02.過ちの勇者①
──── 過ちの勇者 ────
気付くと白い空間にいた。
最後の記憶は病室だった。
糖尿病と脚気の合わせ技で、意識が朦朧としていたはずだ。
医者がセデーションがどうとかで毎日鎮痛剤を使ったおかげで、
ろくに意識も無く逝けたはずだ。
体内に残ったいくらかの手榴弾の金属片も忘れられた。
最期の方は数日ごとに目を覚まして、
愛してるが碌に心も通じ合ってない息子と娘、
かわいい孫に会える人生だったはずだ。
真っ白い空間には、奇妙なものが浮かんでいた。
俺を含めて9人の人間が困惑してる。
たぶん鏡を見たら俺も同じ顔をしているだろう。
唐突にここは道の途中だと気づいた。
ここは、自分に一番合ったやり方を探す場所だ。
こんな時は誰かに何か声をかけるべきだと思ったが、
自然と目の前の奇妙なものに目が行った。
「制約…。そうだ、これは縛りか…」
それは自分の言葉だったが、
まるで老人のしわがれた声から若返ったような高い声だった。
違和感を実感するよりもまず先に、
俺は降っていく坂道のような可笑しな物質を選んだ。
それはとにかく、ただ斜路を降っていく奇妙な物質としか表現できない。
あるいは幾何学的な何かの模様だったのだろうか。
しかし人間に表現し得ない何かであったとして、確かにそれを俺は理解した。
ここには奇妙なものが9つしか無い。
そして俺たちもちょうど9人だ。皆、若い連中だった。
それぞれがただそうするべきだって知ってるように、
自分にとって必要そうなものを選んでいった。
隣にいる髪の長い女はナイフが刺さった心臓のようなものを選んだ。
そして正面にいるおかっぱ頭の女は、眠たそうにしている白い象だ。
他の男たちもそれぞれ選んだものに満足しているようだった。
そうして全員が選び終わった瞬間、白い部屋が役割を終えたように消えていく。
何一つ説明なんてなかった。
立ち眩みが止む頃には、俺は知らない場所に突っ立っていた。
「ようこそ勇者様」
そう言ったのは見たこともないような恰好をしている爺さんだった。
思わず周りを見渡す。
ここはどこかの城のようだった。
ドイツにあるなんとかって形式の、石造りで、やたらと重苦しい空気だった。
まずは深呼吸して周りをよく見る。
足元ではどこかで見たことあるような六芒星が白く輝いていた。
天井は高く、5メートルはあるだろうか。
太く頑丈な石の柱に支えられている部屋だ。
照明は電気ではなく、壁に掛けられた松明に火を灯している。
「こりゃ、古いな…」
見れば見るほどやたらと古風な造りだ。
かび臭い地下の空気が肺に溜まる。
再び目の前の爺さんに目をやった。
一見上品な見た目だが、そんなものはいくらでも取り繕える。
こいつからは為政者の匂いがする。
しかしまだ何も分からない。
一旦俺たちのざわめきを制された。
俺は、喋り始めた爺さんの言葉に耳を傾ける。
「突然のことで困惑されるでしょう。我々が皆様を呼び出したのでございます」
周囲からどよめきがわく。
俺たち日本人らしき9人を除くと、
周囲に控える人間は全員、白人系の顔をしていたが日本語が通じる。
「どこ。俺死んだのに、天国?なにこれ」
「どういうことだ。ここはどこだ…」
「それ無理ない?っていうか、なに、誰なの爺さん」
隣にいた威勢がいい青年たちが爺さん相手に威嚇している。
他の連中も何が起きたの分からないのか、不安を口にしていた。
その間、ずっと俺は黙っていた。
「いやいやいや無理だって。意味わかんないし」
「困惑されるのもご無理はございません」
ざわつきだす俺たちをしり目に爺さんはぴしゃりと言った。
「私共は、世界を救っていただくため、皆様を異世界の地球より召喚したのです。
突然のこととは思いますが、一度話をお聞きいただきたく存じます」
爺さんに続いて他の人間もこちらに向かって傅いた。
この場にいるのは爺さんの他に綺麗な若い女が一人。
