第34話. 無言の信頼
セシルは、瓦礫の間に点々と続く血の跡を頼りに走っていた。まるでヘンゼルとグレーテルのパンくずのように、確かに彼女を導いていたはずだった。
だが、気がつけば、血の跡は突然途切れており、無我夢中で走り続けていたセシルは、ようやくそれに気づき、思わず足を止めると、大きく息を吐きながら膝に手をついた。
「はぁ...はぁっ...ふっ、うぅ...途切れちゃってる......」
彼女が立ち尽くすその場所は、先ほどまでのような開けた広場でも、逃げ惑う人々で混乱した通りでもなかった。
右手には、ゆるやかに上へと続く坂道。
左手には、それと対になるように下へと続く道。
そして正面には、両側を建物に挟まれたS字の曲がりくねった路地。
どの道の先も見えず、肝心の血痕の跡や、彼が放っていた花々もなく、どちらに進むべきかの確信も持てないでいた。
(...どっちへ行けばっ、)
焦りと迷いがせめぎ合い、視線が行き場を失っていた。
もし、逆方向へと走り出してしまえば、取り返しのつかないタイムロスになるかもしれない。
だからこそ、足を止めてでも慎重にならざるを得なかった。
「右...いや、左...。いやいや、やっぱり真っ直ぐ...」
独り言のように呟いてみても、状況が好転するわけではなかった。視線を上げれば、分かれ道は静かに彼女の選択しか待っていなかった。
どちらにも決定的な証拠はないが、どちらかが正解で、もう一方は完全な遠回りか、あるいは行き止まりかもしれない。
(...どうしよう)
無意識に、背後を振り返ってみたが、クロノスの姿はそこになかった。
「...やっ、しまった。置いてきちゃった、かな...でも——」
少し不安を感じているセシルだったが、脳裏にはクロノスが自分に嫌気をさすように頭を抱えながらため息をつくような、呆れながらも、決して歪んだ姿になった彼を見捨てることはしない、そんな横顔を思い出していた。
(......大丈夫。彼は絶対、来るよ。絶対...)
自分に言い聞かせるように、指先で無意識に口元を拭うと、迷いを振り切るように手を強く握りしめ、再び前を向き、決断した。
(よし!わたしが逃げるなら、下に繋がる道っ...!街から出る道に続いている可能性が高いもん...)
ならば——下へと続く左の道だ。そうと決めた瞬間、覚悟を固めたように左の坂道を降りようと足を踏み出した、その時だった。
——花の匂い。
燃え盛る炎の臭いと、砂埃の混じるむせ返るような歪んだ空気の中で、それは異質なほど甘く、そして鮮烈に香った。
違和感を覚えながらも進んでいくと、視界の端に坂道の柵の一部に絡みつくように咲き乱れる花々が映った。
「っ、ここ、通ったってことだ...!」
上空の彼の行き先を示す、確かな手がかりを見つけた事で安堵が胸を満たしていた。
だが、ふと、視線を巡らせると、柵に引っかかるようにして揺れる漆黒の布切れが目に入り、そして、その柵の足元に僅かに青白く光るものが落ちていた。
「...これ、ブローチ?」
柵の花に触れないようにしながら慎重にしゃがみ込みそれを拾い上げると、そこには青白いガラス細工の花を模していたブローチが手に収まっていた。
エンデと呼ばれていたあの男に渡された招待状に描かれていた花に形が酷似していたそのブローチは花びらのうち一枚が欠けていたものの、綺麗な形を保っていた。
(...あれ?たしか......)
セシルは思わず、もう片方の手でポケットを探った。
そこには先ほど瓦礫の近くで血痕と共に見つけた、青白い細長い涙滴型の青白いガラス破片があった。
慎重に取り出し、手にしたブローチの欠けた部分へとそっと当ててみた。
「っ...やっぱり...」
破片はまるで元の場所へ戻るように、欠けた部分にぴったりとはまった。
——ブローチは、確かに“元々ひとつ”のものだった。
偶然ではない。そう確信した瞬間、ひとつの疑念が脳裏をよぎった。
(あの時見えた人影...もしかして、あれもアストラル教団の人間? それとも、アキラさんが言っていた“あの者”...?)
