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大陸を北と南に

 大陸を北と南に分断しているボスワイト山地より以北は、ほとんどがマグナスレーベン帝国の版図である。北の辺土に端を発する原始的な民族は、およそ一〇〇〇年をかけて強大な国家を築きあげた。動植物の狩猟と採集によって生活を維持する集団は、農耕や牧畜といった生産活動を行わず、必要なものはすべて自然から調達してきた。後年、農作物を栽培する農法が発達し、農耕を主とする民族が生まれても、彼らは変わらなかった。そればかりか温厚な農耕民の土地を蹂躙し、奴隷として搾取することをおぼえた。マグナスレーベン帝国はそうやって北方の地で他国の領土、財産、文化を吸収し、自らを肥やしていった。

 いまや北方は、大地を支えるベヘモットと太陽の紋章を掲げたマグナスレーベンが席巻している。剣と槍を振りかざし、刃向かう者へは血の代償を。皇帝リント八世が率いる無窮帝国は、いまなお四海八埏に侵略の手をのばし、周囲の国々を押しつぶしつつあった。


 暦はヤツガシラの月に入り、帝国領に冬の気配が近づいている――


 陽が落ちるのが、だいぶ早くなってきた。篠突く雨が朝からずっと降りつづいた一日だった。濡れて重くなった外套に身を包んだノア・デイモンは、なんとか夜闇で身動きが取れなくなる前に、街道沿いの宿場までたどり着いた。歩き通しなうえ、身体が冷えてくたくただった。宿場には旅人を相手にしている居酒屋があったので、迷わずそこへ入った。

 出入口の扉を抜けると、暖かく乾いた空気がノアを包んだ。店は混雑していた。客の多くは地元の者らである。収穫期が終わり、いまは種まきに忙しい農夫たち。いずれも憩いの時間を求めて、長いテーブルに肩を並べて座っていた。店内には肉を焼き、蔬菜を煮る匂いが漂う。人々のざわめきに混じってリュートと笛の音が聞こえる。やや狭苦しいが、感じのいい店だ。

 出入口の傍らに立ったノアは外套の隠しを手でさぐった。出てきたのは、マグナスレーベン帝国で流通している銅貨が二枚だけだった。満足な料理は注文できそうにない。ノアは近づいてきた若い女の給仕にそれを見せた。


「なにか食わせてくれ」


 すると給仕の女は眉間に皺を寄せ、あきれ顔でノアを見やった。これっぽっちでなにをと、その目が告げている。

 店から追い出されなかっただけでも、まだよかったのかもしれない。いまのノアの身なりは、それほどにひどかった。物乞いの一歩寸前。脂ぎった黒髪と髭はのび放題で、顔や首には黒ずんだ泥なのか垢なのか判別できないものがこびりついている。さらにずっと洗濯していない服が雨に濡れたおかげで、全身からドブのような匂いを放っていたのだ。

 ノアを哀れに思ったのか、女の給仕は二枚の銅貨をひったくるようにして奪い取ると、暖炉からいちばん遠いテーブルを顎でしゃくった。


「相席だよ。混んでるからね」


 たったいま全財産を失ったノアは、とぼとぼと片隅の丸テーブルへ歩いた。そこには小ぎれいで端正な顔つきの男が、ゆったりした姿勢で椅子に腰掛け、手元の書物に目を落としている。帝国人には見えなかった。足元に大きな荷物が置いてあるところからすれば、ノアと同じく流れ者のようだ。


「邪魔をするぞ。相席だそうだ」


 ノアはかすれた声でそう言うと椅子を引いた。


「ああ。かまわんさ」


 荷物を壁際に置いているノアへ、男がちらりと視線をくれた。すると彼はノアが帯びていた、やけにほっそりした剣に興味を示した。

 緩く湾曲した剣は無骨な見た目で装飾はほとんどされていない。柄には鮫肌が膠で貼り付けられ、革紐が粗く巻いてあった。寸法は両手剣に短く、片手剣には長い。大陸ではほとんど見られない様式だ。