他には、軽装に身を包んだ護衛らしい男たちが、壁沿いに20名。
しかしこれだけとは限らない。
正面の扉は閉じているが、向こう側には一体何名詰めているのか予想がつかない。
現状、この場を突破するには情報が少なすぎる。
向こうが礼を尽くしている以上は、話と事情を聴いておこう。
「ま、まあいいんだけどさ。爺さん。いったいここはなんなの?」
軽率そうな長髪の若者が爺さんに遠慮がちにそう聞いた。
冗談では無い雰囲気に気圧されたようだ。
いかにも普通の若者だ。身長は俺とほぼ同じ。体重はあちらの方が若干あると思う。
素人もいいところだろう。何かあればすぐに組み伏せられる。
そこまで思って気が付いた。
思考がずいぶんと若返っている。
暴力を前提に物事を考えるとはまるで30代、いや、もっと昔のことだ。
自分自身の手をよく観察すると、
血管と皺の様子から20代前半の体になっているようだった。
早急に、自分の体調を確かめておきたい。
どうも話を聞くに、ここは地球ではないらしい。
信じがたいことだが、俺は異世界転生という、輪廻転生したあとの世界に来たようだ。
非常に確率の低い、生まれ変わりの富くじに当たったと言えば理解し易い。
生まれ変わり。そうだ、こんなものがあると知っていれば、
もう少しマシな人生を送れたのかもしれない。
「我々の世界は魔王たちに蝕まれつつあるのです。そして勇者様だけがこの現状を変え得る。
万軍をも打ち破る奇跡の力をもって、どうか人類をお救い下さい。
そのためなら、我々は、どんなお望みにもお応えいたします」
「え、ま、まじ?設定がまんま直球っていうか…、俺が勇者? いや、そんな急に言われても」
そう言って爺さんが煌びやかな王冠を脱いで地面へ置いた。
それを見た青年たちの顔には、困惑と、わずかな喜色が浮かんだ。
この行為は、周囲の現地人たちから、驚きをもって迎えられたようだ。
軽率な長髪の男と上品な爺さんはいくつかの言葉を交わした。
「じゃ、じゃあ魔王討伐ってのは人を助けることになるんだ!」
「おっしゃる通りでございます」
爺さんは力強く答えた。
「そのために皆様方には、武器や金銭等々を提供させて頂きます。決して骨身は惜しみませぬ。
どうか、急な事とは存じますが、まずは我々の窮地を知っていただきたい」
おお、と周囲の青年たちから驚きが漏れた。
おおむね、その反応は二通りだ。
困惑か、恐怖。そこに若干混じった喜び。
周りの若者たちにとってこれは立身出世のチャンスと感じているのかもしれない。
かなりざわついている。
「まず我々には皆様を害することができないことをお伝えしたい。
ステータスと、先ほどまでの縛りの間で得たものを思い浮かべながら念じてくだされ」
「ま、まじかこれ俺…。え、えっと、ステータス!」
「うわっ!ほんとにあんのか。緊張するなこれ…ステータス!」
そう言って、例の軽率な若者と他の連中は空中に手をやった。
見えない何かを読んでは、しきりに驚いた様子だ。
少しの時間をおいて、その内容に一喜一憂しつつ、爺さんと問答を繰り返している。
やがて、他の若者はすでに興奮気味で緊張も薄れたのか、
好きに爺さんとお姫様に質問を繰り返している。
「この勇者スキルってのは、なんなのさ?」
「それは、勇者様だけが持つユニークスキルでございます。
世界中のどんな魔法とも一線を画し、同じスキルはひとつとして御座いません」
「まじかよ!特別な力ってことだな!」
「左様でございます」
爺さんは恭しく頭を下げて言った。
「召喚に応じて頂いた勇者様には、自覚の有無に関わらず、強い前世での後悔があるのです。
勇者スキルを鍛えれば、力を得るだけでなく、前世で叶わぬ願いの成就の一助となりましょう。
いわば、勇者スキルとは、勇者様方の性格と願いを反映した世界でただ一つの力なのです」
爺さんはいかにも素晴らしいことのように言い切ったが、
応える方の若者の反応は妙に渋かった。
