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「毛なんてなくていい」

「毛なんてなくていい」


 カルロが言った。


「どうして髪の毛をのばすんだ」


 散髪して髭も剃ったノアの姿を見て、カルロは不満げな様子だった。

 ノアがオーミに到着した翌日の早朝である。彼とミゲル、そしてカルロは、三人が停泊している安宿からオーリア正教会の教会堂へと向かう途中だった。前日にユエニ神聖騎士団のシャノンから、そうするように言われていたのだ。肌寒く、街の往来は人の姿がまばらだ。空には薄雲がかかり朝陽を隠していた。


「毛は勝手に生えてくる」


 数カ月ぶりにさっぱりした顎をさすりながら、ノアが言った。するとカルロは、


「そうだが、おまえたち、髭はきちんと剃るじゃないか。頭髪のほうだって、もじゃもじゃとのばす必要はない」

「頭の毛がなければ寒い」

「帽子をかぶれ」


 子供のように反駁してくるカルロに、ノアはうんざりしはじめた。それを見かねたミゲルが横から口を出す。


「頭は重要な部分だ。そこを保護するためにも髪の毛は必要なんだ」

「脳をか。しかし硬い頭蓋骨があるじゃないか。それで十分に護られてる」

「なぜ髪の毛にこだわる?」


 とノアがカルロに訊いた。


「髪が長いと、整えるのが面倒だからだ。なにより毛がなければ清潔でいられる。おれは全身の毛を剃ってるぞ」


 カルロの言い分を、ミゲルは真剣な顔で少しのあいだ吟味した。


「フム……それにも重大な欠点があるな」

「なんだ、言ってみろ」

「女にモテないだろう」


 ミゲルが笑った。カルロは渋面をして唸った。どうやら図星だったようだ。

 三人が教会堂に着くと、その前の道には二頭立ての馬車と人馬の集団がいた。ユエニ神聖騎士団だ。シャノンの姿も見えた。彼女はノアが会ったときの白いウィンプルをかぶった修道士の装いではなく、フードがついた丈の短い紫紺のマントをはおっていた。その下には金属製の胸当てを着けている。ほかの神聖騎士たちもおなじだ。いずれもがメイスやフレイルといった武器を帯びている。

 シャノンは遠目にもてきぱきとした動きで、部下たちになにやら指示を与えていた。昨日、ウィンプルのせいでノアにはわからなかったが、彼女の髪は長くのばした暗色の赤毛だった。


「あの女はどうして剃髪しないんだ」


 とカルロ。


「オーリア正教会の信徒が剃髪していたのは大昔の話だ。そうだろ、ノア?」


 ミゲルの言葉を聞いたカルロはノアを見た。


「なんでノアに訊く?」

「ノアはオーリアの国王騎士だ」

「それがどうした」

「オーリア正教会の擁していた神隷騎士団が、国の政変後に国王騎士団と名を変えたんだよ。だからノアも元々は正教会と縁が深い」

「へえ」


 ノアはまだミゲルに自分の経歴を話していない。おそらく彼は、教会堂の裏庭でノアとシャノンが交わした会話をこっそり聞いていたのだろう。


「他人の話を盗み聞きか。趣味が悪いぞ」


 ノアは眇めた目をミゲルへ向けた。そして、


「ミゲルの言ったとおりだ。しかし、神聖騎士団のことはよく知らない。おれがいたころの旧神隷騎士団は、宗教色が薄まっていたよ。どちらもオーリア正教会が母体の組織だが、しかし神聖騎士は純粋な戦僧で、なにかこう……より正教会の教理に傾倒している感じがする。シャノンとは少し話しただけだが、彼女を見てそう思った」

「自らの魂をユエニ神へ、そして血肉は天使へ捧げよというのが、神聖騎士団の典範にあったはずだな」


 とミゲル。


「くわしいな」


 ノアは素直に感心した。知り合って間もないが、ミゲルはひとかどでない教養を備える人物だった。対してカルロは、見た目が粗野な傭兵といった印象で、中身もそうだ。しかし彼は同時に愛嬌もあり、どこか憎めないところが救いだった。


「どうりで殉教者めいてる。あいつら気味が悪いぜ」

「よせよ。聞こえるぞ」


 ミゲルは小声でカルロを窘めた。

 神聖騎士団の輸送隊はもう出発の準備が万端のようだった。神聖騎士は総勢一〇名で、それらが厚い帆布をかぶせた荷馬車を取り囲んでいた。仰々しい一団だった。カルロではないが、神聖騎士はいずれもマントのフードを深く下げて顔を隠しているため、やや不気味だ。

