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2、出現

 俺の皮膚は岩の皮膚、柔さなんか欠片もない。

 俺の髪は枯れた草、瑞々しさとは縁遠い。

 俺の瞳は灰の色、もう燃え終わったゴミの色。




 光を発しながら黒い空間に浮遊する、横幅百メートルはあろうかというオレンジ色のキューブ。斜め下を向いたその側面には幾つもの穴が空いている。その内の一つの穴の奥から、穴の出入り口の方へと出てきたシュターは気怠げに溜息を吐いた。

 

 見つからない。

 

 極上のベッドが見つからない。


「早く寝てぇのに……」

「そんなら、そこらへんのベッドで寝ればいいだろ」


 降ってきた声に頭上を仰げば、キューブの側面に立つアデーレがこちらを見下ろしている。斜め下を向く側面であるため、そこに両方の足の裏を付けるアデーレの頭もまた斜め下を向いていた。ポニーテールに結わえた金髪がやや不自然なかたちで垂れている。


「うるせぇな、俺のこだわり知ってるだろ、アデーレ。ってかいつまでついてくる気だ」

「んー……ラザファムが見つかるまで?」


 その回答に、シュターは沈黙する。誰それが消えたという噂は耳にしたことがあっても、消えた人間が戻ってきたなどという話は聞いたことがない。


「……アデーレ」

「解ってる」


 トン、と身軽な動きで跳んだアデーレが、シュターの隣に着地する。こちらに背を向けたまま、アデーレは言葉を続けた。


「仲間にも散々言われた。消えた人間は戻ってこない。だから忘れろって。忘れようとした。美味しい肉食べてこれからのこと考えてれば忘れられるかなって思った。ラザファムがいなくても生きていかなきゃって思った。だから一生懸命食べた」


 湿った声だ。アデーレの青い瞳にシュターが映る。こいつ案外優しい奴なんだな、と思った。泣かれたらどうするか、とも思った。同時に、何かがシュターの胸を絞めた。


「ごめん」


 アデーレは何故だか謝り、眉を下げた。


「余計な話した。あたし行くわ。またな」

 隣のキューブへ跳び移ろうとする姿勢を見せたアデーレを、シュターは「おい」と引き止めた。

「お前もしかして、仲間のとこへ帰らないつもりか?」

 再びこちらを向いたアデーレの口元に、苦笑が浮かんだ。

「ああ。あたし以外誰も、あいつを探す気ないからさ」

「……そうか」


 それきり口を閉じたシュターにアデーレは頷き、跳ぶ。彼女の腰の銀の剣がキューブの光を反射してキラリと輝いた。綺麗なフォームで跳躍したアデーレは、十メートル弱離れた緋色のキューブに危なげなく着地する。


 ――これで良かったのか?


 キューブからキューブへと跳び移りながら、アデーレは離れていく。その後ろ姿を見送るシュターの頭に疑問が疼いた。


 アデーレは自分にどうして欲しくてついてきていたのか。自分はどうしたかったのか。


 何か悶々としたものを抱えて、シュターは立ち尽くす。本当ならさっさとベッド探しを再開するべきなのだろうが、動く気になれない。


 ふと思い立って、シュターは懐から茶色の包みを取り出した。軍服の男から預けられたものだ。包みを開き、その中身を右手に乗せたシュターは眉を顰めた。


 それは、メダルのようなものだった。掌にすっぽり収まる大きさだ。ラベンダー色の分厚い円のガラスを、見知らぬ言語が彫られた金の縁どりが囲んでいる。いったいどういうものなのか、さっぱり解らない。


 ――何で俺なんだ?


