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08.忘却の勇者②


──── 忘却の勇者 ────




俺がキャンプに戻ったとき、高原は大きな混乱の中にあった。


キャンプの天幕の周囲には植物の魔物が徐々に根を伸ばし、

今にも荷台や馬車に襲いかかろうとしている。


馬のいななきが聞こえる。

冒険者たちは円陣を組んで、守りを固めていた。

荷物を守ろうとしているのか…馬鹿なことを!


「おお、シゲさん!助けてくれ!」

「厄介なやつらだ。なぜ荷物を捨てて逃げない。ここはもう異界の中だぞ」

「いや、それが。いくつかのパーティが渋ってな」

「事態が分からないか」

「それが、どうも中で揉めてるらしい!」


俺は周囲の植物の魔物を根絶やしで切り飛ばした。

20体近い魔物を順繰りにバラバラに切り裂いていく。


いくらかの経験値が入るが、今は構っている暇もない。


「強いな…。これならなんとかなりそうだ…!」

「おおい、こっちも頼むー!」

「ダメだ。時間がない。あとは自分たちで処理してくれ」


残りの魔物は中位の冒険者パーティだけでどうにかなるだろう。

多少被害は出るだろうが。


俺は天幕の中に飛び込んだ。


「なぜまだ逃げていない!惚けているのか」

「シゲさん。それがな、そうも行かなくて」

「命より荷と馬が大事か。なら、あとで充分に保障してやる」


ふと、俺は気がついた。

メルを見かけていない。


ここまで来る途中見なかったし、こんな状況であれば、

俺を見てに駆け寄ってきても不思議ではないはずだ。


「メルはどこだ?」

「あのお姉ちゃんのことか、今は分からねえよ」


別の男が答えた。

俺はシャムシールで机を両断した。

周囲の男たちに緊張が走る。


「時間が惜しい?メルはどこだ」

「いや、それが、あの二人組みの勇者と一緒にあんたを探すってでてっちまって」

「売ったな…?」


髭面の冒険者を俺は睨みつけた。


「い、いや、何の話だか…」

「とぼけるな。勇者が暴れれば魔王と魔物はそちらに注意がいく」


メルは異界の習性に詳しくない。

どこかに放置して暴れさせれば、最高の囮になる。

二人の勇者もグルだ。


おそらく、その間に脱出を狙う予定だろう。


「すまねえ…。俺は止めたんだ…。お嬢ちゃんに知らせようとしたんだが…」


脇を見れば、見覚えのある中年の男が床に縛られて転がってる。

その頰は腫れていた。


確か、普段メルと同じ薬草採取をこなしている町の冒険者だ。

冒険者だが、魔物討伐側ではないので、甘いところもあり、メルの味方をしようとしたのだろう。


「俺は…」

「アンタは黙ってろ!あんただって家に帰りたいだろうが!」


また別の男が町の冒険者を叱り飛ばした。

それを皮切りに、何人もの男がヒステリックに叫んだ。


「だいたい、異界が昼に広がるなんて聞いてない!依頼者のお前の責任だっ!!」

「ちきしょうめ!こんな依頼受けるんじゃないかった」

「ふざけやがって、ギルドの責任問題だぞこんなもの!」

「とにかく、荷物はもういいから俺は逃げる!とっとと道を開くぞ」


天幕の中で男たちは喧々囂々と騒ぎ出す。


「黙らねえか!!」


それを止めたのは冒険者ギルドのリーダーのような大男だった。


「とにかく、シゲさんの話を聞こうじゃねえか」


そういって周りを鎮めた。


「何があったのか教えてくれ。俺たちはどうしてこんなひどい状況になってるんだ?」

「ああ、見てきたことを説明しよう」


その男の威厳というか、これまでの功績もあるのだろう。

一旦は場が落ち着いた。


俺は見て来た状況、多少の考察を交えて伝えた。


「ふむ…。つまりは殆ど何も分からん。何故か異界が昼に広がった。

 だが、今すぐ死ぬようなことはないってことか」

「植物の魔物は移動に根を使う。時間がかかる。中心地からこちらに来るにはまだ猶予がある」


リーダーは深い眉間に皺を寄せて考え込んだ。


「結局、異界に飲まれたか理由はわからねえか…」

「気になったんだが、西の山間部に向かって離脱できないのか?」

「ちと厳しいな。来た道を辿って見たが、鈴蘭の真っ黒な毒が立ち込めてる。

 ギルド製のマスクじゃどうにもならん」

「毒はどの程度の強さだ」

「とてもまとも呼吸できんが、問題はそれ以外にもある。

 毒の煙の中にも魔物がうじゃうじゃいる。山間部まで抜ければ異界は出られるだろうが、

 一か八かで抜けるには距離が長すぎる」


毒煙で視界がない中、何百メートルも呼吸を止めて走り抜けるのは勇者以外には至難だ。

馬だって途中で死ぬ。


「状況は悪い。だが確かにこいつはアンタの落ち度だ。シゲさん。

 ギルドとして依頼は受けたが、近くの異界がこうなら、依頼は受付なかった」

「ああ、その通りだ」


これは単なる彼らの泣き言ではない。

冒険者は自己責任が基本だが、それでも果たすべき責務はある。


無論、俺の答えは決まっている。

事前調査を怠り、依頼内容の危険が大幅に異なったのならば、それは依頼者である俺の責任だ。

この依頼の調査報告を上げたのは俺だ。


俺は命をかけて、誰にも言わずに人を救っているが、それはただの前提だった。

この世界では誰でも命をかけている。


「魔王に攻撃をしかける」

「ほう、できるのか?」

「一瞬だが、異界は薄れるだろう。毒の煙の端で待機しろ」