 神聖騎士団と旧神隷騎士団は、成り立ちはともかく性質が異なる。旧神隷騎士団のほうも巡礼者の保護を目的として誕生したが、それは時代が過ぎるにつれ、神聖王国オーリアの軍事的な側面を担うこととなっていった。ノアが騎士になるずっと前には、教化戦争などいう暗い歴史もあったのだ。旧神隷騎士団が主体となり、近隣国の異教徒を改宗させるのを大義名分とした侵略戦争である。しかし後年、正教会がその軍事力によって権力を強奪されたのは、皮肉な話といえる。いっぽう現在の神聖騎士団は、これは完全にモロー枢機卿の私兵だ。正教会の盛り返しを図りたいモローは、信徒のなかからより信仰が篤い者を選んで手駒としているにちがいない。彼は間近で権力の自滅を見たのだから当然だ。とはいえ、よくマントバーンが正教会にふたたび武力を持たせること許したものだと、ノアは思った。

 荷馬車へ近寄ってくる三人にシャノンが気づいた。シャノンは彼らを見るなり、眉間に皺を寄せて舌打ちした。


「遅いぞ」

「あんたは怒ってばかりだな」


 と、ため息交じりにノア。


「それがリーダーの役回りだ。すぐに発つぞ。おまえたちの馬は用意してある」

「ちょっと待ってくれ――」


 言ったのはミゲルだった。


「ラクスフェルドまで運ぶという積荷を見せてくれないか」

「その必要はない」


 シャノンの隣にいた神聖騎士の男が言った。


「どうしてだ。おれたちだって輸送隊の護衛なんだろう」

「積荷に関して、おまえたちは詮索しない。そういう契約だったはずだ」

「実際、仕事に就く前はな。だが、ここまできたんだ。なにを運ぶのかくらいは知っておきたい」

「そうだそうだ」


 食い下がるミゲルにカルロが同調する。


「わが正教会にとって非常に貴重なものなのだ。信徒でもないおまえたちが見てよいものではない」


 神聖騎士の男は頑なに拒んだ。しかし、その彼にシャノンが、


「ニコル、かまわん。見せてやれ」


 命じられたニコルという名の神聖騎士は不服そうだった。が、隊長の命令には逆らえない。

 ニコルは別なひとりを呼んで荷馬車の荷台にかけられた帆布をめくった。するとその下には、神聖騎士団のマントと同じ紫紺の布で包まれた四角いなにかが置いてあった。荷台の上でずれないように荷役台に載せられ、縄でしっかり固定してある。縄を解き、さらに布を外すと、姿を現したのは石棺だ。シャノンの指示により、ふたりがかりで石の蓋が少しだけずらされた。ミゲルとカルロ、そしてノアが、その隙間から内を覗いた。


「こりゃあ……石像か?」


 カルロの言ったとおりだった。石棺のなかには、黒い石像が納められていた。だがよく見れば、等身大の像の下には平面の台座があり、本体はそれに半ば埋まっている。正しくはレリーフである。いまは横に倒され、仰向けとなった少女の姿の浮彫。黒曜石か石炭で作られたように真っ黒だった。石棺のなかにそんなものを入れるというのは妙だったが、もっとも奇妙なのは少女の顔つきである。口を開き、なにかに驚いたような表情をしているのだ。

 石棺の蓋はすぐに元どおりに閉ざされた。


「これで満足か。さあ、ゆくぞ」


 シャノンが言って、輸送隊はオーミを出発した。

 輸送隊は前哨の二名を先発させ、そのあとに本隊、そしてノアたちが後ろを護る最後尾の位置につき、隊伍を組んだ。目的地はオーリアの王都ラクスフェルド。シャノンの話によれば、およそ五日をかけてサザランドのレッドセラー平原北部を横断するとのことだった。

 レッドセラー平原は見渡すかぎり起伏の緩やかな地形をしている。広大な草っ原。そこをひたすら東へと走る古い街道を、一行が進む。輸送隊の荷馬車は二輛あり、片方が例の石棺を運ぶもので、もうひとつは野営をするときの天幕や炊事の道具、食料などが積まれていた。

 午前中はなにごともなかった。昼を過ぎ、輸送隊は小さな湧水池にさしかかり、そこで馬を休ませるために二回目の休憩を取った。池の水辺にはヒエやセリがところどころで繁茂し、すぐ近くには常緑樹の木立がある。ノアたちは神聖騎士団と少し離れた場所に敷物を広げ、そこで休んだ。

 昼食として、砕いたナッツの入ったフラットブレッドが配られた。あたたかい茶も。ノアがそのしょっぱいパンと干しリンゴをかじっていると、ふいに誰かの荒げた声が耳に届いた。


