01.復讐の勇者①
──── 復讐の勇者 ────
私は全くもって異世界転生ものに興味がなかった。
というよりファンタジー小説全般にだ。
私が好きなのはグルメ、美容、そして旅行だ。
異世界よりもスペインに行きたかったし、
現地のビザ無しでヨーロッパ諸国のホテルを制覇したかった。
周りの人たちはこの状況に騒ぎ出していた。
どこかで見た教皇のような恰好の人が杖を降ろしてこちらに礼を取っている。
どうせなら本当のバチカン市国に行きたい。
周りにあるのは、光る床と高い石の天井。そして妙に軽い私の体。
私は動揺することもなく、その光景を冷めた目で見つめている。
妙に他人事のようだった。
なぜか視界が滲み、口元が濡れているが、これは転生の障害だろうか。
「…ひっく」
ここに来るまで、私の人生の青春は高校時代にあった。
充実していたし、こんな世界に来たいと思ったことはない。
当時は不思議ちゃんだったと思う。
病気がちで、いや、正直に言えば、不気味ちゃんだったのか。
入院続きの生活でリハビリテーションはとてもつらかった。
ようやく高校入学のタイミングでドナーが見つかった。
自分への復讐のつもりで始めた陸上がまさか都大会まで行けるとは思わなかった。
いや、全国とかは行けるわけがない。
血筋とか小さなころからの教育とかいろいろある。
私が得た称賛は、病気がちのドクロ女から、
走れるタイプのゾンビというあだ名を得たことだけだった。
それでも輝いていた日々だと思う。
「うぐっ…」
いい加減に現実を見よう。
最後に見た光景、気味の悪い心臓みたいなものを受け取った白い空間。
そして今。大事そうなことをしゃべる妙に品がいい人たち。
そんな状況で人の話を聞かないとかありえない。
足がひどく震えてる。
「…ほかに何か質問はございますか?」
お姫様っぽい人が静かに囁いた。
言われてはっとするが、単語は拾えていたし、何か言われていたのかは覚えているけど、難しい話を聞いた時と同じで、結局何なのか全然わからない。
「えっと」
「はい、なんでしょう」
おずおずと手を挙げた。
「ごめんなさい。何がなにか…。その…」
お姫様(暫定)が優しい目でこちらを見つめている。
「全部です…」
「あら?」
「全部分からないです…」
自分以外の日本人っぽい8人が一斉にこっちを見た。
いや、全員じゃない。呆れてるのが一人。キレてるっぽいのが一人。
完全に無視してるのが2人。あとの人は同じように困惑している。
「じ、じじ実は僕も、その…」
気弱そうな男の子がおずおずと手をあげて同意した。
どうやら、いきなりの異世界転生に戸惑ってるのは私だけじゃないようだ。
ちょっと安心。
「そ、そうよね!ちょっと、呑み込めないわよね!」
「僕は、別にそこまで分からない、訳ではないというか、僕はその…」
と思ったら、男の子は目をそらしてこちらを突き放した。
畜生。もう裏切られた。
「もういいんだけど。質問あとでにしてくれる?先に行きたいんだけど」
「おい。お前さっきから言い方きついな。女の子なんだが」
きつそうな男の子が冷たい目でこっちを見てる。
悪いことだとは思うけど、とっさに守ってくれた男の子も含め、二人とも負けないくらい怖い。
喧嘩やめて、喧嘩怖い。
お姫様もちょっと困惑気味だ。
なんなく耐えられなくなってせめて同性を探す。
どうやらこの場にいる日本人は9人のようだ。
私の他に女の子は一人しかいなかった。
自分が言うなとは思いつつ、
地味な雰囲気のおかっぱ頭の女の子の方に気をやる。
しかしよほど図太いのか、その子はこの空気の中であくびをしている。
気弱な男の子はもはや私から距離をとって事の推移を見守っていた。
この子はたぶん私と同じタイプだ。つまり、こんな時は全く役に立たない。
お姫様の隣にいる威厳のあるおじいさんは
臆することなく落ち着いた口調で言った。
「我々が皆様を異世界から召喚致しました」