「性格って、これが俺の?冗談でしょ。なあ、誰か勇者スキル教えてくれよ」
俺以外の連中はずいぶんと飲み込みが良いようだ。
若い世代は、この転生という状況に、何か共通の認識があるに違いない。
この理解の遅れは良くないが、
俺にだけ分かることもある。
どうも爺さんたちのやり取りを聞くと、若者の道徳心につけこむ西側諸国のやり口を思い出す。
他人を戦争に引きずり込む60年代初頭の救急召集で、
愚図な若者を兵士に変えて、地獄に送り込む仕事だった。
得するのは本国の金持ちだけの、今思い出しても、最低な仕事だった。
俺は自分の記憶が驚くほど鮮明なことに気が付いた。
「これは…」
不意に、当時の、糞と泥の濃密な臭いが蘇った。
これには、まず俺が若返っているのは間違いないと確信できた。
俺は改めて自問した。
現実には、理解できないことでも、
受け入れて進むべき状況ってのはある。
そういう時、前に進むには、ちょっとしたコツがある。
それは、素直に、他人に意見を聞いてみることだ。
ちょうどよく、隣に髪の長い女が立っていたので話しかけた。
「なあ、おい。初対面で悪いがちょっと教えてほしいことが…」
「大丈夫。私は大丈夫…うぐっ」
「いや、大丈夫か?」
「ひっく。うぐ…。私、…こんな怖い状況…なにこれ…」
全くその女はぐすぐすと泣きながら何事か呟いていた。
元の顔は悪くないんだろうが、鼻水を垂らしてひどい有様だ。
ちょっと観察して、それは先ほど白い空間でナイフが刺さった心臓を選んだ女だと気が付いた。
自分と同じ立場だろうに、その女からは一切危険を感じない。
なんとか落ち着こうと必死に自分を慰めてるようだ。
自分の中身はくそったれの人殺しの老人だが、おそらくこいつの中身は普通の女だ。
なんだか見ているとバカらしい気分になってくる。
女ってのは、噓泣きじゃこんなに汚く泣かない。
「ねえお兄さん~。妙に冷静だね」
「…ああ、驚いているだけだ。お前は何が起きているか、分かるのか?」
正面にいるおかっぱ頭の女がそう話しかけてきた。
胡散臭そうな雰囲気なのは、白い空間で、眠そうな象を選んでいた女だ。
「や~、なんか。訳わかんないんだよね。でも他の男の子たちはみんな妙にやる気で魔王討伐だしさ。
お兄さんは落ち着いているから」
「ついてけてないだけさ。俺は歳が歳で…。いや、なんでもない」
そう言って俺は自分のステータスという画面を開いた。
降る坂道の物質にいくつかの項目が現れる。
「アンタにも見えているのか?」
「…え?」
「そうか」
念のための確認だったが、
おかっぱ女は俺が何を出したか見えていないようだった。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
名前:大藪 健二
職業:勇者
レベル:1(0/9000)
攻撃:1 防御:1 速度:1
体力:0 魔力:1
[勇者の勝手口]
今後を左右し得る重大な決断において、
誤った選択をした際に多量の経験値を取得する。
・勇者スキル
[ざっとした訂正]
自分の放つ攻撃が防御や回避された場合、
ランダムな別の軌道から再度攻撃したことにできる。
[我先に逃げる]
自分の一部と自分の位置を交換できる。
一回の戦闘中に一度だけ使用可能。
[命の爆弾]
魔法の杭を召喚し、他人の心臓に杭を打ち込むことで発動可能。
打ち込んだ対象を自由意志が無い人間爆弾にして命令できる。
30/30
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
俺は文章を何度か読み込んだ。
卓上の遊戯には詳しくないが、
この俺の[勇者の勝手口]ってのは、明らかに不味いのが分かる。
つまり、強くなりたければ、目的を間違えろってことか。
しかしそれ以外の勇者スキルとやらは、本当に使えるとすればえらく有用だ。
「どう思う?」
「え?」
「あのお姫様と爺さんの言うことだ。魔物も魔王も本当にいると思うか?」
