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荷馬車の車輪を

 荷馬車の車輪を修理してから、ノアとシャノンはすぐにウバス修道院へと向かった。はぐれてしまった仲間の神聖騎士団と合流すべく。先を急ぐシャノンは荷馬車を引く馬に少々無理をさせ、その結果、夕刻前には沼地にたどり着くことができた。

 ウバス修道院は、この人里を離れた沼沢地の奥だ。空気が湿り気を帯びた場所へ踏み入ると、急に霧が出てきた。視界が悪い。霧の向こうではハンノキがまばらに立ち並び、墨絵のような不気味な風景を作っていた。

 手綱を握るシャノンは、沼地に設けられた木道で慎重に荷馬車を進める。水上の木道は横幅が荷馬車よりもやや広いていどである。下手をして車輪が木道から外れれば、馬車は見渡す限りの浅い沼に転落してしまう。もしそうなったら、水底は泥土になっているため、重い石棺を積んだ馬車をふたたび木道へあげるのは不可能だ。

 ノアは石棺を載せた荷台の後端に腰掛け、ずっとうしろを監視していた。道中では何事もなかった。魔術協会はあきらめたのだろうか。いや、そんなはずはあるまい。ノアは昨日の昼間に襲撃を仕掛けてきた一団にいた、ダシルバのことを思った。マグナスレーベン帝国で最初に出会ったとき、自身が傭兵だとは口にしていたが、まさか敵に回るとは。いったいなんの因果か。彼とは、いずれ決着をつける必要があるかもしれない。

 車輪が木板を踏む、ごとごという律動的な音が眠気を誘う。ふいにノアは立ちあがり、荷台から落ちないように注意深く縁を歩いて御者台へ近づいた。


「あとどのくらいだ」


 シャノンの背後から訊ねた。


「さあな。見当もつかん」


 と、前を向いたままシャノン。


「場所は知っているのか」

「ウバス修道院を訪れたことはない。が、いまのところ木道は一本道だ。このまま進めば着くだろう」

「どうして修道院はこんな辺鄙な場所にあるんだ」

「世俗を離れ、祈りに専念するために決まってる」


 首を回してノアを顧みたシャノンは、そんなことも知らないのかとでも言いたげな顔だった。


「おまえも元はユエニ神に仕える身――神隷騎士だろうに」

「おれは、はみ出し者だった」

「信仰心は?」

「ないな」

「不信心者め。宗教は目に見えず形がない。だから否定するのか」

「否定する気はない。おれには不要なだけだ」

「近ごろは、神を主体とする思想を受け入れない者が多い。恵まれている者は特に」

「おれが恵まれてるって?」


 皮肉めいた笑みがノアの顔に浮かぶ。マントバーンの陰謀に利用され、騎士の位を剝奪されたあげく、いまこんなところで危機にさらされている自分が恵まれているとは、到底思えなかった。


「飢えて動けなくなったことは? 夜、安全に眠る場所がなくて途方に暮れたことはあるまい」


 シャノンに言われて、ノアは少しのあいだ考えた。彼はオーリア王国の政変のあと、数年間つづけた遍歴の最中で、シャノンが言ったことに近い状況を何度か経験した。しかし遍歴はつらい旅であるが、騎士団の制度だったし、いざとなれば大陸の各地にあるオーリア正教会の拠点で援助を申し出ることができた。おかげで自分はまだ五体満足で生きている。そういった意味では、恵まれているのかもしれない。

 ノアの身近にいる恵まれない者といえば、オーリアの政変直後に生じた難民だ。内乱ののち、オーリアではしばらく経済が乱れた。新たな体制側と旧来の保守派とのあいだでは、衝突が散発的に起こり、そのあおりで住まいや家族を失った者も多い。実際、ノアは遍歴の途中で飢えと貧困に苦しむ人々をたくさん見てきた。当時は国を追われた自分がみじめだったが、下を見ればきりがないと感じたものだ。

 黙り込んだノアにシャノンが語を継いだ。


「世の中にはいろいろな境遇の人がいる。そして恵まれた者らはおしなべて、困窮する他人に無関心だ。貧しい者を見捨てると罰がくだるぞ」

「まるで貧者が善で、富む者が悪のように聞こえる」

「身分は関係ない。助け合うことが重要だ」

「だが手をさしのべる一方で、他人の弱みにつけ込む奴らがいる。それが気に入らない」

「われらオーリア正教会のことか」

「信者からカネを巻きあげて、ずいぶん儲けているじゃないか」

「その事実は認めよう。しかしな、たとえ建前であっても他者を救おうという善意にケチをつけるのは、お門違いだぞ。幼稚な考えは捨てることだ」


 シャノンは歯に衣を着せない。もっとも、彼女はノアとちがって正教会のなかに身を置いている。そのうえで堕落した正教会を見限らずに、本気で立て直しを図ろうというのだ。彼女には覚悟がある。シャノンとは相いれないことばかりだが、ノアはその姿勢に理解を示した。