静かな声が石造りの部屋に水を打ったように響いた。
「第38回目の勇者召喚の儀でございます。
9人の勇者様にはどうか世界を救って頂きたく存じます。
別室にご用意が御座いますのでまずはお休み下さい。
お加減が良い勇者様にはこのまま武具の間へご案内致します」
テーマパークのお城みたいな大きな扉が開き、何名かの女中さんが音もなく入ってきた。
頭が真っ白の私は、強制的な流れでそのまま女中さんのあとをついていった。
喧嘩してた男の子たちの事とか、何か他に重要な選択肢があったのだとしても、
この気分じゃとても考える気分になれない。
水差しの水を少しだけ飲んでベットに横たわった。
水はとても不味かったけど、それが何か入っているからなのか、
単に不衛生だからなのかよくわからなかった。
そういえば水道とかもなさそうだけどトイレってどうすればいいんだろう。
そう思ったのがその日の最後の意識だった。
もっと考えるべき真面目なことはたくさんあったはずだ。
「ううっ…目を覚ましたくなかった」
「おおい、朝だよ勇者様~」
視界いっぱいに見なれた日本人の顔がある。
かわいいけど、地味で素朴な黒い瞳とおかっぱ頭。
知らない女の子がベッドのわきに肘をついてこちらを見てる。
眠そうな瞳はどこか悪戯な色を帯びていた。
「やめて。私のことを勇者様って呼ばないで。あと寝起きの顔見ないで」
「ノックしたけど返事なかったからさ、ごめんなさい」
そう言って女の子は笑った。
わずかに頭痛がする。
長い時間眠っていたサインだった。
少しずつ覚醒していくと、だんだん状況を思い出してきた。
異世界。召喚。勇者。世界を救う。
頭にこびりついた痛みが再び大きくなっていく。
視界の隅ではのんびりとした女の子が、こちらの頭痛なんか気にせず大きく伸びをした。
まるでベッドの端で大きな猫が日向ぼっこから目覚めたような姿だった。
この子にとってはこんな状況、なんでもないようで、思わず少し棘のある口調になってしまう。
「いま何時か分かりますか?」
「いや~、この世界には時計が無いからね」
「やめて。もう私、限界」
頭が爆発しそうだった。
まさかゲームじゃあるまいし、本当にこんなことになるなんて思わなかった。
事故や事件なんて自分の身に起こるまで他人事だって言うけど、本当にその通りだ。
私は死んで、こんな娯楽作品みたいな世界に生まれ変わってしまうなんて。
目の前のおかっぱちゃんは何も悪いことしていないのに、
大して動じていない彼女を恨めしく思ってしまう。
そうだ。彼女は意地が悪い。
私は良い責任転嫁を思いついた。
高校生にしか見えないが、昨日の件も含めて神経が太いんだと思う。
今だってきっと動揺した私を見て楽しいと思っているのかもしれない。
「…わざわざ起こしに来てくれたんですか?」
「まあせめてね。わたしも訳わかんないし。せめて同じ日本人でさ。女子だしさ。
男の子は怖いし、外人顔の人たちに起こされるより、わたしだと少しは安心っしょ?」
「ありがとう。貴方いい人ね…」
全然違った。思わず泣きたくなるほどいい人だった。
なんだか自分が余計にみじめだ。
「そんな自分がみじめ、みたいに思うことないっしょ~」
「なんで分かるんですか…」
「いひひ。顔に書いてあるからね~」
そう言って得意げに笑っていた。
この子って見た目の地味な印象よりずっと活発だ。
「丸一日は寝てたんだよ。じゃあまあ軽い自己紹介から昨日のことダラダラ話そっか」
「待って、ください。その…」
そういうと、察してくれたおかっぱちゃんは少し嫌な顔をして、
部屋の隅にある綺麗なツボをみた。
これは私のことが嫌なんじゃなくて、そのツボの方に嫌悪してるみたいだ。
「ちょっと外出てるね」
「ありがとうございます。その、終わったら呼びますから」
「うん」
音とか、終わったあとの臭いのこととかもあって、
私たちは隣の部屋に移って昨日のことから話し始めた。
「はいこれ水差し」
