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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第一部. 契約悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る歯車
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第29話. 混乱の開幕



「く、くそがっ......!」


男はセシルへの攻撃を諦め、慌てて身を引くが、遅い。刃先は見事に彼の袖を裂き、その下の皮膚を掠るように通り過ぎて行く。


そして刃は、下から上へと素早く舞い上がり、まるで空から獲物を狙う鳥のように、男の頭上で舞っていた。


「おいおい、隙だらけじゃねぇかぁ!!」


空中で蛇のように蠢く刃に視線を一瞬向けた男は苛立ち、煽るような声を上げながら、再び大上段に構えて鉈を振り下ろす。


「...っ!」


しかし、その軌道を見切ったセシルは、瞬時にウィップソードを持つ手を真横に伸ばし、カチッと音と共に刃は鞭のようにしなる動きを止め、一瞬にして硬質な直剣へと戻る。


ガキンッ!!


(...ぐっ、重いっ...)


男の強烈な一撃を受け止めた衝撃が、腕に痺れるように響くが、セシルは怯ることはせず、額に汗を伝わせながらも、冷静に男の動きを見定めていた。


すると、受け止めていた剣の下から突如としてまるで影が襲いかかるように勢いよく男の足が蹴り上げられた。


「っ...!」


セシルはその影に即座に反応し、受け止めていた剣に全力で力を込め、男の刃を押し返すように押し込んだ。


足を蹴り上げることに注力していた男の剣が一瞬弾かれるとその勢いのまま、刃先を一気に下へと向け——


カチッと音と共に刀身がしなやかに真下に伸び、瞬く間に鞭の形へと変わると、鋭くしなる刃が男の足を狙い、勢いよく襲いかかった。


男は顔を歪め、蹴り上げようとしていた足を慌てて軌道を変え、なんとか掠る程度で済んだが——


ヒュンッ——!


セシルの狙いは最初からそこではなかった。男が引いた足に意識が向いた一瞬の隙を逃さず、セシルは手首をひねり、しなった刃を勢いよく振るった。


刃はそのまま空を駆け、まるで生き物のように男の武器を狙って絡みついた。男の手元で鋭く絡みついた刃が、ギリギリと音を立てながら締め上げた。


そしてそのままセシルは、冷淡な目をしたまま、刃を強く引いた——。


「......諦めてください。幼い子を脅して怖がらせ、挙句の果てに盗みまがいの事を働くなんて、見過ごせません」


「クソッ...!この女がぁぁ!!」


その瞬間、男は歯を食いしばり、手に持つ鉈を投げ飛ばすように、横へと投げつけた。


「きゃっ!」


男の鉈に見事ウィップソードの刃を絡みつかせていたことが仇となり、セシルは自分の剣を放さざるを得なかった。


だが、その勢いは留まらぬまま、体ごと持っていかれた事で宙を舞った次の瞬間、床に思いっきり叩きつけられた。


「っ......!っん、いっ...」


なんとか腕全体を使い、衝撃を分散させながら受け身を取ったため、思い切り打ちつけられることは避けられた。


しかし、肘にできた擦り傷が床に押し付けられるようにぶつかったことで、腕全体が痺れたように痛み、すぐには起き上がり、体制を立て直すことができなかった。


「くそっ、手こずらせやがって...!」


頭上で男の苛立った声が響く。その声を聞いたセシルは、ハッとして顔を上げると、男はセシルのウィップソードの刃が絡みついたままの鉈を振り上げ、ものすごい勢いで振り下ろそうとしていた。


「っ...!」


その瞬間、セシルの体は反射的に強張り、思わず腕を頭の前にかざして身を守るように構えた。だが、逃げることも避けることもせず、彼女はそのまま目を閉じ、一撃を受ける覚悟を決める。


――せめて、一発喰らってでも武器を無理やり奪い返して時間を稼ぐ。


そう頭の中で必死に策を巡らせながら、振り下ろされる一撃の気配を感じた瞬間、彼女は迷わず頭を思い切り下げ、攻撃の衝撃に備えた――


ジャラジャラ――!


