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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第一部. 契約悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る歯車
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第46話. 守るための切望



「セシル――今すぐアキラを連れてここから離脱しろ!こいつは、俺が引きつけるッ!」


そんな短くも力強い言葉を残し、まるでその背中に全ての覚悟を宿すかのようにクロノスが魔獣の群れへと歩を進めていった。


その時、彼の背後では、突如として姿を現した異形の群れに言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしていたセシルの姿があった。


だが、クロノスの声がまるで雷鳴のように胸の奥に響いたその瞬間、セシルの瞳には再び光が宿る。迷いを振り払うように、自らの内に語りかけた。


(ッ、クロノスさんなら絶対に大丈夫!しっかりして、わたし!優先順位を見失っちゃダメ...!)


震える指先で自分の頬を軽く叩き、かすかに痛みを覚えながらも、その感覚に現実を掴み取るようにして、セシルは躊躇いなくアキラの方へと向き直った。


「アキラさん...!今すぐ、ここから逃げましょ!」


その声はか細くも芯の通った必死さに満ち、セシルは迷いなく手を差し伸べた。しかしアキラはその手を見つめたまま、すぐには応じず、まるで何かに葛藤するかのように視線を宙にさまよわせた後、かすれた声で、皮肉混じりの言葉を吐き出した。


「馬鹿だな...あんたもクロノスも。人生を、私利私欲でぶっ壊されて、大事な存在を奪った張本人に向ける態度じゃないだろ、それ」


「......」


――私利私欲でぶっ壊されて、大事な存在を奪った。


その言葉は、まるで胸の奥を釘で打ちつけるような重さでセシルの中に響き、ほんの一瞬、眉を寄せたが、すぐにゆっくりと息を吐き出すと、彼女は何の迷いもなく膝を折ってアキラと同じ目線に身を落とした。


そして真っ直ぐに彼の瞳を見つめ、まるで揺らがぬ意志を示すように静かに口を開いた。


「偽善なのは、わかっています。たとえアキラさんに謝られたって......わたし、きっと許すことなんてできないと思いますし」


その言葉はどこまでも誠実で、痛みを知っている者にしか出せない言葉だった。そして次の瞬間、セシルはアキラの動かぬ腕を思い切り掴み上げ、そのまま彼の体を自分の肩に担ぎ上げた。


「おま...っ、何し――」


「......でも、アキラさんだって、誰かを切り捨てきれてないじゃないですか。だから今はいいんです。ほら、行きますよ!」


驚きと抗議の声を漏らすアキラをよそに、セシルは彼の体を支えながら力を込めて立ち上がった。言葉とは裏腹に、その小さな体には確かな決意と覚悟が宿っていた。


「うぅぅ...おもぉ...っ」


クロノスに匹敵するほどの体格を持つアキラを担ぐのは、少女の力では到底楽なことではなく、それでもセシルは、歯を食いしばりながらアキラの身体をなんとか支え、よろめきつつも歩き出そうとしていた。