「わかったよ。あんたは、おれが感じている不条理をこの世からなくしたいんだろう。なら正教会の未来は、そっちに任せる」

「おや、素直じゃないか」


 ノアを横目に見るシャノンが、ふふと笑った。ノアは彼女が笑ったところを初めて見た。

 そのとき、かすかな物音が聞こえた。どこか遠くから、金属の打ち合う澄んだ音が。


「聞こえたか?」


 ノアが言う。


「ああ」


 シャノンは手綱をゆらして荷馬車の速度をあげた。

 まもなく、誰かが木道で倒れていた。シャノンは紫紺のマントを身につけた死体の手前で荷馬車を停めた。その向こう、霧中では大勢の人影が蠢いている。おそらくニコルたち神聖騎士だ。何者かに襲撃を受けている。ノアはすぐに荷台から飛び降りて加勢に向かおうとした。


「待て」


 シャノンがノアの肩に手を置き、短く呪文を唱える。〝防御盾〟の呪文。簡単な神聖魔術で、いちどくらいならば、それによる見えない障壁で致命傷を免れる効果がある。


「助かる」


 言い捨て、ノアは霧に煙る木道を駆けた。

 敵味方が入り乱れる乱戦になっていた。すでに何人かの神聖騎士がやられている。もちろん敵も。そこで数瞬、ノアは木道に突っ伏しているひとつの死体を見て目を瞠った。爬虫類の面貌に太い尻尾。一見、人のように見えたが、それはリザードマンである。魔術協会の手の者ではないようだ。しかしほとんどのリザードマンは体格が人間より小さいものの、それが強敵であるのをノアは知っていた。

 背負ったブリスカヴィカを縛っている負い紐を解くと、ノアはいちばん手近なリザードマンへ横から仕掛けた。剣を抜きざまに斬りかかる。

 緩く反った刃が弧を描き、閃いた。ブリスカヴィかのような〝斬る〟ことを目的とした刀剣では、剣先の数センチのみを使う。剣を振ったとき、その部分の移動距離が最も長くなり、多くの運動エネルギーを得るからだ。リザードマンは天然の鎧ともいえる硬い鱗に全身を覆われていたが、それはなんの役にも立たなかった。ノアの攻撃対象となったリザードマンの脇腹は、ブリスカヴィカによっていとも容易く切り裂かれた。傷口から血が噴出し、同時に鮮やかなピンク色の臓物が、どろりと身体の外にこぼれた。

 ノアに虚を衝かれたリザードマンは彼のほうを向くと、鋭い牙が並んだ顎を開いて威嚇してくる。が、すぐさま誰かの剣をこめかみあたりに深々と突き刺さされ、蜥蜴亜人はそのまま木道にどうと倒れた。


「ノア!?」



 リザードマンにとどめを刺したのはミゲルだった。その端正な顔には点々と返り血がついている。加勢に現れたのがノアだと気づき、彼は目を丸くする。


「おまえ、いままでどこにいた?」

「話はあとだ」


 ノアはもうつぎの敵を求めて走っている。ミゲルもそれにつづく。

 神聖騎士のひとりが手槍を持ったリザードマンに詰め寄られている。ノアは仲間を救うべく、異形の敵に斬りかかった。不意打ちとはならず、上段から振りおろされた攻撃をリザードマンは槍の穂先で弾き飛ばした。そしてそのままくるりと身体を回転させ、攻撃に転じる。リザードマンの尻尾がノアを襲う。硬質の鱗をびっしり貼りつかせた尻尾は、振り回すだけで危険な武器となる。ノアは低く水平に薙がれた尻尾を垂直にジャンプし、あやうくかわした。敵を調子づかせてはならない。相手のペースを乱すべく、別方向からミゲルが牽制の一撃を繰り出す。肩口に浅手を負った相手が、ひるんだ。ノアはその機を逃さない。ブリスカヴィカが一閃し、リザードマンの首が胴体から離れてごろりと地に落ちた。

 木道の上は修羅場となっており、流れた血の匂いでむせ返るようだ。そこでノアとミゲルは嵐のように立ち回った。片方が正面から敵の注意を引き、もうひとりが死角から致命打を与える。どちらがどの役目というわけではない。言葉を交わさずとも臨機応変なふたりの呼吸はぴったりだった。特にミゲルは冷静で、戦い方をよく心得ている。あらためてノアは彼が並の戦士でないのを知った。