「なっ!?なんだ...ぐっ!!がっ...!!」


突如として、鉈で切られる痛みの衝撃を受けることもなく、代わりに男の呻き声が響き渡った。


恐る恐る、頭を庇っていた腕を下ろし、ゆっくりと目を開ける。そこにあったのは、男の手足や首に絡みつく真紅の鎖——その鎖はまるで意志を持つかのように蠢き、彼を容赦なく締め上げていた。


そして、その鎖はセシルの頭上で闇の中から伸びるようにして浮かび上がっていた。


「すぐに気が付かなくて、すまなかった」


聞きなじみのある声にセシルは、頭で状況を整理するよりも先に反射的に顔だけを振り返ると、口は笑みを浮かべていたのの目は全く笑っていないクロノスがそこにいた。


「...っクロノスさん!」


セシルは安堵したように息を吐き、小さくクロノスの名前を呼んだ。だが、クロノスの目はまるで敵を捉えたかのように冷徹で、セシルに一瞥さえもくれない。無言のまま、彼は鎖を操り、セシルのウィップソードの刃に絡みついた鉈を空中で手繰り寄せる。


冷たい視線を落としながら、それを掴んだかと思うと、次の瞬間、掌が赤黒く輝き、ぱりんと鈍い破裂音とともに、鉈は塵となって消え去った。


そして、もう片方の手を軽く振るうと、鎖が鞭の状態に戻ったウィップソードを絡め取り、セシルのもとへと送り返す。クロノスはそのまま、男に向かって無言で歩み寄った。


「がっ......ぐ......っ!」


怯え切った男は、なんとか距離を取ろうと必死にもがくが、首に絡みついた鎖がじわじわと締め上げていく。


息が詰まり、手足を使って必死に鎖を外そうとするが、抵抗は虚しく、鎖はまるで生き物のようにさらに強く食い込んでいった。


「悪いな」


クロノスは静かにそう言いながら、無造作に男の顎を掴むと、力任せに顔を引き寄せ、至近距離で冷たく囁くように言った。


彼の声が低く、ひび割れた音を立てて響かせており、初めて聞くような威圧ある声。


セシルは、そんなクロノスを見て思わず固唾を飲み、座り込んだまま動けずにいた。


「そこにいる彼女とは違って、俺は人間の命をもみ消すのは得意なんだ。試してみるか?」


男はクロノスの言葉を一瞬理解できず、苦しみの中で声にならない呻きを漏らしながら、顔を歪めた。


しかし、クロノスは顎を掴む手にさらに力を込め、その恐怖に満ちた表情をじっくりと見つめながら、静かに続けた。


「このまま粉々にするのも悪くはないんだがな......人目がある。この鎖で骨の数本でも折って、気絶したように命を絶たせてやるよ」


その意味を完全に悟った瞬間、男の体がびくりと震え、全身から血の気が引いていった。荒い息が喉で詰まり、必死に鎖を振りほどこうとするが、絡みついた鎖はびくともせず、むしろその抵抗を楽しむかのように微かに軋んだ。


クロノスの威圧に呑まれ、ほぼ空気のような存在になっていたセシルは、はっと息を飲み、慌てて立ち上がると。今にも男を殺しかねないクロノスの背後へと手を伸ばし、そっと服を掴んで制止しようとした。


だが同時に、クロノスは男を掴んでいた手とは逆の手をゆっくりと持ち上げ、パチン と乾いた音を鳴らした瞬間、男の首を締め上げていた鎖はまるで初めから存在していなかったかのように、音もなく跡形もなく霧散した。


「――!!」


男は突然の解放に喉を押さえながら、がくりと膝をつき、そのまま腰が抜けたように尻もちをつくと、もがくように後ずさった。


「ひ、ひぃぃッ......!!」


恐怖に駆られた男は呻き声を上げ、必死に体を起こすと、まるで理性を失った魔獣のように後先考えず鍛冶屋の扉を蹴り開けた。


バンッ――!


