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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第一部. 契約悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る歯車
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第44話. 隠し抱える思い



あれから、ほんの少しの時間が経過していたが、クロノスはただ静かに、じっとセシルとアキラの激しい戦闘の様子を見つめていた。


手助けをするわけでもなく、ただ己の前に流れ弾のように飛んでくる短剣を冷静に弾き落としながらも、彼は目を逸らさず、言葉を交わすこともなく、静かにその「時」を待っていたのだった。


やがて、戦況の中でセシルの動きに僅かな鈍さが見え始めた。肩で息をし、呼吸が荒くなっているのが距離のある位置からでもはっきりと見て取れる。


とはいえ、彼女が完全に劣勢に追いやられているわけではなく、むしろ、技量では依然としてアキラを上回っているようにも見える。


だが、それゆえにこそ、隙が生まれる瞬間が近づいていることをクロノスは本能的に感じ取っていた。


( さてと、そろそろだな。賭けの時間だ。不確定を確定へと変えようか)


そう内心で低く呟きながら、クロノスはゆるやかに手を持ち上げ、その手のひらに僅かな赤黒い力を込めて握り締めた。


そして再び腕を下ろしながらも、視線だけは外さず、セシルが迷いのない足取りでアキラに立ち向かうその姿に、心の奥底で別の疑念が芽吹いていた。


(......やはり、彼女には謎が多すぎる。俺の体に纏わりついていた痛みが急激に引いていったのも、あの時、彼女が無意識に放った治癒魔法によるものだとするならば、納得はできる。だが、あれほどの大規模な治癒力を、無意識のうちに発動するなどということが、常識の範囲で考えてあり得るだろうか?)


再び、手を上げると同時に、アキラとセシルの姿に重ねるように、自身の指先をゆっくりと擦り合わせる。その触覚と共に、彼の脳裏に別の記憶が浮かび上がった。


(......大規模といえば、あの時の爆発的な力もだ。彼女が放った力......いや、“溢れ出た”とでも言うべきか。だが......くそっ、思考ばかりが先走っても意味はない。理屈を探るのは今じゃない)


クロノスは自身の中で渦巻く疑問と戦いながらも、視界に映るセシルの行動の数々を思い返していた。そして――


「きゃっー!!」


――セシルの悲鳴が、その場に響き渡るように聞こえた。


「ッ...!」


その声に視線を走らせた瞬間、彼の目には空中に投げ出されたセシルの背中が捉えられ、その背後から放たれた無数の青白い短剣が、まるで彼女の命を刈り取らんと迫っていた。


それは一瞬の出来事でありながら、永遠にも感じられるような静止した時間の中で、クロノスの中にある一つの確信が静かに立ち上がると、焦る心を押し殺すように、彼はごくわずかに口角を上げ、淡く呟いた。


「ふっ、また刺されそうになっているな。......まったく、あいつは」


その瞬間、クロノスはゆっくりと右腕を前へ差し出した。そして、空気が、世界が、明確に“変化”した。


「“この状況”になれば、“この条件”が揃えば、俺はこの力を使える――」


クロノスの意識は研ぎ澄まされ、右手は迷いなく前方へと差し伸べられ、その指先がセシルとアキラを確実に捉えるように包み込むと、ゆっくりと指を握り締めながら、確かな言葉を呟いた。


「――俺の仮説が正しければ、な」


その言葉と共に、身体の奥底にくすぶっていたもやが晴れるような感覚が彼を包み込んだ。


不快感は完全に霧散し、その代わりに胸の中心から確かな“確信”が浮かび上がると、そして、世界の流れが音を立てることなく、確かに“変わった”。


空気は水のように重く、濃くなり、まるで世界そのものが水底に沈んでいくかのように、あらゆる動きが重力に縛られ、鈍化していく。


そして、やがて世界は完全に()()した。


クロノスはゆっくりと握り込んでいた拳を解き、迷いのない足取りで前へと踏み出した。彼の身体を包むのは確信であり、その視線は揺るぎなく、まっすぐアキラのもとを捉えていた。


(やはり、この力が――使える)


そんな思いと共に、クロノスは歩みを進めていた。この力は本来、極めて限られた“条件”を満たした時のみに発動する特殊なものだった。


だが、今回は明らかにその条件が満たされていないにもかかわらず、彼は“力”を引き出している。


(偶然......ではない。いや、違う。そう片付けたくはない。ならば――これは、俺が予測した“別の条件”が正しかったということか)


