熊の手に夢中。
前日と同じように日が暮れる前に野宿の拠点を見つけた、昨日と違い今日は狩りに行く必要が無いのでシシィも一緒に拠点の整備をする、世界を見て回る旅に出るのならば、彼女自身がこういった事を覚えておいて損はないだろう、それも粗方終わりると焚き火に火をつけて、俺は調理に入った。
初めて使う食材、市場に出る事すら稀な熊の手の肉、食材の味を知っていれば後は調味料を合わせるだけで済むのだが、生憎俺は食べた事がない、未知の食材を調理するのは難しいが同時に期待感もある、熊の手の味を知りたいのもあって今回俺は余計な事をせず、丸焼きにする事にした。
方針が決まれば後は無心で焼き加減と味に注視すればいい、獣臭さを消す為の香草もあるが風味も知っておきたいので俺の分は香草をつけずに焼く事にしよう。
カチャカチャ………トントントントン…………ガチャッ………ジューーーーーー…………
「…昨日は見てなかったから分からなかったけど、アナタの料理の時の顔、すごい迫力ね。」
完成間近に彼女が話しかけてきた、これまでにも何度か言われた事のあるセリフだ。
「ああ、偶に言われるな、自分では自覚がないんだが、前に、それはそれはおっかない顔してるって茶化された事があったな。」
「まあ、遠目に見たら恐ろしい顔してるわね、でもよく見てたら口元は笑ってるし、目は子供のように輝いて、すごく楽しそうよ?」
「……そんな顔してんのか、料理中の俺って。」
その姿を想像するとそんな半笑いの顔に無心で料理する俺は気持ち悪いような気がした。
「あら、没頭できる物があるのはいい事よ、人間誰しも時間を忘れて集中してしまう経験はあるもの。
でもその集中の大半は再現性が無いの、ある本を読むとき、その面白さに時間を忘れてページを捲る、でも、その時に発揮したその集中は、もう一度その本を読む時には現れなかったりね。」
「確かに、そんな経験あるな。」
「でもアナタのそれは違うでしょう?再現性のある集中。
それも周りの声が聞こえなくなるほどの深い深い水底の様なそんな集中……今日も素晴らしい出来ね、頂くわ。」
皿に熊の肉を取り分けながら考える、料理の時そんなに深く集中してる事など知らなかった、再現性も多分あるのだろう、なにしろ毎回同じように無心になるとあっという間に料理が出来上がっていたから、ただ料理人になるなら別とは言え、旅で俺のこの能力はあまり役に立たなそうなのが少し残念だった。
「よし、俺も食うか…いただきます。」
「本当に甘い……すごいわ、獣臭さも無くなってるし…熊って脂が多いのね、初めて知ったわ。」
「確かに、ほんのり甘味もあるし、羊や豚に比べると脂が多いな、昨日のウサギは鶏に似て比較的淡白だったからな、尚のこと脂が染みる。」
思ったよりもいい出来だった、ここまで味が判れば次に調理する時には丸焼き以外も作れるだろう、最も、また熊と鉢合うなんてことは無い方がいいのだが。
食事も終わり明日の予定を話す、明日の昼すぎに長かった山を抜ける、港町に着くのは夕方ごろだろう、その日は宿を探して泊まり、港町を見て回るのは明後日からになると伝えた。
「ええ、分かったわ、明日も歩くのだし今日はもう寝ましょう?」
「そうだな…」
「…もう、アナタまた?…早く入りなさい。」
「いや、すまん…なんというかこう…許可が無いと入りづらくて…」
そう、俺は恥ずかしさから毛布に入れず、許可を待ってたのだ…なんとも情けない話である…。
毛布に俺が入ると彼女が言った。
「はあ…あのねぇ、ここは冬山でアナタは私の旅の連れなんでしょう?そんな羞恥心蹴飛ばして堂々と入ればいいのよ、寒いんだから入れろって。」
「いや分かってる、分かってはいるんだが、どうにもな……慣れてないんだよ、ずっと一人旅だったから対人距離がこんなに近いのに。」
「全く…仕方ないわ。」
「すまん」
「いいから、もう寝るわよ。」
「ああ、おやすみ。」
「ええ、おやすみなさい。」
いずれこの距離に慣れるのだろうか、惚れた相手との同衾に何も思わなくなるのだろうか、そんな事を考えてその夜は眠りについた。
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