第2話
隣のクラスの綾咲裕美は悪い噂の絶えない少女だった。彼女に興味を持った香田あずさは彼女の持っていたクラブ『ダークナイト』に足を運ぶ。
本作品には不快な表現が出てくることがあります。
ご注意ください。
放課後、私は裕美のチケットに書かれていたクラブに足を運んでみた。
看板の下にはストライプのスーツを着た男が怒鳴り声を上げている。
「帰れって言ってんだろうが」
「すいません。少しだけ中を見せてもらえませんか」
私は謝っている方の男に見覚えがあった。
見覚えと言うよりもさっきまで顔を合わせていた。
それは担任教師の守屋だった。
「少しでいいんです。うちの学校の生徒がなかに・・・」
「悪いけど。うちは未成年は立入禁止なの。わかるよね。さっさと帰ってもらえるかな」スーツの男が人目を気にして声をやわらかいものに切り替えた。
どうやらうちの生徒がクラブの中に入っていったようだ。
もっともそれをばか正直に「私は先生です。青少年の健全育成のために中を見せてください」と言ったのでは当然、帰れと言われるのがおちだ。
もっと頭を使わなくっちゃ。
私は守屋が離れるのを見届けてからクラブに近づいた。
入口に立っているのはさっきのスーツを着たホスト風の男とスキンヘッドの2人で、主にはホスト風の男がやんわりと声をかけていた。
スキンヘッドはどうやら客引きと言うよりは用心棒をかねていると言ったところだろう。
「あのー」
「はい。チケットはお持ちですか」ホスト風の男が先ほどとは打って変わって甘い声で話しかけた。
「チケットですか。チケットがないと入れないんですか」
「そうですね。基本的にはチケットかうちの会員様の紹介が無ければ入れないシステムとなっています」
私はかばんの中から裕美のチケットを取り出した。
「チケットってひょっとしてこれですか」
男がうなずき「すいませんが、紹介者さんのお名前は・・・」
「裕美です。綾咲裕美・・・」
裕美の名前を出した瞬間、にこやかだった男の顔が歪む。だが、そこはプロすぐに笑顔を取り戻した。
「どうぞ。中へ」
円形のテーブルに着くなり、すぐに2人組みの男が私に話しかけてきた。
「はじめてみる顔だね」
「あっ、結構かわいいじゃん」2人の男は私を挟むようにして立つといろいろと質問を浴びせてきた。
「そうだ。ガム食べない」男は私に銀紙に包まれた板ガムを差し出す。
「ガム」銀紙をめくるとそれは小さな板ガムみたいな紙が1枚入っていた。
「今日、俺たちがであった記念に1枚あげるよ」
2人の舌には机にある紙と同じものが張り付いていた。
「これ食べると気持ちよくなれるの」男の目はすでに焦点が定まっていない。
「それはLSDって言って、覚せい剤を1度紙に浸み込ませてるやつ。舌の粘膜から吸収するタイプのドラッグ」
私は声のするほうを振り向いた。
私の後ろには綾咲裕美が立っていた。学校のときとは違って大人びた服装をしていて、とても私と同じ高校生には見えない。
ひょっとすると守屋の見た生徒と言うのは裕美のことなのかもしれない。
「そんならりったやつほおっておいてこっちきなよ」
裕美は奥のソファーの席に腰を下した。
「そこにすわんなよ」
裕美の言葉に私はおずおずと腰をかけた。
テーブルのグラスの中には小さな丸いお菓子のようなものが入っている。
「それね」
青や赤いろいろな色が付けられたうち1つを手にとって見た。
「MDMAって言って、立派なドラッグの一種。名前ぐらいは聞いたことあるでしょ」
裕美は笑っていったが、私は笑えなかった。
「どうしてこんなに簡単にクスリが手に入るのかって思ったでしょ」裕美は手を組み妖艶に微笑んでいる。
たしかにここに来るまでドラッグはもっと高いお金をかけて、もっとこそこそと売り買いされているものとばかり思っていた。しかしここでは誰もが自然に口にしている。