答えはまだ見えない。だが、今はそれで構わなかった。重要なのは、“今、この瞬間”を確実に掌握しょうあくすることだ。


そして、時の止まった世界の中、クロノスはゆっくりと歩を進めながら、ふと宙に浮かんだセシルの方へと視線を移した。


空中で吹き飛ばされたその身体は、なおも次にできることを探すかのように、剣の刃を伸ばし、懸命な表情で前を見据えていた。


必死に抗おうとするその姿に、わずかな光を感じたものの、その背後には無数の短剣が一直線に狙いを定め、今にも彼女を貫かんとしていた。


「あぁ......あれも、何とかした方が良さそうだな」


そう呟いたクロノスは、何かを確かめるように目を細め、次の瞬間、地面に触れることなく真紅の鎖を喚び出した。


その鎖は意思を持つかのようにうねりながら宙へと伸び、鋭い金属音を伴って、セシルの背後に迫る短剣たちをまとめて薙ぎ払った。


すると、その鋭利な短剣の刃は真紅の鎖に弾かれ、火花を散らしながら空中に放り出されていったが、やがて再び重力を無視したように空中で静止し、時の檻に囚われたかのように動きを止めた。その様子にクロノスはほっと息を吐き、安堵の表情を浮かべた。


(あれなら、少なくともセシルが傷を負う心配はないな......)


しかし、そう思った時にはすでに彼は、自然とアキラの目の前へとたどり着いており、気づけば、その手を伸ばせばすぐ届くほどの距離に立っていたクロノスは、自らの掌へと視線を落とし、アキラの青白い花に覆われた目元へ、触れないようにそっと手をかざした。


そして次の瞬間には、そのまま手を下ろし、彼の胸、ちょうど心臓の位置へと、静かに掌をかざしていた。


「......今の俺にできるのは、せいぜい“時間を止める”といっても一桁台――数秒程度のことだ」


まるで自分に言い聞かせるように、あるいはその場にいる誰かに遺言を残すかのように呟いたクロノスは、集中をさらに深め、掌に赤黒く濁った魔力を凝縮させていくと、神経の一本一本までが研ぎ澄まされていくような感覚に包まれながら、彼は静かに時を待った。


(......過去に囚われている、か)


ふと、クロノスはセシルがアキラに対し言っていた言葉を思い出し、同時に、脳裏に蘇ったのは、アキラとの契約だった。


(そういえば......お前は最初、“誰かを生き返らせることはできないのか”と聞いてきたな。俺には、なぜその願いをしてきたのか、それを理解するには、あの頃はあまりにも感情が未熟だった。


だが、大切な存在を失い、その復讐心を胸に、俺とは別の形で契約を結んだ。その時のお前には、確かに“目的”があり、揺るがぬ意思が、あったはずだ。


けれども今、セシルを前にしたお前の姿は、かつての自分を否定するかのように“精霊の力”に縋っていた。


かつて心の底から忌み嫌っている、と豪語していたはずの力に、なぜ崇めるような程の熱意で手を伸ばしたのか――その疑問は、何度も胸の中で渦を巻いていた。そして一時は、あれこそが本来のお前の願いだったのではないかと、そう思っていたことすらあった。


だが、違ったんだな。


“魂の損失”――俺との契約によって、お前は己の魂の一部を代償として差し出した。だが、その代償は、お前の感情を確実に蝕み、歪ませ、本来の道を見失わせた。


怒りと復讐心だけが、ただそこに残り、目的も、理由も、すべてがもやのようにぼやけていかせ、気がつけば、“精霊の力が欲しい”という、本来の思いとは違う歪んだ欲望だけが残り、そこにお前自身の意思はもうなかった。――それはきっと、お前が望んだ未来じゃない)


その思考に沈みながらも、クロノスの身体を襲ったのは、これまで幾度となく体験してきた、時間停止の代償――止めた時の分だけの“重力の重み”が、一気に全身を襲ってきた。


