第32話. 入り混じる矛盾
ゴトン...カラカラ...
それから程なくして、瓦礫の破片が地に落ちる最後の音が響くと、セシルを守るように囲んでいた鎖が淡く揺らぎ、霧散するように消え去った。
(お...収まった、の...?)
視界が開けた先には、瓦礫の残骸が辺り一面に散乱していた。
砂埃がくすぶり、崩れ落ちた建物の残骸が周囲のあちこちで転げ上げていた。
(っ!そういえば、アキラさんっ!——)
セシルは慌てて、頭に積もった細かな石の粉を払い落としながら空を見上げた。
だが、そこにいるはずの彼の姿は、どこにもなかった。
上空の彼が居なくなっている一抹の不安を抱えていたものの、自分が無事で済んだ安堵が混み上げ、胸元を手で押さえ、ゆっくりと息を吐いた。
「...うにゃぁーー。た、助かったーー!」
クロノスの鎖が守ってくれなければ、間違いなく今の自分はこれらの瓦礫の下敷きになっていただろう。
安堵の息を吐き出しながら、ふと視界の端に映っていた炎に包まれていた建物へと目を向けた。
しかし、崩落の影響で、その建物はすでに跡形もなく消えていた。
(ひゃぁ、この感じ......剣で防いで、どうにかなる瓦礫の量じゃなかったな...)
最悪の事態を免れた事に再度、安堵したように息を大きく吐くと、僅かに震える足に力を込め、立ち上がろうとした。
「セシル!!」
セシルが立ち上がったのと同時に、高くそびえ立つ花々の壁の向こうから、クロノスの声が響いた。
「...クロノスさん?」
次の瞬間、真紅の鎖が宙を奔り、まるでワイヤーフックのようにクロノスの体を引き上げると、花々の壁を軽々と越え、勢いを殺さぬまま、セシルの目の前に見事な動きで着地した。
「おい、無事か?」
短く、しかしセシルを心配する強い言葉を残しながら、クロノスはすぐに警戒の視線を周囲へと向けていた。
「くそっ、......あいつ、どこに行ったんだ?」
クロノスは低くそう言いながら、視線は周囲を彷徨い、燃え盛る建物の影を追い、空調のわずかな揺らぎにも目を向けていた。
しかし、そのどれもが焦点を結ばず、ただ彼を探すことに執着しているだけに見えた。
(クロノスさん...焦ってる、?よね...)
セシルは表面上は冷静に見えるが、どこか落ち着きがない彼の様子をじっと見つめ、胸の奥に僅かな不安を広げていた。
「クロノスさん......」
セシルはそう呼びかけると同時に、そっと彼の指を包むように掴んだ。
クロノスは一瞬驚いたように肩を揺らし、ようやくセシルに視線を向けていた、そんな彼にセシルは落ち着かせるように声をかけた。
「あの、先ほどは鎖で守ってくださって、ありがとうございました」
「あ、あぁ......無事で、何よりだ......」
瞳をしっかり合わせているはずなのに、クロノスの返事はどこか上の空で、まるで遠くの何かを見つめているようだった。
セシルはそんないつもと違う彼に気がついていたものの、あえて触れずに、はっきりと告げた。
「アキラさんは...さっき動いていた人影に反応してました!!わたしたちもそれを目印に追いましょ!!」
セシルは呼吸の合間に、脳裏に焼き付いた光景が蘇らせていた。
瓦礫が崩れ、砂埃が立ち込める中、ほんの一瞬 、見えたあの人影。
そして、アキラがまるで何かの導かれるように、クロノスの声を無視してまで、その影を追うように動こうとしていた。
「......人影」
「はい!彼は絶対、あの人影を追おうとしているはずです」
セシルは自信を持ったように頷き、そう言い切った。
だが、その言葉を聞いた瞬間、クロノスは僅かに眉を潜ませていた。
「いや、待て。......そんなもの、いたのか?」
「え...?」
一瞬、セシルの思考が止まり、困惑しながら、クロノスの顔をまじまじと見つめた。
(そんな...あんなにわかりやすくいたのに——)
だが彼は、どこか焦点の定まらない視線を彷徨わせ、まるで自分の認識に疑いを持っているかのようだった。
「クロノスさん、きっとアキラさんの姿を見て動揺してるんです、よね?」
セシルの指摘を受けた途端、クロノスの表情がかすかに揺れたと思うと、まるで全身の力が抜けたかのように、彼は額に手を当て、苦しげに頭を抱え込んだ。
「...っふは、やはり感情ってのは厄介な代物だな」
彼から、苦笑とも嘆きともつかない声が漏れ出ていた。
「俺は......セシルを苦しめ、人生を壊したであろうあいつを、そして、あんな姿になってしまった彼を、軽蔑することすらできず、ただ正気を取り戻してほしいと願ってしまっている」
クロノス自身、自分の矛盾に嫌気がさしているような吐き捨てるような言葉だった。
また、その思考を認めたくないのか、苦しげに頭を抱え込んだまま、ぎりっと歯を食いしばっておた。
一方、セシルはその言葉を静かに受け止め、クロノスの手を離し、一歩後ろに下がりながら視線を落とした。
(わたしの人生を、壊したであろう存在、......か)
セシルの指は無意識に、自分の腕をなぞっていた。
そこには、自分でも制御しきれない“精霊の力”が宿っている。
それだけではない——格式ばった食事の作法に染みついた恐怖心。脅威的な魔獣に襲撃されたあの時。クロノスと契約してまで手放したかった過去。
そして、心の奥底にこびりついた、何か大切なものを失ってしまったという、言葉では表す事ができない違和感。
それらすべてが、セシルの人生を“普通の人生”から遠ざけていた。
(わたしは......何を失ったんだろう)
記憶を失う前の自分が、どんな気持ちでクロノスと契約したのか。
何を求め、何を捨てようとしたのか。そんな考えながら、セシルはそっと目を閉じた。
そして、ふと、別の思いがよぎった。自分だけではない、他の人々も、同じように何かを奪われてきたのではないか、と。
焼け落ちた街並み。逃げ惑う人々。ついさっきまで幸せに暮らしていた誰かが、理不尽な暴力の渦に飲み込まれていく光景。
それは——もしかすると、自分が記憶を失う前にも、どこかで見た光景なのではないか?
