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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第一部. 契約悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る歯車
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第39話. 劣弱な自分



ドシンッ―― カランカラン


鈍く重たい音が響いた直後、手足を縛られていたセシルは身動きも取れずに、まるで糸の切れた操り人形のように、身体は無防備に宙を舞い、そのままお腹側から頭部までを地面に叩きつけられる勢いで落下し、石畳へと激しく衝突した。


その衝撃に合わせて、かろうじて握っていた剣がセシルの手から滑り落ち、乾いた金属音を立てながら石畳の上を甲高く鳴いて転がり、その音は、訪れた静寂を打ち砕くように虚しく響いていた。


「ぁ...うぅ...」


身体全体に激痛が走り、これまでアキラに何度も受けた攻撃よりも遥かに深く、鋭い衝撃が骨の芯まで突き刺さるようだった。


セシルは苦悶に満ちた小さな声を漏らしながら、反射的に肺に空気を取り込もうと何度も浅く、苦しげな呼吸を繰り返していた。まるで溺れているかのように、酸素を求める本能だけが彼女の体を動かしている。


「ッセシル!!」


意識がぼんやりと霞む中、かろうじて聞こえたクロノスの悲痛な叫びが、彼女の名を強く呼びかけた。


「...う、くぅ......」


その声に引き戻されるように、セシルは残された力を振り絞って両腕を動かし、何とか上半身を起こすと、視界を回復させようとするかのように目元を荒々しく擦った。


すると、わずかに晴れたその視界の端に、誰かの足元が映り込んでおり、セシルの全身が硬直させた。


「ッ——!」


本能的な警告に駆られたセシルは、痛みに軋む首を持ち上げて顔を上げると、アキラが立っていた。


彼の目元をおおっていたはずの青白い大きな花は、セシルに切りつけられた事により、僅かに冷ややかな瞳を覗かせながらセシルを見下ろしていた。


「あ...ア...キラ...さ——」


かすれた声で名前を呼ぼうとしたセシルの言葉を遮るように、アキラは侮蔑の混じった声で吐き捨てた。


「はぁ...まだ立ち上がろうとするのか。しつこいにも程があるんじゃないか? 一体、どれだけ僕の邪魔をしたいんだ、君は?。」


冷淡にそう告げるアキラはセシルに斬られたはずの異形の腕をまるで見せつけるようにゆっくりと差し出し、細めた瞳の奥でわらっていた。


「...でも、まずは一人。」


ズシャァァ——


その低いアキラの言葉と同時に、突如としてセシルが座り込む地面から突如として藤色と紫色の花々が無慈悲に伸び上がると、その花たちは鋭利な刃のように伸び、セシルの体を容赦なく貫いた。


「——!!」


全身を貫く痛みが駆け巡り、セシルは思わず声にならない悲鳴を上げ、彼女の視界は大きく揺らぎ、世界そのものが傾いていくような錯覚に陥ると、地面が遠ざかり、まるで魂ごと引き抜かれるような感覚だけが身体を支配していた。


すると、耳鳴りと鼓動の間を縫うように、誰かの声が微かに届いてきた。


「......次は......使い物にならない契約悪魔、お前だよ。」


(......アキラ...さんの...声...?)


それに続いて、今にもかき消えそうな、けれど確かに胸の奥に響くような、もうひとつの声が聞こえてきた。


「セシル! おい、しっかりしろ!! セシル!!」


クロノスの必死の叫びが微かに聞こえてきたが、今の彼女には、それに応える力も、意識を保ち続ける余裕すらなかった。


すると、かすんだ視界の奥で、続いて誰かが鼻で笑い、軽薄な声が響いた。


「ふんっ、うるさいぞクロノス。動けもしないくせに、口だけは達者だな? そのまま黙って指でも咥えて、大人しく僕に殺されるのを待っていればいいさ。」


その言葉と同時に、空気が揺たことで、セシルの目にはもう何も見えなかったが、アキラがゆっくりと、確かにクロノスの方へと歩みを進めているのを、肌で感じ取っていた。


(この...ままじゃ...クロノス...さん...が――)


遠のく意識の淵で、セシルはわずかに、震える指先に力を込めようとしたが、それに反してセシルの瞼は重くなり、意識はまるで深い深い抗いようもなく闇へ引きずられていった。


(待っ...て...行か...ないで...)


必死に願っても、力の入らない手足は無様に地面へと崩れ落ちるばかりだった。


アキラによって召喚された藤色の花々に身体を貫かれたまま、セシルは自分の肉体がまるで他人のもののように感じられていた。


(もう......ダメ、なのかな......)