おかっぱ女は少し考えた。
「あの人たちのこと、信じてないの~?」
「いま分かるのは、俺たち日本人らしき9人が軟禁状態って事だけだ」
「まっ、そうかもね~」
そして、俺が若返って、おそらくは二十代になっている事。
「他人種との絶滅戦争なんて一文の得にもなりゃしない」
そう言って俺は続けた。
「人殺しは金持ちの商売道具だからだな。もし本当に魔王がいるなら、
戦時賠償金を請求して来なけりゃおかしな話だ」
「な…。何言ってるのお兄さん…?」
「お姫様と爺さんも奇妙だな。俺たちが力づくで手に負えない相手なら、前面に出てくるのは外交官だ。
二人が本当に立場のある人間なら、つけいる隙がある」
ちらりと目をやると、二十名の護衛は全員が二人の後ろに控えている。
軽装の者も、一応横にいるにはいるが、わずか四人だ。
俺たちとの間には何もなく、距離だって、10メートルもありはしない。
神聖な儀式という建前が、彼らを命の危険にさらしているのだ。
俺は微笑みながら、体を確かめた。
体がやたらと軽い。前世の全盛期の2倍以上だ。
お姫様と爺さんまで駆け寄り、四人の護衛を抜いて、首に手を回す。
うまくすれば、抵抗せずに組み伏せられる。護衛は長柄を持っていない。
多少危険だが、目算通りであれば10秒とかかるまい。
俺の言葉に、一瞬おかっぱ女は目を見開いた。
そして軽蔑のまなざしをこちらに向けた。
俺の人嫌いと、暴力的な空気を見抜いたのかもしれない。
「勇者症候群と、イカれた戦闘狂かぁ~。…普通の感性のやつはいないのかよ」
そんなことを吐き捨て、
おかっぱ女はこちらを不審な目で見つめながら離れいった。
「まるで、娘そっくりだな…」
俺は呟き、あの軽侮の色を思い出した。
だが女の気持ちなんて分かる気がしないし、これからも理解する気が無い。
それから小半時経った。
隣では髪の長い女がずっとメソメソして、ついに座り込んでいたし、
気弱そうな男はオドオドと狼狽えていた。
気になるのはひときわ小柄な少年だ。
ずっと青ざめた顔をしながらもこちらを窺っている。
足場は確かだ。靴のグリップも効く。
こっそりと近くの石柱から石をむしり取れる腕力も確認した。
破片をズボンのポケットにしまうと、
ある程度安全を確信した俺は初めて質問をしてみることにした。
「つまり、お前たちは俺に、傭兵をやってほしいってことだな。
だがまず最初はっきりとさせておこう。どうやって俺たちをここに呼んだんだ?
俺は、蹴躓いて気づいたらここにいた訳じゃない」
場がシンと静まり返る。
ここに来て殆ど初めて喋ったので、周りの反応がだいぶ鈍い。
俺は爺さんの瞳を静かに見つめた。
案山子でもあるまいに、とっとと答えろという気持ちもあったが、
こればかりは、吟味させる必要がある。
つまり、呼ぶために、俺たちを殺したのか、という確認だ。
「アンタ、話を聞いてた? 勇者って人助けなんだけど。傭兵ってお金で人殺しする犯罪者でしょ?」
「悪いが、お前じゃなく、爺さんに聞いたんだ」
先ほどから一番興奮していた軽薄な、長髪の勇者がこちらを睨みつける。
幸い、爺さんは皺の深い顔で考え込むと、こっちの意図を汲んでくれた。
その怜悧で落ち着いた態度を見るに、
ひとまず、ただの不誠実な人物だとは思えない。
少なくとも、頭は悪くなさそうだ。
「勇者召喚の儀式で呼ばれるお方は、例外なく地球にてそれが事故であれ、天命を全うされた方でございます。
その魂を最適と認められた方を、魔法でお呼びして、新たな肉体に命を吹き込むのです。
残念ながらこの儀式の成り立ちは失伝して、送り返すことはできませぬし、仕組みの方も…」
まあそう言うだろう。このあたりの事情は、確認する方法は無い。
皆一様に沈みこんだ。自分の死因でも思い出しているのだろう。
軽薄な長髪の勇者が声をあげた。
「でも、なんなら俺たちを生き返らせてくらたってことでしょ?