勢いよく開かれた扉が壁にぶつかり、鈍い音が響くと、やがて、その場には先程と打って変わって静かに包まれた空気と、男が出て行った扉が、外が見えないほどの半開きの状態でギィギィと微かに揺れる音だけが残った。


すると、セシルは剣を鞭の形状のままぺたんと床に座り込むように力が抜けていた。ウィップソードと彼女の黒い髪の毛が座り込む動きに連動するように、一瞬浮き上がった後、ゆっくりと床に落ちていった。


「ふはぁぁ、死ぬかと思ったーー」


セシルは力が抜けたかのように床に座り込むと、そのまま柄に指を這わせ、カチっと小さな音と共に、鞭の形だったものは一瞬で剣の形に戻り、腰に掛けていた鞘に静かに納めていた。


扉の方に注意を向けていたクロノスだったが、やがてゆっくりと視線を落とし、セシルを見下ろすと、そのまま無言で彼女の前にしゃがみ込んだ。


「ぇ、な、なんですか...」


先ほどまでの威圧的な態度が脳裏に焼き付いていたせいか、セシルは思わず身を引き、警戒するように両手をクロノスとの間にかざした。


訝しげな視線を向ける彼女に対し、クロノスは小さくため息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。


「ブリギッタに炉を温めてこいと咄嗟に伝えて、奥の部屋に避難させたのは正解だった、よくやったぞ」


低く落ち着いた声でそう言うと、クロノスは手を伸ばしてきた。


その動きにセシルは反射的に目をぎゅっと閉じてしまうが、次の瞬間、ふわりとした髪の毛がかかる感触が耳元に触れた。


「...はぁ、なんとか無事のようだな。冷や汗をかかせるな」


驚いて目を開けると、そこには先ほどまでの冷徹な表情とは打って変わり、安堵の色を滲ませたクロノスがいた。


思わず緊張が解けたセシルは、いたずらっぽく満面の笑みを浮かべ、軽くピースサインを作る。


「えへへ、咄嗟に変なこと言っちゃいましたけど、結果オーライですね! ブリギッタちゃんがクロノスさんを呼んできてくれたおかげで助かりました。ありがとうございます!」


セシルの能天気な言葉に、クロノスは一瞬呆れたように息を吐くと、立ち上がりながら彼女に手を差し伸べた。


「まったく...セシルは契約悪魔の力を少なからず使えるはずだ。それをもっと有効活用したらどうだ?」


「......たしかに、その手もありましたね」


クロノスの指摘を受け、セシルは頬を指で掻きながら改めて考えていた。


もし契約悪魔の力をうまく使えていたら、もっと楽に切り抜けられたのかもしれない。しかし、同時にふとした疑問が胸に浮かんだ。


(...そういえば、わたし今までどうやって契約悪魔の力を使ってたんだっけ...?)


ぼんやりと考えながら、差し出されたクロノスの手に手を伸ばそうとした、その瞬間、奥の扉の向こうから、慌てた足音がこちらへ向かって駆けてくるのが聞こえた。


「あ、あの!!」


慌ただしい足音とともに、緊張に滲んだ声が響いた。クロノスが振り返ると、そこには肩を上下させながら息を整えようとし、膝に手をついて荒い呼吸を繰り返しているブリギッタがいた。


クロノスは彼女の様子を見て、セシルと一瞬視線を交わすと、そのまま歩み寄り、膝を軽く曲げて目線を合わせた。


「何かあったのか?」


落ち着かせるように低く優しい声で問いかけると、ブリギッタは大きく首をブンブンと振ると、そのまま姿勢を正し、今にも泣きそうなほどの必死な表情でクロノスの裾をぎゅっと掴み、叫ぶように言った。