アキラが以前口にしていた、“あの者”への敵意を思い出していた。
もし、彼らの間に仲間割れがあるのなら——
「...急がないと、彼を止めないと!」
決心するように考えをまとめると、セシルは慎重にブローチと招待状をポケットに戻し、左手の坂道へと続く道へ足を踏み出した。だが——その瞬間。
——ズシャァァッ!!
突如、左側の柵を突き破りながら、まるで何かを追い詰めるように根が張りながら目の前を勢いよく濃い紫色の花々が生え広がりながら横切った。
「っ! いる...!」
あと少し前に出ていたら、確実に巻き込まれていただろう、と冷や汗を感じながらも、すぐ近くにアキラがいると確信したその時——
——ガラガラッ!!
「えっ...」
突如、右側から轟く崩落音が響き渡ってきた。
目を向けると、S字の道に並んでいたあの建物が、花々の侵食に耐えきれずに崩れ落ち、高度が低いセシルがいる方に瓦礫の波となって押し寄せてきた。
「ちょっ、うそ...まずっ!! 巻き込まれる!!」
右から押し寄せてくる瓦礫の波に圧倒されながら、少し降りてきた坂道を戻ろうと後ろを振り向いた。
だが、さっきまで立ち止まっていた場所にすでに瓦礫の波が押し寄せるように飲み込まれとうとしていた。
(っ、戻れない...じゃあ、飛ぶしか——!!)
坂道を駆け降りる事もできず、背後から迫る崩落の音が耳をつんざく中、元の場所にも戻れないと悟ったセシルは、覚悟を決めた。
ここで生き埋めになるくらいなら——。
震える指先で左の柵に手をかけ、花々に触れないよう慎重に足をかけると、そのまま飛び降りようと力を込めた、その瞬間——
「馬鹿、飛ぶな!!」
鋭い声が頭上から響いた。
次の瞬間、何かが勢いよく近づいてくる空気の流れを感じたかと思うと、背後から突然腕を掴まれた。
「っ——!?」
抱き寄せられた途端、視界がぐるりと回転し、目の前に広がったのは、あの貴族のような衣装と、真剣な眼差しで前を見据えるクロノスの横顔だった。
「へ、く...クロノスさん!?」
気づいた時には、すでにクロノスの腕の中に包み込まれるように抱えられていた。温もりとともに伝わる彼の力強さに、セシルの心臓が一瞬強く跳ねる。
「いいから、黙って歯ぁ食いしばってろ...よ!!」
「ぇ...なっ、ぅきゃぁーー!!!」
普段の冷静な彼からは考えられない、荒々しい声音が放たれると同時に、クロノスの足が柵を強く蹴りつけると、重力が一気に崩れ、二人の身体は宙へと放り出された。
「っ——!!」
直後、セシルの視界に飛び込んできたのは、轟音とともに崩れ落ちていく坂道だった。
土砂混じりの瓦礫が、さっきまで自分が立っていた場所を一瞬で飲み込んでいっており、その激しい崩落を、まるで他人事のように見下ろしながら、セシルの背筋に冷たいものが走っていた。
(っ、ぁ、危なかった...!!)
喉が震え、全身がこわばる。それでも、自分は今こうして空中にいる。
重力が容赦なく二人を引きずり落とそうとする中、クロノスは腕の中のセシルをしっかりと支えながら、手首を鋭く振った。
シュンッ!!
