第37話. 自ら動く
「うぅっ...」
激しく舞い上がる砂埃の中、セシルは咄嗟に剣を地面へと深く突き立て、その柄をしっかりと握りしめながら、爆風の余韻や砕け散った石畳の破片から身を守るように体を縮こまらせ、両腕で顔や頭を覆うことで防御の姿勢を取っていた。
吹き荒れる衝撃の中で必死に耐えながら、耳をつんざくような金属音や激しい爆発音が、次第に遠ざかっていくのを感じ取った。
(...ン、攻撃、収まった...?)
爆風に吹き飛ばされることなく、その場に踏みとどまっていたセシルだったが、周囲に響いていた衝撃音が途絶えたことで、一瞬の静寂が訪れた。
だが、それは決して穏やかな空気ではなく、むしろ不気味なほど歪んだ空気が辺りに漂っているのが分かる。
慎重に目を細め、前方の様子を窺おうとするものの、舞い上がった砂埃は依然として視界を遮り、あまりにも濃密で、ほんの数メートル先の状況すら把握することができず、それどころか、近くにいたはずのアキラやクロノスの気配すら掴めないでいた。
「...っ、どこですか!!」
緊張感を押し殺しながらも、セシルは思わず声を張り上げていた。
同時に、地面へと突き立てていた剣を勢いよく引き抜き、そのまま腰の鞘へと収めると、周囲を警戒しつつ、クロノスの姿を探し始めた。
ぼんやりとした視界の中に、藤色と紫色の花々が無数に散乱している光景が浮かび上がっていた。
アキラが作り出したそれらの花は、無惨にもアキラによって召喚された短剣の鋭い刃によって引き裂かれ、その身を傷つけられながら、割れた石畳の上で儚く伏していた。
花弁の一部が風に揺れながら震えている様子は、まるで、ここで繰り広げられた戦いの激しさを物語るようだった。
「......ッ!」
セシルは爆発が起こる前の立ち位置を必死に思い返しながら、一歩ずつ慎重に足を進めた。
足元の瓦礫に気を取られつつも、意識を研ぎ澄まし、クロノスの姿を探し続けていると、砂埃の隙間から、あの特徴的な貴族の服がぼんやりと視界に映り込んだ。
「っ、クロノスさん!!!」
足元に残る花の残骸を踏まぬよう気を配りつつ、砂埃を腕で振り払いながら、セシルは迷うことなくクロノスの元へと駆け出していった。
「クロノスさ――っ!」
だが、ようやく彼の姿がはっきりと見えた瞬間、セシルは思わず言葉を詰まらせ、息をのんだ。
そこには、両膝を地面についてうずくまるクロノスの姿があった。彼は荒い息を吐きながら右手で地面を支え、痛む右腕を左手で押さえ込んでいる。
その表情は苦痛に歪み、先ほどまでの戦闘の激しさと、何かしらの異常を物語るようだった。
「クロノスさん......!」
無意識のうちに彼の名前を呼びながら、セシルは一歩、また一歩と足を速め、彼の元へと駆け寄る。
「ど、どうしたんですか!」
ようやく彼の目の前に辿り着くと、セシルはすぐさま膝を折り、彼の視線の高さに合わせるようにしゃがみ込んだ。
そして、少し前のめりになっている彼の肩にそっと手を添え、ゆっくりと顔が見えるように支え起こそうとした、その瞬間――
「はぁ......うぐっ......がはっ......!」
クロノスは突然、喉の奥から血を滲ませるように咳き込み、口元から小さな血のしぶきを吐き出すと、まるで力を失ったかのように、そのままセシルの方へと倒れ込んできた。
「っ...! ちょ、ちょっと待って、何、なんで!? えっ、嘘でしょ、ちょっと!!」
咄嗟に腕を伸ばし、崩れ落ちる彼の身体を支えるように抱きとめた瞬間、セシルは驚愕した。
クロノスの体は異様なほど熱を持ち、彼の浅く乱れた息遣いが、肌を通して直接伝わってくる。
その体温の異常さが、彼の苦しみをより一層はっきりとセシルに伝えていた。
「っ、しっかりしてください!」
砂埃は依然として視界を遮り、戦況がどうなっているのかすら分からない中、アキラがいつ襲ってくるかも分からないこの状況で、クロノスがこれほどまでに衰弱しているという事実は、彼女の焦燥をさらに強めていた。
「クロノスさん...!」
セシルは無意識のうちに彼の背中をさするように手を動かしていたが、不意に何か柔らかいものに触れたと同時に、鋭い痛みが腕を走らせた。
「っ痛っ......なっ、まさか......!」
反射的に腕を引いたものの、痛みの正体を確かめようと再びクロノスの背中へと手を伸ばした。
そこには、先ほどと同じ柔らかな感触と触った瞬間、腕に感じる痛みを覚えると、それを指先でそのまま慎重に掴み、セシルは意を決して力を込めて引き抜いた。
「なんで...いつの間に...!」
彼の体にそれが触れないように腕を掲げ、手の中に収まったものをじっと見つめると、そこにあったのは、藤色の小さな花だった。
それは、まさしくアキラが放っていたあの花の、小型版のようなものだった。
「...いつの間に。.....こんなもの...えいっ!」
セシルは一瞬だけ目を見開いたが、次の瞬間には何の迷いもなく、花を睨みつけると、そのまま強く握りつぶし、勢いよく地面へと放り捨てた。
「いったぁ......あんなに小さな花にも精霊の力が込められているなんて......」
腕に残る微かな痛みを気にしながらも、散り落ちる花びらを見つめていると、不意に彼女の肩にもたれかかっていたクロノスの頭がわずかに動いた。
「っ!気がつきましたか!?」
慌てて声をかけると、クロノスはゆっくりと瞼を開き、血の気の引いた顔を露わにした。