「なんだ、騒がしいな」


 ミゲルも気づいたようだ。

 木立の近くで神聖騎士が集まっていた。ノアたち三人も武器を取って立ちあがり、そちらへ向かった。

 神聖騎士団と、木立から出てきたらしい黒ずくめの何者かが対峙していた。その相手は身につけている衣装も、跨がっている馬さえも真っ黒な、あやしい人物である。

 ダークエルフのナジムだ。忽然と現れた彼は、居並ぶ神聖騎士たちの目の前で悠々と黒馬を歩ませ、彼らが自分を見て戸惑うのを楽しんでいるかのようだった。


「やあ、オーリアの皆さん、ごきげんよう」


 ナジムは、神聖騎士たちのなかから一歩前に進み出てきたシャノンのそばで、馬の手綱を引いた。そうして、


「おれはナジム。魔術協会の使いだ」

「われらはオーリア正教会の者で巡礼の途中だ。どんなご用向きかな」


 とシャノン。

 ナジムは馬上からシャノンを見おろし、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「巡礼の途中だと? とぼけるな。荷馬車に積んであるものを渡してもらおう。あれは、おまえたちがどうこうできる代物ではない」


 シャノンは言葉を返す前に少し間を置き、ナジムをまじまじと観察した。


「あの遺物はオーリア正教会ゆかりのものだ。所有権はこちらにある」

「ばかを言え。おまえたちがそう勝手に思い込んでいるだけだ」

「言葉に気をつけろ」


 シャノンが鋭く言って、その表情がこわばった。場に緊張が走る。


「あれを奉って崇めるだけなら、魔術協会も口は出さない。しかし禁忌を弄ぶとなれば、見過ごせん」

「話が見えんな。いったい、なにを言っている」


 両腕を胸の前で組んだシャノンが言い放ち、相手を挑発するかに顎をあげた。するとナジムは目を細め、その場にいる全員を睨めつけるようにゆっくりと首をめぐらせた。


「先日、当協会の支部から貴重な写本が一冊、盗まれた。古代魔術のなんたるかを記したマグシウスの術法典だ。〝炭素冷凍〟の解呪法が書かれた第一一巻――おまえたちの仕業だというのは、わかっている」

「証拠は?」

「ない。が、オーリアの魔術院からきたと思われる魔術師が、支部にある書庫に忍び込んだ形跡がみつかった」

「間の抜けた話だな。それは魔術協会の落ち度だ。われらとは関係ない」

「写本の消失が発覚したのは、そのすぐあとだ。魔術院とオーリア正教会がつるんでの犯行なのは明白だ」

「言いがかりも甚だしい」

「よく考えろ。もはや、のらりくらりと追及をかわせる状況ではない。おとなしく写本と、石棺を渡せ。もちろん中身もな。さもなくば……」


 ナジムの言葉を聞いたニコルが、腰帯に下げたメイスに手をかけた。シャノンの周りにいたほかの神聖騎士たちも、おなじように身構える。しかしシャノンがさっと片手をあげ、部下を制した。


「争いはこちらの望むところではない。魔術院が協会の書庫から盗みを働いたというのであれば、帰国後に問い合わせて調査をさせる。必要ならば謝罪も。それでいいだろう」


 ナジムに納得した様子はなかった。当然のごとく。


魔術協会(おれたち)と事を構える気か」

「こちらは誠意を見せているつもりだ。理解が得られぬのなら、やむを得まい」


 沈黙。それがひとしきりつづいたあと、ナジムはシャノンから目を外して虚空を見つめた。


「わかった。ここは引き下がろう。ラクスフェルドまでの道中、せいぜい気をつけることだ」


 ナジムが馬首をめぐらせ、去ってゆく。神聖騎士たちはしばらくその場に留まって彼を見送った。


「休憩は終わりだ。出発するぞ」


 シャノンが一同に告げ、踵を回した。皆はそれにつづいた。

 一部始終を傍観していたノアはシャノンを追った。そして彼女に近づくと並んで歩きながら、


「あのまま帰してよかったのか」


 ナジムの最後の言葉。あれは宣戦布告と考えてよかった。


「あえて魔術協会へ筋を通したまでだ――」


 シャノンはノアへ射るような視線をくれた。


「それとも、手っ取り早くここで奴を討ち取ればよかったと?」

「込み入った事情があるようだな」

「おまえには関係ない。わたしのやり方に口を出すな」

「魔術協会のことは、ここへくる前に聞いていた。しかし、魔術院が協会の魔術書を盗んだのは知らなかった」

「おまえもオーリアの人間だろう。疑念は抱くな。王国へ忠節を尽くしていれば、それでいい」


 忠節。そんなものはずいぶん前に自分のなかから消えてなくなった。ノアは足を止め、取りつく島もない女騎士の背を凝視した。石頭め。魔術協会のこともそうだったが、彼女とこれから数日間、いっしょに行動するのかと思うと気が重くなる。


「奴ら、まちがいなく仕掛けてくるぞ。これからは気を引き締めろ」


 首を少し曲げてノアへ言い捨てると、シャノンは自分の馬のところへ歩を運んだ。


つづきです。

コタツでぬくぬくしながら、ゆっくりと書いています。

ご感想やご指摘などがあれば、お気軽にどうぞ。

作者がとてもよろこびます。

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