「そ、外が...! さっきの男性の方が、"外が悲惨なことになっている"って!」


「え...?」


セシルは思わず、その場に座り込んだままクロノスたちの方を見上げ、驚きの声を漏らした。


クロノスの表情はすぐに険しさを帯びる。返事もせず、セシルの前を横切ると、一瞬前まで半開きだった扉を迷いなく開き、そのまま外へと踏み出していった。


「クロノスさん!」


セシルが声をかける間もなく、ブリギッタも後を追うように扉へ駆け寄り、そのまま勢いよく外へと飛び出していった。


バタン――と激しい音を立てて閉まった扉に、セシルはただぽかんと口を開けた。


(......はっや。肝心の外、全然見れなかったぞぃ)


一瞬で視界から消えてしまった二人を呆然と見送っていると、不意に肩をトントンと軽く叩かれた。


「セシルお姉ちゃん!」


呼びかけに顔を向けると、そこにはルカが小さな手を差し伸べて立っていた。まだ幼いながらも、精一杯の優しさを込めた笑顔を浮かべている。


「セシルお姉ちゃん、まもってくれたのカッコよかったよ! はい! ぼくの手つかんで!」


「...ふふっ、ありがとうルカくん」


本当は今すぐにでもクロノスたちを追い、外で何が起きているのか確かめたかったが、目の前で小さな両手を差し出し、純粋な瞳でこちらを見上げるルカを無下にするなんて、できるはずがなく、彼の無邪気な言葉に、セシルはふっと笑みをこぼしていた。


「よいしょっと!」


セシルはルカの小さな手を握ったまま、軽く声を漏らしながら立ち上がった。息を整え、気持ちを切り替えようとした瞬間、不意に繋いでいたルカの手が、かすかに引っ張られるのを感じた。


「ん?どうしたの...?」


不思議に思いながら視線を落とすと、ルカはどこか言いにくそうに、気まずげな表情を浮かべていた。


「セシルお姉ちゃん、お外行くんだよね...」


ぽつりと呟き、ちらりとセシルの顔を見上げる。小さな手がぎゅっと握りしめられたのがわかった。


「ぼくは...ぼくは......。じゃましちゃうといけないし、まってるね......」


「......」


セシルは一瞬、何かを言おうとしたが、ルカの表情を見て言葉を飲み込んだ。


(......この子、もしかして......)


言葉の端々に、ただの遠慮以上のものを感じる。まるで過去の何かと重ねるように、自分の存在が負担になると信じ込んでいるような――そんな雰囲気を纏っていた。


もちろん、セシルにはブリギッタ同様ルカがどんな過去を抱えているのかは分からない。彼らがどんな痛みを経験してきたのか、何を背負っているのか、知らない。


でも、それでも、まだ幼いルカが、こんな言葉を選んだことに、胸が締めつけられるような気がした。


セシルはそっと微笑むと、ポケットに手を入れた。指先に触れた冷たい感触を確かめ、そのままゆっくりと取り出し、両手で包むようにしてルカに差し出した。


「はい、これ、お願いね」


ルカの小さな手のひらに乗せたのは、さっき棚から外した鍵だった。


ルカは不思議そうに鍵を見つめた後、ちらりとセシルを見上げると、セシルは、そんな彼の瞳をしっかりと見つめ返した。


「ルカくん」


「......?」


「誰かのそばにいることが、邪魔になることなんて絶対にないよ」


「え...?」


ルカの瞳がわずかに揺れるのを見逃さなかったセシルはそっとしゃがみ込み、ルカと目線を合わせるように顔を覗き込んだ。


「わたしね、クロノスさんのこと、”この人がそばにいてくれるだけで安心する”って思ったことが何回もあるんだよ......あっ、これ秘密だからね!」


そう言って、ふっと人差し指を口に当てると、どこか恥ずかしそうに目を細めながら微笑むと、ルカの表情が一瞬で驚きの様子に変わっていた。


「だからさ、ルカくんも同じだよ。ちゃんと"ここにいる"ってことが、誰かにとっての支えになってるんだよ。ブリギッタちゃんも、きっとそう思ってるはずじゃないかな?」


「......」


ルカはじっと鍵を握りしめたまま、しばらく俯いていたが、よく見ると彼は何かを噛みしめるように、何かを確かめるようにその小さな肩が、わずかに震わせながら、静かに口を開いた。


