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午時葵が咲き 木五倍子編(高島藤次)  作者: 蒼乃悠生
第二章 木五倍子の花
6/8

一.空

 俺はいつものように任務をこなした。が、今日の俺の訓練は途中から中止になり、ある部屋にいる。

 戦争らしい戦闘もなく、ただ訓練をする日々。

 道を歩けば、すれ違う人は軍人だったということが多かった時期もあったが、今では日に日に軍人は少なくなり、同時に戦闘も激減している。

 時代は変わりつつあった。そろそろこの混沌の国も平和な時代へと移り変わっているのかもしれない。

 今日は天気の良い日だ。

 青空を見ていて、非常に心が清々しくなるような気持ちになり、少し冷たい風が肌をくすぐって心地よい。

 そして、基地には、一時期は姿を見せなくなっていた猫達が帰ってきていた。勿論、ちせちゃんと関わりがあった、あの猫も時々顔を見せている。ちせちゃんがいた頃にいた子猫に孫ができていた。

 そんなこともあって、最近は、この基地を猫基地と呼ぶ人が多い。

 気づけば、ちせちゃんがいなくなってから八年の時間が流れていた。年数など、気にするような世界ではないのだが、頭の片隅で数えている自分がいた。


「意外に器用だな」


 そんな自分に対して呟く。


「そうなんスよ~手先は器用な方なんですよね~」


 隣で糸を通した針を持ち、大きく破けたズボンを縫う瀬田が言った。


(しまった。声に出ていたか)


 自分に言った言葉が瀬田を勘違いさせてしまった。が、これはこれで構わないので大きく頷く。


「どうして俺の部屋で縫い物をしているのか聞いてもいいか?」

「木から降りれなくなった猫を助けようとしたら、木の枝か何かに引っかかっちゃって裂けるとは、なんたる失態~」


 違う。

 聞きたいことは、そこじゃないし、破れた原因はそれじゃない。完全に彼の捏造だ。


「俺だけの個室で何故瀬田がいるのか聞きたいんだが」


 と、改めて尋ねる。

 瀬田は布に通し、弛んだ糸に張りを持たせる為に針を引っ張る。その扱う針先がこちらに向けられ、ギョッと驚いた。周りの安全を考えて、針の先端をどこに向けておくべきか、分かっていないのだろう。


「ここには針も糸もありますしね!」

「別にここじゃなくてもあるだろうに」

「ついでに隊長のズボンも直してあげてるじゃないですか~ケチケチしない」

「いや、ケチケチという話じゃないと思うぞ」


 話があまり噛み合っていない気がする。

 しかし、ついで、て。ついで呼ばわりか。

 椅子に座って、片膝を組み、膝に肘付きをする。

 瀬田は床に直接座り、チクチクと綺麗に縫っていく。


「そういえばニノ中佐が、今日は天気がいいから布団を外に干そうって言ってましたよ」

「え」


 ベッドに視線を向けると、きっちりと畳まれた布団が置いてある。


「待て待て。ニノ中佐は出張だろ? それに、その布団を干す話はいつの話? 聞いてない」

「あら、ニノ中佐は出張でしたっけ? 聞いたのは~え~いつだったかな~」

「急に俺の訓練が中止になったのは、もしかしてそのことか?」

「いや、それは隊長が訓練で事故を起こして怪我したからでしょ」


 今日の訓練で珍しく接触事故を起こし、墜落してしまった。勿論落下傘で機体から脱出したので無事だったが、落下した場所が丁度木があり、その木の幹で足を怪我してしまった。そのまま訓練は中止になり、その時に破けてしまったズボンを〝ついで〟に瀬田に直してもらったわけだ。


「医務室に入ってる間に布団を干す話が出たのかな」

「かもしれませんね~」

「おいおい。覚えておけよ」

「過去のことは忘れました」

「忘れるのが早いなぁ」

「今日一日安静にしてくださいね」

「たかだか擦り傷で安静にする必要はないよ」

「擦り傷じゃないでしょ」

「問題ない。動ける」

「平和だから動かなくてもいいんスよ」


 平和という単語を聞いて、一瞬だけ時間が止まったような感覚があった。

 思い返せば聞き慣れない言葉かもしれない。もちろん平和が最も求めている世界の均衡だ。今まで必死に目の前のことをこなしていく内に、頭の中から存在を忘れかけていた言葉。


