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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第一部. 契約悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る歯車
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第13話. 招かざる襲撃



アキラが去ると、部屋は静寂に包まれていた。


「...ふぅ、もう大丈夫だ。出てきていいぞ」


クロノスが優しく声をかけると、セシルは体にかかっていた毛布をそっと払い、うつ伏せの状態から腕を使って慎重に上体を起こした。


動作はぎこちなく、慎重さと警戒心が見て取れたが、やがてベッドの端に腰を下ろし、ほっとしたように息をついていた。


すると、クロノスはセシルが完全に落ち着くのを待つことなく先に話し出した。


「彼が不機嫌にならないように、セシルが食事を取ったように見せかけておいたが....どうやら余計な気遣いだったらしいな」


淡々とした口調で語るクロノスを横目に、セシルはタイミングを見計らい、クロノスが話し終わった後に続けて口を開いた。


「あ、あの。いろいろ聞きたいことがあるんですが...」


「待て。さっきの会話についての質問なら、“純粋な器”や“アストラル教団”については聞くな。その単語については俺も知らん」


「あっ、聞こうと思っていた二つが......」


「悪いな」


はっきりと断られてしまったセシルは表情に微かな困惑が混じらせながら肩を落としていた。その様子を横目で見たクロノスは、少し申し訳なさそうに顔をそむけながら短く謝罪を言い放った。


沈黙が訪れ、セシルは目を伏せて無言で考え込んでいたが、やがて意を決したようにクロノスを見つめて問いかけた。


「.....そういえば、アキラさんが言っていた“契約者の特権”って何ですか? クロノスさんの位置を知っているような発言が気になったんですが」


すると、クロノスは頬を軽く掻きながら、少し困ったような顔を浮かべていた。


「ああ、そのことか。それはだな......契約悪魔と契約者は意識を集中すれば、お互いの大まかな位置を把握できるんだ。くだらない特典だろう? お陰で逃げようとしても、距離を取ることができない仕組みだ」


「....逃げられない、ですか」


その言葉にセシルは難しい顔になったあと、視線を落とし、何かを考え込むような表情を見せながら、ゆっくりと話し出した。


「では...わたしはどうてここにいるんでしょうか? 連れてこられたんですか?」


その質問に、クロノスは一瞬言葉を詰まらせ、わずかに躊躇を浮かべた表情のまま、ゆっくりと口を開く。


「....すまない。正直に言うと、それは俺にもわからない」


クロノスは腕を組み、視線を床に落としたまま考え込んでいるようだった。その答えを聞いたセシルは困惑の色を浮かべつつ、絞り出すように問い返した。


「わからない...?」


セシルの声には微かな疑念が混じるが、クロノスは重い沈黙を保ったまま目線を伏せ続けた。そして、彼女の次の問いが静かに響いた。


「もしかして...記憶がないんですか?」


すると彼女の問いに、クロノスは苦い顔をしながらゆっくり答えた。


「....そうだな。セシルに関する記憶を辿ろうとするたび、何かが邪魔をしているような感覚になる。全く何も思い出せないんだ」


驚きを隠せないセシルだったが、やがて肩の力を抜き、小さくため息をついた。そして、不意にクロノスをじっと見つめる。その視線には呆れと諦めが混じっているようだった。


「......じーっ」


「...そんな目で見るなよ。契約悪魔なんて、大層な存在に思えるかもしれないが、実際は万能じゃない。使いようによっては無限の力にになるだけの話だからな」


彼の言葉には強大な力を持ちながら、契約に縛られているような苦悩や自嘲が混じっている口調だった。セシルは一瞬言葉を失ったが、次に何を聞けばいいのか迷うように目を伏せた。その時だった。


「っ、いっ、うっ....ゴホッ、ゴホッ!」


「セシル!」


突然、セシルが喉を押さえながら激しく咳き込み始め、体が小さく震え、苦しげな呼吸音が部屋に響いた。クロノスは驚き、すぐに体を支えようと手を差し伸べたが、セシルは首を振り、弱々しく手で制止した。


「.....もう大丈夫です。ごめんなさい...急に、体が痛くて...」


彼女は咳を収めようと必死に息を整えながら言葉を絞り出した。だが、その顔には痛々しい様子が濃く刻まれていた。


「すまない...」


セシルの様子を見ていたクロノスは顔をひそめ、視線を伏せたまま低くそう呟いた。その声には、自分を責めるような重苦しい響きがあった。


「...なんでクロノスさんが謝るんですか?」


セシルは視線をクロノスの方に向け、不思議そうに問いかけると、クロノスは躊躇いがちに椅子へ腰を下ろし、顔を背けたまま答えた。


「その傷、痛いだろ....俺のせいでもある」


彼は視線を床へ落とし、しばらく考え込んでから意を決したように両手をお椀の形にし始め、目を閉じた。


集中する彼の姿にセシルは不思議に思いながらも何も言わず、ただ見守っていた。やがてクロノスの手のひらから、真紅の鎖が短く伸びると、その鎖は徐々に形を成し、やがて片手剣へと変わっていた。


