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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第一部. 契約悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る歯車
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第4話. 積み重なる疑念



――あれから、セシルとエルナはクロノスに手を引かれるまま、視線を地面に落としながら一言も発することなく、崖から遠ざかるようにして静寂に包まれた森の中を歩き続けていた。


深く重たい沈黙は、まるで森の中の湿った空気に溶け込むようにして三人の間に垂れ込め、誰一人として口を開こうとはしなかった。


ただ、時折、木々の間を渡る風がざわざわと枝葉を鳴らし、足元で乾いた枝が無造作に折れる音だけが、わずかに沈黙の隙間を縫うようにして周囲に響いていた。


そんな張りつめた空気を突き破るかのように、クロノスが突如として足を止めた。


「......?」


セシルは何事かと顔を上げかけたが、その僅かな動きすら遮るようにして、まるで場違いな陽気さをまとった声が森の中に響き渡った。


「よぉ、さっきの揺れ、中々凄かったねぇ~♪おやぁ、ずいぶん冴えない顔してるじゃないか。まるで修羅場でもくぐり抜けてきたみたいだな」


声のする方を見やると、そこには長身で痩身の男が、どこか浮ついた雰囲気を纏いながら、ひょいひょいと軽やかな足取りで近づいてきていた。


無遠慮な笑みを浮かべたその表情からは、場の空気を読む気配もなければ、森に漂う緊迫感を察する素振りも一切なく、あたかも異質な存在がこの空間に紛れ込んできたかのような、不気味な違和感があった。


(誰、この人......?)


セシルはクロノスの手に掴まれながらも、無意識に一歩だけ身を引いた。そしてその瞬間、自分の手を掴むクロノスの力がふいに強くなったのを感じ取り、思わず驚きの表情で彼を見上げた。


「......っ!」


そこに浮かんでいたのは、セシルがこれまで一度も見たことのない、鋭く険しい表情だった。クロノスは男を真っすぐに睨みつけており、その瞳には怒りとも敵意ともつかない、強烈な感情が渦巻いていた。


その気迫に思わず「ひゅっ」っと息を詰まらせたセシルだったが、同時にある違和感が胸の中に芽生えた。


(......あれ? クロノス様の耳――)


ふと見えた彼の耳に、どこか見慣れぬ異変があるような気がして、セシルは思わず目を見開いたまま凝視していた。


しかし、その疑問が言葉になるよりも早く、再びあの軽薄な声が空気を切り裂くようにして響いた。


「怖いなぁ、クロノス。その顔、ちょっとやめてくれない?せっかくの再会なんだからさ」


その言葉にはっと我に返ったセシルは、無意識に首を横に振って自分の思考を断ち切り、再び視線を男へと戻すと、男は口元に指を添えて、愉快そうな笑みを浮かべながらも、その裏に何かを隠しているような、芝居じみた不気味さを纏っていた。


「それより、君たち。村の件、大変だったねぇ?ここまでよく逃げてこれたな」


まるで他人事のように軽々しく語られるその口調に、セシルは言葉を失った。ただの挨拶のように語られる“村の件”が、自分たちの喪失と恐怖のすべてを無造作に踏みにじるように感じられ、怒りと困惑、そして戸惑いが胸の内でぐちゃぐちゃに入り混じっていくのがわかった。


そんな中、エルナが一歩前に出ると、勇気を振り絞るようにして男に問いかけた。


「あなた、一体誰なんですか?! あの村でのことを知っているみたいな話し方......どうして!!」


男はその問いに、ワザとらしい動きで肩をすくめながら口元を覆い、楽しげに笑ってからこう答えた。


「ふっ、そうだねぇ......僕のことは、そうだな。そこに立ってるクロノスの‟主”って言えば分かりやすいかな?」


「主...?」


エルナが聞き返し、セシルもまた言葉の意味を測りかねるように眉を顰めていると、男は得意げに腕を組み、片手をひらひらと動かしながら、またも軽快な調子で続けた。


「ねぇ、君たちさ。力が欲しいって思ったこと、ない?」


その目がじろじろとセシルとエルナを見回しており、その視線には下卑た色こそなかったが、どこか底知れぬ意図が潜んでいるように感じられ、セシルの中に警戒の色が強まっていく。


