第38話. 好機と油断
「えっ...なに...!?」
セシルは、アキラの口元に浮かんだ、隠しきれていない薄ら笑いを鋭く見抜いたものの、その時すでに鞘を振り下ろしていた勢いは完全に制御しきれず、体を引いて攻撃を止めようとするにはあまりにも遅すぎた。
抑えきれなかった感情と、半ば無意識のまま動いていた身体の反応が、そのまま攻撃として発現してしまったのだ。しかし、まさにその瞬間――
ヒュンッ、ヒュンヒュンッ――!
背後から、空気を切り裂くような鋭い音が耳を突き抜けた。
それは軽やかな風切り音では決してなく、まるで鍛え上げられた刃が怒りを孕んで殺到してくるかのような、凄まじい殺気を帯びた音であり、直後、鋭く突き刺すような気配が背中越しにセシルを貫いてきた。
(なっ......!? まさか、こんなタイミングで――!)
脳裏を鋭く走る警告の声と同時に、セシルの身体は反射的に動こうとしたが、今の状況はあまりに最悪だった。
片手はアキラの異形の腕を押さえ込むために力を込めており、もう一方の手は既に攻撃動作の途中で、その体の軸さえも崩れてしまっていて、防御に転じる隙など、ほんの一瞬たりとも存在していなかった。
(うっ......間に......合えッ!!)
それでもセシルは、わずかに残された身体の自由を振り絞るようにして、振り下ろしていた鞘の軌道を、手首のひねりだけで無理やり変化させると、瞬時に逆手に持ち替え、そのまま勢いのまま地面へと叩きつけた。
その一撃を軸にするようにして、アキラの腕を押さえていた反対側の肩をぐっと引き、身体全体を捻って反動を生み出すと、地を蹴りつけて横へと飛び退いた。
シュンッ――!スパッ!
「っい......!!」
回避は成功したものの、完全に避けきることはできずに動作の中でわずかに遅れた頬が、空中を走った青白い短剣の軌道と交差し、刃が皮膚を掠めた瞬間、鋭い痛みが閃光のように走った。
(ぐっ、後ろから攻撃してくるなんてっ...!)
鋭い痛みを堪えながら、セシルは地面を転がるようにして体勢を整え、鞘と剣を両手に構え直すと、腰を低く落とし、即座に次の一手に備えた。
そして、再び視線をアキラへと戻すと――そこには、振り下ろそうとする異形の腕を高く掲げたアキラの姿があった。
さらには彼の頭上から、先ほどと同じく短剣が追撃の体勢を取っていた。
(ッ来る......!)
今の体勢では、連撃を真正面から受け止めるには無理があり、相手の動きはあまりにも速く、このままでは確実に連撃の餌食になってしまう。
(なら......こっちから動くしかない!)
瞬時に判断したセシルは、手にしていた剣を身体の前に構え、そのままもう一方の手で握っていた鞘を、まるでオールのように後方へ滑らせながら地面に擦りつけた。
そして次の瞬間、意表を突くように、自らの体勢を大きく崩す動きを見せ、地面に突き立てた剣を起点に、後方の足を跳ね上げるように蹴り飛ばした。
「ッ、これならっ!」
まるで剣に回し蹴りを叩き込むかのような一撃が――
ガキンッ!
勢いよく蹴り上げられた剣は、まるで地面に浅く刺さっていた角度を変え、振り子のように角度が上がると――
キーンっ!カキン ギンっ!
跳ね上がった刃は、まさにアキラの振り下ろそうとしていた異形の腕へと直撃した。
直撃によって一瞬、アキラの腕の動きは鈍り、攻撃の軌道もわずかに逸れたが、それでも完全には止まりきらず、勢いはまだ残っていた。
(...ナイスっ、今よ!)
セシルは素早く剣の柄に指先を這わせ、カチッと確かな音を響かせるのと同時に、刃は瞬く間に形を変え、ウィップソードへと変貌した。
伸びきった刃は、そのままアキラの異形の腕へと襲いかかり、まるで生きた蛇のように絡み付きながら、強烈な締め付けを与えていった。
セシルは迷いなく、再び鞘をオールのように地面へ押し当てた。
今度は巻き取った刃を軸にするようにして、ターザンロープを使うかのように勢いよく身体を反転させて滑走し、回避行動へと転じた直後。
ドガンッ!!