「分かった。初めて組むはずだが、シゲさんには何故か信頼がある」


初めてではない。

俺はこのデンデという大男と何度も組んだ。

何度も命を救った。事実は消えても、その時の感情は残っているのだろう。


「だが、交換条件がある。売ったメルの、あの薬草採取の勇者の居場所を教えろ」

「分かった。もし彼女がここに戻れば、このデンデと、冒険者ギルドの名にかけて彼女の安全を保障する」

「なら、そうしてくれ。はめた二人の男勇者は仲間か?」

「俺たちのパーティーはこの件に関わってない。好きにしてくれ」


詳細を聞いた俺は天幕を切り破るように飛び出した。

落下するように高原を駆け下りる。


義務的な要件は最短で済ませきった。


本当はすぐにでも飛び出したかった。

それをとめたのは彼女の安全保障と、そして、勇者としての責任を果たすためだった。


ああ、魔物討伐などと、調子のいいことを焚きつけるんじゃなかった。


メル、彼女を、平凡な世界にとどめさせてやってくれ。

どうか、無事でいてくれ。










あの二人組みの男勇者は、他の連中と組んでいなかったが、

どこに向かうかは冒険者内で共有していた者がいた。


情報通り、鈴蘭畑から離れた岩場の洞窟から、人の声がしている。

確かにここからは、冒険者としての経験がなければ、

方向感覚が消えた異界の中でキャンプに戻るのは難しいだろう。


俺は一も二もなくそこに飛び込んでいった。


洞窟とは言ったものの、その深さはわずかだ。


「わるいっすねー。ちょっと状況が悪すぎるんっすよ。

 別に何の恨みも無いんっすけど、まあ、ここで出来るだけ暴れて欲しいっていうか」

「お姉ちゃんよ~。人を簡単に信じすぎだぜ~?」

「いや、別に生き残ってもいいんで、せいぜい魔物を引きつけてから死んでね?」


二人の青年の勇者がこちらに背を向けている。

その足元に見慣れたメルが転がっていた。


「あ、貴方達…。シゲはどこに、いるの?」

「さあ。どこかね。まあしばらくしたら同じ場所で会えるかもしれないっすよ?」

「なあ桐裏よぉ。こんななら、俺らが炊きつけなくても一人で探してに行ってたんじゃないかねぇ~」

「まあね。でも一応安全マージンは取るでしょ?」


俺は怒りと共に、背後から勇者の首筋にシャムシールを突きつけていた。


「大した高説だな。俺がすでに死んだと思ったか?」

「なっ、いつのまに…!」


振り返る間もなく、シャムシールの背を首に叩きつけた。

崩れ落ちる勇者の横で、もう一人の長身の勇者がようやく反応した。


「桐裏!てめえやりやがっ…ウげッ」


斬撃が長身の勇者の足の指を切り落とす。

姿勢が崩れた瞬間に、気絶させた。


「メル、無事か…!」

「う、ウ…グッ…」


駆け寄ったメルは青い顔をして、口の端から泡を吹いている。

毒だ。鈴蘭とは違う。


俺はすぐに治癒魔法を使った。

手を胸にかざして、白く淡い光が放たれる。


胸元が大きく上下を繰り返していた。


すぐに効力は現れた。さすがに、魔力1をすべて使った魔法は効き目がいい。

メルの顔色が徐々に良くなり始め、すぐに呼吸も安定した。


「メル。返事をしてくれ」

「うぐ…最悪よ。あたま、痛いし…」

「ああ、よかった。無事か」

「どこが、無事なの…」


彼女は喘ぐように息をした。


「怖かった…」

「ああ、そうだろう。よく頑張った」


俺は彼女の上半身を抱き起こした。


「本当に、怖かったのよ…」


そう言うと、彼女は片手で俺の襟元を握り、もう片方の手で、顔を隠して嗚咽した。

俺は何もできず、彼女の気持ちが収まるまでしばらく待っていた。






「ありがとう」


彼女は立ち直ると、頭を下げて俺に礼を言った。

礼を言いたいのはこちらの方だが、今は素直に受け取ることにする。


「気にするな。俺を探してくれたようだな」

「それでも、よ。随分心配したのよ。貴方、いつもどこで何をしてるのか分からないし」


彼女はそう言って頭をあげた。

そしてほっとしたようにこちらを見た。


「それにキャンプの方で聞いたけど、こんな状況なのって、この計画を立てた依頼側が悪いんでしょ?

 貴方のせいじゃないわ。私をこんな目に合わせたこいつら二人は論外、だけど」


メルは殺意を込めた目で、地面で気絶する二人の勇者を睨みつけた。


「俺だ」

「え?」

「今回の依頼者は俺だ」

「あ、そ、そう…」


彼女は目をそらして言った。


「な…中々悪く無い依頼内容だと思うわ」

「俺はそうは思わない」


そうだ。時間は少ない。

俺は様々な感情と言葉を飲み込んで彼女に問いかけた。


「それで、これからどうするか」

「どうって…逃げるのよね?」

「異界の中で勇者が暴れれば、関心がそちらに行くと言うのは事実だ。

 この二人に俺たちの代役をやってもらうか」


先ほどまで調査した地点まで気絶した二人を運べば、

少しの間の囮にはなるってくれるだろう。


ついさっき相対した感じ、そこまで暴れてくれるかは不明だが。


「それか、単純に殺してしまう手もある」

「…」


俺は二人の勇者の首筋に剣を沿えた。

メルは黙り込んだ。


彼女は人が間近で死ぬのを見たことがあるのだろうか。

こんな世界だから死体はあるだろうが…。


散々考え込んだあげく、メルは俺の方をよく見た。

二人の勇者ではなく、剣を構え続ける俺の方だ。


何か気になるのか?