まだなんか言いたいことあるの?」
「まあ、そうだな。俺は遅かれ早かれ死ぬはずだったからいい。
だが、お前ら若い人間の将来を奪って、自国の戦渦に巻き込むのは人でなしだ」
つまり、あくまでも、たまたま死んだ人間を呼び寄せた、という建前なわけだ。
長髪の勇者は何やら分からない顔をしていた。
「そこは信じて頂く以外にございませぬ…。
魔王はその性質上、大軍では歯が立たないのです。
力を持った、数名の個人でなければなりません。それ故の勇者召喚でございます」
「魔王討伐の具体的な目標を教えてくれ。どれを、どこまで殺せばいい。
報酬と、支援できる内容を明言してくれ」
「各国の足並みが揃っていない現状では明確なお約束は…。
北部の8割の地域を奪還して頂ければ、ひとまず人々が生きていくのに一息つけましょう」
同意しない場合の俺たちの扱いも確認せねばならない。
途中、淡々と要項を確認する俺に、押し黙っていたお姫様が耐えきれず、
顔を赤くして口を挟んできた。
「わたしたちには、もうそんな余力もないのです!
どうか、ご助力頂ければ…報酬など、あとでいくらでもお渡しします!」
興奮しているお姫様を爺さんと周りが諫めた。
確かに見事な美貌だ。周りの勇者たちはその様子に心を痛めているようだ。
俺もこれ以上ここで駄々を捏ねても仕方ない。
じゃあ最後にと、つけてから切り出した。
「悪いがせまいところが苦手でね。松明の煤で喉がむせて、ここは息がつまるようだ。
外の空気を吸わせてほしい」
「構いません。庭にご案内致しましょう。しかしこのあと皆様には武具の間で装備をお選び頂きます」
「後でいい」
爺さんは本当に特にこだわることもなく了承した。
何より、まずは土地勘が無いことが怖い。
護衛の男が一人俺の前に進み出た。
爺さんが杖を降ろすと、部屋全体の光の流れが消え、ようやく周囲が松明の黄色い色だけになった。
ほっと周囲の人間たちもほっと一息つけたようで、お姫様も胸を撫でおろしている。
どうやら、こちらに取ってそうであるように、
今回の儀式は向こうにも危険な事でもあるだったようだった。
安心しきりの爺さんの横で、こちらを少し責めるようなお姫様がようやく声を上げた。
形のいい瞳が、こちらをねめつけている。
「…ほかに何か質問はございますか?」
そうして短い沈黙が訪れると、静かな声が響いた。
「えっと」
「はい、なんでしょう」
誰だったか…。濡れ鼠のような女が囁いた。
よく見れば大きな目に、整った目鼻立ちをしている。長い髪も素晴らしく色艶が良い。
震えながらの声が松明の弾ける音を割ってやけに響く。
「ごめんなさい。何がなにか…。その…全部です…」
「あら?」
「全部分からないです…」
そうして静かに鼻をすすった。
その様子を見つけ、自分より弱気な同性を見て、
お姫様はすっかり本来の優しげな気質を取り戻した。
なぜだかその様子に皆も人心地つけているようだ。
「じ、じじ実は僕も、その…」
こちらも存在感の無い気弱な男が同調した。
「そ、そうよね!ちょっと、呑み込めないわよね!」
「僕は、別にそこまで分からない、訳ではないというか、僕はその…」
じっと様子を観察する。
気弱な二人組はすっかり委縮しているようだ。
長髪の勇者は、もはや気をせいているようで、腹立たし気に言った。
「もういいんだけど。質問あとでにしてくれる?先に行きたいんだけど」
それに対して別の男が嚙みついた。
「おい。お前さっきから言い方きついな。女の子なんだが」
「は?」
遮ったのは、長髪の勇者と同じくらいの体格の男の勇者だ。
爺さんは落ち着いた口調でまた先ほどの説明を通り一遍に行うと、
ぞろぞろと7人の勇者と護衛を連れて武具の間に向かっていった。