「そうか」


 本当にみんなが求めていた平和。

 でも、俺には語る資格はない。

 暫く沈黙の時間が続いた。

 瀬田が最後の玉結びをしていた時だった。


「人が落ちてくるぞー!」


 開けていた窓から、人が叫ぶ声が聞こえた。


「なにか衝撃を和らげるものを持ってこい!」


 外の様子が一気に忙しくなる。


「どしたんですかね?」


 瀬田は、糸切りバサミで糸をプツンッと音を立てて切った。

 あまりにも簡単にやるものだから、俺は瀬田から糸切りバサミを借りて、試しに糸を切ろうとするがなかなか切れずに、挙げ句の果てには糸が広がって汚くなる。同じハサミを使っているのに、この差はどこで出るのだろう。不器用さを実感すると、嫁が欲しくなる。

 糸切りバサミも気になるが、それよりも。


「さあ……人がどうのこうのと聞こえたけど」


 窓を全開にして、様子を伺う。

 外を走っていた一人が俺の姿を見て立ち止まった。


「隊長! 怪我は大丈夫ですか!」

「怪我は平気なんだが、なんの騒ぎだい?」


 話をして当たる最中、布団やらマットやらを持っていく人が見えた。


「監視塔から報告があって、人が空から落ちているようです」

「人が?」


 また珍妙な。


「はい。どうやら落ちる矛先が基地内のようなので、どうにか怪我が少しでも軽くなるよう、布団などで受け止めようと急いでいます」

「それは俺も手伝わないと」


 そう言って、窓から出ようとしたら体を張って阻止される。


「隊長は休んでいてください! 俺達でなんとかしますから!」

「いや、でも」

「大丈夫ですから!」


 必死だ。心配してくれるのはありがたい。


「じゃあ、近くまで行って見ててもいいかい?」


 怪我でみんなの足を引っ張りたくはないので、せめて様子ぐらいは確認しておきたい。

 そう言うと、渋々と了承してくれた。

 いつでも出撃しても良いように、靴は履きっぱなしなので、俺は足を庇いながら窓から外に出た。さすがに上官にこの姿を見られたら良くないので、念入りに上官がいないことを確認してから動く。

 怪我をした足をひょこひょこと庇いながら向かうと、恐らく落下地点であろう場所がすぐに目に入った。マットや布団を二重三重と重ねているが、本当にここに落ちるのだろうか。少しでもズレたら大惨事だ。

 そして、手で太陽の光を遮り、上空を見上げる。


「嘘だろ……」


 黒い点がある。あれが本当に人だと言うなら、マットを重ねたぐらいではあまり効果がないかもしれない。かなりの高さから落ちていると推測すると、むしろ我々も近くにいたら危ない。

 死の概念がない世界とはいえ、怪我をしたら痛いし、ミンチになるような事態が起きたら、周りにも被害が及ぶし、再生するのに長い時間を要するだろう。完全に再生するまでは苦痛を伴う。長く時間がかかればかかるほど、その苦痛も長引くというもの。それなら一層の事、楽にさせて欲しいと願っても、この世界では決して叶わない。