「正直に言おう、俺は怒っている」

「シゲが?」

「ああ」


俺は短く答えた。


「メルは俺の尊敬すべき人だ。そんな人をはめたこいつらを許せないと感じている。

 君が許可してくれるなら、今すぐに剣を振り下ろしたい」

「…そう、私もこの人たちが憎いわ。裏切られて、すごく怖かった」

「メル、君が決めていい。だが決めるのが辛ければ、俺が決めよう」


メルはずっと沈黙していた。

感情豊かな彼女にしては珍しく、その顔からは何も読み取れない。


「勇者を、殺すってこと?」

「ああ、そうだ」

「同じ日本人でしょ」

「ああ」

「貴方の仕事はよく知らない。でもこういうことはよくあるの?」

「勇者を殺そうと思ったのは初めてだ」


メルはまた、こちらをじっと見ていた。


「…」

「メル、許可してくれた方が俺としては、ありがたい」

「それはなんで?この人たちが狙ったのは私だし…」

「そうだな」

「この世界では、弱い私の方が悪いのよ。私は今、それを思い知ったわ。

 それを貴方に責任を負わせるような…」


俺は不意に自分を見失った。


「それはな!」


突発的に声を張り上げていた。


「それは、メルが大切で!俺の一番の友人だからだ!」


なにをいっているんだ俺は。

見ろ、メルがおどろいている。だが口は止まらない。


「メルを傷つけたこいつらをぶっ殺してやりたいんだ、俺は!」


俺は、気づけば荒い息で叫んでいた。


自分が信じられない。

こんな声が出せるのか。


なにがなにやらわからない。

どうしたって言うんだ。急に。頭が真っ白になってた。


「もういいわ。その言葉が聞けただけで私は満足よ」


メルは優しく笑った。



「…ねえ」


メルはこちらに近づいて震える俺の手を取った。

彼女は俺の動揺なんて関係ないくらいの冷静さだった。


「随分前に、貴方が治癒の魔法を初めて見せてくれたことがあったでしょう」

「…あ、ああ。確かにあったな」

「私は、あの時の貴方が怖かった。自分の腕を切って平然としているシゲは、

 なんだか遠くに行ってしまったように感じたわ」

「俺は、別にあの時、何かを考えていたわけではないが」

「今の貴方も同じ顔をしていたわ。

 私は、貴方に、これ以上そんな風になってほしくないの」


彼女は一息ついて、言った。


「だから、この話は、もうこれで終わりにしましょう。貴方が納得いくならね」


俺は、しぶしぶ頷いた。

メルの提案で、この男達は、このまま地面に転がして放っておくことにした。

運が良ければ生き残ることもあるだろう。
















しばらくすると、メルはすっかり調子を取り戻して、普段通りではないが、元気になっていた。

彼女に盛られた毒は痺れ薬だったようで、

治癒の魔法で完治しないとなると、おそらく彼らの勇者スキル絡みだろう。

首から上は元気だが、足はそうもいかなかった。


俺たち二人は、異界をキャンプ方面に向けて歩いている。


「そんな細かいこと放っときなさいよ!」

「異界の調査だ。解明するまで脱出しない。方針は変わらない」

「なに言ってるの…?」


俺は丘陵を歩きながら、時々、植物の魔物を斬撃で吹き飛ばす。

この方針は建前でもあるが、本音でもあった。

どうにか彼女を説得し、一人で無事にキャンプへ帰らせなければならない。


「勇者シゲには信用問題があるんだ。裏切ってはいけない。いくつかの小さな契約もある」

「そんなの死んだら終わりよ!?」

「違う、メル、細かいことが大切なんだ。俺は細かいことを覚えてられない奴だ」

「何言ってるの!?シゲみたいなマメな高校生、見たことないわよ!」

「これはただの反動だ」


俺はメルと緊急で異界に関しての認識を合わせた。

異界を脱出する方法は主に3つある。


1つ目は、一晩越して夜明けを待つこと。

完全に異界化が完了してない場所では、昼は異界の影響が消える。

だが、この異界は真昼に拡張した。昼夜のルールは信用できない。


2つ目、魔王を殺すこと。

これは問題外だ。それができれば苦労しない。


3つ目、ある程度の攻撃を魔王に加えること。

そうすることで、異界の魔力が乱れ、端の方では通常空間への出口ができる。


他にも、空の魔王の異界では空を飛びたら抜けれたり、

今回のケースであれば、毒を無効化できれば抜けれたりと異界特有の例外はあるが、

主にこの3つだ。


今回は3つ目の手段を使う。

確かに俺とメルだけだったら、俺のスキルを使って毒の煙を抜けることもできるだろう。

だが、俺が巻き込んでしまったギルドの冒険者のことを考えると、

他の全員を犠牲にして二人だけ脱出というわけにもいかない。


ギルドの冒険者は魔物の軍勢と戦う仲間だ。

向こうの記憶になくとも、何度も助け合ったメンバーも多数いる。

面倒だが、誇り高い連中だ。都合が悪くなれば、すぐにさよならとはいかない。



「聞いてくれメル。頼む」


メルは口惜しそうにしながらこちらを睨みつけた。

目元がわずかに涙で滲んでいる。

朝露のように綺麗だと思ったが、

その下では鼻水まみれで台無しで、つまりいつものメルだった。


俺は必死になりながらも、なにか笑えそうになる。


「俺は前世で若年性の健忘症だった」

「…なにかしら、それ」

「つまり、物事が覚えてられないんだ。常識や習慣なんかはそのままだから、

 一見して普通の人間に見える。だが、俺の記憶はつぎはぎだらけのパッチワークだった」


メルは黙って聞いてくれた。


「だから、この世界では、どんな小さなことも覚えておこうと思った」


しばらく沈黙すると、メルは納得せずに口を開いた。


「大事なことを教えてくれてありがとう。で、それが何の関係があるの?」

「関係?大事なことだ。俺は約束や契約を破れない。それが俺の生き方の」

「生き方ぁ…?」


メルは可愛らしい両目を釣り上げた。


「何が生き方よ。死に方でしょ、この不審者の、自殺勇者!」

「やめてくれ、おかしいぞメル!」

「おかしいのはそっちよ!頭冷やしさない!」

「氷で蹴るのはやめろ!」


メルはわんわん泣きながらこちらに氷の粒を投げはなった。

妙な軌道を描いている。


「このぼけぇえー!酔った私のあんな姿までみて忘れたのか、このッ!」

「痛い!もう治った!それと、変な言い方はよせ!あれはメルから絡んできたことだろう!

