05.復讐の勇者③
──── 復讐の勇者 ────
「薬草採取依頼!なんだか、いよいよ異世界っぽいわね…」
無理やりテンションをあげて私は声を張り上げた。
この小さな国への移動には実に、2週間もかかった。
だからいいところに来たって思おうとしたのに、全然気分が乗ってこない。
新しくたどり着いた小国は、穏やかな気候の平原の都市だった。
いかにも片田舎という感じで、背後の山間から小さな川が流れ込み、川沿いにまばらな建物が並んでいる。
人口もそんなにいないみたいだった。しかし自然は豊かで空気は綺麗。空はどこまでも広がっている。
なんとなく、雰囲気が私の田舎の茨城県に似ている気がする。
「しかし、何もないな」
「シゲ君!何も無いとか、何かあるわよ…」
何も無いがあるっていうじゃないか。
私は思わず片田舎に訳の分からない擁護をしてしまった。
ここ南の小国家群では、こうした穏やかな国がいくつも隣り合い、緩やかに連携を成しているそうだ。
城壁なんかはなかったので、私たちはすぐ役所に向かい、泊まる場所を探してもらった。
一応勇者ってことを書面で伝えると、廃墟みたいな宿に投げうたれた。
もちろんここでも支援金なんかは貰えない。ただし勇者にはいくらか減税があるようだ。
宿は、家事、排せつ物の処理、水汲み等全てセルフサービスだ。
おまけにベッドは半損だった。それってもう宿って言っていいの?屋根があることの料金なの?
しかし外観は赤い屋根の素敵な海外のおうちだった。
私たちは、そんな宿の一室にようやく腰を落ち着けた。
とにかく、長い旅路で疲れていた。
「全セルフって斬新ね…。キャンプ場以来だわ…」
「それだけこの世界の人々は魔物に苦しんで余裕がないということだろう」
「で、でもその割に、宿の受付のおばさん暇そうにしてたわよ!」
相変わらずシゲ君の視点は私とは全く違う。
なんて立派なんだろう。
最初はそんな部分を見習おうとしていたが、今ではすっかり諦めている。
「それでさっきの話の続きだが、メルさんはまず冒険者ギルドに登録して、
薬草採取の依頼を受けるのはどうだろうか」
「ギルドに登録ね。私にできるかしら?」
「まず問題ないだろう。勇者の立場は身分証明になりやすい」
「そういえば手持ちの荷物に私の証明書があったわね」
「なら、大丈夫だ」
シゲ君は相変わらずの真面目くさった顔で言った。
「この国は治癒のポーションの名産地だ。
原料採取の仕事があることは前の町で確認している。
別に職を探すにしろ、とっかかりにもなあるだろう」
しかしまあ、この子がきちんと考えてから物を言う人物なのは分かっている。
まだ出会って1か月も経ってないが、この子にはそういう信頼がある。
この子が言うなら私に合っているの仕事なのだろう。
これを思考停止と言う。
「そうしてみるわ。ありがとう。苦労をかけるわね」
「…いや、大丈夫だ」
ステータスが全て1もある自分たちは、ほとんど冒険者として完成している。
これは縛りの緩い勇者が100年は鍛えたくらいの強さだそうだ。
その上で、薬草採取は魔物と戦わなくていい仕事だ。
うまくすれば手に職がつくとは言わないが、しばらく食いつなぐことはできそうだ。
つまり、危険なことは少ないと思う。
私としては馬車の道中で出会ったゴブリンなんて、野犬に会うような怖さだったが、
魔物からすれば私たちこそ急に虎が出たようなものだと思う。
のほほんアイちゃんに言われて石壁をベコッとした記憶が蘇る。