「......何が、目的なんですか?」


静かに、しかしその奥に怒りと疑念を滲ませながら、セシルは鋭い目で男を睨みつけたが男はそれを楽しむかのように、口元に笑みを浮かべながら言い放った。


「今のままじゃ、君たち......守りたいものすら守れないよ?」


その言葉はまるで、心の奥底にこびりついた不安や恐れを抉るように響いた。セシルとエルナは思わずクロノスを挟んで目を見合わせた。


セシルの瞳には明確な拒絶と不信が滲んでいたが、エルナの目はほんの一瞬、ほんの僅かだが、まるで救いを見出そうとするような光を宿していた。


「流石に黙ったか? まぁ、いいさ。今すぐ答えろなんて言わない」


男はおどけたように首を傾け、肩をすくめると、まるで演劇の幕間のような軽やかさで口調を変えた。


「あ、僕の名前はアキラ。よろしくね~♪」


そう言ってアキラはくるりと踵を返し、顔だけこちらに向けたまま、薄く口角を上げながら告げた。


「興味があるなら、ついてきなよ。おい、行くぞ、クロノス」


その言葉と共に、アキラは森の奥へと姿を徐々に距離を放し、消していった。そしてクロノスもまた、一瞬だけセシルとエルナに視線を向けたが、何も言わずにその手を放すと、その背を追って歩き出した。


「えっ、クロノス!?待ってよ!!」


エルナはその様子に驚いたように声を上げ、咄嗟にセシルの手をぎゅっと掴むと、迷うことなく二人の背を追って駆け出した。


すべてを失い、どこへ向かえばよいのかもわからない少女たちは、まるで藁にもすがるように――いや、そこにしか残されていないかのような希望と抗いがたい運命に導かれるようにして、その背中を追っていった。



しかしその瞬間から、二人の運命の歯車はますます狂いを増し、戻ることのない道を歩み始めることになるのだった。



◇◇◇



「ちゃんと着いてきているようだな...」


アキラは足を止めずに歩を進めながらも、横目でさりげなく後方を確認し、エルナたちとの距離が十分に保たれていることを確かめると、それまでのぶっきらぼうで無感情にも思える口調から一転し、低く抑えた声の中にどこか満足げな響きを滲ませ、口元にうっすらと不気味な笑みを浮かべた。


その不自然な変化に、やや後ろを歩いていたクロノスは違和感を覚えたのか、表情をわずかに曇らせながらも、喉の奥に引っかかっていた問いを押し出すように、ゆっくりと口を開いた。


「......アキラ様、一つ、お聞きしたいことがございます」


そう言いながら、クロノスは小走りに歩調を速め、アキラの横に並ぶようにして距離を詰めると、後ろにいるエルナたちには聞こえないよう、声のトーンを落としてささやいた。


その問いかけにアキラは顔を顰めつつも、視線だけをわずかにクロノスへと向け、軽く眉を動かして返答を促した。


「...ぁ?」


ぶっきらぼうに声を返しつつも、アキラの興味は僅かにそそられたようで、目線だけはじっとクロノスを捉えている。そんな彼の反応に、クロノスはあくまでも冷静さを保とうとするように丁寧な口調で続けた。


「あの二人を、これからどうされるおつもりなんだ」


その問いに対し、アキラはまるで芝居でもしているかのようにわざとらしく首を傾げて見せると、すぐさまその表情を歪め、まるで侮蔑でもするかのようにクロノスを睨みつけながら、吐き捨てるような口調で言い放った。


「何だよそれ、今さら聞くのか? あんたには関係ないことだろうが」


その冷たい一言にクロノスは一瞬口を閉ざし、押し黙って俯いてしまうが、アキラはそんな彼の様子を面白がるように観察しつつ、再び後方で懸命に歩いている二人の少女に視線を向けながら、にやりと口角を吊り上げて言葉を継いだ。


「それにしてもさ――クロノス、お前さ、あの二人と合流したとき、どう言い訳したわけ?まさかとは思うけど、適当なこと言ったんじゃないよな?」


その問いかけに、クロノスは僅かに視線を逸らしながらも、静かに答えた。


「......果物の蜜の匂いを辿って来たと、そう伝えました」


その返答にアキラは一瞬だけ呆気に取られたような顔を見せたが、すぐにその表情は変化し、口元に手を当てて冷たさを含んだ笑いを押し殺すような仕草を見せた。


「ははっ......何それ、マジで言ったの?いや、いくら僕が手間かけて作った特殊な果物だからってさぁ、もうちょっとマシな言い訳あったでしょ?お前が二人と顔見知りだったからこそ、あの果物を渡すように頼んだんだよ。なんでそんな無防備な答え返しちゃうかなぁ」