 ほかにもうひとり、奮闘しているのはカルロだ。彼は両手に持った二挺の戦斧を巧みに使いこなし、リザードマンたちと単独で渡り合っていた。得物は小ぶりな斧ながら、カルロは膂力がある。獣の唸りのような声を発し、カルロが荒々しく戦斧を振るうたび、敵の数が確実に減ってゆく。彼もまた、ミゲルとは持ち味はちがうが優れた傭兵といえよう。

 やがて潮目が変わった。ノアとミゲル、そしてカルロの戦いぶりに、押され気味だった神聖騎士たちが勢いづいた。

 リザードマンの群全体に動揺が見て取れた。そうなれば崩れるのは早い。

 ふいに甲高い、金属質な鳴き声が響いた。どこかにいるリザードマンのリーダーが、撤退の合図を出したのだ。

 途端に、すべてのリザードマンたちは散り散りに霧の向こうへと消えた。あたりには急に静寂が訪れた。

 生き残った神聖騎士たちは一カ所に集まり、互いの無事を確認し合う。輸送隊は少なくない損害を被った。命を落とさずにすんだ者も深手を負っている。


「怪我人を集めろ」


 命じたのはシャノンである。すると、


「シャノン! おまえ、どの面を下げて!」


 木道の離れた場所から、ニコルがえらい剣幕でシャノンのところまでやってくる。

 ニコルもリザードマンの急襲をしのいだひとりだった。とはいえ、本人はダシルバのそばから離れず、ずっとその背後に隠れていたのだが。いっぽう、いまニコルの隣にいるダシルバはかすり傷ひとつ負っていない。そればかりか、彼はひとりで四体ものリザードマンを仕留めていた。


「味方を捨て石にするとは、見下げた奴だ!」


 ニコルは強い口調でシャノンをなじった。無理もなかった。彼からすれば、シャノンは仲間を置き去りに逃走した裏切り者である。

 が、当のシャノンには悪びれた様子もない。


「悪く思うな。任務が最優先だったのでな」

「ふざけるな。そのためなら同志をも犠牲にするのか」

「あたりまえだ。わたしを含め、神聖騎士の命と魂はユエニ神のものだ。ちがうか?」

「屁理屈を……おまえは手柄が欲しいだけだろう」

「不服があるのなら、国へ帰ってから評議会に上申しろ。ともかく、こうして合流できたのはよろこばしい。また石棺の輸送を再開できる。まさにユエニ神の導きだ」


 ニコルは怒りのあまり言葉が出てこない。彼は歯噛みして握った拳を震わせた。

 シャノンとニコル。そのふたりではオーリア正教会に対する忠誠心に差がありすぎた。信仰に殉ずる決意を持つシャノンにとっては、正教会への献身と比べれば、すべての事柄が二の次なのだ。


「こいつは誰なんだ」


 訊いたのはダシルバだった。


「輸送隊の隊長殿だ。英雄気取りのな」


 ニコルは吐くように言ってシャノンを揶揄した。ダシルバはシャノンに一瞥をくれると、


「ふん、女か」

「見ての通りだ——」


 ややむっとしてシャノン。


「そういうおまえは誰だ」

「助っ人の傭兵だ。身元はニコルが保証してくれる。カネの話もついてる」


 とダシルバ。

 ノアとミゲルたちもその場へ姿を現した。傭兵組の三人、シャノン、ニコル、ダシルバ、そして神聖騎士が三人。輸送隊は総勢で九名にまで減ってしまった。

 ノアは皆が集合したなかで、見慣れぬ人物を見つけた。どう考えても、この場にいるはずのない男である。ダシルバの姿を目の当たりに、ノアはしばらくのあいだぽかんとなった。対してダシルバのほうはノアに気づくと、顔に喜色を浮かべた。


「デイモン、また会ったな」

「おい、どういうことだ——」


 ノアが周囲の者らを怪訝な目で見渡す。そうして彼はブリスカヴィカに手をかけると、


「こいつは敵だぞ」


 剣を抜きかけたノアをミゲルが押し留める。


「落ち着け、ノア。こっちもいろいろあったのさ」


 その場に妙な雰囲気が漂う。シャノンとニコルの軋轢。敵対していたダシルバの転身。どうやら輸送隊の再会は、懸念をはらむものとなったようだ。

 と、そこへさらにもうひとり、異邦からの闖入者が連なることとなる。

 木道の先、霧のなかから薄汚いなりをした誰かが歩いてきた。つば広の帽子とスカーフで顔を隠しているため、男か女かもわからない。あやしい人物は親しげに片手を挙げると、妙にがさがさした声で、その場にいる全員へと言った。


「やあ、きみたち湿原の外からきたのかい? ここは危険な場所だよ。すぐに引き返したほうがいい」


前回のつづきです

都合により、およそ三カ月ぶりの投稿となりました

ご感想やご指摘などがあれば、お気軽にどうぞ

作者がとてもよろこびます

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