それほど私たちは強い。おかげで乗り合い馬車は割引だった。
「俺はその間に色々とやることがある。しばらくは別行動だ」
「そう、ありが…ぐえぇぇ!一緒じゃないの!?」
「宿の部屋は隣だ。何かあればいつでも相談してくれ」
私は年甲斐もなく唸った。
「ちょ、ちょうど良かったわね。私も自分の腕を確かめたいと思っていたわ」
「そんな機会は無いと思うが…。念のため最初の依頼は同行するか?」
「侮らないで頂戴。私も勇者で、貴方よりステータスは高いのよ」
「…そうだな」
やるしかないのだ。
おおよそ、この世界の職業は5つに分かれる。
小麦農家。パン屋。職人。軍人。泥棒。
私には今すぐこなせるものは無い。
「メルさんには将来、魔王討伐に参加して欲しいと思っている」
「そ、そう。私にその気はないわ。それほど縛りがきついのよ」
「なら別行動だ。準備が出来たら俺は旅立つ。それまでは付き合う」
「パーティと言いながら一度も一緒に依頼を受けないのね」
「約束を破るようで悪いがな」
彼の心配はありがたい。その顔を見ていると思わず気休めの声をかけたくなる。
しかしそろそろこの世界で一か月だ。
ようは冒険者ギルドという名の役所に行って、身分証明書をもらって、仕事をこなしてお金をもらうだけだ。
見た目は頼りない若さの私だが、そろそろ自立しないといけない。
「情けない顔しないの。ちゃんと頼りにしているわ」
「…そうか」
彼は寡黙だが、テレると意外と表情で分かる。
それからシゲ君は毎日ボロボロになって帰ってきた。血まみれだったことさえある。
声をかけても、必要だからやるだけだと、取り合ってくれない。何日も空けたことすらある。
しかし不思議と、彼が何をしているかの噂は町でも全く聞かなかった。こんなに小さな国なのに。
その姿に、私なりに頑張ろうという勇気をもらった。
木漏れ日がさんさんとして、爽やかな風が吹いている。
森の中では、太陽の光が木の葉を浴びて足元が青く変化していた。
土壌がいいせいか、腐葉土はほどんどなく、小川のせせらぎすら聞こえてくる。
面倒そうにしている冒険者ギルドの受付に約束を取り付け、
薬草採取用の袋と、やり方の資料なんかをもらった。
この世界の役人は本当に態度が悪い。
「ボーっとしてないで手を動かしなー。早く終わらせて帰ろう」
「は、はい!」
私は数人の同業者と郊外の森林に来ていた。
みんな私と同じ、貧乏でせわしない様子だ。
「働けど、働けど…ううっ。賃金が安いわね…」
この国でまともな土地を持ってる人たちはみんな小麦を作ってるらしい。
おかげで私は毎日パンとミルクとチーズだ。
私の薬草詰みも立派な産業とはいえ、末端に降りてくる利益はわずかだった。
「おぉ。やるなお嬢ちゃん」
「頑張りました。ありがとうございます」
体力は恐ろしくほどあるので、仕事で足手まといになることはない。
先輩の監督らしきおじさんに、必要な草の特徴を教えてもらえば、次の日からはきちんと仕事になった。
さすが若い脳は覚えがいい。
この国で言う薬草、というものは、見た目は普通のケシの花だった。
中でも、良質なものは魔力を感じられ、私の場合それは青白い光の形で見える。
普通の人には魔力が0なので見えないし、魔力がある人は薬草詰みなんて仕事していない。
私は案外優秀な存在らしかった。
とは言え、薬草採取はどれだけ頑張っても一日5リルだ。