そんな彼女の耳元に、不意に、呆れとも困惑とも取れる、しかしどこか諦めを含んだ声が届いた。


「......なんで、そこまで必死になれるんだよ」


思わぬ問いに、セシルは一瞬だけ目を伏せたが、しかしすぐに、前をまっすぐ見据えたまま、ゆっくりと口を開いた。


「怖いけど、それでも、知りたいんです。自分の過去も、今この身に起きていることも......何も知らないまま、終わりたくないから」


あっけらかんとしたその答えに、アキラは少し拍子抜けしたように鼻を鳴らし、ため息混じりに呟いた。


「ふんっ、なんだ、そんな事――」


「でも、それ以上に、あなたの事頼まれたんですよ。エンデさんにね」


その言葉は、アキラの言葉をさえぎるように、セシルがふと漏らしたものだった。


歩きながら何気なく口にしたようにも思えたが、その一言はまるで地雷を踏んだかのようにアキラの身体をびくりと震わせた。


肩に置かれていた彼の腕が、今までとは明らかに違うリズムでぎゅっと力を込めており、その妙な重みと緊張が、セシルの背中にも伝わってきた。


「......あいつ、そんなことを言ったのか」


そう呟いたアキラの顔には、戸惑いとも後悔ともつかない、複雑な色が浮かんでいた。


ほんの少し目を伏せたその横顔は、戦っていた時の狂気染みた態度からは想像もつかないほど、脆く見えた。


その姿を見たセシルの胸の奥に、ぽつんと小さな温もりが芽生えた気がして、あえて軽く茶化すように口を開いた。


「ふふっ、お礼でも謝罪でも、今度一緒に行きましょ。彼、アキラさんが想像している以上に、あなたのこと心配してるんですから」


その言葉には、まるで凍てついた時間を少しだけ溶かすようなやさしさが込められていたが、アキラはそれにすぐに応じることもなく、ただ黙って遠くの闇を見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「......そんな未来が、僕に残ってればな」


あまりにも唐突で、投げやりにも聞こえるその一言は、どこか確かな諦めと痛みを滲ませており、セシルは「え...?」とだけ小さく声を漏らし、アキラの顔を覗き込もうとした――その瞬間だった。


――グギャァァッ!!


背後から突如、獣のような咆哮が響き、風を裂いて何かがこちらへ向かって突進してくるような魔獣の唸り声が響き渡った。


「へ、うそっ...!」


同時に、空気を鋭く裂く風圧が彼女の頬をかすめ、その存在がまさに“すぐそこ”に迫っていることを容赦なく告げていた。


しかし今のセシルは、アキラの体を支えながら歩いていたため、反射的に鞘から剣を引き抜く動作などできるはずもなく、逃げることすら叶わず、ただ襲いくる攻撃を受け止めるしか選択肢は残されていなかった。


「まずっ――」 


ザシュッ


鋭く空気を裂く音が耳に残り、反射的にぎゅっと目を閉じたセシルは、次に訪れるであろう痛みや衝撃に身をすくめたが、いくら待っても何も起こらなかった。


思わず恐る恐る瞼を開けてみると、そこには絶命した魔獣が、まるで花に貫かれるようにして倒れており、その胴体には、何本もの藤色と紫色の花が美しくも残酷に突き刺さるように貫通していた。


「...え、あれ、これって...?」


その花の姿には見覚えがあった。いや、それどころか、セシルにとってはまさに“その身で味わってきた”痛みと記憶の象徴であった。


呆然としたまま花を見つめたセシルは、まるで確かめるようにアキラの顔を振り返るとアキラは、どこか気まずそうに目を逸らし、わざとらしいほど明後日の方向を見つめていた。


明らかに視線を合わせようとはせず、その僅かな仕草に、セシルの中で確信が芽吹いた。


「......今の、アキラさんが?」


問いかけるように投げられたその言葉にアキラの返事がないまま、遠くからクロノスの鎖が地を裂くような音と、怒号のような魔獣の咆哮が再び響いた。


セシルはその声で我に返ると、すぐさまアキラの腕を肩にかけ直し、再び前を向いて歩き始めた。


すると、その動作に合わせるようにして、アキラが不意に小さく、けれどどこか嫌悪と自嘲が入り混じった声で呟いた。


「......ちっ、この忌々しい力、まだ使えたのかよ」


「ふふっ、でもその力で助かりましたよ!」


セシルは、まるでその自嘲を和らげるかのように、優しい声音でそう返した。そして、その直後には、心の奥から湧き上がった疑問が、思わず口を突いて出ていた。


「......アキラさん、なんで、あのような姿に。一体何があったんですか?」


セシルの問いかけに、アキラはまるで言葉が喉に詰まったかのように、一瞬だけ口を噤んで黙り込んたが、やがて彼は決意を固めたように、重く、低い声で静かに語り始めた。


「......僕の過去を覗いたなら、もしかしたら薄々察しはついているかもしれないが......教団の集会で、家族を焼き殺した張本人を見つけたんだ」


その瞬間、セシルの目がわずかに揺れたが、アキラはそれに気づいていても気づかぬふりをして、話を続けた。


「けど、間が悪かった。あの者に腕を掴まれてな動けなかった。そこで、逃げるには......自分の腕を切り落とすしかなかったんだ。それからはもう、復讐以外に何も見えなくなって、アイツらが崇めている精霊の力を使って奴らを叩き潰してやろうって、そればかり考えるようになっていたんだ」