「落下地点がもしズレてしまった場合、俺たちも危ない。そろそろ一旦退避したらどうか」


 近くの隊員に伝えると、その隊員は悩む素振りを見せた。


「しかし、まだこの程度のクッション性では……」


 マットと布団を見ながら呟く。

 そして、再び上空を見た時には、黒い点から人影に変わっていた。

 時間の問題だ。


「もう間に合わない。一旦退避せよ! 退避! 退避ー!」


 俺は叫んだ。

 これを合図に、みんなは一斉に落下地点から離れる。

 そして、黒い人影はすぐ目の前にあった。

 そこから落下地点を推測すると、マットを置いた場所は的確。素晴らしい。だが、落下の衝撃は吸収できないだろう。

 最悪の結果が頭をよぎり、思わず目を逸らしそうになるが、ぐっと堪え、遠くから様子を伺った。

 皆が固唾をのんで見守った。

 しかし、あちらこちらから南無阿弥陀と唱えるものや、悲鳴をあげる声が聞こえた。

 俺は落ちてくる影を目で追いかけ、唾を飲み込む。

 頭を下にして落下する人影。

 髪が長い。女性か。

 服から露わになっている手足は白く、細い。あの高さの衝撃では、その手足も小枝のように折れてしまうだろう。

 無理なのは十分に承知しているが、少しでも四肢がバラバラにならないことを願う。


「……ッ!」


 頭がマットに触れるか触れないかの瀬戸際だった。

 一瞬、視線を感じた。酷く冷たい、氷のような。

 ほんの僅かに意識が逸れた後、気付けば人はマットの上で横たわっていた。


「え」

「あれ……」

「怪我してない、よな」

「奇跡だ。奇跡が起きたぞー!」


 一人が叫ぶと、次々追うように叫び声が増えていく。

 横たわっいる人の顔が見えなかった。

 ただ分かるのは、やはり女性だったということと、セーラー服を着ていることだ。


「学生……?」


 俺はゆっくりと近づいていく。

 みんなも様子を見る為に近くへ寄っていた。

 乱れた髪。目は閉じられたままだが、長い睫毛に目が向く。

 もう少し顔を見ようと覗き込んだ瞬間、頭に軽い衝撃を受けた。


「いてっ」


 パサッと音を立てて落ちたもの。

 辺りを見渡すと、俺のすぐ傍に赤い表紙の小さな手帳が落ちていた。

 俺はそれを拾い上げる。


(生徒、手帳……)


 金色の字で、そう書いてあった。

 その表紙をめくろうとした時、女性は呻き声を出した。


「う、うぅ……」


 女性の声を聞いて、周りが一斉にどよめく。


「だ、大丈夫ですか?」


 彼女の頭付近に腰を下ろした若い隊員が声を掛ける。しかし、反応はない。肩を叩いてみるが、目は閉じられたままだった。

 俺は再び生徒手帳に目を戻す。表紙をめくってみた。


「九藤……」


 顔写真と、名前を見て、目を見張った。


「……ちせ」


 苗字は違う。ちせちゃんは木佐だったはずだ。だが、顔をよく見ると、幼かったちせちゃんの面影が残っている。

 偶然かもしれない。間違っているかもしれない。あのちせちゃんである確証はない。

 でも、もし——


(もし、あのちせちゃんだとしたら)


 そう思うと、心臓はバクバクと高鳴っていた。

 改めて横たわっている九藤さんの顔を見る。


「ちせ、ちゃん?」


 まだ確信はないというのに、無意識のうちに彼女の名を呼んでいた。


「ちせちゃん?」


 凄く心配していたんだ。

 孤独に苛まれ、それでも気丈に笑う君の事を。

 無責任にも、俺を頼って欲しいと願い出たくせに、君は元の世界に帰り、俺は何の力にもなれなかった。

 君の生徒手帳を握り締める。

 君は、生きた。

 ここまで大きくなるまで。

 こんなに美人さんになるまで生きてくれた。

 この姿を見られる日が来るとは、正直思っていなかったから、本当に驚いたよ。


(俺……俺は……)


 動揺と共に確信に変わっていく眼差しを向ける。やはり彼女は、木佐ちせだ。


(君に)


 彼女の顔に、そっと触れる。指先だけ。ほんの少しだけ。


(逢いたかった)


 そして、言いたい。


「ごめん、な」


 謝りたかったんだ。

 傍にいてやれなくてごめん。


「いつの間にか、こんなに、綺麗になっちゃって」


 肌が白い顔を見つめる。

 ゆっくりと手を伸ばし、輪郭に沿うように手を添えて、長い睫毛が親指の指先に触れる。


「なんだか、惚れちゃうなぁ」


 あんなに小さくて、無邪気に笑って、子供だった君が大人に。

 癖のない髪の毛も伸びて、綺麗だ。


「変態」

「え?」


 よくよく見れば、彼女は目を開けて、俺を睨みつけていた。

 あ、これは良くない展開かもしれない。

 彼女の視線で体が強張り、石のように固まる。

 すると、彼女の綺麗な右手でビンタをする良い音が辺りを響かせた。




(叩かれたのはいつぶりかなぁ)