「...わぁ、すごい」


セシルはその神秘的な光景に息を呑み、無意識のうちに胸元で手をぎゅっと握りしめた。やがて、クロノスはゆっくりと目を開き、赤い剣に目を落とす。その瞳にはわずかな悲哀の色が宿っていた。


「見ての通り、これは俺の力で作ったものだ。今、アキラ様に渡している短剣も、同じように俺の力で作られている。そして.....セシルの体にあるその傷は、もしかすると、その短剣によるものかもしれない」


「そんな、では彼は悪い人――!」


セシルは顔を強張らせ、驚きに目を見開いた。その瞳には混乱と恐れが浮かび、思わず勢いよくベッドから立ち上がろうとしたが、剣にぶつかる寸前でクロノスが素早く剣先を床に向け、同時に彼女の肩をそっと押さえた。


「落ち着け、危ないだろう.....。そうだな、セシルからすれば、そう考えるのも無理はないな」


二人の間に訪れた静寂は、言葉では語り尽くせない思惑を伴い、じわじわと部屋を包み込む。息苦しささえ感じさせるその沈黙を破るように、セシルはクロノスの手元の剣をじっと見つめながら、小さな声で話し出した。


「でも.....それなら、クロノスさんは、どうしてわたしを助けてくれるんですか? アキラさんの味方じゃないんですか?」


その問いに、クロノスは一瞬目を伏せた。まるで答えを探すように沈黙し、やがて遠くを見るように視線を上げ、低い声で重々しく答えた。


「....さあな。俺自身、はっきりとした答えは出せない。だけど、一つだけ確かなのは――セシルを守らなければいけない、そう思っていることだ」


クロノスが言葉を紡ぎ終えると、再び静寂が訪れた。


その空気は、どこか温かさと困惑の感情が入り混じった不思議なもので、二人は視線を交わすことなく互いに俯いたまま、言葉を探すようにしていた。



◇◇◇



しばらくした後、クロノスがふと真剣な表情でセシルを見つめ、口を開いた。


「......セシル、違和感を感じないか?」


その言葉に釣られるように、セシルは短く頷き、クロノスがアキラが来たときと同じように扉の方を見て警戒の姿勢を取った。



――何かがおかしい。


辺りの空気がじわじわと重くなる。その異様さに気づいたセシルは、ただの違和感ではなく、何かが起こっているとすぐに察した。クロノスの険しい表情も、言葉以上に状況の異常さを物語っていた。



アキラ....ではないな。様子を見てくる。ここで大人しく待っていてくれ」


クロノスはそう言いながら椅子から立ち上がった。持っていた剣を慎重にベッドの端に立てかけると、ゆっくりと扉に手を伸ばし、静かに開けた。その瞬間――



ギャオォォン!!



突如、魔獣の甲高い咆哮が轟き、空間が歪むような衝撃波が部屋の中に一気に流れ込んだ。


「っ、何!?!」


セシルは目の前の急な状況に即座に反応し、両腕で顔を庇いながら身を縮めた。


耳をつんざくような音と、重圧に押し潰されそうな気配が襲いかかる中、クロノスは彼女に一瞥をくれただけで、何も言わず外に踏み出し、素早く扉を閉めてしまった。


「クロノスさん!!」


セシルは叫びながら扉に駆け寄り、取っ手に手を掛けて外に押し開けようとする。しかし――


「っ、開かない!なんで!」


扉はびくともせず、外側からジャラジャラと鎖の音が微かに聞こえてきた。


(もしかして...クロノスさん、扉に鎖を!?)


取っ手を握りしめたまま、セシルは扉が動かない原因を考えていた。 その時、再び魔獣の咆哮が響き渡り、鎖が空を切る鋭い音が外から聞こえてきた。


「戦っている...の...?」



――行かないと。助けに行かなきゃ。



胸の奥から湧き上がる感情に突き動かされ、セシルは無意識にクロノスが置いていった剣を取りに駆け寄った。 両手で胸元の高さに持ち上げると、重さを感じながらも覚悟を決め、扉に戻ると、扉目がけて走り出し、体当たりを繰り返した。


ドンッ! ドンッ!


(開いて! お願い、開いてってば!!)


ぶつかるたびに体が痛み、息が荒れる。それでも、外から聞こえる魔獣の咆哮と鎖が交じり合う音、そして一人で戦っているクロノスの姿が脳裏に浮かび、その痛みさえ感じなくなっていた。


ガシャン....!


「わっ!」


扉にかけられていた鎖がが外れる音と共に、セシルは勢い余って扉を突き破り、そのまま地面に転げ落ちてしまった。


「っ、いたた....」


剣を抱えたまま、怪我がないことに安堵し、立ち上がろうと目線を上げたその瞬間――


「セシル、お前!! なぜ出てきた!!」


怒気を含む声が辺りに響き渡り、クロノスがセシルの前に立ちはだかった。


その背中は頼もしくも緊張に満ち、険しい表情がその焦燥を物語っている。彼の前には真紅の鎖が無数に伸び、空中で舞い踊るように絡み合いながら、まるで巨大な盾のように守りを固めていた。


直後、何か強烈な魔力の塊がその鎖の盾に叩きつけられ、衝撃音と共に激しい風圧が辺りを巻き上げる。土埃が舞い、視界を覆う中、クロノスの声が響いた。


「おい、立ち上がれるか!」


セシルは風圧に怯みつつも手で目を庇いながら顔を上げると、真剣な表情のクロノスが手を差し伸べてきた。その眼差しには迷いの一片もない。


「...すみません、ありがとうございます」


セシルは礼を言いながらクロノスの手を掴み、立ち上がろうとした次の瞬間、クロノスは鋭く目線を前方の鎖に向け、動きを変えた。


真紅の鎖が空中で軌道を描き、急襲してきた陰影の中へ鋭く突き刺さした。


ギャオンッ!