そこまで言って、まるで、自分でも呆れているかのようにアキラはふっと小さく息を吐いた。


「......それで、あの日。お前に試しに飲ませた液体――あれを、自分で飲んでやったんだ。あの時の僕には、それが唯一の“力”に見えた。今になって思えば、くだらない選択だったかもしれないが......その時は、それしかなかったんだ」


「......そう、だったんですね」


想像以上に、色々と話してくれたアキラに驚きつつも、それ以上に自分がクロノスと共に平和に街を歩き回っている裏でそんな大事が起こっているとはつゆ知らず、思わずそれ以上なんて声を掛けようか詰まらせていた。


そんな彼女の戸惑いを感じ取ったのか、アキラはふと、ぽつりと呟くように続けた。


「......それと、だ。お前を“必要以上に”狙っていた理由。たぶん――いや、きっと......無意識のうちに、精霊としての“本能”が働いていたんだと思う」


「無意識の......本能......?そんなものが......?」


セシルは困惑したように眉を寄せながらも、どこか怯えにも似た表情で首を傾げた。しかし、その問いに答えるように置かれていたアキラの腕が、不意にぎゅっと力を込めたのを感じた。


直後、頭上から、これまで聞いたこともないような、懇願とも悲鳴ともつかない、何かを訴えるような声が降ってきた。


「そんな事より、おい、これだけは聞け、セシル!お前は、ただの“器”として僕に連れてこられた存在じゃないんだ!」


アキラの声は震えていた。怒りでも焦燥でもない、切実な何かが、その声には込められているように聞こえた。


「......それって、さっき言ってた“本来の完成品”って」


セシルが自然と口にしたその言葉には、疑問というよりも、すでに答えを受け入れ始めているような、どこか覚悟にも似た響きがあった。


「あぁ、ずっと引っかかってたんだ。お前が見せた、あの爆発的な力と、それとは対照的に場を包み込んだ優しい光と、そして......過去そのものを引きずり出した、あの不可解な現象。それらを見て思ったんだ。


以前、教団の古文書にこう書かれていた。“精霊とは、本来ひとつだった種が、何かを失った存在”――と。


何を“失った”のかまでは、記されていなかった。ただ......今の精霊に決定的に欠けている“何か”を、僕はあの時、お前の光に感じたんだ。


それは怒りでも、憎しみでも、呪いでもない。むしろ、そのすべてを包み込んでなお消えることのない、“優しさ”のようなものだった。


だから僕は思ったんだ。お前の中には――今の精霊がいつか失った、本来の力が眠っているんじゃないかって......!」


セシルは歩みを止めることなく、しかしその言葉の一つ一つを確かめるように、静かに、深く耳を傾けていた。


けれどその瞬間、まるでこの世界そのものが断末魔の叫びを上げたかのような、耳を裂く音が周囲の空気を切り裂いた。


全身の肌が総毛立ち、意識するよりも先に、セシルの身体は空を仰ぐと、そこに巨大な“青白い手”が視界一面に広がっていた。


それは、大人が優に三人が並んでも足りないほどの大きさで、まるで彼女たちだけを狙いすましたように、静かに、だが確実に、地面へ向かって振り下ろされていた。


「ッ――!」


セシルの思考が追いつくよりも早く、彼女の中から、恐怖ではなくただ純粋な“生存本能”による衝動が湧き上がった。


「アキラさん、伏せて!」


叫ぶように声を上げると同時に、セシルはアキラの腕を強く引っ張り、ありったけの力を込めて横へと跳んだ。


ズシンッッ


その直後、地面がえぐれるような轟音が耳をつんざいた。後方に振り返ると、たった今まで二人が立っていた場所に、巨大な青白い手が叩きつけられており、地面は砕け、土煙が激しく舞い上がった。


ほんの僅かでも判断が遅れていたら、セシルもアキラも確実に跡形も残らず潰されていただろう。


「......っぅ、何、今の......っ」


アキラは地面に膝をつき、荒い息を吐いており、その一方で息を切らしたセシルは肩で呼吸を繰り返し、ゆっくりと視線を上げようとした。


だがその瞬間、まるで何かに狙いすましたかのように、首筋に鋭い痛みが走り抜け、それと同時に、無理やり地面に座らされたような不自然な体勢のまま、背後へと引き倒されるような強烈な力に襲われた。


「ぅが、ぐっ......!!」


ドシンッ


そのまま背中が地面に叩きつけられるように押し倒され、その衝撃が肺の中の空気を一気に吐き出させたかのように、呼吸が一気に詰まった。


何が起きたのかも把握できぬまま、セシルは咄嗟に喉元へと手を伸ばすと、その首には、まるで生き物のように絡みつき、締め上げてくる冷たい“何か”が、確かに存在していた。


(...ッ、息、が...、何...これ、...手...?)