瞬間、真紅の鎖が彼の手から閃光のように素早く放たれ、空を裂く軌跡を描きながら遠くの建物の柱へと一直線に伸び、鎖が柱に巻きつくと同時に、クロノスは迷いなく手繰り寄せ、一気に軌道を変えた。
セシルをしっかりと抱えたまま、一切の躊躇もなく宙を舞い、わずかの揺らぎすら許さぬ精密な動きで着地のタイミングを見極め、そして、そのまま勢いを殺すことなく、まるで空を蹴り払うように大きく旋回し、重力を利用して一気に地へと降り立った。
シュッタっ
落下の衝撃が地面に吸収される中、セシルはただクロノスの腕の中で息を呑み、胸の鼓動が速まるのを感じていた。しかし、その静寂を破るように、無機質で呆れたような声が響いた。
「...ったく、間一髪だったな」
その声音に、セシルはようやく正気を取り戻したかのようにクロノスの顔を見つめ、首を横に振った。
「ま、また助けて貰っちゃいました...」
「......まぁ、お互い様だ」
クロノスはそう呟くと、小さく息を吐きながら、片膝をついたままセシルをそっと離した。
「ありがとう、ございます...」
セシルは小さくお礼を言うと、慌てて立ち上がり、腰の剣に手を添えながら警戒するように周囲を見渡した。
よく見ると、そこは最初に鍛冶屋で騒ぎを見かけた後に走って通った通りと酷似している場所だった。そして、横に並ぶ建物の間を縫うように、花々が一列になって続いている。
「...花が、向こうから続いている...。彼はあっちに——」
セシルはそう言いながら振り返る。しかし、その視線の先に映ったクロノスの姿に、思わず血の気が引いた。
普段なら決して乱れることのない彼の呼吸が荒く、肩が上下している。僅かに浮き上がる汗を腕で拭いながら、片膝をついたまま動かないでいた。
「え、クロノスさん!!」
瞬時に駆け寄り、思わず彼に手を伸ばすしたが、その手はすぐさまクロノスに掴まれた。
「おい、治癒魔法とか余計な事はするな...これは、俺の問題だからな...」
クロノスは言葉の合間もまだ荒い息を吐いており、その様子に、セシルは必死で口を開いた。
「で、でも! クロノスさんが苦しそうなんだから、助けようとするは当然です!」
クロノスはなおも手を離さず、無言のままセシルの瞳を見返したが、そこには迷いがなかった。
苦しみを背負わされ、それでも前に進もうとする意思の光が宿っていた。
「こういう時くらい、拙いわたしの治癒魔法に頼ってくれてもいいじゃないですか!!」
必死な言葉を投げかけながら、セシルはクロノスに手首を掴まれたまま動けずにいた。
無言の攻防が張り詰める中、クロノスはふと口元を緩め、静かに息を吐くと言葉を落とした。
「...ふはっ、心配するな。そうやって迷わず前を向くお前に頼りっぱなしだからな」
「え?」
クロノスは掴んでいたセシルの手首をゆっくりと解放すると、乱れた彼女の前髪を耳に優しくかけた。
その仕草は、どこか無防備で、セシルの心を奇妙に締めつけた。
「さっきは悪かった...こう、焦ったい感じで、色々と考えてしまって...」
クロノスの声には、わずかな安堵と、微かな後悔の色が滲んでいた。
すると、セシルはくすっと笑いながら立ち上がると、両腕を背中で組みながら軽やかに言った。
「ふふっ、クロノスさんって契約悪魔なのに、どこか人間らしいところがありますね。安心しちゃいました」
「はっ?安心って。そもそも——」
クロノスが何かを言いかけると、セシルは迷いなく手を差し出した。
「ほらほら、色々聞きたいことはありますけど......こんなに呑気にしてられる場合じゃありませんよ。行きましょう。彼を——アキラさんを止めるんですよね?だから、来てくれたんですもんねっ!」
何も聞かずとも、そのまっすぐな意思がクロノスの迷いを吹き飛ばしていっていた。
クロノスは静かに息を吸い、その言葉を噛み締めるように差し出された手を取った。
「...あぁ、そうだな」
クロノスはセシルの差し出された温もりのある手を軽く取ると、すっかり息が整った彼は素早く立ち上がり、花の道が続いている通りの奥に歩幅を合わせつつも、急いで向かい始めた。
が、しかし、数歩走ったところで、クロノスはふと足を止め、セシルの腕を軽く引いた。
「いや、待て」
「うぎゃぁっ!? な、なんですか!?」
勢いよく走っていたところを不意に止められ、バランスを崩しかけた。
腕が危うく捻じれそうになったが、なんとか踏ん張り、クロノスをジト目で睨み上げた。
「無闇に突っ込むのは得策じゃない、と思ってな」
「ぇ、今の流れは『よっしゃ、行くぞー!』って突っ込む感じじゃなかったんですか!?」
「......何を言ってるんだ、お前は」
呆れたようなクロノスの視線に、セシルは少し気まずそうに髪を指に絡ませていた。