だが、クロノスがアキラに対して、ただ憎しみだけを抱いているわけではないことは、セシルも察していた。
だからこそ——
「あの、クロノスさん...」
セシルはクロノスの方に視線を向けると、優しい声で言葉を継いだ。
「わたし...例え、彼と戦うことになっても、ちゃんと話をしたいと思っています。止めたいという思いはもちろんあります。でも、それだけじゃなくて、わたしやクロノスさんが無くした記憶の欠片を、彼から聞き出したいんです」
静かな決意が滲むその声に、クロノスは思わず顔を上げた。
驚いたように瞬きをしながらも、その瞳にはまっすぐにセシルの姿が映っていた。
ふっとこぼれたセシルの笑い声は、どこか儚げだった。
クロノスの視線の先で、彼女は自嘲するように微笑み、そっと耳元の髪をかき上げ、その仕草に合わせて、耳飾りが炎の光を受けてわずかに揺らめいた。
その瞬間だった。
クロノスの胸の奥で、ぼんやりとしていた何かがかすかに揺らいだ。
(——俺は、あの時......)
胸の奥に沈んでいた、朧げな記憶が微かに蘇ってきた。
契約を交わしたあの日。
あの男——アキラと向き合った時、俺は何を思った?
契約悪魔として、ただ役割を果たしただけだったはずだ。
だが、本当にそれだけだったのか?
✿✿✿
数年前 繧ィ繝ォ繝翫′證ョ繧峨☆譚代〒驕弱#縺励※縺?◆譎―――
「なぁ、その動き......あんただろ?契約悪魔って奴は?」
ある時、俺はどういうわけか森の中にいた。
なぜそこにいたのか、はっきりと思い出せない。
ただ、何故か腰に掛けていた簡易的な剣ではなく、周りを気にしながら、空中から真紅の鎖を飛び交わせ、魔獣たちを撃退していた。
魔獣を倒し終え、一息つこうとしたその時、不意に背後から、少し拙い発音で声をかけられたのを覚えている。
契約悪魔――
この言葉を、ここで聞くとは思ってもいなかった。そんなものとは無縁の場所で過ごしていたはずだった。
それなのに、突如としてその単語が耳に届いた瞬間、驚きとともにクロノスは反射的に声のした方へ振り向いた。
そこには、木の幹に体を寄りかからせている長身で細身の体に黒いローブをゆるく羽織っている男がいた。
クロノスは即座に警戒し、空中に再び鎖を出現させると、いつでも攻撃できるよう構えた。
しかし、その瞬間、男は木の幹から体を離し、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
「ありゃぁ、殺気立っているね。それに、力も隠す気ゼロって感じだな」
男は、口元に手を当て、笑みをこぼしながら軽く肩をすくめていた。
「それにしても......耳の形が同じになるだけで、これほどまで人間に紛れ込めちゃうんだね~♪」
そう言いながら、男は自分のこめかみをトントンと軽く叩き、クロノスに見せつけるようにした。
まるで挑発するかのようなその仕草に、クロノスは僅かに眉をひそめたが、それ以上に男の指先に気になるものが目に留まり、思わず口を開いた。
「...その額...火傷の跡だな。どうしたんだそれは...?」
途端、男の動きがピタリと止まった。そして、驚いたように目を見開いたかと思えば、すぐに不機嫌そうに舌打ちし、髪の毛の分け目を無造作に変え始めた。
「...っ、......ちっ、お前、デリカシーってもんが欠片もねぇのか。普通そういうの、気になっても触れねぇもんだろ」
その男が髪の毛から手を離してもなお、髪の隙間から僅かに焼けただれた痕が見えていた。
クロノスは、そんな彼の行動に僅かに首を傾げていた。
「その、でれかしーと言うものはよくわからないが...君が怒っているのはよく伝わってくる、ようには感じる...」
そのクロノスの言葉に男は大げさにため息をつくと、腕を組み、呆れたように目を細めた。
「はぁ、契約悪魔ってのは感情がない、と聞いてたけど...お前みたいな半端な奴もいるんだなぁ...」
再び耳にする”契約悪魔”という単語に、クロノスは表情を変えると、男は姿勢を正し、足を組み替えながら言った。
「僕は... ジングウ アキラ だ。いや、こちらの大陸では アキラ ジングウと名乗るべきなのか...?まぁ、アキラと呼べば良いさ」
そう言うと、彼はゆっくりと口の端を吊り上げ、ゆっくりと口を開いた。
「そしてだ。単刀直入に言う。契約しろよ、僕と」
クロノスは、彼の言葉を静かに聞きながら、胸の奥に奇妙な違和感を覚えていた。
本来ならば、契約悪魔として手を貸し、淡々と契約をするのが当然のはずだった。
だが、なぜか。この時のクロノスは、すぐに応じる気になれなかった。