地面が砕けるような轟音と共に、振り下ろされたアキラの腕が、ほんの刹那前までセシルがいた場所を石畳ごと粉砕した。
その衝撃波と同時に、空中を走った青白い刃がセシルの頭上をかすめ、彼女の黒髪を数本、宙に舞わせた。
「......ッ、危なっ!!」
荒い息を吐きながら、セシルは地面を蹴って素早く立ち上がり、腰に巻いていた鞘の紐を一気に巻き付けた。
その一連の動作の中で、伸びきっていたウィップソードの刃を力強く引き抜くと、引き際の勢いをそのまま動力として――
「ぐっ...!。」
視界の端で、アキラが明らかに苦悶の色を滲ませて口元を引きつらせた。
それと同時に、セシルの視界の端では、刃に絡め取られていた異形の腕が――まるで血飛沫のように綺麗な花びらを空中に舞わせながら、根元から切り落とされた。
「よしっ!まずは腕よッ!」
アキラの異形の腕が切り落とされるその瞬間――セシルは、その光景を目に焼き付けるようにじっと見つめていた。
反動でぐらついた身体を無理やり起こすと、彼女は伸ばしていた剣の刃を鋭く元に引き戻し、もう片方の手では軽やかに、しかし勝ち誇ったような小さなガッツポーズを作ってみせていた。
そして、そのままくるりと体の向きを転じ、花びらが宙に浮かぶ視界の中でアキラの姿を再び正面に捉えた。
「なら、次はそのお顔よ!!」
そして、切り落とされたあの異形の腕が切り落とされた瞬間を好奇として受け止めた彼女は、地面を強く蹴ると同時に風を裂く音を伴ってアキラへと突進していった。
その気配に即座に反応したアキラは、未練がましく切断面を見ていた目をすっと逸らすと、残されたもう片方の手をゆっくりと宙に掲げた。
すると、前触れもなく青白く光り輝く短剣たちが再び宙に出現すると、彼はそのまま軽く手を払い、それらの短剣をセシルへ向けて解き放った。
シュンッ、シュシュシュッ――ッ!
放たれた短剣は、まるで音すら追いつけないほどの速度で空気を裂き、一直線にまさに死角を突くような鋭さと速さでセシルへと殺到していった。
だが――セシルはその軌道を、すでに読んでいた。
「ふふっ、そんな攻撃...!」
彼女は剣の刃を展開せず、あえて剣を体の後ろへと引いて隠すと、代わりに腰に掛けていた鞘に素早く手を伸ばし、鞘紐を腰から外すや否や、それをまるで盾のように両手で構えながら突進を続けた。
ガンッ! ギィンッ!
いくつもの短剣が鋭い音を立てて金属に跳ね返され、その衝撃に腕が痺れていったが、セシルはまったく怯まず、その痛みさえ無視するように更なる攻撃への構えを崩さなかった。
「はぁぁッ!」
突進の勢いそのままにアキラへと急接近したセシルは、背後に隠していた剣を足元で一瞬軽く回すと、流れるように逆手へと持ち替えた。
そして、そのまま彼女の腕は天へと大きく振り上げられ、その刃先は、アキラの顔を覆っていたあの青白く巨大な花に向けて、真っすぐに突き進む――
ザクッ――バサッ!
「よしっ、命中よッ!!」
再生する間もなかった異形の腕と、短剣による牽制を突破してくるという予想外の攻めに、アキラの思考は一瞬鈍ったのか、セシルの刃は、その隙を逃さず、大きな花を真っ二つに切り上げ、勢いそのままにアキラの身体を後ろへと押し返していた。
「ぐっ、よくも...。」
その裂け目から、ほんの僅かに彼の冷ややかな瞳が覗かせていたが、アキラは冷静を装い、残された腕で素早く顔を覆った。
「うん、もう一回!」
勢いよく剣を振り上げたセシルは、空いた隙に鞘を片手で器用に腰に戻すと、逆手に持っていた剣を今度は正面から、地を叩きつけるように大きく振り下ろそうとした――しかしその瞬間、アキラは残された腕を軽く持ち上げた。
「くそ、ちょこまかと...ッ!。」
彼の不快げな声とともに、大地が呻くように震え始め、セシルの前方から不気味な紫色の花々がまるで波のように這い寄ってきた。
その花々はセシルのくるぶしほどの高さながら、地面一面を覆い尽くすほどの密度で咲き乱れ、足の踏み場さえも奪っていった。
(っ! 今度は正面突破じゃ――ならっ!!)
一瞬の判断を下したセシルは、振り下ろしかけた剣の柄へと指先を這わせた。
カチッ――バサッ ジャラジャラッ!!