「変わった剣だな。見せてくれ」

「だめだ。触るな」


 ノアは男がテーブル越しにのばしてきた手を払った。

 相手の目が、すっと細くなった。しかし彼はすぐに表情を緩めると、


「すまん。気を悪くしないでくれ。おれは傭兵をやってる。だから剣に興味があっただけだ」


 ノアはなにも言わなかった。

 女の給仕がノアの料理を運んできた。いやそれは料理と呼ぶべきものか。四半斤のカビかけたライ麦パンと、具がほとんど入っていないスープ。その二品だけだった。

 給仕はついでに相席の男が食べ終わった食器を下げて姿を消した。ノアはナイフを取り出すとパンを切り分けて食べはじめた。


「その剣で何人殺した?」


 男が訊いてきた。ノアは束の間、上目遣いでテーブルの向こうにいる男を見つめた。


「いちいち数えてない。あんたは自分が手にかけた人数をおぼえてるのか」

「ああ」

「なんのためにそんなことを」

「強さの証明に決まってる」

「他人の命を奪って栄誉を得ると?」

「そうだ。男として生まれ、剣を手にしたんだ。強くなることを目指しておかしいか」

「いいや、おかしくない。あんたの勝手だ」


 それを聞いた男が鼻を鳴らし、持っていた活版印刷の本を閉じて膝にのせた。


「自分はちがう、とでも言いたげな顔だぞ」

「気にするな。あんたが右だと言えば、別な誰かが左だと言う。世の中ってものは、そんなふうになってる」

「なら、意見を違うおれたちはコインの裏と表か。だがコインに裏も表もない。ただのコインだ。表と裏は常に同居する。それが現実じゃないか」


 やけに絡んでくる。ノアは徐々に、この店に入ったことを後悔しはじめた。


「なにが言いたい?」

「おれとおまえは、同じ人殺しということだ」


 にわかに店内で歓声があがった。酔った客のひとりが給仕の女の尻に手をのばし、彼女に頬を張られたのだった。他の客たちが、おもしろそうに囃し立てている。店でその様子にまったく関心を示していないのはノアと、彼の真向かいにいる男だけだった。


「ちがうと主張するのなら、おまえの剣をおれによこせ。剣は人を殺す道具だろう。文字を書くペンにも、畑を耕す鍬にもなり得ない。おまえには不要のものだ」

「いつもそうやって他人を挑発しているのか」

「だとしたら?」

「のぼせあがるな。そのうち痛い目に遭うぞ」

「いいぞ。相手になろう。いますぐでもかまわん」


 あきれたノアは小さく嘆息した。


「おれは決闘なんかしない。口論の末に斬り合いなんてばかげてる」

「理由は関係ない。ひとり殺せば殺人者。百人殺せば英雄――」


 男がテーブルに肘をつき、ぐっと身を乗り出してきた。


「なら千人、いや一万人も殺せば、どうなると思う?」

「狂人として歴史に名が残るだけだ」

「とんでもない。永遠の恩寵が与えられるんだ。おれはそれを求めてる」


 男の言動に狂気じみたものを感じたノアは、どうするか迷った。挑発に乗り、相手の望むまま外へ出て斬り合うか。男は傭兵にしては身なりが洗練されている。金目のものを持っているかもしれない。しかし相手の力量がどれほどか、わからなかった。そもそも、そんなことをすればお尋ね者になる。ばかなことを考えた。人間は切羽詰まると思考までおかしくなる。ノアはすぐに自己嫌悪に陥った。


「おお、デイモンではないか」


 誰かに名を呼ばれ、反射的にそちらを向いた。


「ひさしいな。元気そうでなによりだ」


 そう言ってノアの傍らに立ち、肩に気安く手を置いてきた男には見覚えがあった。

 ノアは春先にその男と出会った。神官王を討ち取り、三年ほど遍歴の騎士としてオーリア王国各地を回っていたころだ。彼はマントバーン王の使い番だと自称し、ノアに本国からの指令を与えた。おかげでノアはオーリアの北にあるハイランドへ赴き、そこでマグナスレーベン帝国の巨大ゴーレムと戦う羽目となったのだ。