その口元にはまだ血が滲んでおり、その姿を見たセシルは思わずそっと手を伸ばし、親指で優しく血を拭い取っていた。
「クロノスさん...無理しないでください、こんな...!」
セシルは思わず叱るような口調で声を張り上げると、彼女の言葉が辺りの空気を震わせた。
すると、クロノスはゆっくりと上半身を起こし、疲れ果てたように、額に冷や汗を浮かばせながら、肩で息をしながら己の右腕を押さえた。
「なぁ、セシル......今までお前が感じてきた精霊による痛みって......こんなに酷いのか?」
彼のゆっくりと話し始めた声は低く、かすれた声だった。それでも、彼の目はセシルをしっかりと捉え、返答を待っていた。
「えっ...?」
彼の様子を見て、セシルは一瞬、息を呑んだ。
クロノスの苦しげな表情、流れる汗、震える指先。それら全てが、彼が今、相当な痛みに苛まれていることを如実に物語っていた。
セシルは、自身の腕にまだ微かに残る鈍い痛みを思い返しながら、そっと袖口をめくり、包帯が巻かれている腕を見下ろした。
(......確かに痛いことは痛い。でも、これくらいなら全然耐えられるし、そこまで酷いとは)
躊躇いながらも、セシルは視線を上げ、クロノスの問いに正直に答えることにした。
「クロノスさんから力を分けてもらってからは、確かに少し痛いと感じることはあります。でも、それでも酷いだなんて、絶対に思いません!」
その言葉を聞いたクロノスは、驚いたように一瞬目を見開いたが、その後すぐに表情が和らぎ、安堵の色を滲ませながら、小さく息を吐いた。
「......そうか。なら、よかった...」
短く呟いた彼の声音には、微かな安心感が滲んでいたが、セシルの中には消えない疑問が残っていた。
クロノスはなぜ、ここまで衰弱しているのか?彼の身に、一体何が起こったのか?――そんな思いが心の奥で渦巻いていたが、今はそれよりも優先すべきことがあった。
「クロノスさん、背中のあの花いつの間に攻撃を受けたんですか!!それに、今までのも作戦のうちなんですか!?」
鋭い問いをぶつけると、クロノスは唇を噛みしめ、悔しそうに顔を歪めながら答えた。
「......どうやら、先程の爆発の混乱の中で、どさくさに紛れて攻撃されていたようだ。油断した、悪かった」
その言葉に、セシルは驚きつつも、クロノスの頭へそっと手を伸ばし、優しく撫でていた。
「......大丈夫ですよ」
セシルが囁くようにそう告げると、クロノスの表情がふっと引き締まるり、静かに言い放った。
「そして...作戦はここからだ」
「えっ、ここから...ですか?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、目を丸くしてクロノスの顔を覗き込んだ。
すると、クロノスは少し気まずそうに目線を逸らしながらゆっくりと口を開いた。
「いや、厳密には先ほどもその機会を伺っていたんだが...思いのほか、彼の攻撃が脅威的でな...」
クロノスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、空間そのものが凍りついたような、鋭い殺気が突如として全身を貫いた。
まるで世界の温度が急激に下がったかのように、肌を刺すような冷気が漂った。
「......っ!」
その圧倒的な殺意に、反射的に顔を上げたセシルは、すぐに後ろを振り返った。
視線の先では、先程まで激戦が繰り広げられていた戦場の中央に、ゆっくりと立ち上がるアキラの姿があった。
その場に舞っていた砂埃が静まりゆく中、アキラの失われたはずの腕が無数の藤色紫色の花弁が風に舞う中で、まるで時間を巻き戻すかのように再形成されていた。
「...っ、また、来ます!クロノスさんは休んでてください!」
セシルはクロノスに素早く一瞥をくれると、すぐに膝を折りかけていた身体を起こしながら立ち上がると、剣を鞘から抜き放ち、クロノスを後ろに庇うようにして前へと踏み出した。
その時、ふと背後からの視線を感じ、クロノスの方へ目を向けると、彼は苦しげな表情を浮かべたまま、セシルを心配そうに見つめていた。
「治癒魔法を使いたいですが、わたしの力は不確かですし...今の状態で迂闊に力を使うのは危険です」
そう言った後、セシルは一瞬だけ口元を吊り上げ、どこかいたずらめいた笑みを浮かべながら、まるで自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「それに、精霊の力に耐性があるわたしが行かなくてどうするんだって話ですよ!」
その言葉と同時に、一切の迷いも見せることなくセシルは地を蹴り、クロノスの返答を待つことなく、一気にアキラへと向かって駆け出した。
それを見たアキラは、セシルの動きに即座に対応するように、青白い短剣をいくつも空中へと浮かび上がらせた。
しかし、今回はそれらを手に取ることなく、異形の腕をまるで武器そのもののように構え、迎え撃つべく駆け出してきた。
「ふふっ、さすがに自分の腕の方が威力があると踏んだのねっ!」
セシルは不敵な笑みを浮かべながら、手にした剣を軽く横に振り、瞬時に刃を伸ばしながらもアキラの動きを鋭く見極めていた。
(さて、どう出るのかしら――)
次の瞬間、アキラはわずかに動きを緩めると、先ほど空中に浮かべた青白い短剣を、まず先にけしかけてきた。
「一騎打ちで遠距離攻撃を使うとは、あまり感心しないな......っと!!」
カキーーンッ!