それは日本円で5千円ぽっちで、生活していると全く貯蓄ができないくらいしか稼げなかった。
「皆さんどうやって生活しているんですか?」
「本業がある。むしろこの仕事だけで生活できるお嬢ちゃんがおかしいんだ」
「そうですか…」
「普通は稼げて2リルがいい所だ」
「そうですか…!自分だけ下手なのか心配だったからよかったです」
「そんなもんさ。薬草詰みの勇者様」
「な、なんで私が勇者だって…!」
「そりゃあ髪の毛も目も真っ黒だし、逆になんで分からないと思ったんだ?」
薬草勇者。
走れるタイプのゾンビってあだ名よりそれはよっぽどマシだった。
そうして、最初の2週間は飛ぶように過ぎた。
私は毎朝、冒険者ギルドに行っては薬草を摘んで帰ってきた。
もちろんそれで経験値とかは入らない。
日が沈まない内に終わる仕事なので、夕方からの時間は割と自由に使える。
ギルドでお金を手渡しで受け取ると、次の一日のパンを買って宿に戻る。
そこから着替えて、洗濯をし、部屋に干して食事をとって寝る。
体も生活に慣れてきたし、ようやく宿での生活にもある程度習慣と呼べるものができてきた。
そうして一息つけるようになった頃、私は今更、自分の勇者としての能力が気になってきた。
それは強くなりたいからというより、
より良い生活を送れる何かが自分にないか確認したかったからだ。
ある夜、夕飯の前に私はシゲ君の部屋の扉を叩いた。
「シゲ君!お金がほし…な、なんでもないわ。勇者スキルについて教えてほしいわ」
「すごい間違え方だな…。まあいい。夕飯はまだか」
「これからよ」
「じゃあ近況報告も兼ねて、夕食がてら話すか」
「ええ。そうしましょう」
私たちはこの町の中でも、割と落ち着いていて、それでいて静かすぎない食堂に入った。
基本的にこの世界に自炊の文化はない。
かまどを作るのは大変なことだし、みんな貧乏なのでまとめてご飯を作る方が経済的だ。
別においしくも不味くもないご飯を食べながらここ最近の愚痴を吐く。
「やっぱりこの世界の、トイレの形式だけはあり得ないわ」
「その話はもう5回くらい聞いてるぞ。あと風呂がないのもありえないんだったな。
それと布製品に必ずノミがついてるのも」
「中古市場に行ってみた?ノミの市って言葉がある意義を初めて知ったわ」
さすが少し呆れた返事が返ってきた。
「それで、勇者スキルについて何が知りたいんだ」
「何ってわけじゃないんだけど…」
「自分のことに興味を持てるのはいい事だな。ではまず俺が使っているスキルの所感を話そう」
「勇者スキルは大事なことでしょ。教えていいのかしら?」
「もちろんだ」
シゲ君の勇者スキルはかなり戦闘に特化したものだった。
完全に戦闘にしか使えない勇者スキルしか持ってないのは珍しいらしい。
「珍しいってことは、他の人のスキルも知ってるの?」
「直接他の勇者に聞いた」
「私もアイちゃんと少し情報交換したわ」
「そうじゃない。冒険者ギルド所属の俺たちと別世代の勇者たちだ」
私は少し驚いた。
「他の勇者って身近にいたのね」
「ああ、彼らの多くは少し強いだけの普通の人たちだ。
ギルド内では、魔物退治や護衛の仕事で信頼されている」
関心した。
てっきりもっと遠い存在だと思っていたからだ。
それらしい人はいなかったけど、私もどこかですれ違ってるんだろうか。
「そうだったのね」
「ああ。中には俺たちよりずっと前に召喚された人たちもいる。
最高齢では80歳以上という勇者もいた」
80歳以上!