 あの軍服の男の言動を思い出すと、明らかにシュターを選んでこれを預けたというふうだった。つまり、誰かしらに預ければそれでいいという代物ではなく、シュターに預けることに意味があるという事だ。


 かなり気掛かりではあるが、それを考える事に意味があるのだろうかという疑念と諦念が頭をもたげる。三本の剣の赤いバッジを付けた者の命令は絶対だが、その命令は何の意味があるのか理解不能なものが殆んどだという話を聞いていた。恐らく自分が受けた命令も、そのうちの一つなのだろう。


 考えるのが面倒になってきたシュターは、そのメダルらしきものを包みの中に戻し懐に仕舞った。ちょうどその時、シュターは、気がつく。


 空気がざわめいている。あまり遠くない地点に「あいつら」が居るようだ。ざわめきの方向に視線をやったシュターは、自らの顔から血の気が引くのを感じた。


 アデーレが跳んでいった方角だ。


 頭で判断するのよりも先に脚が動いていた。先ほどのアデーレと同じように跳躍し、緋色のキューブに移動する。


 アデーレは弱いわけではない。寧ろ強い部類に入るだろう。常備している剣は伊達ではなく、彼女の剣裁きは達人の域だ。そのうえアデーレにはアレもある。だがあいつは慣れていないはずだ。単独で戦うという事に。


 八つめのキューブから跳び立ったところで、シュターは自らの身体の下方、青藍のキューブの上に立つ黒い影を見た。


 ――うわ。

 ――最悪。


 黒い影は、人型の「あいつら」だった。身長は二メートル弱。黒光りする鎧で全身をガチガチに覆われており、騎士のような兜を被っているがために顔も解らない。漆黒の右腕には、鎧と同じ色の槍が握られている。


 人間の天敵、この世界の怪物は、大きく二種に分類される。一つは、シュターの寝床を破壊した巨大ムカデのように獣や虫の姿をしたもの。もう一つは、人に似た形の身体をもつ人型のもの。どちらが厄介かと問われれば答えは断然後者だ。シュターから寝床を奪ったムカデのような巨体と真正面から戦うとなるときついが、獣や虫の怪物はこちらの気配に鈍い事が多く、また人間を殺すことにそれほど頓着しない。少し脅かせば逃亡していく個体や、十分ほど逃げ回っていれば飽きたように追いかけてくるのを辞める個体さえ存在するほどだ。対して人型の怪物は人間の気配にかなり敏感、且つ殺害する事への執念が凄まじい。一つ救いがあるとすれば、獣や虫の「あいつら」と違い、人型は空間を飛べない、つまりキューブからキューブへと跳んで移動するしかない点だろう。人型の「あいつら」と遭遇してしまったが最後、選択肢はたった二つ――殺すか殺されるか、だ。


 眼下のキューブ上で黒い騎士姿の怪物と、金髪碧眼の少女――アデーレが対峙している。剣を構えたアデーレは、ラザファムの事を泣きそうな様子で話していた時とは別人だった。青い瞳は張り詰めた静寂を湛える湖面であり、締まった顔つきは戦鬼であり、両手に握る銀の剣は殺すための刃だ。


 黒い騎士が腰を落とし、矛の切っ先の狙いをアデーレに定める。その一対一の真剣勝負の火蓋が今まさに切って落とされるかと思われたところで――シュターは、拳を握る。


 降下しながら握った拳を天敵へ向けて鋭く振り上げた刹那、黒騎士の頭が僅かに傾きこちらを見た。鎧の身体が跳ねてキューブから斜めに離れたのと同じくして、シュターの右の拳がキューブの側面に衝突する。鼓膜が唸る衝撃音と共に、シュターの拳を中心としてキューブの表面に幾つものヒビが走った。


「シュター!?」


 アデーレは驚愕の表情を浮かべるも、その眼は冷静に黒騎士の動きを追っている。シュターもまた素早く敵に視線を投げ、キューブに跪いた状態から立ち上がった。


 シュターの攻撃を躱した黒騎士は、元居た青藍のキューブの斜め上に浮遊する真っ白なキューブの側面を蹴り、槍を構えた姿勢でこちらに猛然と跳ぶ。アデーレが凛と剣を掲げ、颯然とした声を張り上げた。


