、まるで舞台の幕が下りるのを見届けるかのように、満足げとも無関心とも取れる曖昧な表情で見送っていた。


一方で、セシルはその間もなお、呻き声を漏らしながら、全身を締め付ける真紅の鎖に繋がれた手を、必死に、何かを掴もうとするかのように宙へと伸ばし、目の前で連れ去られていく姉の姿に、心の中で必死に叫び続けていた。


(お姉ちゃん......行か、ないで......)


声を出そうとしても、喉を締めつけられるような圧迫と苦痛で、その言葉はうまく形にならず、ただ掠れた息が漏れるだけだった。


力の入らない指先で伸ばしたその手は、空を掴もうとするも当然届くはずもなく、思いだけが空しく宙をさまよい、全身を包む無力感と絶望がセシルの胸を押し潰すように広がっていく。


(お姉......ちゃん......)


視界はどんどん霞んでいき、繋がれた身体が重力に引かれるまま沈んでいく中で、エルナの背中は確実に遠ざかり、ついには彼女の輪郭さえもぼやけて見えなくなった。


どれだけ叫んでも、どれだけ手を伸ばしても、その声も願いも――もうエルナには、何ひとつ届くことはなかった。

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