それはすごい。
「けど、見た目は若いままなのよね。なんだか不思議ね…」
「そうだな、勇者の年齢は基本的に判断できない」
「それに、勇者召喚は38回目って言ってたけど、そんな人までいるとなると、
別に毎年召喚されてる訳じゃなかったのね」
「どうやら地球で死んだ日は全員同じらしいがな。こちらへの召喚は列待ち形式だ」
「…よく調べたわね」
こういう事をいうと普段は照れるシゲ君だが、
いまは真剣な顔で喋り続けている。
「良くも悪くも長寿の勇者はこの世界に染まり切ってる。同じ常識が通じる相手と思わない方がいい」
「そういえば以前、勇者の力を悪いことに使う人がいるって聞いたわ」
「そういう奴もいる。しかし、悪い人ばかりという訳ではないからな」
そういうと、どしりと椅子に腰かけなおして、口に硬いパンを突っ込んだ。
正直、シゲ君の戦闘講座と勇者スキルはあまり私の耳には入ってこなかった。
「縛りの内容を聞くのはさすがにマナー違反ね」
「メルさんには話さない方がいいと判断した。サカイには伝えたが…。いや、なんでもない…」
「そう」
私はスプーンを持つ手を止めてじっと彼の目を見た。
そうか。たった一日一緒にいた男友達には話したんだ。
そんな言葉を視線に込めて、シゲ君を見つめる。
しばらく不毛な戦いが続いた。
「冗談よ」
「それがいい」
お互いに少し笑いあった。
「私の勇者スキルが、何かの役に立つか考えたいの。生活のためにね」
そう言うと、シゲ君は考える仕草をした。
「口頭で私のスキルを教えるわ。さすがにステータスを開示する訳にはいかないけど、いい?」
「十分だ。喋れることだけでいい。そこで俺がアドバイスできそうなら、一緒に活用方法を考えよう」
シゲ君はこちらが話し出すのを待ってくれた。
改めて自分のステータスのスキルの欄を見直す。
この、刃物が突き刺さった心臓みたいな謎の物体は本当に嫌なのでどうにかしてほしい。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
・勇者スキル
[超光速の車線変光]
想定した地点まで一瞬で移動する。
移動距離と成功確率は貴方が走る速度に依存する。
[間抜けな逆走自己]
貴方の攻撃はすべて相手の心臓へ向かう。
また、相手が与える貴方の心臓へのダメージは全て相手の心臓に肩代わりされる。
[無慈悲な舗装道路]
貴方の非道な行為を目撃した人物に対し、
不幸な事故として認識を塗り替えることができる。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
私は精査する。
「簡単に言うと、瞬間移動と、急所に当たりやすい攻撃のスキルね」
最後のひとつは使う気がないから言わなくてもいいだろう。
「中々良いスキルだな。魔物と戦わないから急所云々は無視でいいな。瞬間移動はどのくらいの距離だ」
「分からないわ。やったことないもの。でも、ワープみたいな長距離じゃなさそうね。
なんとなく、目に見える範囲にすぐに行ける、って感じかしら」
「一回も使ってみたことないのか?」
「必要だと思ったことがないからね」
「すごい割り切りだな。俺には真似できん」
なぜか感心された。
私的には怖いから使ってみたことがないだけだ。
「それで、私、走るのも好きだし、郵便とか配達の仕事ができないかなって」
「勇者の宅急便だな」
「勇者の宅急便…」
「悪くないと思うぞ。どのギルドも運送の仕事はある。信頼されればいい金になるだろう」
「か、金って、それだけが目的みたいに…」
さっき言いかけてたのをきっちり聞かれていたようだ。
そしてこちらをジッとみてきた。
「冗談だ」
彼の素朴な顔がこちらをじっと見つめている。
おのれ、やり返されたわ。
「あと、別に気にしてないけど、私のことはメルって呼び捨てで呼んで。
おばさん扱いされてるみたいで、その…」
「では俺のことはシゲと呼べ」
よし、空気に便乗して前からずっと気になっていたことを勇気出して言えた。
そして次のお休みの日、私たちは冒険者ギルドに集合していた。
古めかしい木造の家屋。それでも建物はこの辺りの民家よりしっかりとしている。