「打ち殺せ!」


 白銀の剣の切っ先から放たれた白い稲妻が、敵めがけ黒い空間を一目散に駆けていく。それを間一髪で避けた黒騎士に、拳を握った青年の影が迫る。手応えがあった。シュターの渾身のパンチを諸に喰らった黒騎士の身体が吹っ飛び、衝撃音を伴って傍にあった灰色のキューブに叩きつけられる。人間のパンチとは思えない威力の一撃だ。


 アデーレには剣術と雷がある。いなくなったラザファムはシュターの記憶の限り、業火を吹いて敵を焼き尽くす能力があった。対して、シュターに与えられた能力は怪力。そして――。


「やったか?」


 ヒビの入ったキューブに立つアデーレの隣に着地したシュターは、敵の身体が叩きつけられた衝撃で大量の粉塵が舞う灰色のキューブを凝視する。その右手は、鋼の固さの鎧を殴った後だというのに傷一つついていない。


 この世界の一部の人間は特殊能力を持つ。アデーレ、ラザファム、それにシュターの三人は特殊能力保持者だ。アデーレは雷、ラザファムは炎、シュターは怪力と、滅多なことでは傷つかない肌の持ち主だった。


 不意にアデーレが顔を引きつらせ、後方に剣を薙ぎ払う。血飛沫が飛び悲鳴が宙を裂いた。シュターが振り返った先に立っているのは、毛むくじゃらの人型の胴体に狼の頭がついた「あいつら」だ。黒騎士と戦っている間に忍び寄ってきていたらしい。張り出した胸板に横一文字にパックリと開いた傷口から、真紅の血をダラダラと垂れ流している。それでも倒れる様子はなく、狼の頭の怪物の脚がヒビの入ったキューブの側面を蹴った。


「走れ!」


 アデーレの澄み声が響き、前に飛び出した半獣とシュターたちとの間のキューブの表面を青白い雷が蛇のように走る。怯んで動きを止めた半獣に向かい、アデーレは剣を振り上げた。


「纏え!」


 掲げられた長身の剣に、薄花桜色の光の筋がバチバチと弾ける。雷の剣を、アデーレは大きく振るった。


 その戦闘の行方をじっくり見守ることも、助太刀に入る事も、シュターはできなかった。自らの左胸めがけ、黒光りする槍が突き出されたのだ。鋭利な切っ先が身体に届く直前、シュターは咄嗟にその穂先を右掌で鷲掴みにして防いだ。刃を素手で握っている状態だが、固い黒い皮膚の右手からは血の一滴も出ない。槍の持ち手である黒騎士の姿を見ると、兜の左の側頭部がへこんでいた。先ほどシュターに殴られた箇所だろう。


 右手で穂先を握ったまま左手で槍の柄の部分を持つと、シュターは力任せに黒騎士からそれを取り上げ――両の腕で容赦なくへし折った。ガタンと重い音をたてて折れた槍がキューブの上に転がる。


「もうこれで丸腰だろ、お前」


 一歩後ろに退いた黒騎士に向かい、シュターは言葉をかける。


「素手で殺り合ったら絶対俺の勝ちだぞ。悪い事言わねぇから、帰れよ」


 頼むから帰って欲しい。心の底からシュターは願う。この調子で戦っていれば恐らく勝てる相手ではあるが、戦闘だなんて怠い所業は早く終わるに越した事はない。尤も、「あいつら」に人間の言葉が通じるのかは疑問だが。


 そんなシュターの願望も虚しく、黒騎士は低く腰を落とし両腕を構えた。こちらが嫌になるほど戦闘意欲が全身からみなぎっている。


 溜息をついたシュターはアデーレの方を一瞥した。まだ半獣との戦いが続いているが、明らかにアデーレが優勢だ。敵が倒れるのは時間の問題だろう。


 あとちょっと頑張れば終わると言い聞かせ、シュターは改めて黒騎士と正面から向き合う。だがその次の瞬間、余裕の表情を浮かべていたシュターの身体がビクリと震えた。


 ――っっっ!