去り際に、今まで話したことのない勇者がこちらに寄ってきた。
男だか、女だか判別の付きづらい奇妙で冷たい雰囲気を感じる。
最も質問も少なく現状を受け入れていた勇者だ。
「おい、正義気どり。ビビるのは勝手だが周りを巻き込んで使命を邪魔するな」
俺の胸を強めに突き飛ばすと、強い勢いで体が吹き飛ぶ。
背中が石柱にブチ当たり、石にヒビが入った。
すぐにそいつは去っていった。
「…だだっ、だいじょうぶですか?」
「わざとさ。問題ない」
恐ろしい威力だ。
前世だと胸骨と背骨を折って即死だ。
俺はあいつの顔を覚えた。
記憶するまでもなく、ああいう種類の顔をたびたび見てきたからだ。
今は未熟だが、あの手のタイプは最初の戦場を乗り越えるとかなり強くなる。
理由もなく戦争ができる狂人だ。
まあ俺と同類だろう。
今のところはありがたい存在だ。少なくとも味方の内は。
「お前はあっちに行かなくていいのか?」
目の前には先ほどからずっと怯えていた青年の勇者がいる。
こちらに出された手を取って立ち上がった。
「僕はいっそ、逃げだしたいくらいで。こっそり、逃げ、逃げようかなって…本当にって、えへへ」
青年の勇者は不安そうに両指を胸の前で組んだ。
陰気なクセっ毛の下からおずおずと喋る。
「お兄さんは堂々としてて、外に行くって言ってたから、強そうだなって思ったから、こっちに残ったんですけど」
震えて汗をかきながらを目をそらしている。
そして気の毒そうな目でこちらを見た。
「で、でも強くなかったし…。ご、ごめんなさい。やっぱり僕は、あっちに行って武器もらいます」
「…」
「ほんと、ごめ、ごめんなさい。でも、さよならで」
「賢明だな」
そういうと震えながら振り返らずも走り去って行った。
護衛に案内してもらってしばらく廊下を進むと、
眼下に城下町を望む美麗な庭園にたどり着いた。
石壁の縁からは地面までは50メートルほど。
かなりの古さと技術力だ。
夕刻にも関わらず城下町の外壁にはうすぼんやりとした光が灯り、
まるで巨大な壁のように外の何かからここを守っているようだ。
城下町は目算で外周およそ5km。よほどの戦渦絶えない土地のようだ。
「何か感じられますか?勇者様」
「ああ、奇妙な感覚だ。あの外壁の先には何がある?」
「それが魔力の感覚です。
あの障壁は特別な魔法によってこの街を魔物と異界化から守っているのです」
護衛の男は斜め後ろに立ち、愁いを帯びた声で答えた。
身のこなしは慎重で、刻まれた皺はひどく深い。
「異界化とはなんだ」
「土地が魔物に汚染されます。
作物は取れず、そこでは雨露さえ毒を含みます」
なるほど放射線のようなものか。
城壁の破片をむしり取り、手の中で弄ぶ。
障壁から感じる魔力の気配を感じとる。なるほどこれは既存のどの五感とも違う。
だいたい、感覚に慣れてきたころ、先ほどの護衛兵が再び声をかけてきた。
「勇者様。陛下や重鎮は理解せずとも、我々兵士は貴方こそ一番に評価しております」
「何がいいたい」
「なるほど他の勇者様は善良な感性をお持ちでしょう。
あるいは高潔な倫理観の方かもしれません。ですが叩き上げの感覚が、こう言っております。
命を預けられるのは貴方様。貴方様からは暗い戦場の雰囲気を感じる、と」
俺はうんざりした。
人の言葉には、その行動の一分ほどの価値もない。
どうせ同じようなことを全員に言って周り、俺たちを残さず戦場に送るつもりだろう。
俺は足元のレンガを踏み抜いた。
地面が簡単に陥没した。
石を弾き飛ばすと、庭園の彫像の頭が吹き飛んだ。
護衛は一気に汗を噴き出してこちらを見つめた。
「根拠は何だ?」
「勘です」
「それだけか?」
「はい」
俺は無言で護衛を見つめた。
「ちょうどいい。確かめてみろよ」
「よろしいのですか?」