「ありがとうございます」
私は喉を潤した。
おかっぱちゃんのなんと気の利くことか。
それにしても、まずはこの事から聞かなければならないだろう。
この部屋の至る所はボロボロになっていた。
廊下も、石が砕けてほとんど歩けないし、城内の天井が崩れて青空が覗いている。
崩れた壁から外を見ると、城下町では火の手があがっていた。
爽やかな天気と周囲の焦げ臭さがいっそ白昼夢のように感じられる。
どこかで感じた空気だと思ったがどこだっただろうか。
一瞬だけ両親と行ったバーベキューの記憶が頭をよぎる。
「そのさ~、魔物がさ~」
「はい」
「来てさ」
彼女は困ったようにおずおずと話し出す。
「…はい」
「昨日の内にこの国は亡んじゃった」
そう言うとおかっぱちゃんは寂しそうに笑った。
さすがにここでもふざける気は起きなかったらしい。
だって、視界の隅に、人の手っぽい何かの残骸が。
これは考えてはダメだ。
「どうしたい?」
そう言って彼女は続けた。
「どう、ってその」
「うんうん」
「家に帰りたいです」
「わたしたち、もう死んだんだから無理だよ」
私はその時、世界で一番不細工な顔で泣いていたと思う。
ただ、おかっぱちゃんはそんな私の横で、泣き止むまでずっと背中をさすってくれていた。
私はそれからしばらく、おかっぱちゃん…愛川さんという名前だそうだ。
アイちゃんって呼んでいいって言ってくれたので、
アイちゃんの異世界講座を受けて、色々なことを教えてもらった。
レベルやステータス、スキル、魔法等々の概念。
この世界の倫理観や技術がおおよそ地球で言う何世紀なのか。
まず彼女は、私を安心させてくれた。
勇者に使命を負わせるべき国はもう無くなった。
だから、無理に戦わなくとも大丈夫だと。
そして私にとっては割と本題だが、勇者は補助金があるので生活には困らないそうだ。
彼女の手ほどきは本当に役に立つ。これを彼女はわずか一日で調べ上げたのだ。
というより初日でお姫様が大部分を説明してくれたそうだ。私はその時、現実逃避していた。
本当に助かるのだけれど、優秀さと親切さを感じるたびに、心のどこかで惨めさが彼女を恨む。
私なんてこんな状況になってからずっと寝てただけなのに。
「アイちゃん。私本当にみじめで、最低だって思うけど」
「おん?どしたの~」
「こんな、明日のことさえ分かんない状況なのに、優秀な貴方に嫉妬してる。
そんな場合じゃないのに。ほんとう、救いようがないよ…」
「あははっ。正直でよろしい」
ツンとした目の奥から鼻水がでてきた。
そんな私をアイちゃんは朗らかに笑ってくれた。
私はいっそ自分を殺してしまいたい。
「んでまあ昨日の話なんだけどさ~」
彼女は私が寝てる間に、武具の間という所に行き、
以前召喚された鍛冶の勇者が遺した武器や装備をもらったらしい。
その時点では昨日の男の子たちの大半も武具の間にいたが、そこから事態が急変した。
小さな男の子の勇者が、魔王は俺が倒す、と宣言した。
そしてその場にあった剣を手に取り、お城の人たちを切り殺して逃走。
その時、お姫様と、威厳があるお爺さんが亡くなった。
言動と行動が違いすぎてビックリする。
当然、お城の兵隊たちが残された男の子たちとアイちゃんを取り囲む。
でも、本当に信じられない事だけど、そういう勇者は結構今までも召喚されたみたい。
特に他の人たちにはお咎め無しだった。
そこから私を除く勇者同士とお城の人たちで相談し、
これ本当に言うのが嫌なんだけど、私たち召喚された日本人はもう勇者ってことらしい…。
彼を追うという意見の人と、従来通り市井に降りて冒険者を志す人、
そして今回魔物が襲ってきた方に逆襲に行くというすごい人のグループに別れた。
意外にもアイちゃんは暴走した少年の勇者を追うそうだ。
というより彼女以外は誰も追わない。
「なんかさ~」
「ええ」
「君ってほんとに戦ったりとか魔法とかに興味ないよね。感性もめちゃ普通だしさ?