田舎だと、いや田舎だからこそ出店したギルドの資本の力を感じてしまう。
「お、薬草のお嬢ちゃんじゃないか」
「こんにちわおじさん」
きしんだドアを開けると、いつもの受付に薬草採取の監督のおじさんがたむろしていた。
受付のお姉さんとだべっている。
最初はちょっと雰囲気が怖かったが、
私の仕事ぶりを見てからはよくしてもらっている。
なんだか随分熱心に口説いているみたいだけど、確かこの人、奥さんがいたはずだ。
シゲはどうやら先に来ていたようで、
魔物退治側の冒険者たちと何やら話をしている。
「いつも何もしてない勇者の兄ちゃんじゃねえか」
ガラの悪いおじさんに対し、シゲは不快そうな顔で応答していた。
彼のそんな表情は見たことはない。
「何度も言っただろう。俺はストック剣の使い手、勇者シゲだ。
アンタの命を救ったことだってあるんだぞ」
「相変わらずのホラ吹きだな」
私はギルドにいる時の彼を初めて見るが、とても顔見知りが多いようだった。
ただ、誰からも、いつも何をしているのか分からない謎の人物として扱われていた。
「ね、ねえ。貴方、普段いったい何をしているの?」
「さあな。それより訓練場を借りよう」
なんだか冷たい。
そこはギルドの裏手にある、訓練場とは名ばかりの、
ただ石を取り除き、草を抜いただけの空き地だった。柵すらもない。
隅の方に言い訳のように訓練用木剣が数本転がっている。
今日は私のスキルを実際に見てみようという趣向だった。
「スキルの使い方は分かるか?」
「えっと、使うって念じればいいの?よね…」
「じゃあまずこのラインまでスキルで移動してみてくれ」
そういうとシゲは私から10メートルほど離れていき、
三日月のような剣で地面に線を引いた。
シャムシールという中近東の曲刀で、武具の間でもらった魔法の武器だそうだ。
「使わないでしょうけど、今思えば私ももらえばよかったわね」
「銀のネックレスや指輪もあったぞ」
「うっ…くっ!も、もう過ぎたことだから」
最近彼は少しいじわるになってきたので、いつか復讐しよう。
「じゃあ行くわ」
「ああ」
意識を集中してスタンディングスタートの姿勢を取る。
刃物が刺さった心臓を呼び出した。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
[超光速の車線変光]
想定した地点まで一瞬で移動する。
移動距離と成功確率は貴方が走る速度に依存する。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
よし、使える。私はそう確信した。
目の前の地面の線を見た。
発動した。そう確信すると世界が止まった。
風が止み、草のざわめきが死に絶え、空中の鳥が静止した。
最初の一歩を踏み出した瞬間、
いきなり周りの景色が一変した。
「えっ?」
どぎついピンク色の空。いや、地平線から足元まで全部ピンク色だ。遠近感が消滅している。
そこにべたべたとまっ黄色の川が足元を流れている。
ところどころ、赤と緑のぺたぺたインクが延々と遠くまで落ちている。
え、なにこれ。
私は2歩目をためらった。
目を見開くが、謎の黄色い川に押し戻されて、気が付いたら私は元の世界でしりもちをついていた。
「も、戻った…?えっ、え…?」
「…? どうしたメル」
「なんだったの、かしら」
心臓がバクバクしている。
「ね、ねえ。私、いまどうしてた?」
「走り出すかと思ったら、急にしりもちをついたな。中々堂に入った良いスタートの姿勢だったな」
「ペンキまみれのピンクの世界は?」
「意味が分からん」
私、陸上やってたから。
「ってそうじゃない!なにこれ!?わ、わからないわ!」
こわいんですけど。
「いきなり時間が止まったと思ったら風邪ひいた夢みたいな世界にいたわ」
「もう1回使って確認したらどうだ」
「…は、話聞いてた?」
「配送業をやりたいんじゃないのか」
「うぅ…。そ、そうだけど…」
「話を聞く限り、その手の移動系スキルに使用のリスクは無い。
俺も今度はしっかり観察するから安心しろ」
シゲは強く言い切った。
仕方ない、そこまで言われたらやるしかない。
