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記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由  作者: 黒月セリカ
第二部. 王女と剣士の誓い : 歪めし片目と契約悪魔の暴走
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第98話. 本音不明



庭の奥へ赴こうという提案に、セシルが表情を揺らしているのを静かに見ていた男は、何かを計算するように軽く顎に手を添え、少し考える素振りを見せてから口を開いた。


「本当はさ、気になるなら勝手についてこいって、もっとカッコつけた感じで言ってみたいところなんだけどねぇ。 試したいことっていうのは、お嬢ちゃんがいなきゃそもそも成り立たないし、このままだと本当に帰っちゃいそうだからさ。」


そう言いながら、男はわざとらしく「やれやれ。」とでも言いたげに肩をすくめ、サングラスの奥からセシルへちらりと視線を送った。


その一瞬の視線だけで、言い当てられたことを悟ったセシルは、まるで心の奥を覗かれたような気がして、思わずドキリと肩を震わせた。


「そうだな、わかったよ。親しみやすくするために、今さらだけど名前くらいは名乗っておくか。」


男はそう言うと、にやりと唇の端を持ち上げ、サングラスの縁を指先で軽く押し上げながら、セシルと視線の高さを合わせるようにゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。


その仕草はどこか芝居じみていて、わざと相手を安心させようとしているのか、それとも単に癖なのか判別のつかないものだったが、彼はそんな空気を纏ったまま軽く声色を変えて続けた。


「俺のことは“ホリー”って呼べばいい。敬称なんかもいらないからさ。」


その言葉と同時に、まるで話の締めくくりとして添えられたかのように、気さくそうな笑みを浮かべながら手を差し出してきた。


しかし、セシルはその手に触れようとはせず、むしろ座りながらも一歩引くように僅かに疑いを隠さない視線のまま相手をじっと見つめたまま、授業中に遠慮がちに質問を投げかける生徒のように控えめに手を挙げ、静かに口を開いた。


「......偽名ですよね、それ」


「えぇ〜? やっぱバレちゃう? さすがに、名乗るには乙女チックすぎる名前だったな。」


ホリーと自称した男は、見抜かれたことに驚愕する様子も取り繕う気配もなく、むしろ「まあバレるよねぇ。」とでも言いたげに、仕方なしといった様に肩をすくめてみせた。その反応には切迫感も不快感もなく、どこか諦観すら漂っていたが、それが逆に彼の底の読めなさを際立たせていた。


セシルはそんなホリーから視線を外さないまま、ゆっくりと立ち上がった。その瞳に敵意の色はまったくなく、しかし油断なく相手の挙動を測るような静かな警戒心が宿っているように落ち着いた声で言葉を続けた。


「そもそも、あなたは......ここ周辺の大陸出身じゃないですよね? 公用語はすごく流暢で普通に話していれば気づかないくらいですけど......時々、言葉の切り方や音の置き方が、東の大陸出身の名残みたいに聞こえますし」


「.........なんだ。思ったより、相手をちゃんと見たうえでしっかり分析できる子だね。そう言うお嬢ちゃんのほうこそ、こっちじゃ珍しい黒髪だけど? 俺なんかは逆に、髪はもう染めちゃってるようなもんだけどさ。」


男は、見抜かれたことを正直に認めるように、どこか気まずさと開き直りが混ざった声と共にゆっくりと立ち上がりながら、伸びをするその仕草には余裕めいた気配すら漂い、やがて彼はニヤリとした笑みを浮かべてセシルへ視線を向けた。


「まっ、東のとある大陸の言語に訳して貰えば、これが俺の本来の名前だし──100%嘘ってわけでもないしね。」


セシルはその説明を聞きながらも、東の言語にまったく馴染みのない自分にはどうにも理解の及ばない話だと悟ったのか、小さく息をついて半ば諦めたように視線を落とした。


「っ......わかりました。なら、ホリーって呼びますので。連れて言って下さい」


「おっ、待ってましたその返答。」


ホリーは、自分が提案した呼び名と庭のさらに奥へ行くことをセシルが受け入れてくれたことに、隠しきれないほどの嬉しさを滲ませながら、軽い足取りで前へと歩き出した。


「うーん......すごく嬉しそうってのは伝わるし、そこは嘘じゃなさそうね」


セシルは、理由まではわからないものの、明らかに上機嫌になっているホリーの背中を見ながら、呆れ半分・苦笑半分といった心持ちで小さく首を傾げていた。


そして、自分の肩にとまっている小鳥も同じようにきょとんと首を傾げているのに気づくと、その丸い瞳に向けてそっと視線を落とし、「じゃ、行こっか」と囁くように声をかけると、ホリーとの間にほどよい距離を保ちながら、やや遅れて後を追っていった。