みんな結構テンション高くステータス画面を確認してたよ。さすがのわたしも少しはトキめいたんだけど…」
アイちゃんは、若干引いたような顔でこちらを見つめる。
「ステータスとかよく分からないわ」
「え、まだ一度も見てないんだ。もしかしてやり方わかんないの?」
「いえ、分かります…分かるけど。最初の広間で説明されたし」
彼女もさすがに引き続き若干引いた顔をしている。
地味めでおかっぱの彼女の困り顔を見ていると、
ここが会社や学校か何かで、彼女が同僚か同級生にでも思えてほっこりする。
そしてその安心が私をダメにする。今でもよっぽどなのに。
「み、見たくないわ!」
「えぇ~なんで?」
「弱かったら怖いから…」
「精神力の数値、マイナスなの…?」
セリフはおどけているが、彼女は私のために怒っていた。
怖い。うれしい。鼻水がまたでてきた。
また少し背中を撫でてもらって、収まるまで待ってもらった。私の情緒はグチャグチャだ。
ちなみに彼女は、正真正銘の17歳だった。
私は24歳のただ一般事務職員だったが、アイちゃん曰く、
だいたい18歳、つまり高校生くらいまで容姿が戻っているそうで大変嬉しい。
これが異世界転移、ではなく転生、である根拠でもあった。
年下に泣き止むまで撫でてもらっている事実は一旦忘れる。考えると余計に心が乱れてしまう。
「えっと…、え、なにかしらこのステータス?」
「…どう?」
「すごく弱い、と思うわ…。全部1だし」
「言えるとこまででいいから教えてね~。他人からだと見えないからさ」
気持ち悪い刃物が刺さった心臓みたいな物質にいくつかの数字と文章が書かれている。
私はそれを読み上げていった。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
名前:坂上 芽流
職業:勇者
レベル:1(0/12000)
攻撃:1 防御:1 速度:1
体力:1 魔力:1
[勇者の勝手口]
勇者を殺す毎に多量の経験値を得る。
・勇者スキル
[超光速の車線変光]
想定した地点まで一瞬で移動する。
成功確率は貴方が走る速度に依存する。
[間抜けな逆走自己]
貴方の攻撃はすべて相手の心臓へ向かう。
また、相手が与える貴方の心臓へのダメージは全て相手の心臓に肩代わりされる。
[無慈悲な舗装道路]
貴方の非道な行為を目撃した人物に対して、
不幸な事故として認識を塗り替えることができる。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
なに、これ…。よく見たら、なんかえぐい…。
「か、書いてある内容が、ひどいことばかり…。特にこの、[勇者の勝手口]と、勇者スキルの…」
「ああ、ダメダメ」
「えっ?」
「ほんとに説明聞いてなかったんだ…。ステータスの内容は他人に言わない方がいいよ~」
今は亡きお姫様が、私たちが召喚された場所で色々喋っていた気がする。
私は堂々と聞いているふりしていたはずだけど、全く耳には入っていなかった。
若干あきれた顔をしながらアイちゃんはこっちを見てる。
「それよりさ、名前は坂上メルって言うの?」
「うん、ちょっと変な名前でしょ」
「そんな事ないっしょ?じゃあ、メルっちね。かわいいよ~」
「おえ…」
私は思わずいろいろなものを出しそうになってしまった。
「え!?な、なに…?」
「うぐぅぅ…」
彼女は急にえづいた私に、訳が分からず、顔を真っ青にした。
それはそうだと思う。私も逆の立場だったら本当に意味が分からない。
なぜ名前をかわいいって言われると吐きそうになるんだ。
アイちゃんにはきっと分からない、もちろん私にも。
「ど、どうしたのメルっち!いきなり泣いて!」
「だって、こういう気を、気を使った会話、日本人だなって…」
変だよねー。そんなことないよーかわいいよ。