再び刃がウィップソードとして伸び、金属音を響かせながら複数のパーツに分裂すると、それと同時にセシルの振り下ろした腕の動きに連動し、空気を切り裂く勢いで地面へと向かって打ちつけられた。
「こうよっ!!」
波のように迫る紫の花々が、シルのすぐ目の前に迫ってきた瞬間、ウィップソードの刃が地を叩きつけた衝撃によって、セシルの身体は宙へと舞い上がらせた。
「っしゃ、間に合っ――」
予想以上に空中へと跳躍できたことに驚きを覚えつつ、彼女は下から迫っていた花々の波を回避できたことに安堵する――が、その平穏は、ほんの一瞬で打ち砕かれる。
「ふっ、その動きを...待っていたぞ、セシル。」
アキラの低くもどこか満足げな響きを孕んだ声が空気を震わせるように響くと、セシルの足元で散らばっていた無数の花々が、まるで呼応するかのように一斉に集まり、一本の柱のように集合してそのまま上方へと勢いよく伸び上がった。
「うそっ、ぅっ――」
空中に投げ出されたセシルは、体の向きを変えることもままならないまま、反射的に手にしていたウィップソードを目の前に掲げるように構え、鋭く伸びた刃の軌跡を盾代わりにして、上昇する花柱からの攻撃をなんとか受け止めようとした。
しかし、花々はその刃さえも巻き込むように絡まりながら登り詰め、まるで彼女の存在そのものを包み込もうとしているかのようだった。
「――きゃぁっっ!!」
刃を絡め取った勢いのまま、花々はセシルの身体に直撃することはなかったものの、その衝撃により、彼女の身体はさらに空高く突き上げられるように打ち上げられ、重力も方向感覚も失ったまま、ただ空に舞い上がっていった。
目まぐるしく回転する視界の端に、ふと、どこかで見覚えのある――けれど決して安心とは言えない、不穏な紫色の影が入り込んだ。
(っ、まさか、この高さにまで......!?)
激しく揺れる身体の中で冷静さを保とうとするセシルは、細めていた目を見開き、その影の正体を見極めようとした。
すると、彼女が浮かぶ高度まで、幾重にも絡みながら花々が伸びてきており、それはまるでセシルを閉じ込めるための“壁”のように、美しさと狂気を携えて空へとそびえ立っていた。
「...ぐっ、こんな花...今更......うぅぅ、やぁぁぁっ!!」
感情と共に声を振り絞ったセシルは、空中でなんとか体勢を立て直すと、持っていたウィップソードの柄を握り直し、刃を大きく振るってしなやかな軌跡を描きながら、落下する重力を利用して身体を回転させた。
その勢いのまま、渦を巻くように空中で円を描きながら、周囲を取り囲んでいた花の壁を切り裂くように薙ぎ払っていった。
ジャラジャラ――ザクっザクっッ
金属と植物の音が混ざり合う音が空間に響き渡る中、セシルの刃は壁のように広がっていた花々を次々と斬り払い、次第に視界が開けていく。
「よし、このまま切り捨てて――ッ!!」
そう思った瞬間、開けたばかりの視界の中に、突如、青白い光を帯びた数本の短剣が目前に現れ、猛烈な勢いで迫ってきていた。
(ッ、この花はただの囮...!?)
その正体に気づいた時にはもう遅く、距離とスピードからして、回避は不可能――
――避けられないッ!!
短剣の迫ってくるスピードから、もはや避けられないと察したセシルは、重力に引かれ地へと落ちていく自身の体とは逆の動きで、剣を持っていないほうの手を思い切って伸ばした。
瞬時に腕を前へと差し出し、頭と顔を守るように庇った――まさにその瞬間、突如として、ずしり、とした感覚が体の奥に響いた。
(......な、に?)
彼女の身体にかかっていた重力が、まるで一瞬だけ時間そのものが引き延ばされたような、不思議な錯覚に囚われたその時、セシルの視界いっぱいに広がったのは――真紅の鎖だった。
「——っ!」
その鎖は空中でとぐろを巻きながら広がり、まるでセシルの身体を包み込むように伸びていき、次の瞬間――
キィィィンッ!!
短剣の刃が鎖にぶつかり合い、鋭い金属音と共に火花が散った。
その接触の瞬間、真紅の鎖は輝かしい色彩を放ちながら敵の攻撃をはじき返すと、そのまま細かな粒子のように砕け散った。
そして、次の瞬間には黒い霧となって空中に溶け、痕跡すらも残さずに消え去っていった。
(これって......クロノスさんの......?)
守られたという直感と共に、その力の主を理解したセシルは、短く安堵の息を吐いた――が、それも束の間だった。
「ちっ...あいつ、余計なことを。」
開けた視界の向こうで、アキラが忌々しげに舌打ちを軽く鳴らすと、そのまま、空中に浮かぶセシルを睨みつけながら、ゆっくりと手を持ち上げた。
彼は手の甲を下にして掲げたその指先の人差し指が軽くクイクイッと動かすと、その瞬間。
「——っ!?」
突如、足元から伸びる紫色の花が、まるでセシルと競り合うように高さを急上昇し、瞬時にして蔓のような細い茎を無数に広げて、彼女の手足へと絡みついてきた。
そして、逃れる間もなく、それらはセシルの四肢を締め上げるように巻きつき、空中で完全に動きを封じた。
「なっ...!?っ、きゃっッ!」
ほんの一瞬の間に、セシルはその身に感じた痛みを覚えたかと思うと、突如として強烈な引力に引き寄せられ、地面へと引き落とされるような感覚が全身を駆け巡った。
重力に逆らえず、無情にも地面へと引き寄せられていくその瞬間、セシルはただただ何もできずにされるがままだった。
ドシンッ―― カランカラン