やや距離は空いてしまっているものの、セシルが文句ひとつ言わず素直に歩き始めた様子と、相変わらず肩にちょこんと乗っている小鳥の存在をちらりと確認したホリーは、ほんの一瞬だけ何かを考え込むように目を伏せたが、すぐにくるりと振り返ってセシルの方に向き直った。


「んじゃ、早速だけど。抵抗せずに来てくれたボーナスとして、一個だけ話題提供~......って、ちぃっと距離遠くないか?。」


「......お気になさらずに続けてください」


男が振り返った瞬間、反射的に足を止めてしまったセシルの姿に、ホリーは思わず茶化すように口を尖らせ、困ったような表情を浮かべた。しかしすぐに気持ちを切り替えるように腰へと手を当て、今度はじっくりと話すために真剣な面持ちになった。


「でっ、お嬢ちゃんはどこまで感づいてるわけ? この王国が抱えてる歪み......じゃなくて、精霊そのものの存在についてさ。」


その言葉が予想以上に核心を突いていた為か、セシルは息を呑み、背筋を緊張でぴんと伸ばしながら、慎重に、しかし恐る恐るといった声音で口を開いた。


「......っ、答え次第では、この場で始末する......とか、そういうことは――」


「ないないないないっ! そんな物騒なことしないっての。俺はいたって友好的......まぁ、隠してることがあるのは否定しないけどさ。これまでのお嬢ちゃんへの対応は、全部俺自身が勝手に判断してやってるだけだし。

 それに――今ここで殺す気があるなら、わざわざ苦労するほどの話じゃないんだよなぁ。俺のポテンシャルなら、お嬢ちゃんが反応する前に勝負はついてるんよ。」


軽口を叩くような、どこか気だるげで軽快な口調で語りかけてくるホリーだったが、その言葉の端々に滲む自信や、冗談では済まされない“本当にやろうと思えばできる”という圧のようなものが、じわりと空気を揺らしていた。


「......大口を叩いている訳ではない事は十分伝わりました」


セシルは、自身の身体を僅かに貫いた電撃の感覚を思い返し、その威力と速度が偶然のものではなく、彼が言う通り本気を出せば一瞬で命を奪えるほどの力を持っているのだと実感させられた。


その事実が恐怖ではなく、むしろ奇妙な説得力として胸に落ちてきたことで、セシルはただ小さく相槌のように静かに頷きながら、慎重に口を開いた。


「まず......本物の精霊の力と、そうじゃない力の定義は以前に教えてくれましたよね。本物の力は、本人が意図して解放しない限りは勝手に歪みが外へ漏れたりしない......でしたよね」


「そうそう、それが基本。で、補足しとくと――遠くからでも分かるくらい歪みを振りまいてる奴ってのは、感情が暴れて力を抑えられなくなってたり、殺意で自分の力を噴き上げてたり、そういう“コントロール不能”な状態のことが多いんだわ。

 ただな、そこに“ただ突っ立ってるだけで、ずっと歪みが漏れっぱなしの存在”がいたら、それはほぼ間違いなく人の手で作られた“偽物”。本物は、そんな感じでは常時垂れ流しにはならないのよ。」


ホリーの言葉を、セシルはまるで復習でもするかのように冷静に、教えられてきた知識をひとつずつ丁寧に照らし合わせながら聞いていた。


表情こそ落ち着いていたが、その裏で脳裏は別の意味でざわついていた。どうしても忘れられない、いや、忘れてはいけない記憶が、彼の説明と並行するように静かに浮かび上がっていた。



――アキラが手にした、いや、作り上げてしまった“精霊の力を得る薬”。


あのとき薬を飲んだアキラは、怒りに呑まれて自分の力を荒れ狂わせるように攻撃してきた。だが、それ以上に決定的だったのは、殺意をセシルたちに向ける以前から、ただ浮遊するように移動したり、立ち止まって周囲を見渡しているだけで辺りに歪みを撒き散らしていたという、あの異様な光景だった。


本物の精霊の力を宿す者なら絶対にありえない、意図せず常に漏れ続ける濁りきった歪んだ気配──その気配こそが、アキラの力が“本物に似せただけの作り物”であることを、今になってはっきりと物語っていた。


ホリーが語った「突っ立ってるだけで歪みが漏れる存在は偽物だ」という特徴が、アキラの姿と重なり合い、その言葉の本当の意味がようやく、深く沈殿するように腑に落ちていった。



その瞬間、彼女は自分でも気づかぬほど自然にふっと顔を上げ、胸の奥から湧き上がってきた疑問を、まるで確かめるようにホリーへ向けて投げかけた。


「......それで、そもそも精霊って、何を糧に――というか、最終的にどんな“到達点”を持って存在しているんですか?

