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1、預かりもの

 白き柔肌もつ君は、何を思っているのだろう。

 青き瞳で君の眼は、何を見つめているのだろう。

 茶の髪靡かせ今君は、何を笑っているのだろう。




 横を向いた姿勢でベッドに眠っていた青年は、自身の身体が強張るのを感じるのと同時に瞼を開けた。浅黒い肌と白い癖毛をもつ青年の紅い瞳に、見慣れた風景が映る。


 青と灰が混じったような色をした壁と床の、縦に細長い洞窟のような空間。青年の背中側は行き止まりの壁であり、その反対側に10メートル弱進んだ先が出入り口で、真四角の穴がぽっかりと空いている。部屋の中央の囲炉裏には鍋がかかっているが火の気配はない。いつもの穏やかな静寂が消えていた。音は無いが、空気がさざ波のようにざわめいている。

 

 青年――シュターはベッドから降りると、洞窟の出入り口へと速足で歩きだした。裸足に石の床がひやりと冷たい。

 

 外は無限に広がる黒い空間だ。様々な大きさ、様々な色のキューブが、ぼうっと光りながら散らばって浮かんでいる。殆んどのキューブは人間よりデカく、穴がいくつか空いている。今シュターがいる場所も、とあるキューブのとある穴の内部だ。

 

 穴から身を乗り出して黒い空間を凝視したシュターは、溜息を一つ零した。


「あーあ……」


 ムカデが、こちらに向かって突き進んでいる。


 体長は二十メートル前後だろうか。真っ黒の空間を泳ぐようにして猛進している。常日頃から思っている事だがあいつらはずるい。自分たち人間はキューブからキューブへと跳び移っていくしか移動手段がないところを、連中は息をするが如く自然に何もない空間を突っ走ってくるのだ。不公平この上ないではないか。


「逃げ切れるか?」


 ぼやきながら周囲を見回すと、シュターは視界の右端に浮遊する赤紫のキューブに目を留めた。距離的にぎりぎり飛び移れそうだ。


 両脚に力をこめて石の床を蹴る。純白のロングコートのような上着をはためかせ、シュターは跳んだ。


「よっと」


 目論み通り赤紫のキューブに着地するも動きを止めることなく、シュターはキューブからキューブへと跳び移っていく。


 突然、頭が割れるような凄まじい衝撃音が響き渡った。思わずビクッとし、濃い緑のキューブの上に着地して背後を振り返る。


「うわぁ……」


 視界に入ったのは、先ほどまで自分が睡眠をとっていた紺色のキューブに巨大ムカデが激突している様だった。突進された衝撃でキューブにひびが入る。あっという間にガラガラと崩れたキューブは、プカプカと浮かぶ瓦礫の群れと化した。


「……そこそこ気に入ってた寝床なんだけど」


 腹立たしげに呟くも、シュターは再び前を向き次のキューブへと跳ぶ。早くこの場を離れなければ。あの巨大ムカデに目をつけられたらたまったものではない。


 そのまま跳んでは着地し、着地しては跳ぶのを繰り返して、やがてシュターはある地点で動きを止めた。後ろに視線をやるも、ムカデの姿は見えない。どうやら逃げ切れたようだ。


 これからどうするかと考えながら、シュターは懐から四つ折りに畳まれた紙を取り出す。


「また極上のベッドを探す放浪の旅か……?」


 真剣な表情でそう口にしたシュターは、両手で持った地図を睨む。


 この世界にあるのは、黒い空間とキューブと人間、それに、〈あいつら〉だ。


 自分がいつからここにいるのか解らない。以前は別の場所に居たような気がするのだが、頭にある記憶は全てここでの生活のことだ。他の人間たちに尋ねてみても皆首を捻るばかりである。気づいたらここにいたよな、そうだよな、というふうに。