クロノスはその言葉に反論することもできず、黙って視線を落としたまま沈黙を守っていたが、その手はかすかに震え、握りしめた拳には明らかに怒りが滲んでいた。


その様子を見逃さなかったアキラは、満足げな笑みを浮かべながら一歩踏み寄り、低く冷たい声でさらに囁いた。


「......クロノス。お前、そんな顔しても無駄だよ?まるで僕を恨んでるような目だけどさ、勘違いしないでよ。お前も同罪。いい子ぶってたって、結局、お前にも何一つ守れてないんだから」


その言葉は刃のように鋭く、クロノスの胸を容赦なく抉ると、アキラはさらにもう一歩近づき、その目にぞっとするほど冷たい光を宿しながら、感情の読めない声で続けた。


「なぁ、クロノス。お前が何を考えていようが、僕には全部お見通しなんだよ。でもな、分かってる?僕と“契約”した時点で、お前が物申せる立場なんてもうないんだよ――永久に、な」


クロノスの拳はさらに強く握りしめられ、その指先は白くなり、肩から背中にかけての筋肉が震えるほどに緊張していた。


その様子を愉しげに眺めたアキラは、最後にもう一度意地悪く笑いながらクロノスの横をすり抜け、まるで何かに気を取られたように遠くを見やりつつ、軽やかに歩みを進めていった。


その背中からは、言葉にできない重圧と狂気の気配が漂っており、まるで空気そのものが冷たく歪むような錯覚すら覚えるほどだった。


「くそっ......俺は......」


クロノスはその場に立ち止まり、怒りとも苦しみともつかない複雑な感情を押し殺しきれず、うつむきながら震える拳をただ強く握りしめることしかできなかった。


心の奥底に渦巻く罪悪感と自己嫌悪、そしてどうしようもない無力感が、彼の中で静かに膨らんでいのが自分でもわかっていた。


だが、その時、背後からそっと優しく背中に触れるぬくもりと、まるで氷を溶かすような柔らかい声が、彼の世界に静かに降ってきた。


「クロノス?大丈夫?」


その声に、クロノスはハッとして顔を上げるとそこには、息を切らしながらも彼の傍らまで駆け寄り、心から彼を心配している様子のエルナがいた。彼女の純粋な眼差しに直視できず、クロノスは視線を逸らしながら、絞り出すように答えた。


「......あ、あぁ......大丈夫、だ」


そう返す彼の声は掠れていて、どこか遠く、痛みを押し隠しているように感じられた。そしてその表情からは、明らかに“大丈夫”とは程遠い硬さがにじみ出ていた。



◇◇◇



――数分前。エルナがクロノスに駆け寄る少し前、セシルはエルナのやや後方を歩きながら、心の奥でざわめく感情を持て余していた。


(クロノス様と、あの男――アキラ、だったよね。一体、何を話してるんだろう......)


セシルは、歩みを崩さないように気を配りながらも、無意識にクロノスとアキラのほうへ視線をちらつかせていた。


彼らは小声で、どこか緊張感を帯びた様子で言葉を交わしており、そのやり取りの内容までは届かないが、ただの世間話ではないことだけは伝わってくる。


その様子に胸の奥がざわつき、セシルは小さくため息を吐いた。そして、ふとした瞬間、再びクロノスの耳に視線が引き寄せられた。


(やっぱり......クロノス様の耳――尖ってる)


まるで人間の耳を少しだけ上に引っ張ったような、自然ではあるが、どこか異質な輪郭を持ったその耳は、やはり人間のそれとは微妙に異なっていた。


セシルは一度目を細め、自身の泣きはらした目を何度か擦って見直すが、その形は変わらない。


(他種族......?でも、クロノス様って、そんなこと言ってたっけ?)