(前作参照 https://ncode.syosetu.com/n1541ig/)

 オーリアから遠く離れた帝国領での、予想だにしなかった再会。これにはさすがのノアも面食らった。


「あんた――」

「彼は? きみの友人か?」


 使い番の男が、テーブルにいるもうひとりを横目で見ながら言った。


「ちがう。名前も知らないやつだ」


 とノア。


「ほう、ゆきずりか。まあいい。どうだ、これから三人で飲もうじゃないか」

「せっかくだが、おれはもう帰るところだ」


 ノアと相席した男からは、つれない言葉が返ってくる。興ざめした表情の彼は立ちあがると、足元の荷物に手をかけた。そうして、


「デイモンというのか、おぼえておこう。おれはダシルバだ。またどこかで会うかもしれんな。なにせ、我らはコインの裏と表だ」


 揉め事になりかけた相手が去り、ノアはほっとした。だが、またどこかで会うかもしれないだと。冗談じゃない。もう二度とごめんだ。

 空いた席に使い番の男が腰掛けた。蝋引きしたマントを脱ぐと、彼は革のジャーキンと羊毛で編んだ厚手の胴着を身につけていた。かすかに麝香の香りが匂った。彼は片頬を吊り上げ、店を出てゆく男の背をしばらくじっと見送った。


「なにやら危険な雰囲気の男だったな」

「あんた、こんなところでなにをやってるんだ」


 ノアは使い番に向き直り、詰問するように言った。


「おいおい、ずいぶんな挨拶じゃないか。わたしがきて助かったろう?」

「もしかして前に会ったときから、ずっとおれをつけ回していたのか」


 男は曖昧に笑みを浮かべてノアの問いを受け流した。それから手を挙げて給仕を呼んだ。


「鶏胸肉のカツレツを。レモンをたっぷり搾ってくれ。つけ合わせは塩茹でしたイモと、キャベツの酢漬け。それからホットビールだ。あとミンツパイもくれ」


 ついさっき、残飯に近い食事をたいらげたばかりのノアの前で次々と注文がなされた。流暢な帝国語。そうして使い番は、田舎娘の割には魅力的な給仕の後ろ姿をちらちらと気にしながら、