 〈あいつら〉というのは人間以外の生き物、すなわち先刻突如として現れシュターの寝床を破壊したムカデのような怪物どものことである。呼び方は特に決まっていない。「化け物」「怪物」「デカブツ」「あいつら」「連中」、そういう呼称のされ方をしている。シュターは主に、「あいつら」「連中」と呼んでいる。


 キューブからキューブへと跳び回り、あいつらから逃げ、時には戦う日々。いったい何のために生きているのかと問われれば、シュターは即座にこう答える。


「ベッドのため」


 良いベッドを探すのはなかなか困難だ。単に寝る場所を探すだけならそれほど難しくない。あちこちに浮遊するキューブを探せば、10個に1個程度の割合でベッドや囲炉裏などが揃った部屋のような穴が見つかる。だが良いベッド――丁度いい柔らかさ、質感を備えたベッドを見つけるとなるとそれなりの手間がかかるのだ。100個のキューブをしらみ潰しにして手に入れられればかなり幸運な方である。だが、多少苦労してでも、自分の身体に合った最高のベッドで眠る幸福は極上であり、シュターはその極上の幸福のために生きているのだった。


 以前は疑問があった。気がつけばそういうシステムの世界にいたわけだが、ベッドにしろ火元にしろ水にしろ、それらは自然発生するものなのか? 誰かが用意しているのか? だとしたら用意しているのは誰なのか?


 しかし考えたところで解るはずもなく時は経ち、最近はただそういうものなのだと受け止めて過ごしている。


 開いた地図を再び折り畳み懐にしまったシュターは、眼前の黄色いキューブへと跳んだ。ベッドを探しつつ、腹を満たしに行こうという算段だ。


 ――まあでも、ある意味では運が良かったかな。

 

 キューブに着地し、ベッドなどのある穴がないか調べ、見つかれば両手でベッドのマットレスを押してみたり実際に寝転がったりして寝心地を確認する。そんな作業を熱心に黙々と続けながらシュターは考える。


 ――さっきみたいなデカいのは鈍いから、早く気づけば戦わずに逃げ切れる。


 満足できるレベルのベッドはなかなか見つからない。もやもやとしながら32個めのキューブを後にしたシュターは気がついた。


 空間に、キューブではないものが浮かんでいる。


 ――ベッドの前にこいつが見つかったか。


 それは、板の形の石の足場だった。だだっ広い平らなスペースのほとんどを一軒の大きなコンクリートの建物が埋めている。自分たちが「台場」と呼ぶ代物だ。


 白いキューブから台場へと跳んだシュターは、自動ドアを潜り抜けてその建物へと足を踏み入れた。食べ物の良い香りが鼻をくすぐり、シュターの腹が鳴る。


 台場の建物は中に食堂と店とが入っている。大体の場合食堂は一つきりで、あとは服飾店や薬屋、日用品店、武具店などだ。この世界に幾つ台場があるのか知らないが、恐らく数えきれないほど沢山あるのだろう。今シュターが来ているのは何度も世話になっている馴染みの台場だった。


 食堂に入るとまず左手にカウンターがあり、割烹着のややふくよかなおばちゃんが立っている。


「あらシュターじゃない、久しぶりね」

「ああ」


 うなずいてカウンターに置かれたメニュー表に視線を落とすも、すぐに考えるのが面倒臭くなる。


「何かお勧めの肉料理で」

「あいよっ」


 おばちゃんの、「カツレツ1つ!」という威勢の良い声が響き渡る。カウンターの奥の厨房からそれに応える声が聞こえた。


 食堂を見回す。人影は少ない。八人掛けのテーブルが十卓ほど並んでいるが、今食事をしているのは七人ほどだ。


 早く料理来ねぇかな、とぼんやり思っていると、突然、背後から肩にぽんと手を置かれた。


「うわっ」


 驚いて振り返った先に立っているのは、にやにやとした笑みを浮かべる、碧眼に金髪のポニーテールの女だ。


「よぉ、シュター」


 片手を挙げて挨拶をする姿は、本人の美貌もあってなかなかに決まっている。


 アデーレ、というのがこの女の名だ。歳はシュターより少し若いくらいだろう。女子にしては長身の彼女はシュターとあまり変わらない背丈だ。剣士なだけあって引き締まった身体に黒と水色を基調とした動きやすそうな服を纏っており、左胸には銀の胸当てが、腰のベルトには銀の剣が光っている。