咆哮と共に、影は土埃の中でバランスを失いながらも上空に戻り、体勢を立て直していた。その動きに一瞬の隙を感じたセシルは素早く顔を上げ、影の正体を確認しようと空を睨みつけた。


(....っ!)


そこには、サギタカを掛け合わせたかのような異形の姿を持つ巨大な鳥の魔獣がいた。その体は青白い光を微かに放ち、鋭い眼光をこちらに向けながら、次なる攻撃のタイミングを伺っている。


「...クロノスさん、あれって」


セシルは無意識に剣を構え、視線を魔獣から外さぬよう横目でクロノスにわずかな緊張が滲んでいる声で問いかけた。すると、クロノスは短い沈黙の後、低い声で答えた。


「....あれは、普通の魔獣じゃない。この歪んだ空気を感じているだろう。あれは異常だ」


その言葉が終わると同時に、空中の魔獣が突然方向転換し、口を大きく開ける。


「......!セシル、こっちだ!小屋から離れろ!」


クロノスはセシルの腕を掴むと、迷いなく走り出した。しかしその直後、魔獣は無数の青白い魔力の塊が雨のように降り注がせた。塊は地面に触れるたび、轟音と共に爆発が連鎖し、大地をえぐり取っていた。


「っ、こんなもの...!」


迫り来る魔力を感じたセシルは、クロノスの手を振りほどき、素早く後方へ跳んだ。次の瞬間、彼女の剣が大きな弧を描き、魔力の塊を真っ二つに切り裂いた。


塊は空中で爆発し、青白い霧となって広がった。霧は視界を覆い、不気味に空間を歪ませる。


「くっ、こっちも防ぎはしたが...」


クロノスはセシルの動きを横目で確認しながら、少し離れた位置で鎖を操り、降り注ぐ攻撃を弾き飛ばす。その瞳には、空に広がった霧を見据えた冷徹な光が宿っていた。


セシルも剣を持ち直し、霧を見上げながら、冷たい眼差しでその奥を鋭く見据え、肌を撫でる風の流れに何かを感じ取っていた。


(空気が......動いた。来る!!)


その瞬間、魔獣が鋭い爪が霧を裂きながらセシルを狙って急降下してきた。


「避けろ!!」


焦燥を滲ませた声で叫びながら、クロノスは真紅の鎖を再び呼び出そうと動いた。しかし、セシルはじっとその場を動かず、瞳で魔獣の動きを冷静に追っていた。


(......今!!)


爪が頭上に迫った刹那、セシルは素早く身体を低く沈めた。驚くほど鋭い動きで横に跳び、風を裂くように距離を取る。次の瞬間、魔獣が地面に突撃しようとしたその一瞬を逃さず、セシルは渾身の力で剣を振り抜き、魔獣の胴体を捉えた。


ギャオォォン!!


剣が深々と命中し、魔獣は甲高い悲鳴を上げる。そのまま魔獣は体勢を崩し、地面に激しく叩きつけられた。衝撃波が爆発的に広がり、セシルの身体を宙に浮かせるほどの威力だった。


「きゃっ!」


吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる覚悟を決めたその瞬間、セシルの身体は誰かの腕にしっかりと抱き留められた。


「見事な一撃だったな。怪我はないか?ここからは俺がやる」


クロノスはセシルを抱えたまま、疾風のような速さで魔獣との距離を取った。その動きは無駄が一切なく、まるで全てを計算しているかのような冷静さを感じさせた。


「....大丈夫です!まだ戦えます。やらせてください!」


セシルはクロノスの腕から体を起こし、クロノスを見上げながら力強い声で訴えた。


その瞳には戦う覚悟の光が宿り、不屈の意志が伝わってくる。それを見たクロノスは短く息を吐き、前方で待ち構える魔獣を睨みつけた。


「....いいだろう。だが、次に危ない目に遭いそうになったら、峰打ちで気絶させて安全な場所に放り込むからな」


「うわぁ、それだけはやめてください!ちゃんと頑張りますから!」


セシルは一瞬クロノスの言葉に気が抜けたような表情を見せたが、すぐに力強く頷いた。その顔には小さな笑みが浮かび、確固たる決意と自信が滲んでいた。


クロノスは彼女の表情を一瞥し、静かに真紅の鎖を呼び寄せながら、戦闘態勢を整えていた。


言葉はなくとも、二人の間には静かな緊張感と、互いを信じる心がその場を支配していた。

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