あぁ、アイちゃんとしか、もうこんな話はできないのかもって思うと涙がでてきた。そうだ。死んだんだよね私。
でも実際に出てるのは涙ではなく、鼻水と迷惑とメンヘラだ。
アイちゃんは涙って言ってくれてるけど。年上として、どうにか会話を成立させなくてはならない。
「で、でも少しくらい内容を伝えてもいいんじゃないかと思うわ」
「平気ならいいけどさ…。あ、わたしに気を使わなくていいよ。
まあでも、信頼してくれてありがとね」
アイちゃんはそう言って笑った。
その表情に大人っぽさは確かにあったんだけれど、
何か裏を感じされる、悲しげな影もあった。
だが、私にそれを勘ぐる余裕はない。
たった今のやり取りでアイちゃんに見捨てられるのが怖かった。
そして彼女に寄りかかりながらも、その優秀さを羨んでる自分に気付いた。
いっそすべてぶちまければいいんだろうか。
今はただ大泣きして誰かに守って欲しかった。
さっきから町が燃える焦げ臭い風がどんどん私を追い詰めている。
良し、私は決めた。即ぶちまけよう。
「でもそれじゃあアイちゃんに守ってもらえない。なんか信頼してない感じになるし。じゃあ完全に書いてあること教えるのも不安だし。書いてあることヤバいのよ」
真剣な表情で言うと彼女はビックリした。
「けど、ちゃんとアイちゃんに守ってもらったら、きっと私はその強さに嫉妬するわ。そして年下に嫉妬した自己嫌悪を貴方に慰めてもらう。私はもうすでに、そこまでセットで考えているわ」
「鼻水ふきなよ。もういっそ正直すぎて、メルっちってカッコいいよ」
一回の言葉で一体何回、でも、けど、だって、を使うつもりなんだろう私は。
もう視界がにじんで前が見えていない。
彼女はそんな私を馬鹿にしなかった。
「今は気持ちがあせっちゃってるだけ。心配しないでいいよ~。わたしら意外とすごいんだから」
そういうと部屋の隅までテクテクと歩き、
彼女は、針みたいな剣を引き抜いた。
「これわたしがもらったレイピアなんだけどさ。
わたしも攻撃だけ2で、他は全部1なんだけどさ。
攻撃2のステータスでどれくらいできるかっていうと…」
どう見てもコスプレしている女学生なのに、レイピアがお城の石壁に突き刺さった。
そしてそれを横に振り切った。
音を立てて壁が鈍く割れていく。絶対にそういう武器ではないと思う。
「はい、じゃあこれ」
「え、ちょ」
「思いっきり握ってみな」
彼女はどうみても硬そうな石を手渡してくる。
少し力を込めると、私の手の中で小さな破片に砕けた。
「ちょ、超人だわ…」
「ステータスが1の時点で、成人の男の人よりずっと強いんだってさ。一般人はみんなステータスがオール0なんだって。いいよね~。かっこいいよね、こういうの」
「どうしようアイちゃん。私ただの事務職員なのに超人になっちゃった…」
アイちゃんは私の動揺なんて想定内だったのか嬉しそうにしている。
「大丈夫じゃない~?スーパーマンだっていつもはただの新聞記者なんだから」
「な、なんでアイちゃんはそんなに冷静なの?」
「もう一通り驚いちゃった後だからね。誰かさんがその間に、ふて寝してた話しする?」
「しないわ…」
「よろしい」
その後落ち込みつつも、旅立つ前に、
細々としたことをいくつか教えてもらった。
彼女の丁寧な説明の中でも、最重要なことは三つだった。
「まず、さっきも言ったけど、わたしらのステータスって1ばっかり。
でもこれって、そうとう異常な強さなんだって~」
「そうなの?」
「普通の人は全部0。一生かけて何かひとつが1になればいい方だって」
「そ、そうなのね。よく分からないけど」
「壁にパンチしてみ?」
「こ、こうかしら…」
壁が粉々になった。
「ぎ、ぎぇぇぇ!」
「おお~。ナイス壁ドンだよメルっち」
なんだこれは。