 それにあれもいい思い出じゃないか…!」


治癒魔法フル活用、連続一気飲み、ベッドの惨状、散乱する衣服と下着、そして反吐。

なにが私は大人だから、高校生にいい飲み方を教えてやる、だ。

卒業後、初の深酒があんな思い出になるなんて思わなかった。


メルは泣きながらこっちを蹴ってきた。

俺は、なんとか怪我させないように、必死に彼女の攻撃をさばく。


「それでもだ。俺はこの世界に名前を残したい」

「ひぐっ…。理解できないわよぉ…」


その姿を見ていると胸が痛んだ。

だが、こればかりは俺も譲れるところじゃない。


「近くの観光案内だって取り寄せてて、旅立つ前の貴方を日帰り旅行に誘おうかなって思ってたのに。全部無駄よ…」

「メル。俺がこの世界に詳しいのは、観光ガイドになるためじゃない。わかってくれ」


俺の死亡前提で話を進めるのはやめてくれないか。

彼女にとっては、自分が関われない悲劇というのが、何かトラウマになっているのかもしれない。


「はぁ…分かったわ。言っても止まらないものね。貴方頑固だから」

「すまん」


ようやく彼女は落ち着いてくれた。


「で、どうやって異界のカラクリを解くのよ」

「魔王に直接会って確かめる。ついでに、一撃入れるつもりだ」


俺の頭を氷の蹴りが直撃した。


「…ぐあっ!」

「まだ…冷え足りなかったみたいね?いくら私でも、それがどれくらい危険なことか想像がつくわよ」


俺は地面に這いつくばった。

見上げると彼女こそが魔王のようだった。


「じゃあ私も着いていくわ。それなら無茶しないでしょう?」

「ああ、それでいいだろう」

「それじゃあ行きましょう。私だっていつも寝てばかりじゃないんだから」


悪いが頭を切り替えるしかない。


「だが、その前にだ。万が一もあるからな。メルには俺のステータスを教えておこう」


煙を吐く壺を呼び出し、メルにステータスを開示した。


「…いいのね?」

「ああ、いい」


メルは目元の涙を拭い去り、俺のステータス欄を見つめている。

そこには[勇者の勝手口]からスキルまで全て乗っている。


メルはまじまじと見つめ、目を見開いた。


「貴方、この[勇者の勝手口]は!だからいつも誰からも…!」

「悪いな」


俺は大真面目な顔で嘘をついていた。


そう、こうするしかない。

今は時間が惜しかった。


幸い、俺にとって彼女がどれだけ大切かも確認できた。

無理に付き合わせることはないだろう。


─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


[勇者の勝手口]

自身の功績に対する称賛と名誉を他者から忘却する事で、

多量の経験値を得る。


勇者の勝手口を発動しますか?


【はい/いいえ】


─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


俺は【はい】を選択した。


メルは白い煙に包まれた。

そして煙が晴れると、不思議な顔をして、こちらを見てる。


「…?シゲ、どうしたの?ぼうっとして」

「なんでもない。それよりも、俺はメルに付き合って

 偶然この依頼を受けたが、異界に飲まれるなんて、運のないことだ」

「そうね、早く逃げましょう」


これで今回の依頼の関係者全員から俺の功績の記憶が消える。

俺が依頼者であること、鈴蘭の病理に関する調査、異界から得た情報、倒した魔物等のやり取りから俺が消えた。

経験値は4ケタ単位で上昇した。

彼女を今救ったことも、縛りが消してしまった。


「これまでの経緯をおぼえているか?」

「経緯って、少しあいまいな所もあるけど、私は貴方を探しにきたのよ」

「そうか」

「…まさかもう忘れたの?恩知らずね」


メルは非難めいた目でこちらを見た。

俺はメルに紙束を手渡した。


「メルが持て。異界の情報だ。他の冒険者が調査したものの写しだ」

「いつのまに。準備いいのね」

「メモは持つようにしている。さあ行こう」


俺たちは足早に先を進んだ。

今はメルに顔を見られたくない。


「さて、足の調子も戻った。一旦お別れだな。メルは先にキャンプに戻ってくれ。

 その後は冒険者たちの指示に従うといい。じきに異界に隙間ができる予定だ」

「あら、貴方はどうするの?」

「俺は別方向だ。心配するな」


記憶は相互に消える。

メルがあの勇者二人組との出来事を忘れているなら、二人組もメルを完璧に忘れる。

心配はいらない。


メルはふう、と息を吐いた。


「無駄な心配だったみたいね。呆れたわ。貴方、なんでもないみたいだし…」

「勇者とはいえ、一般冒険者である俺たちにできることは無い。悔しいがな」

「…変な責任感で、突っ込んだりしてなくて安心したわ」

「いいか、全力で走れ。目立っても構わん。魔物を引きつけてくれると尚いい」

「えぇ~…」


メルはなんでもない風に走り去ろうとした。


「待っ…。いや…。なんでも、ないんだ…」

「…そう?」


いっそ、思い切って聞いてやりたかった。

俺のことを、どれくらいおぼえているんだ。


どこまで消えて、どこまで残ってる。

転生後の馬車で泣いたことは覚えているのか?

一緒に山道を歩いたことは?魔法のことは?