 それに、精霊って、“種族”なんですか?それとも、人に力を渡すためだけに形を取る、“概念的”な存在なんです――」


「ちょ、ストップストップ!! 質問してるみたいだけど、お嬢ちゃんの中では、俺が知らんうちにもう答えの核心まで辿り着いてる感じがあるんだよなぁ。」


セシルの問いが終わるか終わらないかという刹那、ホリーは「タイムっ!」とでも言いたげに、両手をぱっと突き出してTの字を作り、まるでスポーツのタイムコールのように彼女の言葉を遮った。


その表情には軽い苦笑が浮かんでおり、困っているわけでも呆れているわけでもなく、むしろ半ば感心しているような、そんな柔らかい色が滲んでいた。


「その問いはさ、俺が“試したいことがある”って言った場所に着いてから、もう一度聞くことにしようね〜。」


ホリーはそう言うと、セシルの方へ向けていた身体を軽やかに翻し、くるりと踵を返すような滑らかな動きで庭の奥へと続く方向へ歩みを戻した。


その背中を見送っていたセシルは、胸の奥にふくらみつつあった疑問と、そこに含まれているはずの本質が、実のところ最初からほとんど変わらないものだったという確信へと静かに行き着き、その気づきがじんわりと胸の内側を満たしていくのを感じていた。


「えっへへ、やった♪」


その喜びを隠しきれず、とはいえあくまでこっそりと――しかし肩に乗った小鳥にはばっちり見られてしまうほどしっかりとしたガッツポーズを作りながら、セシルも再びホリーの背中を追うように歩みを進め始めた。


けれど、しばらくして先程自分の口から零れた問いとは別に、胸の奥底には小さな違和感のような、引っかかりのある別の疑問が残っており、下を向いたまま歩く足元に視線を落としているうちに、その思考がそのまま口から独り言めいて零れ出てしまった。


「でも、こんな重大なことを知った上で、わたしに正直に伝えてくれているなら......どうして、ノエルちゃ......王女様たちに直接言わないんですか? あなたが動けるなら、それこそ王国の異変だって、もっと早く――へぶっ!」


よく考えれば、そうしない理由のほうがむしろ不自然で、合理的に考えるならホリーのように知識も力もある存在が、真っ先に王族へ知らせるのが最も筋が通るはずだ――そんな思考が胸の中で形になり始めたその瞬間、彼女は周囲への注意を完全に失っており、言葉の続きを口にする前に、いつの間にか立ち止まっていたホリーの背中へ勢いよくぶつかってしまった。


鼻先に軽い衝撃が走り、思わず変な声が漏れそうになるのを堪えながらセシルは反射的に鼻を手で押さえ、弾かれたように姿勢を正すと、慌てふためきつつ深々と頭を下げて謝罪の言葉を吐き出した。


「ごっ、ごめんなさい! 前、見てなくて! あっ、もう着きました?」


そんな慌てふためくセシルの様子を見て、ホリーは肩を揺らして小さくクスリと笑い、「もう着きますよ〜。」と柔らかな声音で返しながら、半身だけこちらへ向けて振り返った。


その仕草は、つい先程の衝突すら軽い冗談のひとつとして受け流してしまうかのような自然さを帯びており、どこか安心させられるような優しさすら滲んでいた。


「ぶっちゃけ、俺が口出しするとややこしいんだよ。......まぁ、貴重な存在であるお嬢ちゃんの安全のためにも、順番ってもんがあるんだよねぇ。」


「っ、ま、またその“貴重”って......その言葉、最初に会った時もそんなこと言ってましたよね?何をもって、わたしが貴重なんですか?」


セシルと、その肩にとまっていた小鳥が同じ角度で不審げに首を傾げながら問いかけると、ホリーは先程までの飄々とした態度とは裏腹に、一瞬だけ困惑の色を眉間に寄せた。


しかしその表情も本当に刹那で、彼はすぐさまそれを誤魔化すように、どこか芝居めいた、わざとらしいほど軽い笑みを浮かべながら距離を詰めてきた。


そして、小鳥を潰さぬようひょいとセシルの頭上へと移動させながら、彼女の肩へ腕を回してみせるその仕草は、軽薄さと馴れ馴れしさが絶妙な比率で混ざり合い、拒絶する間を与えぬほどの仕草をしてみせた。


「まぁまぁ、そういう細かいのも、お嬢ちゃんがもう察してる“精霊の話”に繋がるからねぇ。それよりも。はい、ここですよ〜。」


困惑するように、しかめっ面をしているセシルの反応をおもしろがるように軽く無視しながら、自分の横へ並ばせるように軽く引っ張ると、まるでこれから幕が上がる舞台を観客へ誇らしげに提示する演者のような、大げさでどこか期待を含んだ動作で、目的地を示した。

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