自分でやって泣くほどビビった。
「今度はジャンプしてみなよ~」
「い、嫌よ!絶対高いとこまで飛ぶんでしょ!ひっかからないから!」
アイちゃんは心底嬉しそうに悪戯な瞳を輝かせた。
次に聞いたのは、勇者は通常の魔物を倒しても異常にレベルが上がりにくいことだ。
「長いけど、我慢して聞いてね~」
アイちゃんは実際、辛抱強かった。
私のレベル欄の横には「0/12000」という数字が記載されている。
これは文字通り魔物を1万2千体倒さないとレベルが上がらないことを意味している。
スライムは1点、コボルトやオークは2点、と違うが、いずれにしても膨大な数だ。
これを唯一踏み倒せるのが[勇者の勝手口]という制約だ。
これは本人の心理的抵抗が高かったり、実現が困難な制約をもっている勇者ほど、
初期ステータス増加と制約を突破した際の取得する経験値が増える裏技だ。
つまり強くなりたければ、魔物を倒すのではなく、制約の内容を実行しなければならない。
そしてレベルがひとつ上がると、どれかのステータスを1上げる権利を得る。
これを、縛り、と呼ぶらしい。
ちなみに私の縛りは…。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
[勇者の勝手口]
勇者を殺す毎に多量の経験値を得る。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
永遠に強くなれる気がしない。
勇者の人どころか、一般人を一人やっつけるのだってできる気がしない。
「というか、なんで味方殺しなのよ…」
ちなみに私たち9人が歴代の勇者の中で最も重い縛りを課されいて、
おかげで召喚陣魔法が壊れて二度と勇者召喚できないそうだ。
「私に、私たちに、急にそんなこと聞かされても…」
「責任取れないよねっ」
彼女はそう言って朗らかに笑った。
最後に、一番に大事なことだけど、この世界は確実に滅びに向かっていること。
魔物たちは人類圏を徐々に圧迫している。
詳しくはこれから調査するそうだが、状況は厳しいみたいだ。
支配地域が広がれば、勇者は若いままで寿命が無いから、
いずれ私も含め在野の勇者たちは魔物に殺されるか自殺するしかなくなる。
なぜ38回も召喚して一度も敵の親玉を倒せていないんだろう。
この世界の状況を聞いたアイちゃんは強い使命感を抱いたそうだ。
そして意にそぐわない戦いではあるものの、延命めいた自殺はせず、
戦いに身を投じることにしたようだ。
アイちゃんが男前だ。
私なんて未だに眼下で燃える街並みを見て、
映画みたいだな、というか、映画であってよ、開始1秒で寝てやるから、なんて思っている。
「メルっちも相当悪辣な縛りを引かされたみたいだね」
「助けてくれたアイちゃんには本当に申し訳ないけど。これはちょっと言えないわ」
「オッケーオッケー。わたしのも言えないもんね」
「ということは、その…」
「うん、超えげつないよ~」
そう朗らかに言われると全然そんな感じがしない。
ほわほわとしていた彼女だが、急に思い立ったようにこちらを見た。
彼女の中で何かしらの決断がされたんだろうか。
「まいっか。一応伝えとくよ~。わたしの縛りは、
[自身や自身にとって大切な人間に迫る重大な危機を見過ごす毎に、多量の経験値を得る]
っていう。ねっ。すっげー悪趣味っしょ」
私は思わず言葉に詰まってしまった。
つまり、その、見捨てないと強くなれない勇者ってことか。
言い切った彼女は、少し寂しそうに笑っていた。
なんだか通常運転でない表情を見ると、ひどく心配な気持ちが膨らんできた。
「ちなみにすでにレベル2でござい。わたしをたたえよ~」
「それって…つまり」
「もう見捨てたよ」
アイちゃんは誰に語る風でもないように語りだした。
「ねえ、昨日のこと聞いてくれる?」