 右の上腕を突然襲った激痛に、シュターは歯を食いしばって耐えた。痛みの走った箇所に視線を投げ眉を顰める。剥き出しの上腕が透明な液体に濡れ、薄っすらと赤く爛れていた。嫌な汗がシュターの額を伝う。


 ――酸か?


 ちょっとの事では傷つかない皮膚ではあるが、無敵というわけではない。刃物で勢いよく突かれれば少しは刺さるし、よっぽどの強い衝撃を受ければ打撲の跡もできる。何より弱いのは酸だった。普通の人間の皮膚ほどはダメージを受けないが、刃物や衝撃に対するそれよりも耐性は低い。


 果たしてこの液体はどこから来たのか。液体を服で拭い考えを巡らせたシュターは、ゆっくりと頭上を仰ぐ。


 ムカデだった。


 よく似てはいるが、ついこの間シュターから寝床を奪った個体と同一なのか、そうでないのかは解らない。体長二十メートルはあろうかという巨大ムカデが、シュターの上空三十メートルほどの地点を円を描くように、地上の敵に狙いを定める鷹のように蠢いている。


 形勢が一気に変わった。


 人型の「あいつら」二体だけならともかく、あの巨体まで敵に加わるとなると状況は不利だ。唾液だか何だか知らないが、酸性の液体という武器を持っていることを考えると、シュターとの相性も悪い。


 空気の揺らぎにハッとして、シュターはその場から後方へ跳びすさった。黒騎士が殴りかかってきたのだ。敵のパンチを躱したシュターの耳が、アデーレの切羽詰まった声を拾う。


「打ち殺せ!」


 稲妻が放たれたのは半獣へではなく上空へ向けてだった。その方角へ目をやったシュターは顔をこわばらせる。ムカデが迷うことなくこちらへ直進してきている。紙一重で稲妻を避けたムカデの巨体は、もう目の前と言ってもいいほど迫っていた。


「アデーレ! 気をつけろ! こいつ酸を吹くぞ!」


 シュターがそう叫んだ刹那。すぐさま襲いかかってくるかと思われたムカデが突然ピタリと動きを止めた。ムカデだけではない。黒騎士も、血をダラダラと流す半獣もだ。時が停止したかのような中で、半獣の荒い息遣いだけが聞こえた。


 何が起きているのか解らず周囲を回視するシュターの前で、空間に白い線の切れ目が入る。まるで透明な何者かがそこで筆を動かしているかのように、黒い空間に、両開きの白い扉が描かれた。


 シュターとアデーレが固唾を呑んで見守るうち、扉が無音でゆっくりと開く。扉の向こうは光が溢れていた。溢れる光が強すぎて、眩しすぎて、光以外の何が扉の向こうにあるのか判然としない。ただ解ったのは、そこから一人の人間が、こちらの黒い空間に足を踏み入れてきたということだった。


 それは、一人の女だった。


 おかっぱに似たショートカットの黒髪に、澄んだアメジストの瞳。パッチリとした眼は可愛いと言えば可愛いが、どこか強さも感じさせる。細身に纏っているのはつるつるとした薄い生地の緑の上下だけ。歳は20より若いくらいだろうか。半袖から覗く肌はシュターの褐色のそれとは対照的な真っ白な色をしており、薄い唇が真一文字にきりりと結ばれている。


 アデーレは困惑の表情を浮かべている。同じように戸惑っていたシュターはふと気づいた。自分の懐が妙に温かい。手を入れた先にあったのは、黒い軍服の男から受け取った茶色い包みだった。何かに急かされるように包みを開いたシュターは息を呑む。温かいのは、熱を発しているのは、ラベンダー色のガラスの部分を淡く光らせる、あのメダルのような物体だった。


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