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湿原は人間の

 湿原は人間の居住地として適さないが、ほかの多くの動植物にとっては楽園である。サザランドの北にある湿原もそうだ。一帯はボスワイト山脈の雪解け水が地下より染み出し、年間を通じて土壌の水分が飽和している。そこでは見渡す限りの地面が浅く水に覆われ、ハンノキが密に茂り、様々な生物が多大な恩恵を受けていた。

 特殊な環境下では、その地域の生物相に偏りが見られる。湿原に多く生息する動物は鳥類と淡水魚だ。しかし、まれに人間も足を踏み入れてくる。サザランド北の湿原には、そのための木道が設置してあった。水上に木の板を敷き詰め、足場のよくない場所でも人間が歩けるようにした歩道である。

 長大な木道だった。湿原の奥にあるウバス修道院のところまでのびているのだ。利用するのはもっぱらオーリア正教会の巡礼者で、以前は外部の者が保全に努めていた。が、いまは放置されてやや痛みが目立つ。オーリア王国では四年前の政変以降、聖職者を蔑ろにする風潮があったし、なにより湿原にはおそろしい怪物が出没するという噂が流れていたからだ。

 ウバス修道院への巡礼者が絶えて久しいのも、当然といえよう。

 だがその日は、めずらしく木道を使って湿原を渡ろうとする者らがいた。霧が立ち込めるなかをゆくのは、紫紺のマントをはおった一団。ウバス修道院を目指すニコル以下の神聖騎士団である。彼らの列の最後尾には、もちろんミゲルとカルロの姿も見えた。


「あいつ、どう思う?」


 カルロが自分の隣を歩くミゲルに訊いた。


「さてな――」


 ミゲルは自分たちよりずっと先、隊列の先頭でニコルと並んで歩く男の背を見つめていた。先刻、魔術協会に追い詰められた自分たちを救った謎の剣士。彼はダシルバと名乗った。


「どういう素性の者かはわからんが、おれたちを助けてくれたのは事実だ」

「そんなの、こっちを欺く芝居かもしれん」

「たしかに。最初は魔術協会と行動を共にしていたからな。だが、ノアのことを知っている口ぶりだったぞ」

「だから信じるって?」

「ノアはオーリアの国王騎士だ。まちがいなく敵じゃない。奴の知人なら、信じるに足ると思うが」

「ノアか。あの野郎、どこにいっちまいやがったんだ……」


 言いつつカルロは空を仰いだ。しかし霧中からでは空にあるはずの太陽は見えず、白い靄のはるか向こうで光がにじんでいるだけだった。

 今日は昼を過ぎても気温が上がらず肌寒い。霧が濃くなってきている。そのせいで上空だけでなく、どこを向いても先の見通しがよくきかない。


「しかし、解せない男だ。あいつの手並みを見たろう」


 ミゲルが言う。彼は話しながらも、ダシルバへ向けた鋭い視線を外さないでいた。そうすれば相手の正体が判明するとでもいうように。ダシルバに関しては身元も謎だったが、どちらかといえば、ミゲルは彼の戦いぶりのほうに興味があるようだ。


「ふつうの剣士じゃねえな。ありゃあ、魔術の類か?」


 とカルロ。


「そうとしか考えられんな。どんな鍛錬を積んだとしても、生身であの動きは不可能だ」

「勝てるか、あいつに」

「やってみなきゃわからん――と言いたいが、あいつとの勝負は願いさげだ」

「おれも。そうなったら、まず逃げるね」


 言って、カルロは歯を見せて笑った。


「あの男、傭兵のようだが、腕の立つ奴は噂になるものだ。カルロおまえ、どこかで聞いたことがあるか?」

「いや、ねえな」

「じゃあ、表では派手に動いてないのかもしれん」

「だとすりゃ、汚れ仕事を専門に請け負う暗殺者……」

「まだわからんがな」

「魔術協会とのいざこざに加えて、正体不明の同行者か。えらい仕事を引き受けちまったぜ」

「なんにせよ、ダシルバの行動には目を光らせておく必要がある」

「だな」


 ミゲルとカルロは、ダシルバを敵とも味方ともつかない灰色だと断定した。

 だが一方、臨時で神聖騎士団の輸送隊を率いているニコルは、ダシルバを手放しで信頼しているようだった。魔術協会のナジムを退けた、彼の圧倒的な力量に感服したのだろう。ノアに用があるというダシルバの言葉を受けて、ならば自分たちと共に行動すべきだともちかけたのもニコルである。