それは単なる疲労ではなく、空気の密度すら変わるような圧迫感で呼吸すらままならず、肺が潰れるかのような苦しさが、じわじわと全身を締め上げていった。


手足は鉛のように重く、指先の感覚すら遠のいていく感覚に襲われそうになったが、クロノスはそんな中でも、かすかに笑みを浮かべていた。


「――ならば、俺自身がここで終わらせてやる。賭けには......勝ったぞ」


低く、しかし確かな声音でそう呟くと、クロノスは全身の魔力を掌へと集中させ、一切の迷いを断ち切るように、その手をアキラの胸元に突き出した。


その瞬間、空間が圧縮されるような音を立て、止まっていた世界が大きく揺れ、次いで、凍りついていたような沈黙を破るかのように、轟音が世界を引き裂き――

巨大な爆発が、全てを飲み込んだ。



◇◇◇



やがて、あの凄まじい爆発の余韻が静まり返ると、焦げたような砂埃がまだ空を漂う中で、クロノスは膝をつけまいと、荒く上下する胸元に手を当てながら、必死に意識を繋ぎとめようとしていた。


内側から押し潰されそうな痛みに耐えるように、自らの心臓を掴み、抑え込むようにして、今なお熱を孕んだ空気の中、歪みのような魔力の気配が確かに、だが、わずかに薄らいでいくのを感じ取っていた。


「はぁ......はぁ......ぅっくっ、流石に来るか......この重み......だが、悪くない一発だったんじゃないか」


そう呟く声はかすれていたが、どこか満足げな響きを宿していた。クロノスは震える指先でかろうじて拳を握ると、痛みと疲労が交錯する身体に鞭打って顔だけをわずかに動かし、ゆっくりと周囲に視線を巡らせた。


意識の奥では、爆発の直前に確かに触れたはずのアキラの感触と、そのすぐ近くで巻き込まれてしまったセシルの姿が浮かび上がったが、二人の姿は、視界のどこにも見当たらないでいた。


(......爆風で、吹き飛ばされたのか?無事だと良いんだがな)


爆発の中心から放射状に吹き上がった砂埃が、次第に落ち着いていくのと同時に、先ほどまで周囲を覆っていた、ねじれるような空気の圧力のあの禍々しい「異質さ」が、まるで何事もなかったかのように、ゆっくりと、けれど確実に霧散しつつあった。


「ッ...あれは!」


ふいに、砂埃の隙間から現れた影が、クロノスの目を射抜いた。今、自分が立っている場所から通りを挟んだ先――建物の瓦礫と化した壁に背を預けるように、誰かが座るようにしゃがみ込んでいた。


セシルかアキラか、それともただの崩落した残骸か。煙の濃さと光の反射で、すぐには判断はつかなかったが、迷いより先に、身体が動いていた。


自然と、足が一歩、また一歩と影へと向かい始め、気が付けばその動きは走り出すほどに加速していた。そして、姿がはっきりと見えた瞬間――


「アキラ...!」


クロノスの喉から絞り出された声が、静寂に滲んでいった。建物の外壁に背を預け、重力にすべてを委ねるように座り込んでいたのは、紛れもなくアキラだった。


服はところどころ焼け焦げ、腕は力なく垂れ下がっている。だが、彼は確かに息をしており、低く呻くような呼吸音が、まだ意識が完全には消えていないことがわかる。


そして、彼の目元を覆っていた、かつて咲き誇っていたはずの青白い花は、今はすでに花びらとなってはらはらと散り、まるで役目を終えたかのように彼の足元に美しく、けれど儚げに積もっていた。


そして、花々が集合して生まれたあの忌まわしい異形と化していた腕も、同じように枯れ落ちてしまったのか、今はただ、空虚に消え去っていた。


(......この花びら。力を、抑えることができたのか?)


クロノスはその光景に、かつてセシルが暴走しかけた時、暴走していた歪みの空気が収まり、力を制御した姿。そして、魔獣が爆発と共にその体内から無数の青白い花びらとなって爆散した時の過去の記憶を重ねていた。だが、そう思うと同時に、ある懸念も脳裏をかすめた。


(......そういえば以前、魔獣が撒き散らした花びらは踏んでも何も起きなかったな。けど、今回は慎重を期すべきか)


クロノスはそう判断すると、あえてその花びらには触れぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと膝をつき、アキラの顔が見える位置まで身体を下ろした。そして、そのまま息を呑み、彼の肩に手を伸ばした。


「......おい、生きているか?」


すぐには返答はなかった。だが、肩に手が触れたその瞬間、特に異変もなく触れられたことで、クロノスはほんのわずかに安堵し、その直後、遠慮なくアキラの肩を掴み、強く、揺さぶりはじめた。


「意識はあるのはわかっているぞ」


敬語を崩し、ほぼ素のような、ぶっきらぼうな口調で話しかけつつ、クロノスはなかなか目を開けようとしないアキラに静かな怒気と苛立ちが滲ませ、無言の圧力を込めて揺らし続けた。