「ああ、殺す気でやってみろ。お前の勘が正しいか分かるぞ」
護衛は失礼、とつぶやいてマントの中から短剣を取り出した。
刃物の扱いは向こうが上だろう。
俺の戦場は鉄と火薬と泥と糞だった。
剣なんて一度も握ったことは無い。ナイフかスコップがせいぜいだ。
近接戦なんてやるのは時代遅れの間抜けだけだ。
そしてそう思った回数分、つかみ合って痛い思いをした。
「じゃあ行くか」
こちらが駆け出す出鼻をくじかれた。
反射神経は速度のステータスとやらのおかげで完全に上を取っている。
護衛の男の動きは止まっているようだ。
しかしその軌道にナイフを置かれていた。
俺はナイフの刃を素手で握り潰した。
それでも護衛の拳は止まらず、俺の胸を強く打った。
不意に、衝撃に吐きそうになるが、こらえる。
あとはもう護衛の男を地面に組み伏せるまでワンセットだ。
自分のでたらめさに満足いくと、護衛の男を地面から解放する。
「驚いた。防御1の俺にダメージがあった」
「私は攻撃のステータスが1ありますので。それでも私の攻撃にナイフの方が耐えられません。
当然それ以外のステータスは全て0です。これでも民兵より遥かに強いんですが、かないません」
「悪くなかった。さっき俺が他の勇者に胸を殴られたところを狙ったな」
「そもそも石を投げられたら私は即死です」
せき込みながらそういう護衛の男に、いくらか腹を割って話そうという気になった。
その時、急に空から甲高い音がした。
プラスチックを引きちぎったような不快な大音量だ。
見れば城下町の白い障壁が夜明け前のオーロラのように薄く消えていき、
そこから魔力も感じられなくなった。
「障壁が割れた。そうですか」
護衛の男はかなりの上役だったようで、
数名の壮年の男たちが飛び込んできて矢のように報告と指示を繰り返した。
「勇者様」
「どうした?」
「姫君が逝去しました。姫君の魔法の障壁が崩れ、今夜中にここは魔物が殺到します。
旅立ちのご準備をお急ぎください」
「そうか」
先ほどの爺さんと小奇麗なお姫様を思い出す。
碌に話もしていなかったが、そうか、死んだのか。
「お前はあまり驚いてないようだな」
「勇者様もそのようですが…。覚悟の上です。
こちらに幾ばくかの金銭と、戦闘や旅に必要な種々の資料が入っております。
本来は隣国まで案内と護衛が付きますが、勇者様には却って不要でしょう」
そう言ってひとりの若い護衛が俺にリュックサックを手渡した。
まだひげも生えそろってないような童顔だ。
「急ぎ武具の間へお越しください」
「いや、もう出る」
「よろしいのですか?魔物どもの狙いは勇者様方の殺害と、この城にある武具です。
もし失われれば、これほど強力な魔力を持つ物は二度と手に入らないと思いますが…」
こう決め、二度と撤回しないと意志を固めた瞬間、
何かの音が頭に響いた。
なるほど。先ほどはわざと【武具の間に行かない】という間違った選択を試してみたが、
実際に本当に行けなくならないとダメらしい。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
名前:大藪 健二
職業:勇者
レベル:1(5000/9000)
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
[今後を左右し得る重大な決断において、誤った選択をした際に、多量の経験値を取得する]
これが俺の制約とやらだ。
経験値が増えている。
5000も一気に上がって、残り4000で次のレベルになれるようだ。
実際に武器を受け取る気はもうない。
不思議な感覚だが、自分の判断を信じた以上、俺はそれを絶対に撤回しない。
人間の直感には過ちも多いが、時に従うべき事もある。