それくらいは大丈夫なはずだ。

だが、この依頼中のことはほとんど覚えていられないだろう。


聞くのが怖い。鼓動が早まっている。

町に帰れば、今のやりとりすらほとんど消えるかもしれない。

けれど、この考えは今は余計なことだ。


俺にはどうやら、客が来ているようだから、待たせるわけにもいかないらしい。

遠くの赤黒い丘では、最初に異界の境界線で見かけた目玉をつけた花の魔物が笑ってる。






俺は月と星が輝く夜空の異界をさ迷っていた。


足が回復したメルの移動速度に植物の魔物はついて行けない。

なるべく念入りに、怒らせるように、シャムシールで魔物を刈り続ける。

武具の間でもらったこの曲刀は、刃こぼれひとつせず、黙々と仕事を続けてくれている。


俺は体力のステータスが3だ。


その気になれば腰袋の水とわずかなパンだけで、半年は異界内で活動できる。

だが、他の冒険者たちはそうはいかない。


情報を得るために魔王に一撃入れる。その時、異界の端では魔力が薄れて脱出できる。

この異界の出現は3年前。生まれてわずかに3年の魔王だ。付け入る隙はあるはずだ。


「向こうは、そこまで待つ気はないようだな」


途中から魔物たちの動向が明らかに変わった。

濃密な魔力を持つ方向に進むと、そこはすんなりと道が開く。


黒い鈴蘭畑は体をひねって俺に道を譲った。

しかし、東へ戻ろうとしたり、横道にそれようとすると、

そこには強力な植物の魔物が待ち構えていた。


無理して通りすぎることはできるが、

そのためにあまり手の内を見せたくはない。


それならば、こちらから向かった方がいい。

すべて伏せたうちに直接出向いて、叩いてやればいい。


「どうせいずれ戦うなら、今、会っておけばいい」


人生には、時として唐突な窮地がある。


「望むところだ。勇者シゲの力を見せてやる。必ず名をあげてやる」


かなり危険だが、正体さえわからない相手を恐れるのは間違っている。

知らないから、恐れるんだ。


俺は膝を抑え、勇気を奮い立たせた。

たかが、3年の魔王だ。

王都に現れた100年選手の空の魔王メルンボルンとはモノが違う。

3歳児をお前は恐れるのか?