「せめて怖いからもうちょっと距離短くしましょう」
今度は私から3メートルくらいのところに線を引いた。
「じゃあ、ちゃんと見ててね」
「ああ」
私は再度出発した。
再び現れる謎のカラフルな空間。足元の真っ黄色な川が常に私を押し流す。
流れに逆らって全力で前に進み続けた。
「き、きついぃぃ」
一歩ごとに黄色のインクがびちゃびちゃ鳴った。
水深は全然ないがとにかく流れが速い。
「ぐひぃぃ…。は、はぁ…、はぁ…」
たぶん3分ほど全力疾走した。
すると、ピンクの地面に開いた穴の向こう、元の世界で引いた線が見えてきた。
「やっとゴールだぁ…」
そこに飛び込むと、地面に引いた線の上にたっていた。
「ぜひ…ぜひ…。つ、着いた」
「そのスキルはかなり体力を消耗するようだな」
「なんか、はぁ…。ピンクの世界で、川が黄色で逆流してて…」
「いいから息を整えろ」
シゲに言われ、私はしばらく肩で息をした。
「数分間走ってたわ」
「こちらからは一瞬で移動したように見えた。
かなり注意深く観察していたが、走り出しの初動すら見えなかったな」
「と、ということは、これで配送の仕事もできるのよね…?」
私は祈るようにシゲの顔を見た。
彼は無表情だったが、どこか気の毒そうにこちらを見ている。
「…メル。そこから、元の位置まで走ってみろ。今度はスキル無しでだ」
地面が陥没した。3メートルが瞬時に消えた。
当然体力が1あるので息切れどころか疲労の予兆すらない。
「よく頑張って確認したな。しかし、しばらくはそのスキルを使う意味がなさそうだ」
「ぐへぇぇ…」
私は盛大にうなだれた。
しばらく私は力を抑えて訓練場の周囲を走っていた。
勇者スキルのことは残念だったが、走るのは好きだったからだ。
この体になってから2番目によかったのは、走るのが早くなったことだ。
速度と体力が1あるので、5kmくらい走っても全く息切れしない。
短距離に限れば、100mを3秒ほどで駆け抜ける。
前世だったらオリンピックどころかチーターにだって競り勝てるタイムだ。
「そもそもこの体力なら、スキル無しでも配送なんて余裕だったのよね…」
私は微妙に落ち込んだ。
ちなみに1番は嬉しかったのは若さだ。
軽めに、と言っても一般人にとってフルマラソンほどの運動を終えて息を整える。
ふと気になって訓練場の隅で変な動きをしている不審者に話しかけた。
「シゲ、なにやってるの?」
「素振りだ」
「武器をもって、手を上げ下げしてるようにしか見えないわ」
「目の前に立つな。万が一もある」
「えぇ…?」
「ストックを溜めているんだ」
たまたま横で木剣を真面目にふっていた他の冒険者が私たちに話しかけた。
「よっ。何もしてない兄ちゃん。薬草の嬢ちゃんも一緒か。あいかわらず今日も何もしてないな」
「こんにちわお兄さん。今日は訓練に来ました」
お嬢ちゃん!
なんていい響き。みんなそう呼んでくれる。近頃この町が好きになってきた。
シゲは相変わらず不機嫌な顔をしている。
「何度言えば分かる。俺はストック剣の使い手、勇者シゲだ」
「いつになったら、そのなんとか剣見れるんだよ」
「いつも見せている。どんな魔物も勇者シゲにまかせろ」
今度はたまたま通りかかった強そうな冒険者だ。
「シゲー。この前の魔物退治は荷物持ちお疲れ。また頼む」
「違う。俺が大活躍だったんだ」
「俺たちのおかげで、この地域のかなり魔王軍を抑えられてる。異例だってギルド本部は大喜びだ」
「だろうな。俺のおかげだ」
嫌われてはいないみたいだからいいけど、大丈夫なんだろうかこの人。
同じ冒険者ギルドなのに別行動なのは嘘がバレたくないからなのかな。
彼がいっきに胡散臭く見えてきた。
「シゲ…その、けっこう顔が、広いのね?」
「だからメルと一緒にギルドに来たくなかったんだ」
「魔物と戦いたくないなんて普通よ。私たちはただの日本人なんだし。私はシゲの味方よ」
「同情はやめろ」
シゲは若干怒っていた。
なんだか気の毒さと同情で優しい気持ちになって、
めずらしく穏やかな心持ちになって彼を見つめていた。
「こんなものだな」
「えっと、最後まで手を上下してただけじゃ…」