「陛下が心配しておられたぞ。なぜオーリアに帰ってこない?」


 問われたノアは男から視線を外した。彼はすぐ横の壁にもたれて腕を組んだ。


「いやになった……もう関わりたくない」

「なら逃亡罪だな」

「どうしてだ。おれはもう騎士じゃない。前の任務のときに位は剥奪されたろう」

「いいや、きみはまだオーリアの国王騎士だ」

「勝手を抜かすな」


 苛立ち、歯がみしたノアが男を睨む。しかし相手にはまるで効果がなかったらしい。使い番の男は、仔犬が小さな牙を剥いて唸る様子を眺めるように微笑んだ。


「しかし、ひどい様だ。よくハイランドからここまでたどり着けたな。路銀はどうした?」

「その気になればどうとでもなる。野良仕事の手伝い。酒場の用心棒。拳闘の賭け試合もやったな」

「破滅へ向かう人生はさぞ刺激的だろうが、そんな生活が長くつづくとは思えんな」

「余計なお世話だ」

「聞くんだデイモン。わたしはきみを助けにきたんだ」


 男が言って、自分の荷物からなにかを取り出しテーブルの上に置いた。すると、たくさんの小さな金属がぶつかり合う耳に心地よい音が聞こえた。コイン袋だ。


「施しは受けない」


 とノア。


「そんな気は毛頭ない」

「じゃあこれはなんだ」

「前金。国に奉仕したうえでの正当な報酬」

「今度はなにをやらせるつもりだ?」

「ああ、安心した。どうやってきみを説得しようか、ずっと悩んでいたんだ」

「勘違いするな。話だけは聞いてやる」


 そのとき注文した品が届いた。温かい料理を盛った皿、ボウル、杯が手際よくテーブルに並べられる。男はまず最初に香辛料入りのホットビールで喉を潤した。


「オーリアの西でちょっとした仕事がある。レッドセラー平原を渡って、あるものをラクスフェルドまで輸送するんだ。それを護衛してほしい」

「あるものとは?」

「それは重要じゃない」

「重要かそうでないかは、おれが判断する。言え」


 秋に収穫されたばかりのイモを頬張っていた男は、口をもごもごさせながら肩をすくめた。


「わかった、言う。宗教的な文化財だ。だが、わたしも詳しくは知らない。サザランドのどこかで発掘された出土品としかな。オーリア正教会が神聖騎士団を使って、それを運ぶ手筈なんだが――」

「待て。神聖騎士団だと? なんだそれは」

「あきれた奴だな。遠く離れた地にいるとはいえ、自国の動静も知らんとは」


 使い番は軽く頭を振った。そして自前のナプキンで口元を拭ってから、


「神聖騎士団は、わが国のオーリア正教会が擁する新たな修道会だ。巡礼者の警護を目的として先頃、設立された。で、彼らが荷を運ぶことになっているのだが、人手が足りん。特に、荒事に慣れた腕の立つ者がな。そこできみの出番というわけだ」

「きな臭いな……その宗教的な文化財とやらを、いったい誰が狙うっていうんだ」

「わたしが推測するに、おそらく魔術協会だろう。あそこは古代の神秘的な発見に目がない。この世界にある魔術に関したものは、すべて自分たちが管理すべきだと信じているからな」

「価値のあるものなのか」

「たぶん」

「人が血を流して取り合うほどの?」

「話を飛躍させるな。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。今回の護衛は、あくまで備えだ」


 下手なウソだ。ノアは直感でそう思った。でなければ、使い番がこんな手間をかけて自分を捜しにくるはずがない。なによりオーリアには国王騎士がいる。どうしてわざわざ自分のところへ話を持ってくるのだ。

 答は明白である。公にできない危険な仕事だからだ。


「前金は経費として使ってもいい。減った分はあとで補填してやる」

「カネの問題じゃない。おれはもう誰かに命令されるのが懲り懲りなんだ」

「じゃあ、この機にラクスフェルドへ戻って、陛下に直接そう言うんだな」

「断る」

「きみも頑固だな。よし、では言い方を変えよう。力を貸してくれ。頼む」


 使い番が胸の前で両手の指を組み合わせ、泣きそうな顔で首を少し横に傾げた。

 ノアは無表情のまま相手を長々と凝視した。

 こいつの名前はなんというのだろう。ノアはふとそう思った。オーリア王国の手先として動く彼が現れた時点で、ノアは自分のやってきたことが徒労であると知った。ひとりで気負い、彼は現実から逃れようとしていた。幻のような女を追いかけるのを名目として。

 クロエ。マグナスレーベン帝国の黯騎士――オーリア王国の政変のときに出会い、イシュラーバードで再会した女。別れたときにはなんの約束も交わさなかった。それでもノアはすべてを投げ捨てて、クロエを捜しに帝国領へきた。無謀もいいところだ。もしかすれば、心の底では死に場所を求めていたのかもしれない。


「デイモン、やせ我慢はよせ。人生を歩むには、自分以外の人間とカネが要る。もう身に染みているだろうに」


 痛いところを衝いてきた。

 実のところ、ノアにもわかっていた。もう潮時だ。逆らえぬものに逆らい、手に入らぬものを追いかけるのも。

 やおら、ノアはテーブルのコイン袋に手をのばした。口を縛ってある紐を解き、なかを検める。マグナスレーベン帝国の皇帝貨がぎっしり詰まっていた。リント八世の横顔が彫られた金貨だ。

 ちょうど女の給仕が近くを通りすぎた。ノアは彼女を呼び止めた。そうしてテーブルの対面にいる男を指さして、


「こいつが食っているのと同じものをくれ」


 使い番の男がにやりと笑った。


「そうだ。それでいい」


つづきです。

不定期でゆっくり投稿しています。

ご感想やご指摘などがあれば、お気軽にどうぞ。

作者がとてもよろこびます。

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