「分かってる。そんなこと何の保証にもならない」


だが、行くしかない。

鈴蘭の丘は、夜空の月へと至るようにその頂上へ道が続いている。

俺はその丘陵をゆっくりと登りだした。














しばらく丘陵を進むと、遠くにぽつんと黒い人影が見えてきた。

鈴蘭畑はますます濃密になり続け、俺が歩く道以外は足の踏み場もない。


人影は大きな白い月に照らされて地面に小さな影を作っている。

その場所だけは、まるで小さく隠れた庭園のように、鈴蘭が繁茂をやめていた。


静かだ。


ここが魔物たちの異界のど真ん中だとはまるで思わない。

真っ黒な空には降るような星が輝いている。


永久にこの景色が変わらないとすれば、それは美しいことだった。

しかし、この場所はすべてが偽物だ。


俺は覚悟を決めて、小さく、こちらに背を向けた影の側まで進んだ。

自分の足音だけが聞こえる。

地面にはわずかに鈴蘭の葉がおちていて、それを踏む音がやけに耳に響いた。




「こんにちわ。人間さん」


黒い衣装に身を包んだ長髪の少女が鈴蘭の畑の中心に佇んでいた。

並び立つようにして俺は横まで歩いた。


「驚いたな。魔王は喋れるのか」

「そうよ。知らなかった?」

「ああ、近くで見るのは初めてだ」


静かな落ち着いた声だ。

人間で言えば、13か14歳の、中学生くらいの、紫の髪をした少女だった。

メルの後輩だと言って紹介されれば信じてしまいそうな後ろ姿だ。

しかし、何が、というわけではないが、確実に人間の声ではない。


彼女はただ静かに佇み続けて、自らが作り出した巨大な月を見上げている。

こちらから顔は確認できない。


「いい夜ね」

「…そうだな」


言い切らないうちに、俺は迷わずに斬撃を放った。

5発同時だ。全く同じ軌道でシャムシールを解放する。

この5発はここ最近じゃ一番出来が良かった。


5発分がすべて重なった。加えて逆軌道から本物のシャムシールを斬りつける。

鋏のように魔王の首を斬撃が捉えた。


「不思議な力。勇者はみんなこうなの?」

「安心して確かめろ。これから好きなだけ食らわせてやる」


その少女の肌にうごめく黒い花弁が斬撃を受け止めた。

不可視の斬撃が、バキンと音を立て、花弁の牙に噛み砕かれた。


「ねえ。少しお話ししない?勇者に会うのってはじめてなの」


少女はそういって黒い粘土と穴だらけの空からこちらに向き直った。

恐ろしいほどの魔力がこちらに放たれた。


この少女の顔は発狂しそうなほど美しかった。

瞳も、眉も、鼻も、口も、小さなアゴも。


典型的な罠だ。


俺の勇者スキル、[信心の残高不足]は全ての魔法を跳ね除ける。

闇属性の魔法はたとえそれが神のものであっても俺の近くでは存在できない。


今やその顔には年相応の幼さがある。

鈴蘭の花を少しばかり頭に挿した紫髪の少女。


「お前の魅了の魔法は通じない」

「そんなつもりはないのよ。私は弱い魔王で、よくいじめられてるから、せめて見た目だけでもと思って」

「なんだ?」

「綺麗にしようと思ったの。変かしら?」


魔王に美意識があったとは知らなかった。

それも人間と似通った感覚がある。


俺は一欠片の油断もなく魔王を観察した。

見た目も、声も、五感に感じない魔法も、全ては[信心の残高不足]が除去してくれる。

人の精神を惑わす魔法は例外なく闇属性だ。


そして毒も闇属性。さらにこちらは風上に立っている。

だからこそ俺は魔王と同じ空間を共有できる。

無ければ即座に全力で斬りかかって逃走している。

逃げきれるかは別だが。


俺は今こそ後悔していた。なぜ会おうなどと思ったのか。

ダメだ。これは勝てない。


俺の思案に気づいてないのか、端から興味がないのか、

魔王は無垢な表情でこちらを見ている。


「鈴蘭の魔物から生じた魔王よ。名前は■■■■」

「…」

「あら。ごめんね。ここだけは根付いたままなのよ」


魔王はひとりで勝手につぶやいていた。


「マジポカ。うん、通じてるみたいね。マジポカっていうの。よろしくね人間さん」


そして魔王は再び夜空を見上げた。


「ここで待っていたの」


月では無い月と、星では無い星の白い光が俺と魔王を照らしていた。

落ち着いた態度で魔王は続けた。


まるで年頃の少女が独り言をつぶやくように自然な姿だった


「元からここは私の領域だったのよ。

 鈴蘭はとても弱い植物だから、嘘をつくのが得意なの。

 ごめんなさいね」

「…異界化した場所を通常空間に装っていたのか。一杯食わされたな」


だから事前の調査をかかすなと言ったんだ。

この魔王の異界を既存の表現にするとすれば、通常空間に偽装可能な鈴蘭と夜の異界だ。


どんな魔王も昼に異界を広げることはできない。

だから油断して進軍したところは、実はすでに異界の中だ。


発動中の異界自体の厄介さは王都に現れた空の魔王メルンボルンに敵わない。

しかし、初見の悪辣さではひけをとっていない。


「なぜそこまでして俺を狙った?」

「お兄さんとても有名よ。きっと将来、わたしなんて敵わないわ」

「それは有難い。ぜひそうなるまで待っててくれ」

「皮肉じゃないの。勇者の縛りが強すぎるのね」


魔王は呟いた。

あちら側にもその知識は伝わっているようだ。

縛り。俺の最大の苦痛。そして他人にとっては大したことないもの。


「でも、お兄さんは優しそうだからそれもいいかもね」


魔王は再び月を見つめて囁いた。

その全身に紫の鈴蘭の花が咲き誇った。そして、次第に花が白く変わっていく。


それはグロテスクでありつつも神秘的な光景だった。

俺も同時に月を見上げた。

放っておけば、このまま何時迄も穏やかな風と満月が続きそうな夜だった。


「別にこのまま、世界の終わりまで一緒にいてもいいわよ?」

「どういう意味だ」

「そのまんま。私のおしごとはもう終わり。領域を広げなければ他の子にいじめられることもない。

 お兄さんがこのまま世間から忘れられれば、戦う意味もないわ」

「悪いが、それはできない相談だな」


俺はシャムシールを構えた。


「そう。それはとても残念」


夜風に鈴蘭が揺れた。

黒い鈴蘭畑は紫色に戻っていた。まるで攻撃色を控えるように今は色を変えている。


「意外だな。お前も、お前の眷属も人間を殺したくないのか」

「そういう魔王も多いわね」

「お前は違うのか?」

「どちらでもいいの。いずれ土に還るわ」


魔王マジポカはこちらに再び向き直ると、

尊大な態度で笑った。


先ほどまで抑えていた、膨大な魔力がゆっくりと周囲に戻ってきた。


「それじゃあ始めましょうか。本当に、残念」

「…ああ、もう準備はできてる」

「お兄さんは死ぬのよ。種も残せないなんて、動物さんはかわいそうね…」

「勝手な同情はやめてもらおう」


もうメルは異界から逃げ切るのに十分な距離を稼いだだろう。

時間稼ぎは完了した。


夜風が吹いた。

大量の黒色のツボミが静かに、巨大な黒いモザイクが空をかけるように移動した。


そして、俺の近くに来ると勢いを失って叫び声とともに消滅した。

魔王マジポカは未だにこの現象を俺の魔法だと思っている。

俺を消耗させようと、無駄とわかりつつながらも、

闇魔法の鈴蘭の波状攻撃が襲いかかってくる。


実際は勇者スキルだ。

書いてあることがすべてで、消耗なんて何年ぶっ通しだろうと一切ない。