セシルの指先には、まるで誰かに首を絞められているかのような冷たく、異様に細い力が感じられた。


その力は、まるで自分の命を正確に計算して奪おうとしているかのように執拗で、喉の奥に氷のような冷たく鋭い痛みが徐々に広がり、呼吸をするたびに、喉が咽せ、焼けるような感覚が残った。


「ぅ、......ッ」


その痛みに、セシルは必死に両手で首を絞める手を引き剥がそうとするが、その力は容赦なく、空気さえも奪っていった。


肺に酸素が届かなくなるにつれて、次第に手の力が弱まり、体の中から抵抗の意思が失われていくのを、セシルははっきりと自覚できた。


そして、自身の剣を抜き、首に巻き付いたその手を断ち切ろうとするよりも早く、視界は白くぼやけ、脳が酸素の欠如に悲鳴をあげるような、耐えがたい鈍痛が頭を締めつけた。


(ぁ......だ......め......)


既に自分が呼吸できているかもわからない曖昧な状況で、既に意識を落としかけていた。その瞬間――


「おい、こんなくだらない場所で死ぬな!」


鋭く、どこか苛立ちをはらんだ声が耳の奥に突き刺さるのと同時に、首筋にツタのようなものが這い回る奇妙な感触が広がり、直後にザシュッと何かを断ち切るような鋭い音が鳴り響いた。


その瞬間、首を締め上げていた圧迫がまるで霧が晴れるように解け、ようやく空気が、今にも破裂しそうなほどに肺へ流れ込んできた。


「ガハッ.........ハッ...ハッァ...」


セシルは涙目をうかべ、喉を抑えながら、泥の中で這うように横たわったまま、必死に肺へ空気を貪るように空気を求めて喘ぎ続けるしかなかった。


その時、視界の隅に、ぼんやりとだが確かに見覚えのある姿が映り込んできた事で、その正体を確認しようとぼやけた視界を向けると、そこには、顔をしかめたアキラがセシルを見下ろすように立っていた。


恐らく、さっきまで首に絡みついていた手は、アキラが召喚した花の力によって締め上げられ、消し去られたのだろう。


そんな微かに残っている思考力の中でセシルはぼんやりとそう理解し、かすれたままの視線を懸命に彼へと向けようとした。


そして、セシルが微かに唇を開きかけた瞬間、アキラは歯を食いしばり、顔を歪ませると、どこにもぶつけようのない苛立ちを抑えきれずに吐き出すような表情を浮かべた。


「......くそ、あの手......あの者によるものか......」


その低く唸るような声が耳に届くとほぼ同時に、アキラの右腕が伸び、崩れ落ちるように横たわっていたセシルの体をぐいっと引き寄せ、そのまま自身の背に背負い上げた。


かつてのような両腕ではない――今の彼に残されたのは、ただ一本の右腕だけだ。それでも彼は、持てるすべての力でセシルを背に抱き上げると、そのままアキラはその場を離れるように走り出した。


「おい、片腕になった僕だ。乗り心地の苦情は受け付けないぞ」


その軽口めいた言葉は、顔に浮かべた険しい表情とは裏腹に、どこか気遣うような、優しさを含んでいた。


そんな不器用で、ぎこちなく、それでも確かに心を寄せるその声音に、セシルの胸にほのかな温もりが灯っていた。


(......ふふっ......走れるんだ......)


依然として身体は重く、意識も霞がかったままだが、それでもアキラの背中に感じる体温と揺れに身を任せながら、セシルはほんの一瞬、そんな呑気な思いを抱いた。


だが、肝心の本人は、セシルが背から落ちないように右腕一本でしっかりと支えながら、どこか痛みに耐えるような低い呻きと荒い息を吐きつつ、一歩一歩、必死に進んでいた。

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