「しかしメルは、そうだな。勇者スキルがすぐに使える状態にないなら、魔法を覚えたらどうだ」
「む、無視しないでよ」
「試してないと思うが、魔法は試してみたか」
「無視された…。私、魔法なんて使えないわよ」
「魔力のステータスが1あるだろう」
「そういえば、そうだったような。気にしたことないわね」
「もう少し自分に関心を持て」
だいたい、誰にも教えてもらえないんだからしょうがない。
誰もが貴方みたいに勇者として意識が高いと思わないで欲しい。
「最初に渡された背嚢に魔法について書かれた本がなかったか」
「…し、知ってるけど。内容が難しくて」
そういえば、アイちゃんに渡された荷物の中にあった。気がする。
ええい、分からない。生活が苦しくて余裕がなかった。
私は先生に直接習うことにした。
「それに興味なかったのよ。教えて」
「メルは物事の取捨選択が得意だな」
「えっと、その、ありがとう?」
ほめられた。
「よければ最初から教えるか?」
「ええ。お願いするわ」
「では、少し長くなるぞ」
シゲはそう言って話し始めた。
この世界の魔法には属体があって、火・水・風・光・闇の5種類だそうだ。
縛りが重い勇者である自分たちは、基本的に全ての属性の魔法を自由に選んで使える。
普通の人間は、本職でも適正の1種類の属性しか生涯扱えないみたいだ。
気にしてないけど、ちょくちょく自分たちがチートだって設定が出てくる。
そういえば異世界転生の物語ってそういうものよね。
シゲの話によると、魔力には容量、という概念がある、との事だ。
「魔法は魔法の本で覚えることができる。そして、一度覚えると忘れることができない」
忘れられない…。記憶がよくなるんだろうか。
「それっていい事なんじゃないかしら?」
「ところがそうではない。人には、覚えられる魔法の数に限界がある」
私は素直な疑問を差し挟むと、シゲは丁寧に説明してくれた。
だいたい、一人の人間は、1つの属性の中で数個の魔法だけを生涯使うことになるそうだ。
それ以上を無理に覚えると、一つずつの魔法が、
ほとんど役に立たなくなってしまうくらい小さくなってしまう。
「基本的には、魔力のステータス1につき、5つが限界だ」
シゲは片手の指を広げた。
「そして、魔力のステータス1上がれば、勇者は違う属性を1つ習得できる」
「えっと、それは魔力が2あるなら、火と水の2つの属性が扱えるってこと?」
私は聞き返した。
「そういうことだ。2つの属性を持ち、計10個の魔法を覚えられるということだな。
逆に、思い切って魔力2のステータスの2枠を、2つとも火属性に割り振る方法もある。
すると、より強力な火の魔法使いになることもできる」
「普通の2倍大きな火の玉がだせたりってことね」
「基本はそうだ。だが単純な話ではないので説明を続ける」
そんな放火魔になってどうするんだろう。あ、魔物と戦うのか。
教えてくれてるんだから真面目に聞こう。
「たとえば、メルが火属性を選ぶとする。
普通は魔力1の容量をそのまま1種類の魔法に使い切らない。
火球の魔法に50%の容量を使い、洞窟を照らす松明の魔法に20%を使い、
体を温める魔法に10%と使って容量を分割して覚えていく。
従って、魔法を増やすほどに一つ一つの威力は低くなっていく」
「うーん、それならなるべく覚える魔法は少ない方がいいってこと?」
「それは当人の戦闘スタイルによるな」
私は考え込んだ。
「分かりづらかったか?」
「う、いえ。ちょっと、どっちがいいのか私には分からないというか…」
「同じ会社で給料も同じ。だが、どの部分に金をかけるかで生活スタイルは全く違うだろう?」
「分かったわ!」
シゲはさすがだ。
「もちろん、1種類の魔法だけ極める道もある。しかしそれは、給料を全額家賃につっこむ行為だ」
「まともじゃないわね」
「そうだ。快適な生活など送れるわけはない。その上で、だ」
シゲは自分の曲刀を右手に持つと、
自分の左手をちょっと斬った。
「だ、ちょっと大丈夫なの!?血が出てるわよ!」
「問題ない」
「いくらなんでも、そこまでしてくれなくもいいのよ」
彼が腕をかざすと傷口が光った。