「どうしてこの世の中にドラッグが蔓延するかわかる?」
「きもちいいから。不安を忘れられるから」私はテレビで聞いたことのあるドラッグのイメージを言ってみた。
「ドラッグを使っている間は嫌なことを忘れられる。気持ちいいから。でもいずれ効果が切れる。だから次のドラッグを求めてしまう。どんなにお金がかかっても。そこを奴らに付込まれる」
「やつら?」
「食い物にしてる蛆虫どもよ」
「奴らの目的はお金。はじめはMDMAのようなドラッグの出来損ないを安価で与えておいて、効かなくなってから今度はより依存性の高い覚せい剤をばかげた値段で吹っかけくる。
原価の5倍、10倍の値段でも買わないとやってられなくなってしまうの。
でもここなら大丈夫。
ここならいつでもどんなときでも好きなだけクスリを手に入る」
「だったらなんであなたはドラッグを口にしないの?」
裕美が私の目を凝視した。
「いつから気付いていたの?」
「今日、廊下であったとき」
「あの数分で」
私はゆっくりと頷いてみせた。
「MDMAは中枢神経を刺激し、興奮作用と幻覚作用を持つ麻薬成分。摂取すれば睡眠障害や記憶障害と言った副作用も現れるけど、瞳孔、毛髪、肌どれを見ても健康そのもの、とてもじゃないけど薬物摂取者には見えない」
「さすがうちの学校一の才女と言ったところかな」裕美はソファーにもたれかかるように腰を落とした。
「世の中にはドラッグの後遺症に苦しんでる人間がいっぱいいる。そいつらを助ける為にはどうしても必要うなのさ」
脱法ドラッグ理論。依存性の低いドラッグを法的に認可することでより依存性の高いドラッグの使用を抑制使用とする考え方。
「もう1つ聞いてもいい?」
「何でも」
「あなたの後ろのいる人は誰なの?」
「誰?」裕美は私の質問に不快感をあらわにする。
これだけの施設を用意するにはそれなりのお金がかかる。覚せい剤にしても合成麻薬にしても製造場所は中国やロシアと言った地域であり、それを日本に合法的に持ち込むことはまず不可能といっていい。それはかなりの組織が裕美の後ろについていることを意味していた。
「吉本忠義」裕美は男の名前を告げた。
「国会議員の」
吉本忠義、近畿圏内を基盤とする大物政治家で元厚生労働省官僚から政治家に転身。大泉内閣では厚生労働大臣を二期つとめた大物である。
吉本は青少年の更正に力を入れると共に裏で暴力団とのつながりが指摘されていた。
「クスリは吉本の開発したルートから独自入手しているもの。そこらの路上で売っているロシアや中国のまがいものとは違う純正品」
通常MDMAなどの合成麻薬はロシアや中国などで大量に生産され、密輸ルートにのって日本にやってくる。しかしこの件で吉本が絡んできているとしたら一番やってはいけないことが起きる可能性も考えられる。
それは・・・
「麻薬の密造。吉本はかつてコクヨ製薬との癒着がとりたざされていた。密造されたクスリは暴力団を経由し、市場に出回った。その末端の1つがここってわけね」
裕美はゆっくりとうなずいた。
「でもね吉本が行なおうとしているのはただの密売じゃない。新薬の開発。薬物依存のまったく生じない新しいドラッグの開発に着手しようとしていた」
私は1枚の写真を取り出した。
「これは・・・」
「2日前、渋谷で飛び降り自殺した女の写真。彼女はしきりにともだちにこういってた。新しい薬が手に入った」
「新しいクスリ」裕美は動揺しているかのように口元に手を当てた。
「知っているのね」
「『ナイト・メア』私たちはそう言ってる」
「使ったことは・・・」
裕美が首を横に振る。
「そう」私は小さく息を吐いた。
神木蓮司です
ドラッグについては参考資料等で調べたものを載せていますが、小説にするにあたって事実とは異なる脚色をしています。