「...ほんとうに?」


「ほんとうに」


その問いは、まるで祈るように、小さな声で紡がれたが、セシルは迷いなく微笑むと、首をこてんと傾けながら答えた。


「...」


ルカはぱちぱちと瞬きをしたが、ゆっくりと顔を上げると、涙をこらえるようにぎゅっと唇を結んだ。そして、ほんの少し、かすかに、けれど確かに、小さく微笑んだ。


「...うん、ありがとう」


「ううん」


セシルは優しく微笑むと、しゃがんだままルカの温もりを感じるように、ぎゅっと腕に力を込めた。


「よし、ルカくん、いい子にしててね」


「うん!」


ルカの元気な声が返ってくると、セシルはそっと体を離し、彼の頭を優しく撫でた。少しの間、その感触を確かめるように手を留めていたが、やがて静かに手を下ろし、一度だけ小さく息を吐く。


(クロノスさんたち、全然帰ってこないな...一体、何が起こっているんだろう...)


そう、自分に問うようにゆっくりと立ち上がり、扉へと視線を向ける。背筋に静かな緊張が走った。


一瞬だけ目を閉じ、意を決したように素早く駆け寄ると、扉に手をかけ、深く息を吸い込み、意を決して扉を開いた。


そして、目の前に広がったのは――


「っ...!な...なに...あれ...」


扉を開けると、空気が変わった。


ほんの少し前まで賑わっていたはずの街並みは、奥へと目を向けるにつれ、まるで悪夢のように変貌していた。


遠くの方では、炎柱のように燃え上がる火が黒煙を巻き上げ、空を覆い尽くしている。黒煙で鈍く黒く染まる空の下、崩れ落ちた建物や砕け散った石畳が無残な姿をさらしていた。


風に乗って流れてくる焦げた臭い匂いが鼻を刺す。


しかし、セシルたちが立つこの場所はまだ無事だった。すぐ近くの通りは、つい先ほどまでと変わらず静寂に包まれている。けれど、遠くに広がる惨状が、この平穏が長く続かないことを告げていた。


「そ、そんな...燃え、て――」


ドクン。


「っ...いっ、」


突如、腕に鋭い痛みが走ったことでセシルは反射的に腕を押さえるが、痛み以上に、体の奥から突き上げてくる"覚えのある感覚"に背筋が凍らせた。


――何かがおかしい。


ただの火事や事故ではない。とある異質なものが、この場に満ちているのを感じ取った。


「ひ...酷い光景...」


すぐ隣にいたブリギッタは片手を口に覆い、あまりの衝撃的な光景に顔を青ざめさせ、目を見開くことしかできないでいた。


セシルはブリギッタの声でハッとすると、出て行った時よりも険しい顔で遠くの炎を見つめていたクロノスに駆け寄り、話しかけた。


「クロノスさん!あの、辺りが――!」


セシルは辺りの様子を説明しようと、ブリギッタに聞こえないように手を口に縦に当てながら最大の声で話しかけた。


すると、クロノスはセシルに視線を向けぬまま、ゆっくりと口を開いた。


「あぁ、セシルも感じてるか。空気が――《《歪んでいる》》」


そう、以前空中から現れた魔獣に襲われた時と同じように、辺りには微かにではあるが歪んだ空気の気配が漂っていた。


セシルはクロノスの言葉が終わると、ゆっくり彼から視線を外し、遠くで燃え続ける光景に目を向け、自分の過去を探るように顔を強張らせていた。


(...なんだろう、この景色。初めてじゃないように感じる。なんで...)