「いやだなぁー、そ、そんなつもりじゃなかったですけど...」
ぶつぶつと小声で言い訳をしながら、小さく息を整えると、気を取り直すように表情を切り替え、周囲を見渡した。
花々が続く道の先、うっすらと建物の影が揺れているのが見えた。
「...この道の先に、彼は絶対います」
「...そうだな」
クロノスは視線を細めながらセシルが見えている物と同じ影を見据えながら低く答えると、続けて彼は口を開いた。
「そうなると、俺が先行して襲撃を仕掛ける。セシルは後ろから援護を頼む」
セシルはすぐに返事をせず、考えるように俯いていた。
(クロノスさんが先行して攻撃を仕掛ける。それが、一番いい動きのはず。だけど......あれ? そういえば、あの時——)
セシルの沈黙を肯定と受け取ったクロノスは、一歩前に進もうとする。だが、その腕が後ろに引かれ、動きを止められた。
「待ってください!」
「うぉ」
突然のことに、クロノスは驚きで息を漏らす。僅かに眉をひそめたが、真剣な眼差しを向けてくるセシルを見て、口を閉ざした。彼女の言葉を待った。
「以前、わたしが歪みの力を暴走させていた時......それから、空から歪んだ空気を放っていた魔獣に襲われた時。クロノスさん、どうやって止めました?」
セシルがそう言い終わると、彼はハッとしたように表情が一変させ、自分の手のひらへと視線を落とし、静かに呟いた。
「...そういえば、俺の力を流し込んで、暴走を収めたはずだ」
「はい。それに、以前、あの魔獣がわたしを必要以上に狙っていたこと。そして、アキラさんがわたしの声に反応して攻撃を仕掛けたことを考えると......わたしが前に出ます」
クロノスはセシルの言葉に驚いたかのように少しの間、何も言わなかったが、言葉を絞り出すように小さく口を開いた。
「......お前が前に?」
静かに問い返すクロノスの声に、セシルは力強く頷いた。
「わたしが囮になります。その間に、クロノスさんは彼に近づいて止める機会を狙ってください」
「......」
クロノスは何かを考えるように視線を落とし、ゆっくりと息を吐いていた。その様子を見つめながら、セシルは静かに続けた。
「クロノスさん、彼に契約悪魔の力を流し込むこと、躊躇いなくできますか?」
クロノスは僅かに目を伏せていたが、短い沈黙の後、ゆっくりと顔を上げ、セシルを見つめた。
「あぁ、そこは問題ない。それでセシルが元に戻ったんだ。なら、彼にも......彼は、ただの弱いやつじゃないからな」
その言葉を聞いたセシルは、ふいに笑顔になると、クロノスの腹あたりを軽くこづいた。
「おっ、よく言いました! では、その調子で、信じてわたしを前に行かせてください!」
クロノスは一瞬きょとんとしたが、やがて小さく笑っていた。そして拳を握り、セシルの拳とコツンとぶつけた。
「ふっ、本当に、お前には敵わないな。頼んでいいのか?」
「ふふっ、言いましたよね? こういう時くらい頼ってくれてもいいって!」
クロノスの言葉にセシルも拳をぶつけ返し、にっと笑っていた。クロノスも彼女の無邪気な様子に口元をわずかに歪め、短く頷いた。
「......よし、では、行くぞ」
「はい!!」
そうお互いに、頷きあうと、今度こそ二人は迷いなく駆け出した。
こんにちは、黒月セリカです!!
【記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由 第一部. 悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る運命 】をここまで読んでくださってありがとうございます!!想像より多くの方に覗いてきてくださって嬉しい限りです。
さて、一つ報告なのですが、元々不定期で更新していくと公言したこちらのお話ですが、次回までの更新まで期間が空く「かも」しれない、と言うことをここで報告させていただきます!
さて、その理由ですが...実は第一部の最後の方から書いていこうと思っているからです!!「なんでそんなことを?」と思ったそこのあなた!ちゃんと理由があります。
ここまで物語を進めてきた中で、結末が大きく変わる可能性が出てきたんです。それに伴い、セシルたちの物語の流れも前後させる必要があるかもしれませんので、先に最終話辺りを書き切ってから、その前を書いていこうかなと思っているんですよね...
今、結末の案が二パターンあってですね。主に暴走した彼に関して...
書き溜めしない勢でしたが、せっかくここまで失踪せず来たんでね、第一部の締めを自分が納得できる形にしたいですよね。
では、告知は以上です!!これからもセシルとクロノスの軌跡を見て行ってくださると嬉しいです。