そのすべてに抗おうとする意思も、今はどこか遠くに置き去りにされたようだった。


——その時、不意に耳元で、微かな囁きが風のように通り抜けた。


「......シル......」


それは、あまりにも静かで、けれど確かに届いた声だった。


柔らかく、あたたかくて、まるで春の陽だまりのようなどこか懐かしいその声は、触れようとすれば消えてしまいそうな、儚さを伴っていた。


(......今......誰かが......)


意識の底から引き戻されるように、セシルの胸の奥に波紋のような感情が広がっていく。


声の正体を探ろうと、かすかな意識が暗闇の中でもがくと、ぼやけた視界の奥に、柔らかく揺れる光が見え、その光の中心には、白い靄に包まれた人影が立っていた。


——その隣に、いたのは。


(......クロノス......さん......?)


暗い影の隣で、微笑むようにして立っていた彼の姿が、確かにそこにあった。彼は、どこか楽しそうにしていて、どこか懐かしい空気を纏っていた。


——気のせい、かもしれない。 けれど、その姿を見た瞬間、不思議と胸があたたかくなり、全身に襲われる痛みが、少しずつ落ち着いていった気がした。


すると、次の瞬間、脳裏にこちらに手を差し伸べてくれるクロノスの姿が鮮明に浮かび上がった。


(わたし......)


人間の命を弄ぶと自称し、過去の記憶さえ失っていた彼が、それでも魔獣の襲撃から庇ってくれたこと。


何も持っていなかった自分を否定せず、信じて、決して見捨ず、あの静かな眼差しが、どれだけわたしを救ってくれていたかを、今なら痛いほどに理解できる。


初めて「剣を貸してほしい」と願ったあの日だって——



「お前には無理だ」とも、「やめておけ」とも言わず、


「...いいんじゃないか」


と、ただ一言そう言って、剣を放るように渡してくれた。今思えば、それは無茶に見えて、彼なりの確かな信頼の証だったのだ。わたしがしっかりと受け取れると、信じてくれていたからこそ。


——それなのに。


(クロノス......さんが......死ん......じゃう?)


その可能性を想像した瞬間、胸の奥に焼けつくような痛みが走った。


そんなの、嫌だ。冗談じゃない。絶対に、そんな結末は認めない。


彼はわたしの隣にいた。どんな時も、静かに、でも確かに、守ってくれた。信じてくれた。その彼を、わたしは......一度でも、守れたことがあっただろうか?


(......いい加減にしてよ......わたし)


クロノスさんがいなければ、とっくに死んでいたくせに。なのに、アキラと直接対決する前にあんなことを言った。


——「わたしに頼ってください」なんて。まるで強い人間のつもりで、偉そうに。


でも結局は口だけだった。さっきだって、自分が前に出たつもりでいて、結局彼が庇って傷ついただけ。今だって、休んでてくださいなんて言いながら、自分はこのざまだ。


(守られて......ばっかりじゃない......口だけの、役立たずじゃない......)


悔しさ、情けなさ、そしてふがいなさが胸に満ちていき、奥歯をギリリと噛みしめると、その瞬間、闇に染まりかけていた視界がゆらぎ、淡く、けれど確かな“色”を帯び始めた。


まるで、心の奥底に沈み込んでいた何かが、今まさに炎となって燃え上がろうとしているような——そんな予感。


「......そうよ。あの時、約束......したじゃん。一緒に彼を止めるって......これは、ただの......ただの口約束なんかじゃない......!」


その想いが胸を満たした瞬間、セシルの頭の奥で、何かが弾けるような衝撃が走ると、視界が一気に冴えわたり、瞳の奥に熱が灯るのを感じた。


それは、脳を内側から焼かれるような、狂おしいまでの熱だった。 燃え上がる意思が全身を駆け巡り、魂を突き動かすような暴風となって爆発するようだった。


「......そんな、いい加減な自分......そんなの、わたしが——わたし自身が一番許さない!!」


次の瞬間、全身がまるで炎に包まれたかのように意識が研ぎ澄まされ、身体に突き刺さっていた藤色の花々が、セシルの体に溶け込むように、静かに同化して行き、その存在を失っていった。