 左頬がヒリヒリする。

 休憩室に来た俺は、水で濡らした手拭いを頬に当てた。


「あ、あんなに顔を触ってきたり、見つめてくるような変態はぶたれて当然だよ」


 離れたところで椅子に座っている九藤さんは怒り気味に言った。しかし、引っ叩いてしまったことに対しては罪悪感がある様子だ。

 俺は生徒手帳を彼女に差し出すと、彼女は訝しむように睨みつけ、乱暴に受け取った。


「これは後から落ちてきたんだ。別に奪ったわけではないよ」


 彼女はあまり俺と目を合わせようとはしなかった。と言うよりも、俺を見ようとはしなかった。


「でも、どうして空から落ちてきたの?」

「…………」


 俺の問いに答えず、九藤さんは俯いて黙る。考えているようにも見えた。

 仕方ないので、俺は窓辺に椅子を寄せ、そこに座った。怪我をした足が痛い。長く立ち続けていられなかった。

 溜息交じりに息を吐き、外を眺める。

 真っ直ぐに伸びる滑走路。ところどころに戦闘機が置いてある掩体壕。

 その戦闘機の傍には猫が背伸びをして、欠伸をする。ゆったりとした時間が流れていた。


「猫……」


 猫を見ると、いつも思い出す。

 感情が乾ききったような目をして、猫の傍にいるちせちゃんの姿を。


「九藤さん」

「?」


 返事はないが、俺の言葉に耳を傾けてくれている。


「もう猫に自分の寂しい気持ちをぶつけていたりしてないよね」

「!」


 ガタッと体を震わせた九藤さんは、驚愕したかのように目を見開いていた。何故それを知っているのかと言っているようだ。しかし、九藤さんは息を飲み、静かに、ゆっくりと息を吐いて冷静さを取り戻す。


「なんのこと?」


 まるで俺は敵だと言わんばかりに睨みつけてくる。

 その視線に気付く度に、俺の心は悲しい気持ちが溢れていた。


「なにもしていないなら、俺はそれでいいんだよ」

「ちょっと! わたしのことを知ってますみたいな口ぶりは、なんなの⁉︎」


 口調が荒ぶっている。


「九藤さんさぁ」


 聞いてもいいのかな。聞かない方がいいのかな。


「昔は木佐さんじゃない?」


 聞いてしまった。


「…………」


 九藤さんは黙った。


「……なんで知ってるの?」


 やはり。

 九藤さんはあのちせちゃんだ。

 どのように答えたら、君に拒絶されずに済むのかな。

 言葉選びに時間がかかっていると、九藤さんは再び口を開いた。


「答えられない事情があるとか?」

「違うよ。どう説明したら君に嫌われずに済むかなって」


 一瞬、彼女の目に動揺が映った。


「馬鹿じゃないの」

「え?」

「わ、わたしなんて人に嫌われるのが普通なんだから……そんなわたしに嫌われずにどーのこーのとか、頭おかしいんじゃない?」


 視線を床にずらし、声が震えている。


「それ、どういうこと?」


 思わず声が低くなる。

 こんな思考になってしまう環境下。そして、君の傍にいられなかった俺に対して怒りが篭る。


「お、怒らないでよ……!」


 涙声だった。


「君に怒ってないよ」


 慌てて答えると、九藤さんは双眸から大きな涙を零しながら怯えていた。


「ごめん! 泣かすつもりは……」


 駆け寄ろうと立ち上がった瞬間、彼女は体を大きく震わせた。ビクビクして、怖がっている。

 明らかに様子がおかしい。


(俺の事が……怖い?)


 そう思ってしまったら、体が動かなくなってしまった。

 そして、俺が一番気になっていることを聞いた。


「九藤さん」


 怯えた眼差しが返ってくる。


「ちせちゃん」


 君の目が大きくなる。


「俺の事、覚えてる……?」


 彼女はすぐに答えない。

 時間をかけて考えた後、ゆっくりと首を横に振った。


「知らない。あなたのことなんか、知らないっ」


 彼女の答えを聞いて、生まれて初めて、時が止まったかのような感覚に襲われた。

 出会わなければ、よかった?


「どうして、どうして、わたしは死んでないの……?」


 声が苦しそうに震えていた。そして、その顔は、絶望のどん底にいるかのように歪み、体は小さく見えた。

 彼女の言葉を聞いて、俺は目を見張る。


(もしかして、彼女が落ちてきた理由は)


 彼女の思考と感情、至った行動。

 頭の中に浮かんだ言葉を口に出すことは、到底出来なかった。

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