会話と対話。
目が覚めると隣に彼女は居なかった、辺りを首を振って見渡すが姿は見えず、健気に一晩温め続けてくれた毛布を致し方なく剥いだ。
立ち上がり探すがそれでも姿が見えなかった、もう声をあげて探すか思い始めた時に背後から話しかけられた。
「あら、起きたのね、おはよう。」
「うおっ!!……ああ、おはよう、姿が見えなくて心配した、どこ行ってたんだ?」
「………あのねぇ、アナタは馬鹿なの?厠よ、あと多少、身だしなみを整えてたのよ。」
「…そいつはすまん。」
「黙って行ったのは悪かったとして普通聞くかしら、それに子供じゃないんだからそんなに心配される必要性も感じないわ。」
そりゃそうだ、俺は何を馬鹿みたいに探しまわって、勝手に心配してたのだろうか、彼女は別に子供じゃ無いし、そこらの男では敵わない程の腕っぷしもある、山だと熊や狼が怖いがそれすらも彼女からしたら遊び相手だろう。
そんな相手、頼れる旅の連れに何を聞いているのだろうか、馬鹿と言われても仕方ないとしか思えなかった。
「ほらもうこの話はいいから、顔を洗ってきなさい、朝ご飯を食べたらまた今日も一日中歩くのよ?」
「そうだな、すまんかった次から気をつける、焚き火をつけておいてくれ。」
「わかったわ。」
多分、これで正解なのだろう、信頼して仕事を任せる、昨日の料理の時、彼女が俺に任せたように。
信頼に足る相手じゃないと旅の連れなんかには相応しくないから。
顔を川で洗って歯を磨き戻ると焚き火はまだついてなかった。
「ごめんなさい、任せてくれたけど出来なかったわ。」
昨日の夜焚き火の付け方を教えてなかった事を思い出した、初めての事なら出来なくても仕方ないとしか思わないが、彼女はさっきの事もあってか申し訳なさそうな顔をしていた。
「いや、初めてなんだろ?俺もそれに気付かず任せたから気にしなくていい、俺がつけるから見ててくれ、また頼む時があるだろうからな。」
「わかったわ。」
そう、これでいいのだ、お互いに必要な物を補えば、信頼が生まれて、信頼が生まれれば背中を任せられる。
夢を叶えるための旅の仲間はこうでなくてはならない筈だ。
焚き火を二人でつけ、昨日のスープとパンを食べて、準備を終えた俺たちは歩き出した、しばらくは過去に港町に行った時の話などの他愛のない会話をしながら順調に進んでいたが、昼を過ぎた頃に彼女が突然立ち止まった。
「…止まって。」
「どうした?」
「静かに。」
謎の緊迫感に足を止め警戒を強める、鋭い彼女が何かを察知したのだろう。
「熊がいるわ、きっと冬眠し損ねたのね、相当お腹を空かせてるわ。」
「それは恐ろしいな、どうする、逃げるか?。」
「いいえ、もうダメね、縄張りに入ってしまっているしウサギの匂いに気付いてもう向かって来てるわ。」
「ならどうする。」
「別に、迎え撃つだけよ、下がってなさい。」
その言葉に頼もしさを覚えながらウサギ肉の入った鞄をその場に置いて数メートル後ろに下がった、数十秒経つと前方から草を分けて雪を踏む音が聞こえ始めた、ここまで近づかれて俺はようやく存在に気付けた。
熊に相対して初めて気付いた事もあった、それは熊の野生の臭いの強さだ、血を浴びそれが乾くのを幾度も繰り返したのが伝わる、むせ返るほどの獣臭、俺は吐かないようにするのに必死だった。
「ごめんなさい、私たちここを通りたいの。」
熊は彼女を一瞥して、その足元の鞄をじっと眺めると襲い掛かった。
一目で分かるのはその大きさ、体中の毛は下手な刃なら通さないだろう、前足から見えるのは鉄ですら切れそうな程の大きな爪、それでも、彼女には関係無かった。
「このウサギは私のものよ、欲しいなら私に勝ちなさい。」
そう言いながら彼女は鞄を拾い熊の初撃をその場でクルリと回り躱す。
「熊って硬いのね、少ししか切れなかったわ。」
見えなかったがどうやら躱しざまに一撃与えたらしい、自分の攻撃が通り抜け、その上傷まで付けられた熊は俺でも分かるほどに表情を変えた。
あれは怒りだろう、自分と対峙していながら余裕のある彼女に対して、そして己の体という武器に傷を付けられた事に対する怒りだ。
そこから彼女と熊の動きは少なくなった、お互いに間合いを測り、急所への必殺の一撃を今か今かと探るそんなターンに入った。
だが決着は余りにも一瞬だった。
「もういいわ。」
それだけ言うと彼女は普通に歩いて熊の横に行き、剣を振り下ろし熊の首を刎ねた。
理解が追いつかなかった、何故最後熊は動かなかったのか、熊が動かない事をどうやって見分けたのか、余りにもその決着は異常で思わず声をあげてしまった。
「なんで!」
「?…殺さない方がよかったかしら?」
「違う!そうじゃない、何故最後熊は動かなかったんだ、それが分からない、何故なんだ。」
「手詰まりだったのよ、彼。」
「手詰まり…?」
「ええ、手詰まり、それで諦めたの。」
言葉に詰まった、死というものが近い野生、死ぬと判ると諦める、あまりに生死観が違いすぎる。
だがそれ以上にその生死観に着いて行く彼女も、俺の理解の範疇を大幅に超えていた。
「何故熊の考えが分かる…俺には少しも分からなかった…」
「まあ、それはそうでしょうね、アナタは見てただけだもの、でも私と彼は今、命のやり取りをしてたから、お互いを知ろうとするわ、そして判った情報を整理して次の動きを組み立てるの、だから相手が何を考えてるか、なんてのは当然のように入ってくるわ」
やはり言葉は出なかった、達人同士とかそんなレベルではない、野生と野生、生と死、殺し合い。
文明と文化の発達を自分の力として生きている人という物には難し過ぎるやり取りだ、だが彼女は人の身でありながらそれを身につけている、最初に見た時とまた違う、その力の片鱗を見た気がした。
「それで、この熊はどうするの?」
もう何も無いように聞かれた、呼び方も変わっている。
「あ、ああ…熊の手は高級食材だな、春先だと蜂蜜が手に染み込むまで食べるらしいから春先の熊の手はそれはそれは甘い肉らしい、まあ今は冬とは言え高級食材には変わらないだろう、本当は毛皮や肉も欲しいがこの人数じゃ運べないから手だけ貰って後は置いておこう。」
「そう、そんな美味しいの…」
熊の手をじっと見つめる彼女はさっきの逞しさと恐ろしさが消え去り、祭りの出店を見つめる子供のようにすら思えた、余りの違いに思わず笑ってしまう。
「ハハハ、ウサギは防腐処理もしてるし、何よりこの寒さだ腐らないだろう、どうだろう?今日の夜はお前が狩ってくれたこの熊の手を食うか?」
「それはいいわね、是非そうしましょう。」
「ただ、熊の手なんか調理するのは初めてだ、味の保証は出来ん、予想より不味かったからと言って怒らんでくれよ。」
「…分かってるわ。」
その後彼女が熊の両手を切り落とし、俺が血を抜いた後袋に詰めて俺達は歩き出した、旅とは思えぬほどの高級食材を使った夕食への期待を抱いて。
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