四方から巨大な黒色の花弁の牙が持ち上がった。

大きい、ひとつの花びらが丘陵ほどもある。


すでにここは超大型な鈴蘭の魔物の口の中だった。


「じゃあねお兄さん。世界が終わる頃、また会いましょう」


少女の細い背中が月に照らされている。

そして自分ごと花弁の口が閉じ始めた。壁のような分厚い花びらが迫って来る。

夜空さえ、呑み込まれていくようだ。


これでは斬撃で貫通しきれず残骸で圧殺される。


確かに、これは打つ手がない、ダメだ。

だが、諦めろなどと、ケンジさんは俺に教えただろうか。



俺は貯蓄から取って置きの斬撃を引き抜いた。

そして、圧し潰す魔物の口から、いとも簡単に脱出していた。


魔王は、何が起こったか分からない顔でこちらを見つめている。


「痛っ…なに?これ」

「相性が良いとでも思ったか」


その左腕は焼けて損傷していた。


自分は再生力に優れた植物の魔物で、俺の攻撃は純粋な斬撃だけ。

俺には、闇と相対する光魔法も、焼き払う炎もないとでも思ったのだろう。


「炎の魔剣ゼタトン。闇属性の魔物に特攻を持つ火炎を纏う」


魔法の武器はケンジさんとの冒険で売るほど手に入れた。

俺のストックは当然、シャムシールによるものだけではない。


「へぇ…」


燃やすどころではない。炎の剣閃は触れた瞬間に鈴蘭を焼き潰して消失させた。


超大型な鈴蘭の魔物はもだえ苦しんでいた。

まるでジャックの豆の木のよう巨体を捻り、

月夜に向かって悲鳴をあげていた。


スキルの戸棚に入った斬撃は完璧に整理されている。

俺はあらゆる魔剣を振ってきた。

シャムシールを使うのは、それが不壊で、最も体力消耗が少ないからだ。


「勇者はおもしろいわね」


彼女はゾッとするような笑みを浮かべた。


「こんなものもある」


俺はストックの斬撃を足元へ放った。

切り口から鈴蘭の畑が穴だらけになった。そこから白い無数の芋虫がうごめいて増殖し始めた。

今の鈴蘭の魔物にも、ありったけお見舞いしている。


「食害の魔剣ベデラガナル。お前が好きそうだろう」

「…」

「お前と異界を念入りに虫まみれにして焼き払う」

「…お兄さんは私を怒らせるのが得意なのね」

「俺には、魔王の気持ちはわからん」


力を失った鈴蘭の魔物がまるでスローモーションのように倒れ落ちる。

月下の丘に巨大な衝撃が鳴り響いた。


無数の小さな鈴蘭が宙に舞い、何百万匹という白い芋虫が、周囲に撒き散らかされる。


虫の魔剣の斬撃を見た瞬間、魔王マジポカは表情を一変させていた。

彼女の左腕が、巨大な鈴蘭の魔物の死と同期して崩れ落ちる。


毒と土、そして洗脳も闇魔法の範囲だ。

魔王はもはや純粋な物理攻撃でしか俺を倒せない。

すぐにこいつはそれに気付くだろう。


そこを特攻の斬撃で迎え撃つ。


「俺は勇者シゲだ。どちらの相性が悪かったのか教えてやる」

「そう。勇敢な勇者シゲ。私の庭を踏み荒らしたことを悔いながら死になさい」



突如、紫の髪を振り乱して、魔王は悶えた。

頭を抱えて全身をかきむしる。


「ガ…!ピギュユェェ!!ギィィィヤァァァッ!!アアァァ!」


正体不明の甲高い声を叫びながら、魔王の体が内部から爆発した。


黒い即死の毒と瘴気が溢れ出す。

俺の周囲は即座に[信心の残高不足]で浄化された。


蔦のようにひび割れた魔王の顔は驚愕に満ちていた。


「停止の氷剣カッチコ。40発解放」


俺は一瞬で魔王に接近した。

地面、両足、残った片手、首。それぞれに斬撃を投げ放つ。

下手に再生できない分、動きが止まる。


凄まじい疲労を俺が襲った。

身体中から汗が吹き出し、心臓が早鐘を打った。


「虫は好きだろ?もらってくれ」


実体のシャムシールが魔王の両目を一閃した。

マジポカは氷から片手を引きちぎり、恐ろしい形相で顔を手で塞いだ。


かかった。

この手はよく効く。


俺はシャムシールの斬撃を直前で保留にした。

体が完全に自由だ。


わかっていても、人も魔物も俺の見える方の攻撃を防御したがる。

わずかな時間、魔王はあっけにとられた。

不可視の炎の斬撃が、その全身を滅多斬りで消失させる。


いや、硬すぎる。焼けたのは表皮だけだ。

焼けただれた皮膚にベデラガナルを叩き込む。


限界までだ。


まず10発。腹に一斉に解放する。

魔王の体が氷を引き千切って吹き飛んだ。

俺は飛ぶように追いかけた。


再び腹に10発。顔に30発。再び腹に50発。

魔剣は恐ろしく体力を消耗する。


俺は嘔吐しながら、足に力を込めた。


「細切れの方が、虫も、食べやすいだろうな…ッ!!」

「ピギュアアアァァァ!!」


ゼタトン、ベデラガナル、カッチコ。全ての魔剣をありったけ叩き込んだ。

恐ろしい執念と悍ましい悲鳴が上がった。

焼かれ、砕かれながら、魔王は急速に右手を成長させる。


「ギィィィィアアァァァァ!!」


節くれだった腕が解放直後のベデラカラグを打ち砕く。

魔王は壮絶な笑みを浮かべた。

完全な発動前に壊された。ベデラカラグの300発の斬撃貯蓄が吹き飛んだ。


しかしもう十分に虫は寄生させた。





視界がひっくり返る。


全身が血まみれになっていた。鈴蘭畑が回転する。

地面を弾き飛ばし、停止した時には、どこが上かも分からない。


強烈な頭痛がする。

俺は、吹き飛ばされていた。


「アハハハハッ!こんなに、楽しいのは初めて!勇者と戦うのってとても素敵なことだったのね!」


黒煙と虫食いの中からマジポカが立ち上がった。

全身がズタボロで半分以上が消失している。


「なんて素敵な夜なのかしら!」


そう言うと、魔王はえづき、口から大量の芋虫を吐き出した。

今もその身体中は白い塊に蝕まれている。


「…体が動かないな」


俺は治癒の魔法を使った。

なんとか骨折だけは治す。今立たなければ死ぬ。


シャムシールが杖になった。


「参ったな…。これでも健在なのか…」

「元気?元気ですって?生まれてから一番よ!はやく続きをしましょうよ!」

「悪いが全力だった。第2ラウンドは無しだ」


もう体が少しも動かない。体力切れだ。

魔王の最後の反撃に合わせ、最大防御のシャムシール200発で壁を張った。

右手は刈り取ってやったが、両腕のない魔王はまだ高々と笑っている。


俺の心臓は疲労を超えて死に向かっている。

もうほとんど目が見えていない。

心臓の鼓動の弱まりで、肺が息を吸えていなかった。


「なら降参する?自分のことばかりでお恥ずかしいわ。鈴蘭のお茶は如何?」

「いいや、結構」


魔王マジポカの片足から木製のテーブルと2脚の椅子が生まれた。

赤黒く脈付き、白い鈴蘭の花が咲き誇る美麗な調度品だ。

卓上には美しいティーセットまであり、さらにその上には偽物の月が燦然と輝く。


俺はテーブルまで血を吐きながら近づいた。

そして卓上の調度品を地面に落としながらテーブルに小さな斬撃を引きずっていく。


細やかな装飾を光る軌跡が横断した。


「記録の短刀だ」


続いて同じ斬撃が俺自身の小指を切り飛ばした。

この魔法の短刀には恐ろしいほど体力を使う。

たった3発。この斬撃の貯蓄限界だ。


「切りつけた相手の情報を持ち手に知らせる」


マジポカは怪訝な顔をした。


「他の勇者が持つ短刀本体に記録させた。先ほどの斬撃にも混ぜた。

 俺が死んでもお前の情報は確かに届くぞ」