鋭く飛んできた短剣の群れに対し、セシルはすかさずウィップソードを鞭の形に変え、勢いよく横薙ぎに振り払った。
刃と刃がぶつかり合い、甲高い金属音が空間に鳴り響いた直後、閃光がほとばしり、弾かれた短剣が火花を散らしながら四方へと飛び散った。
「っ、相変わらず数が多いんだから!」
一度弾き飛ばした短剣が砕け散るのも束の間、すぐさま新たな短剣が生まれ、こちらへと殺到するのを目にした。
まるで一度弾いただけでは意味がないと言わんばかりだった。ただ闇雲にすべてを撃ち落とすのは得策ではないと悟った。
(......そうよ、全部は弾かなくても、避けながら間合いを詰めれば!!)
そう決めた瞬間、セシルは短剣を叩き落とすだけではなく、体の向きを変えながら最小限の動きで避けることを選んだ。
あえて止まったり、体を斜めに傾けたりと、柔軟に立ち回ることで、無駄な隙を作らないように動き続けながら、時に短剣の流れに逆らわぬように身を翻し、舞うように回避していった。
だが――
(げっ。あれは、避けられないッ)
先行して襲ってきた短剣を避けた瞬間、鋭い閃光が視界の端を掠めた。
顔へと向かってくる複数の短剣は完全にセシルの軌道を封じるような、計算された角度で迫って来ていた。
「っ、ならこうよ!」
完全に避ける余裕がないと即座に判断したセシルは、咄嗟に腰に吊るしていた鞘の紐を片手で素早く解くと、それを即席の盾として振りかざし、鋭い刃の直撃を防ぐべく縦に構えた。
カキン ガキンッ
シュン――ザクッ
「っく...!」
鋭い音と共に、数本の短剣が鞘に叩きつけられ砕け散っていったが、それでも完全には防ぎきれず、いくつかの刃がセシルの二の腕や肩を掠めながら通り過ぎた。
傷口から薄く血が包帯に滲むのを感じながらも、セシルは眉をわずかにしかめるだけで、それ以上表情を変えなかった。
その痛みは、先ほどアキラによって生み出された花に触れた時のような異質な苦痛ではなく、ただ単に刃が皮膚を切り裂いただけの、ごく普通の傷の痛みだった。
「こんな、痛み。ちっとも――!」
そう力強く言い放つと同時に、短剣の間を縫うようにして突進してきたアキラの姿を捉えた。
「...来た!」
異形の腕を振りかざし、短剣の射線の中を縫うようにして距離を詰める。その速さは尋常ではなかった。
(速い――けど、避けない!)
セシルは覚悟を決め、鞘で迫ってくる短剣を叩き落としながら、一気に刃を元の剣の形へと戻すと、相手の攻撃を迎え撃つべく力強く構えを取った。
キーーンッ!!
剣と異形の腕が正面から激突すると同時に、鋭い衝撃が全身に響き、腕にじんじんとした感覚が広がる。
「ぐっ、なんて威圧なの...!」
異形の腕の衝撃を受け止めながら、セシルは歯を食いしばりながら、アキラの腕から発される美しくも不気味な気配が、肌を刺すように感じ取っていた。
(うぅ...なら、こうよ!)
セシルはもう片方の手に握っていた鞘を、先ほどアキラが短剣を振り下ろしたのと同じように、勢いよく叩きつけるべく大きく振り上げた。
しかし――
「っふ......。」
アキラの口元に、不適な笑みが浮かんでおり、その瞬間、セシルの背筋に悪寒が走った。
まるで全てを計算していたかのように、アキラの腕が僅かに動き、力の流れが変わるのを瞬時に感じた。