「ええと、いいけれど…」
私は頷いた。
抱えきれないだけで、たぶん相手は私じゃなくてもよかったんだろう。
私は彼女の辛そうな表情を見てると、なんだかこちらまで沈んでくる。
「ええと、アイちゃんがつらいなら無理に言わなくても…」
「ありがとうメルっち。でも、寸止めしないで聞いてよ」
そこからは、吐き出すことでなんとか飲み込める、
泥のような愚痴の言葉だった。
「少年の勇者君が逃げたあとさ。さすがのわたしも参っちゃってさ~。泣いてたんだよね」
「そ、そうなのね…」
「うん。そしたら慰めてくれて、お菓子をくれた子たちがいたんだ」
アイちゃんは遠い目をして呟いた。
「手とかすごい小さくてさ。でもそのあと、魔物がたくさんお城に来てさ。
わたしはその時、訳分かんなくて、言われる通りに引きこもった。
それで、朝になったらあの子たちはいなくなってた。こういうのってやっぱ無しだって思ったんだよね。
わたしはきっとあの晩、無意識に、これから何が起こるのか分かってたと思うよ」
アイちゃんの口調は軽かったが、瞳は異常なほどの真剣みを帯びていた。
つまり彼女は、経験値を得るために、子供を見殺しにしたんだ。それが無自覚であれ。
私はというと、そんなことがあった時間に、現実逃避でふて寝してた。
アナタほんとに人間?なんて、責める資格はある訳ない。
でも、だからって何ができるわけじゃない。
私は彼女が見せてくれた弱さらしきものを前に、何も言うことができずにいた。
眼下で燃える街並みと漂ってくる嫌な臭いの中で、
二人してしばらく無言で見つめた空は、目に痛いほど青くて綺麗だった。
苦痛にならないほどのわずかな沈黙のあと、私はおずおずと喋り始めた。
「私は、臆病だし、言う資格があるか分からないけど。
それは、アイちゃんは悪くないと思う。その、つらかったわね。
私なんかじゃ、それにアイちゃんと違って強くなれないかもしれないけど、そう思うわ」
「…ありがと。ってか、え?まさかそっちの縛りってこれよりひどいの?」
「えっと、それもあるけど…」
「えぇ。まじで?」
なんだかうんざりした表情でこちらを見ている。
私はいっそ全部言ってしまいたかった。彼女とひどい現状を共有したいからだった。
アイちゃんが今の景色を目に焼き付けるように見入ってる間、私はただ、なんだか分からない悲しみと不安でいっぱいだった。
彼女を抱きしめてあげたいような、それ自体がおこがましいような。
結果として、私がそうしてもらったように、
私はアイちゃんの手を握ってただ黙っているだけだった。
よっと、壊れた椅子から降りてさっきまでの軽妙な口調に戻る。
「そういうわけなんだよね~。あの小さな勇者君もひどい縛りを負ってそうだから、つかまえて話を聞かないとね」
緩い雰囲気で、とてもそうは見えないけど、
アイちゃんはたった一日で環境の変化に慣れて、とてもすごい決意をしていた。
どれだけ強ければそうなれるんだろう。
「アイちゃんって、ど、どこかの国のスパイとかだったの?」
「別れの言葉がそれかい…。ただの府内の高校生なんだけど」
「えっと、元CIAのエージェントとか…そういう」
その後、アイちゃんは城に残された最低限の装備を私に見繕ってくれた。
そして、驚くほどあっさりと彼女は去っていった。
その背中は非常に頼りがいがあり、しかし、人影が小さくなっていくごとに、私の中のさっきまでの不安が再び影を見せ始めた。
と思ったらすぐに戻ってきた。
「忘れてた」
アイちゃんはちょっとばつが悪そうに、私を隣の町行きの避難民の列に混ぜてくれた。
そんな人間らしいところもあって、私は彼女のことが嫌いになれそうにない。
ズタ袋のような洋服に身を通して、臭いにすっかりうんざりした後、
私は先に避難していた別の勇者と合流した。