光の粒が消えると綺麗な腕には傷一つない。
「俺は光属性の治癒魔法に魔力1の容量を使い切った」
「ちょっと見せなさいよ。…どこも傷がないわね」
「ああ」
「あービックリした。それ心配だからもうやめてね」
「すまん」
私は、すっかり感心してしまった。
「治癒魔法だけは例外だ。一般人も魔力1の容量全てを振り切る。生涯の職業になるからな」
「魔法ってほんとにあるのね…」
「見たことなかったのか?」
「それっぽいのはここに来るまでに見かけたけど、こんなに近くでは初めてよ。すごいわね」
怪我しやすい冒険者にはうってつけの魔法じゃないだろうか。
いいなこれ。私もこれにして生活していこうかな。
それにしても彼はためらいもなく、自分の腕を斬りつけた。
彼はそれほどこの世界でつらい生活を送っているんだろうか。
なんだか、説明よりそっちの方が気になってしまう。
シゲは自分の腕を刃物で切ったのに全く気にしていなかった。
それを異常だって言い切るのは簡単だが、
そんな生活を送っている彼にとって日常は辛いものじゃないのだろうか。
「そして最後に…」
シゲは素朴な顔に真剣な表情で喋ってる。
こんなに生き生き喋ってるの見るの初めてかもしれない。
魔法とかファンタジーが好きってやっぱり男の子だと思う。
なんだかいつもその手の話題を全然振ってなくて申し訳ない。
男の勇者友達だったら、こういう冒険系の話だとかで盛り上がっていたんだろうか。
「勇者はレベルをあげて魔力を2以上にできる。するとメルはどうなると思う?」
「えっと、だから、違う属性の魔法が使えるようになる…のよね」
「聞き方が悪かったな。たとえば敵を爆発させる魔法を使いたければどうする」
「ぶ、物騒ね。分からない、けど…」
「適当でいいから言ってみろ」
「爆発の魔法を覚えればいいんじゃないの」
「違う」
なら何故言わせた。
「正解は、火属性と風属性の魔法を覚えることだ」
「覚えたいのは爆発魔法じゃないの?」
「爆発は熱い空気が高圧になって発生する。
なので、熱を発する魔法と、空気を圧縮する魔法を使えば、
実質的に爆発の魔法を使えることになる。
魔力の容量を最大限に生かしたければ、最終的な目標から逆算して魔法を覚えていく必要がある」
そうなのか。
と思いつつ私は理解しようと頑張って頭を回転させる。
そんな私にシゲはゆっくりと咀嚼するように話してくれた。
「メル。つまりだ。ひとつ魔法を取ったら、次はそれを生かせる魔法をおぼえた方がいい」
「そっか、前の魔法をムダになっちゃうから?」
「ああ。メルはレベルを上げる気がないから魔力も増えないかもしれないが、一応覚えておいてほしい」
「ええ、しっかり覚えておくことにする」
シゲは私を見て満足そうに息をついた。
私は自分の頭をコネコネと回して今の話を整理する。
初日のアイちゃんの説明で分からなかったことも、実際に見せてもらってようやくわかった。
目的を思い出そう。私は生活を楽にしたい。
魔法で魔物と戦いたいわけじゃない。私は訓練所の片隅であーでもないこーでもないと唸り続ける。
「それで、急かすつもりはないが、覚えたい魔法はあるのか」
「そうね。実はもしできたら便利だなってずっと思っていたことがあって」
「どんな内容だ?」
彼はそんな私に多少意外そうにしていた。
私は友達に悪だくみでも打ち明ける時のような気分で彼の耳元に口を寄せた。
「こういうのが良くて…」
「なるほど。それなら俺たちが持っている教本に書いてあるな。
縛りが重い勇者に修練は不要だ。すぐにでも使えるだろう」
早速その日は早めの夕飯を済ませて、自室の荷物の中から魔法の教科書を取り出した。
蝋燭代がもったいないので、日が落ちる前に内容を理解した。
私は水属性を選んだ。魔力1の容量の10%ほどを使って、初級の生活魔法を覚えた。
さっそく水差しの蓋を開けて魔法を試してみる。
体から何かが抜け落ちていく心地よい感覚と共に、魔法が一発で成功して歓喜した。
その日、私はようやく水汲みの仕事から解放され、好きな時間にシャワーを浴びる権利を得た。
蛇口の魔法は最高だ。
今度、シゲにはとびきりのお礼をしなければいけない。