お姫様の死の原因、恐らくは暗殺等だろう。
この護衛の男なら真相を知っているかもしれないが、
聞かないことにしよう。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
名前:大藪 健二
職業:勇者
レベル:1(5005/9600)
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
成程。5しか上がらない。俺にとっちゃ大して重要なことじゃないらしい。
「お前たちはどうする」
俺は護衛の男に聞いた。
「なるべく踏みとどまって、他の勇者様方を旅立たせます。
朝まで乗り切れば魔物は一旦消えますが、我々は護衛は城壁まで打って出ます」
「そうか」
「元々、勇者召喚は必ず魔王側に感知されるので、国民全員決死の覚悟でした。
本来は7日ほど修練を積んでいただく予定ですが、障壁が消えて早まりました」
「俺たち勇者が仕事を果たすって保障はないぞ」
「半分ほどの勇者様が戦いを選べば上出来でしょう」
なんだかあっけらかんと、ふざけたことを言っている。
結局は何の保証もないじゃないか。
何も真剣だってのが戦場で生き残るコツじゃないが、
こうも開き直られるのも気分が良くない。
「そんな奴らのためにみんな死ぬのか?」
「私共はただ、貴方の働きに期待します」
「女子供もか?護衛の連中も全員同じ意思か?」
「それが仕事です」
こんな男にかける言葉は何もない。
「おい、今度会ったら酒をおごらせろよ。お前は世界を救う勇者を殴った男だ」
「楽しみにしております。勇者様もどうぞお達者で」
そういうと護衛のリーダーの男は何名か引き連れてとっとと城の中に引っ込んでしまった。
どこか肌にピリつく感じがある。
これは城壁の向こうから来ているようだ。
確かに、これは嗅ぎなれた戦場の臭いだ。
生き返らせてもらったのに少しだけ恩義がある。
そして俺は戦場が好きなんだ。
道中でなるべく数を減らしてやろう。
不思議な魔法の世界に転生して戸惑っていたが、ようやく気分が晴れてきた。
まもなく日が完全に沈む。
「あれはさっきの勇者か?」
ふと見ると、庭の隅から幾人かの侍女と、小さな子供を引き連れて地下室に走っていく勇者がいた。
顔は真っ青で後悔の真っただ中だ。あんなもの誰でも分かる。怯えて逃げ出す人間の顔だ。
俺に噛みついてきた、おかっぱ頭の女勇者だ。
「残念なヤツだな…」
一人で地下室に入ると、
泣きながらついてきた子供の数人を締め出して自分だけ鍵をかけた。
残された子たちは外から入口に土だのをかけて隠している。
思わず不快そうな目をくれてやるが、向こうは必死でこちらに気付いていない
いくらかマシな人間だと思っていたが、
いや、マシな人間だからこそ、こんな状況で戦おうと思わないだろう。
ヤツは見たところ聡明だが普通の女学生といった様子だった。
泣き出して寝込まないだけ頑丈なのかもしれない。
だが、一声くらいかけてくれてもよかったと、ガラにもなく思ってしまった。
この世界の連中に比べて、いくらか同じ日本人同士の方が信頼できるし、生きていれば戦力にもなる。
年齢のせいか、思ったよりも自分は感傷的になっているらしい事を自覚して、驚愕した。
情を移すほどの時間の関りはなかったはずだ。
だとすれば俺も不安なんだろう。
この異世界転生も、魔王の討伐も、全くふざけている。
そしてさっき勇者たちを見るに、この国の護衛の連中の期待ほど、
俺たちが勇者として仕事をこなせるとは到底思えなかった。
「あのガキ共は見捨てるが、それを選んで経験値がどれ程入るか試さないとな。心底気に食わねえが」
俺はまだ痛む胸の傷をおさえながら城下町へと身を躍らせた。