まるで鎖で縛られた過去の記憶が蘇りそうな感覚があった。しかし、ふと隣で裾を引っ張られる感覚がしたことで、そちらを見ると、ブリギッタがいた。


「セシルさん... 幸い、火はこちらに回ってくることはありません。あの様な光景を見てなんですが、私たちは家で静かに待つくらいしかできません。戻りましょう」


セシルはその声に耳を傾けながらも、何もできず悔しそうに唇を噛んだ。しかし、ブリギッタに視線を移し、戻ろうかと答えようとしたその時、突然、後ろからもはや叩かれるように肩を掴まれた。


あまりにも突然の衝撃に驚いて顔を向けると、少し怖い顔をしたクロノスが立っていた。


「悪いな、ブリギッタ。どうやら、あの炎、俺たちに関係大アリみたいだ」


「関係が...あるんですか?」


クロノスはブリギッタの問いに頷くと、セシルの言葉も聞かないまま、肩を引き寄せるようにブリギッタと距離を離し、小さな声で耳元に顔を近づけて話した。


「先ほどわかった事だが、アキラ様があの炎辺りにいるというのがわかった」


「う、うそっ!!」


セシルは思わずクロノスの顔を凝視した。だが、彼の表情は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。


「癪だが、彼の位置を意識して探してみたんだ。そしたら、あの炎が上がっている方角辺りにいるとな」


思わぬ事実に、セシルは地面を見るように視線を落とし、声を失った。クロノスは軽く息を吐くと、セシルから手を離し、頭の後ろを軽く掻いた。


「これでも俺は彼と契約している契約悪魔だ。そして、位置を把握できるという事は、彼は生きているという事だ。俺には彼を探す義務がある」


そう言い終えると、クロノスはセシルの返事も聞かずに歩き出した。だが、セシルは大きく首を振り、顔を上げて大きな声で彼を呼び止めた。


「待ってください! この”歪みの空気”......アキラさんもそうですが......何か、何か”精霊”に繋がる何かが関係しているのなら!少なからずわたしも行く権利があります!!」


クロノスはその声を耳にしたのか、足を止めると顔だけを軽くこちらに向けた。そして、少し笑みを浮かべると、再び前を向き、少し早いスピードで駆け出すように歩き出した。


彼の表情を「ついて来い」という肯定の意思と捉えたセシルは、喉の奥に詰まっていた不安を小さく吐き出すように息をついた。


そして、決意を固めるように拳を握り、力強くガッツポーズを作ると、腰に掛けていた鞘紐を外し、心配そうに見つめるブリギッタへと剣を差し出した。


だが、ブリギッタはセシルの手を強く掴んだ。その力は思ったよりも強く、セシルは一瞬驚く。


「ダメよ!あなたにこそ、持っていてほしいの!」


「えっ、でも――」


セシルが戸惑いを見せる間もなく、ブリギッタは剣を受け取り、片手で一生懸命、セシルの腰に紐を括りつけようとする。


しかし、不器用な手つきでなかなかうまく結べず、焦るように指先が震えていた。


「こんな時に、この子を連れて行かないで、いつ使うんですか?」


彼女の声は、どこか震えていた。セシルはその言葉に目を細め、ブリギッタの表情をじっと見つめる。まるで「無事に戻ってきて」と言いたそうな瞳だった。


「......そうだね」


セシルはふっと微笑み、片手で苦戦しているブリギッタの手を優しく取ると、手慣れた動きで腰に鞘紐を括りつけた。


「...ありがとう、ブリギッタちゃん。行ってきます」


セシルはそっとブリギッタの手を離し、すでに後ろ姿が見えなくなりそうなクロノスを追いかけるように走り出した。


後ろで、ブリギッタが小さく「お願い、気をつけて」と呟いたのがかすかに聞こえた。


振り返ることはしなかった。だが、その声に滲んだ気持ちは、ちゃんと届き、セシルはそのまま炎が上がる方へと、迷いなく駆け出した。

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