「では、そなたは北方の出身か」


 ニコルが言った。ダシルバとの会話の流れで、彼が北から流れてきたというのを耳にしたからだった。


「生まれはハイランドだ。痩せた土地しかない貧しい村だった」


 とダシルバ。


「ふむ。人間、生まれ落ちる場所だけはどうにできん」

「ひどい場所だった。あそこじゃ男は山賊か傭兵になるしかない」

「なるほど。それでそなたも剣で身を立てているわけか」

「一時は魔術協会に雇われたものの、カネ払いが渋くてな。おまけに連中、最初に交わした契約にない仕事までやらせる始末だ。それで嫌気がさした」


 ダシルバの口からは、すらすらと嘘が流れ出た。


「いや、傭兵が寝返るのはよくあること。我らは一向にかまわんぞ。むしろカネに執着する傭兵は、逆に信用できる。報酬をケチらず利益を共有すれば心強い味方となる」


 単純な男だ。あっさりとでまかせを信じたニコルに、ダシルバは鼻を鳴らして薄く笑った。


「ところで、デイモンはどこにいるんだ。いつ、あいつに会える?」

「それがわからんのだ。話せば長くなるが、うちの隊長と姿を消して以来、どこにいるのやら」

「どんな男だ?」


 そのダシルバの問いに、ニコルは眉を寄せて不審顔をした。


「妙なことを訊くな。あやつは、そなたの知り合いではないのか」

「強いのか? あんたの見立てが聞きたい」

「ああ、腕のほうは立つようだな。それに、不思議な剣を持っていた」

「不思議な剣?」

「そうだ。魔術を断つことができるとか。わたしも実際に見た」

「ほう」


 ダシルバは、魔術協会が神聖騎士団の輸送隊に仕掛けた最初の襲撃を思い出した。あのときは輸送隊を背後から追い立て、橋の手前に潜んだナジムとシリルとで挟み撃ちにする算段だった。そうして魔術で相手を殲滅するはずが、どういうわけか輸送隊は魔術協会の包囲網を切り抜けたのだ。いま思えば、あれがノアの剣のせいだと考えれば納得がゆく。

 魔術を断つ剣。そのようないわくのある業物は、強者の手元へ渡るものだ。ダシルバは俄然、ノアに興味がわいてきた。やはり、あいつとは剣を交えなければならない。

 ふと、ダシルバが微笑を浮かべた顔で立ち止まる。ニコルも歩みを止め、彼を顧みた。


「どうした」

「囲まれたな」

「は?」


 霧が降りるなか、どこかで悲鳴があがった。ニコルは声のしたほうへ首を回した。すると隊列の中程より、木道を踏みしめるどたどたという音が聞こえてきた。


「敵襲、敵襲!!」


 神聖騎士の誰かが叫んだ。

 後方にいたミゲルとカルロも異変に気づいた。ふたりはすぐに武器を手にし、あたりを警戒する。

 霧にまぎれた奇襲だ。ミゲルの近く、木道のすぐ脇で水が跳ねた。危機を察知したミゲルは咄嗟に身を引く。瞬間、彼を狙って槍の穂先が繰り出されてきた。造りの粗い原始的な槍だった。じっとしていれば確実にやられていたろう。その攻撃をかわしたミゲルは槍の先端に近い柄の部分を摑むと、もう片方の手に持った剣を霧の向こうの人影に向けて突き出した。

 仕留めた。ミゲルの保持する槍がふっと軽くなり、ばしゃんという水音が鳴った。


「固まれ! 互いの背後を庇い合って、ひとつにまとまれ!」


 声を高くしてミゲルが指示を出す。

 たちどころに木道の上が騒然となった。輸送隊は完全に包囲され、方々から攻撃を受けていた。敵の数はこちらと同じか、それ以上のようだった。剣戟の軽やかな音、そして怒号と悲鳴があたりに響く。


「また魔術協会か!?」


 動揺したニコルの声は裏返っている。と、その彼をダシルバが乱暴に押しのけた。

 すでに剣は抜かれていた。刃が一閃し、ニコルの陰にいた敵がダシルバによって袈裟懸けに斬られる。石斧と円盾を持った敵は、木道に声もなくうつぶせに倒れた。その姿を見てニコルは仰天する。自分の足元で絶命しているのが、人間ではなかったからだ。


「ト、トカゲ!?」


 まさしく、それは人の形をした爬虫類だと思えた。全身が緑褐色の鱗で覆われており、頭部は顔の部分――特に鼻梁から下顎にかけて――が前方に鋭くせり出している。開いた口にはずらりと牙が並ぶ。ほかに外見で際立つ特徴は、臀部のやや上あたりから生えた太い尻尾だろう。いわゆるリザードマン。沼地や湿原に生息する亜人種である。

 竜語を話すリザードマンとはコミュニケーションをとることも可能だが、おおむね他種族に友好的ではない。縄張り意識が強く、自分たち以外は餌としか見ていないのだ。リザードマンは身体能力に優れ、戦士としての優れた資質を有する。ゆえに敵対したならば、かなり厄介である。

 どうやら輸送隊は、そのリザードマンのテリトリーに足を踏み入れてしまったようだ。


つづきです。

大変お待たせしました。

ご感想やご指摘などがあれば、お気軽にどうぞ。

作者がとてもよろこびます。

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