「どうして、あんな暴走をしたのか。教団が関わっているのか......何を隠している。......全て話してもらう」


淡々とした語調の中に込められた問いの数々は、クロノス自身が抑えきれないほど膨れ上がった疑念と怒りの一端にすぎなかった。


しかし、どれだけ揺さぶっても、まるで、目を開けてしまえば何かが壊れてしまうとでも思っているかのようにアキラのまぶたは頑なに閉じられたままだった。


その様子にやがて、クロノスは深く息を吐き出し、肩から手を放す。その表情には、呆れと少しの諦念が浮かんでいた。


(クソッ、こいつ......絶対、キツネ()寝入りしてやがるな)


心の中でそう毒づきながらも、クロノスの視線は無意識のうちにアキラの額へと向かっていた。


そして、無造作に垂れた前髪の奥、その向こうに、一度だけ目にした火傷の痕があるはずだという記憶が、ふとした拍子に脳裏をよぎり、その瞬間、彼の胸中に小さな疑問と、それに伴う淡い好奇心が芽を出した。


(そういえば......最初に見た時の、あの火傷......今はどうなっているんだろうか?)


何かを確かめるように、クロノスは額にかかる髪へとそっと手を伸ばしかけた。その手つきには、敵意も悪意もなく、ただ、知りたいという気持ちだけが動機だった。しかし、次の瞬間――


――パシッ。


乾いた音と共に、まるで鬱陶しい虫でも払うような仕草でその手が無慈悲に払われた。思わず目を見開いたクロノスの視線の先で、睨むようにこちらを見据えるアキラの目が、手の影から覗いていた。


「......くっ、おい。加害者相手とはいえ、随分と手荒な対応じゃないか?他人への配慮を放棄するような真似まで、いつから身につけたんだ?」


皮肉を含んだ軽い口調ではあったが、その言葉にはどこか苦い棘のような響きが隠されており、それを感じ取ったクロノスは、ほんの一瞬だけ感情が揺れたのか、手を口元に添えて咄嗟に気配を覆い隠すようにすると、小さく鼻を鳴らして応じた。


「ふっ......俺の問いには何ひとつ答えようとしないくせに、よくも、まぁ、そんなことが言えるな」


「ふんっ......」


アキラはふいっと視線を逸らすと、どこか居心地の悪さを感じているかのように、腕を腹の前で巻きつけるように抱きかかており、その仕草には、普段の挑発的な余裕は見られず、ただ静かな拒絶のような空気が漂っていた。


そのまましばらくの沈黙が流れると、やがてアキラは左手をそっと肩に添えるように伸ばしていた。かつて、異形の腕が生えていたはずの場所へ、まるでそこに痛みが残っているかのように、服の上から優しく触れる仕草だった。


その様子に気付いたクロノスの目が細めると、彼の目は、自然とアキラの上着の裾のその下にあるはずの腕へと向けられていた。


だが、そこにあるべきものは――なかった。


クロノスは一瞬その光景に驚くような表情を見せたが、すぐに真剣な目つきでアキラに問いかけていた。


「......やはりその腕は俺が作り上げた短剣で自ら切り落としたのか?」


彼がそう呟いたその瞬間、アキラの肩に置かれていた手がわずかに動き、そして俯いていた顔が、ゆっくりと上を向いていた。


しかしそこに浮かんでいた表情は怒りでも苦痛でもなく、目に映ったのは、ただ、明確な、後ろめたさだった。


「どうでもいいだろ、そんなのは......」


絞り出すように吐き出された声は、普段のような刺々しさもなければ、挑発めいた言い回しもなかった。ただ、逃げたいという想いを必死に押し殺そうとする、弱い心の声が滲み出ていた。


そんな彼に、クロノスは何も言わずにその場に立ち尽くしたまま、ただ、胸の奥からこみ上げてくる問いを抑え込んでいた。


(あんたは......俺たちの過去の何を知っていて、そして、何を黙っている?あの精霊の実験、セシルの苦しみ......この惨状に対して、お前は、何を思ってるんだ)


その問いが喉元までせり上がるが、声にはならないでいた。言葉にしてしまえば、目の前のすべてが壊れてしまう気がして、クロノスはそれを、ただ胸の奥に押し込んで呑み込んでいた。


アキラもまた、気まずそうに視線を泳がせ、何度も口を開いては閉じていたが、その唇からは、何一つ、言葉がこぼれてこないでいた。

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