かすかに動く指先に意識を集中し、セシルはゆっくりと、それでいて確かな意志を持って、滑り落ちていた剣へと手を伸ばした。


その瞳には、もはや恐れも迷いもく、宿った光は、決意と誓いに満ちていた。そして、内からこみ上げる熱と共に、魂から絞り出すような叫びが、抑えきれずにほとばしった。


「......ックロノスさんから——離れろっ!!!」


その瞬間、空気が弾け、世界そのものが彼女の意志に応じて震え、揺らぎ、景色が一変した。


それは、まるで彼女の叫びが、命を持ったかのように世界を動かした、確かな“目覚め”の瞬間——まるで世界そのものが彼女の叫びに反応したかのように、空気が震え、地が唸り、空間そのものがひとつの意思を持って揺らいだ。


凍てつくような静寂が一瞬場を支配したかと思えば――次の瞬間、セシルの全身を包むように、眩いほどの光と圧倒的なオーラが爆発するように広がった。


彼女の手に握られた剣――いや、もはやそれは“ただの剣”ではなかった。刃の表面に真紅と青白の光が複雑に絡み合い、まるで脈を打つように鼓動し、熱を持って震えていた。


それは、剣がまるで“意志”を宿し、彼女と同じ怒りを共有しているかのようだった。


「――っ!」


セシルの瞳が鋭く光を放ち、次の瞬間には地を蹴り、砂煙が爆発のように巻き上がらせると、轟音と共にセシルの身体はまるで矢となり、一直線に疾走し始めた。


「届かせるッ!!」


「なっ...馬鹿な!!。」


アキラが慌てて振り返るが、その目に映ったのは、今までとは一人の少女としても、精霊の器とも、“何かが違う”セシルの姿だった。


力強さと清浄さ、怒りと覚悟、相反するものすべてを内包し、彼女はクロノスとアキラの間へと、一陣の風のように飛び込んできた。


「くそっ、何度も何度も僕の邪魔をッ!。」


アキラの焦りが明確に顔に浮かばせると、その声と同時に、再び無数の花々が紫黒い津波のように押し寄せてくる。


だが、セシルの足取りは止まらなず、むしろ、その怒りと意思が剣に宿り、まっすぐに花々へと突き刺さるように振るわれた。


「これ以上は、何もさせない――っ!!」


セシルの魂からの叫びと共に、刃が横一閃に振り払われると、その瞬間、押し寄せていた花の波が、まるで霧のように一瞬で砕け散り、その粒子はセシルに降りかかりつつも、そのまま同化するように溶けるように消えていった。


「ッ、この力......まさかッ!!。」


驚愕を隠せないアキラは衝撃波に押されながら、思わず後方へよろめいたが、その間にも、セシルは迷いなく、鋭く伸ばされた刃をアキラへ向けた。


「そして...これは――お返しだぁあッ!!!」


彼女の叫びは、すでにアキラの言葉も届かないほど遠くにあった。直線的に突き進む彼女のその軌道はまるで稲妻のようにウィップソードの先端が異形の腕をかすめた瞬間――その部分の花が黒く枯れ、一瞬で根元から断ち切られた。


「がっ、は......ッ!!。」


アキラが咄嗟に身を引くも、完全には逃れきれず、セシルの刃はそのまま腕を通過すると、衣服を僅かに裂き、顔を覆っていた青白い花ごと皮膚を浅く裂いていき、苦悶の声をあげる間もなく、アキラの身体はさらに後方に大きくのけぞった。


「今よ、そこっ!!」


セシルは一瞬の隙を逃さず、刃を引き戻して再び元の剣形に戻すと、のけぞったアキラの身体に一気に距離を詰め、そのまま刃先を突き立てようとした――その瞬間だった。


ピカーンッ!


「なっ、なに!?......眩しっ!!」


真紅と青白の光が複雑に絡み合い、赤紫色になっていたセシルのオーラが、突如、宝石のように輝きを増しながら、青白い光へと染まりはじめた。


次の瞬間、まるで太陽が地上に降りたかのような強烈な閃光が、セシルの身体を中心に街中へと拡がり、あまりのまばゆさに、セシル自身も目を細めていた。


(ッ、おかしい!とっくに、アキラさんに届いているはずなのに!)


既に触れていてもおかしくない距離にいたはずだったアキラに向けている剣先には、――手応えが一切ない。


それどころか、身体が吸い寄せられるように光の中へと引き込まれていく感覚だけが剣先に感じた。


(な、何がッ!起こっ――あ...あれ......目が......重......く.........)


次の瞬間、セシルはその場で全身麻酔を打たれたかのように、突如として、瞼が重くなった。


そのまま、セシルは体から力が一気に抜けていく感覚と突然、誰かにお腹に手を回され体を支えてくれたような感覚だけが残った。

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