彼女は顎に指を当て、記憶の奥底に沈んでいる断片を一つ一つ掘り起こすように思考を巡らせ、世に知られる異種族たちの特徴を順に当てはめていくと、ある一つの可能性がふと脳裏をよぎった。


(......あっ、たしか、エルフ族には、ああいう耳の特徴があったはず。それに、高貴な雰囲気も共通してるし、服装の雰囲気もどこか似てる)


そこまで考えたセシルは、一度意識をリセットするように首を横に振り、再び前を見やった。


その瞬間、エルナの歩みが不意にゆっくりとなり、どこか心配そうな声が漏れ聞こえてきた。


「あれ、クロノス?急に立ち止まってどうしたんだろう?」


エルナが呟いた言葉がセシルの耳に届くと、彼女は一瞬セシルを振り返って目を合わせると、次の瞬間には軽やかにクロノスの元へと駆けて行った。


その様子を後方から見つめていたセシルは、微かに口元を緩めたものの、次の瞬間には再び視線が二人の耳元に引き寄せられ、胸の奥に何かが引っかかるような感覚が過ぎった。


そこには、色違いではあるものの、お揃いのデザインの耳飾り――いや、イヤーカフが、揃って片耳で揺れていた。


(......イヤーカフ。そうだ、あの時......どうして、忘れてたんだろう)


自分の右耳に自然と手が伸ばすと、その耳には、記憶の中にあるものと同じイヤーカフが今も静かに付けられており、指先が微かに震えていた。


そして、触れた瞬間、セシルの脳裏には、あの懐かしい日常の一幕が突然鮮明に蘇った。



✿✿✿



『お姉ちゃーん!』


『わっ、びっくりした!もう、後ろから驚かさないでよ』


『えっへへ、ごめんごめん。ねぇ、何してるの?』


『耳飾りを作ってるの。イヤーカフっていうのよ』


『イヤーカフ?普通の耳飾りと違うの?』


『ぅん、これね。耳に穴を開けなくてもつけられるんだよ。気軽におしゃれできるんだから』


『へぇー、そんなのあるんだ。面白いね!』


『おっ、興味持った?ふふっ、そんなセシルに......じゃーん!!セシルにも作ったからプレゼントしちゃいまーす!!』


『えっ、本当に!?ありがとうお姉ちゃん、大好き!!』


『私とお揃いだから、壊れても大事にしてね』


『うん!......あれ、その色違いのやつは?』


『えっと、これはね......クロノスに渡そうと思ってて』


『ほほぉ...』


『ちょ、ちょっと!その目、やめてよ~!』


『あっ、ねぇそのスケッチ、耳?』


『そうよ!クロノスの耳って、お父さんのにそっくりだから、今その形を参考にしてるんだ!』


『......えっ、お姉ちゃん。クロノス様の耳の形覚えた上で、耳の絵を描くって......そこまで行くと、ちょっと怖いというか、気持ち悪いよ?』


『ち、違うってばー!!』



✿✿✿



――記憶の断片から意識を戻したセシルは、その場で立ち止まり、指先を耳に当てながら、微かに震えながらその記憶を思い返すように繰り返していた。


(たしかに、ハッキリと言ってた。クロノス様の耳は、お父さんと同じだって。でも......)


セシルはギュッと拳を握りしめ、頭の中で何度もその記憶を反芻した。「本当に、あの時そう聞いたのか?」「自分の記憶違いではないか?」けれど、何度繰り返しても、その光景ははっきりと蘇り続けた。


「......どう、して?」


呟いた言葉は風にかき消されるほど小さな声だったが、セシルの胸の内では、心臓の鼓動がまるで耳元で打ち鳴らされる鐘のように響いていた。


もしクロノスが本当に人間と同じ耳を持っていたのなら、今目の前にいるこの人物は一体誰なのか。いや、別人の訳がない――なら。


(人間だと、偽っていた?)


彼の耳飾りを見つめるセシルの瞳には、疑念と共に、形容しがたい恐怖がじわじわと広がっており、震える心は、まるで霧のように視界と思考を曇らせていく。


(じゃあ、クロノス様と一緒にいた、あの男......アキラって、一体何者?)


――その時、前方からエルナの声が飛んできた。


「セシルー! 置いて行かれるよー!」


「っ......!」


ハッと我に返ったセシルが顔を上げると、気づけばクロノスとエルナはすでに数メートル先を歩いており、その背は遠ざかりかけていた。


(お姉ちゃん......行っちゃ、ダメ......)


恐怖と混乱が絡み合い、足は地面に縫い付けられたように動かず、喉の奥から絞り出そうとした声は、空気を震わせるだけで音にならなかった。


それでもようやく口から漏れた声は、自分でも驚くほどか細く、心に叫んでいた言葉とは裏腹に、ひどく頼りなく震えていた。


「......今、行く」


震える足に懸命に力を込めながら、セシルは小さな一歩を踏み出した。心に立ち込める霧が晴れる気配はなかったが、それでも彼女は確かに、自らの意思で前へと進み始めたのだった。

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