魔王は怒ると思ったが、むしろ瞳を輝かせた。


「招待状まで書いてくれたのね!なんて素敵なお客様かしら」

「強がっているがいい」


余裕を見せているが、俺も魔王も散々な有様だ。


マジポカは全身が虫食いだらけで、美しい姿が見る影もない。

白い蛆虫にじくじくといじめられ、思うように再生が進まないようだ。

確かに効いている。証拠として、遠目にみた異界の境界が薄れ、外の日光が漏れかけていた。


万全の状態であれば、俺はもう一度、炎の魔剣とシャムシールで道を切り開ける。

仕留めきれないが、逃げられるかもしれない。

魔剣は心許ないが、シャムシールにはまだまだ貯蓄は残っている。


俺は白い煙の壺を出しながらテーブルを蹴飛ばして魔王に斬りかかった。

もう貯蓄の一発だって解放する体力はない。

さあ、殺してみろ。


─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


[臍金による再誕]

このスキルは貴方が死亡した際に発動するか確認される。

周囲の貴方に関する全ての記憶と引き換えに、

貴方はその場で蘇生される。


─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


俺の左胸を、マジポカの体から伸びた蔓が貫いた。


来た。スキルの発動確認だ。

体力全快といくかは分からないが、油断したところを切りつけて一気に異界を脱出する。

やつが弱っているなら半々で逃げ切れる。


性質上、事前の検証はできないが効果には確信が持てる。

勇者スキルとはそういうものだからだ。



「…げふっ」



…なんだ?


なぜか、スキルが発動していない。

俺は中空で植物の蔦に吊るされて揺れていた。


かろうじて月明かりが見える。

痛みはもうない。下の方ではボヤけた魔王が鈴蘭畑で笑ってる。


なぜだ。

いや、俺がまだ選択肢を選んでないからだ。それはわかる。



─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


[臍金による再誕]

このスキルは貴方が死亡した際に発動するか確認される。

周囲の貴方に関する全ての記憶と引き換えに、

貴方はその場で蘇生される。


貴方は死亡します。

猶予時間 残り8秒。


このスキルを発動しますか?

【はい/いいえ】


─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─



おかしい。

どんな精神操作も勇者スキルの選択には影響できない。


それは相手が魔王でも同じだ。

はやく蘇生して脱出しなければならない。




─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


貴方は死亡します。

猶予時間 残り6秒。


このスキルを発動しますか?

【はい/いいえ】


─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─





とっとと【はい】を選びたい。

だが、どうしても俺には選べない。


これまでの思い出が去来する。

真っ白な頭に、幾人かの人たちが現れた。それはとても大切な気持ちだった。


「シゲ!私、薬草の採取って天職かしら。たくさん報酬がもらえたわ。どう思う?」


そうか。よかったな。メル。






─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

貴方は死亡します。

猶予時間 残り5秒。


このスキルを発動しますか?

【はい/いいえ】

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─





待て、まずい。


メルは笑った。こういう言い方の時、彼女はしっかり練習している。


「市販のパンがおいしくないから焼いてみたの。そんなに美味しくないかもしれない。

 でもおすそ分け。食べてみなさい」


…本当にそんなにうまくないな。なぜ怒る。率直な感想を求めたのはそっちだろう。

だから、今は邪魔しないでくれ。


「アイちゃんに会いたいわね。いつかシゲにも紹介できたら嬉しいわ」


俺もだ。君に覚えていてもらえれば、きっとその勇者も満足だろう。





─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

猶予時間 残り4秒。


このスキルを発動しますか?

【はい/いいえ】

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─





「坊主。戦争は好きなやつがやるべきだ。でしゃばるなよ」



そうだ。俺は完全にイカれてる。だからあんたが鍛えた。

だが、俺からしたらあんたもイカれている。


「そりゃ違いない」


ケンジさんは笑った。

最後の方はストックを使って斬り返した。彼は笑って斬撃を叩き落とした。


「皆んなどうかしてるのさ。気楽に楽しめばいい」









─ ─ ─ ─ ─ ─ ── ─ ─

猶 時間 残り3秒。


このスキルを発 しますか?

【はい いいえ】

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─


「ありがとう勇者様。きっとこの気持ちは忘れません!」


そうだ。それが一番大事だ。


「故郷を救ってくれた。アンタは一生の恩人だ」


たとえ、事実は消えても、俺への感情は忘れないでくれ。


「私の子供を、守ってくれて有難う…一生忘れません。有難うございます」


どういたしまして。それが俺の喜びだ。

















─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

猶 時間 残り2秒。

こ スキルを発 しま か?

【はい いいえ】

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─




…ダメだ。

俺にはできない。


とてもできそうにない。

だって、こんなに大切なものをどうやって消せっていうんだ。


一度でも消せば、もう、二度と同じ気持ちは生まれない。

完全に記憶が消えて、感情さえ消えたら、そこには何も残るんだろう。


怖いんだ。そんな事にはとても耐えられない。

いつの間にこんなことになったんだ。


…次に。


次に会った時、俺を知る人たちに、ケンジさんに、

そしてメルに知らない顔をされたら、一体どうやって生きていける。


やはり俺に人の気持ちは理解できない。

たった今まで、阿呆の俺は気づかなかった。


俺自身が忘れるより、大切な人達から忘れられる方が、ずっと怖かったなんて。


───「もし君が忘れても、誰でも知ってるくらい有名になっちゃえばいいんだよ!」───


…すまない。貴方との約束は…。


















─ ─ ─ ─

猶  残 1秒。

こ ス    しま か?

【はい いいえ】

─ ─ ─ ─ ─ ─













…。




【いいえ】



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