「相変わらず大きい声だねぇ、アデーレ。何にする?」


 おばちゃんの問いに、アデーレは迷うことなく「何か美味しい肉!」と元気よく答えた。


 アデーレとはなぜだかちょくちょく会う。嫌な奴では決してないのだが、よく喋る、よく笑う、よく食べる、よく動くという奴で、ベッドを探す以外の時はなるべくグウタラしていたいシュターからすると、一緒にいるだけでエネルギーを持っていかれる厄介な相手だ。


 カツレツと野菜の付け合わせがドカリと乗った平皿が運ばれてくると、シュターはさっさとトレーを両手にその場を離れた。アデーレを待つ義理はないし、できれば一人で食べたい。


 だが、シュターの願いはあっけなく打ち砕かれる事となる。


「お待たせ!」


 適当な席に座り黙って野菜をもさもさと食べていたシュターの向かいに、同じ料理の乗ったトレーが置かれる。


 さも当たり前かのように椅子に腰を下ろしたアデーレを、シュターはじとりと睨んだ。


「誰も待ってねぇよ?」

「んな冷たい事言うなよ。友達だろ?」

「友達になった覚えはねぇ」

 ややげんなりとしたシュターに対し、「ねえ」とアデーレは身を乗り出す。

「ラザファム、どっかで見かけたりしてないか?」

「ラザファム?」

「あたしの仲間の、背が高くて長い黒髪の男。覚えてない?」

「ああ……」

 言われてみれば二、三度会った気がする。


 アデーレは数人の仲間と暮らしている。アデーレに限らず大体の人間はそうだ。一人でいるより数人で協力し合った方が生存率が上がるという考え方である。シュターのように常に単独である方が珍しい。


「ラザファムがどうかしたのか?」

 シュターが尋ねると、アデーレは顔を曇らせた。

「……消えたんだよね」

「……ああ」


 意味を察したシュターは、それ以外、何と言えば良いのか解らなかった。


 ここでは、人が消える。ある日忽然に。単独行動のシュターは実際に「あいつが消えた」と経験した事はないが、この世界の常識として知っていた。人は消えるものなのだ。


「ほんとにいつの間にかいなくなってた」


 普段とは打って変わったトーンの低い声で、アデーレは目を伏せる。


「ねえ、シュター」

「何だよ」

「この世界って、何なのかな」


 答えられずに、シュターはミニトマトを一つ口に運ぶ。アデーレは言葉を続けた。


「この台場だって変だろ。この料理の材料の食べ物とか、店の商品とか、いったいどこから湧いて出てくるんだよ?」

「考えても仕方ないだろ。誰も知らねぇし、台場の人も口止めされてるとかで答えてくれねぇし」

 シュターのセリフに、アデーレがばっと顔を上げた。

「台場の人に聞いたことあるんだ?」

「そりゃ俺だって、気になってた時期もあったしな。もう考えるの辞めたけど」


 台場の人間――台場の食堂や店で働く人間は、自分たちと異質だ。雰囲気が何となく違う。それに、商品というものを扱っている以上、自分たちの知らないことを知っているに違いなかった。さっきのおばちゃんも含めて、だ。


 アデーレの止まっていたフォークとナイフが突然動き出し、肉が一口大に切り刻まれていく。それがアデーレの口に次々と入っていくのを眺め、シュターは呟いた。


「仲間がいなくなった後でも、飯食えるもんなんだな」

「いなくなった後だからだよ」

「は?」

 聞き返したシュターに対し、アデーレはもぐもぐと料理を貪りながら答える。

「ラザファムがいなくても、生きていかなきゃならないんだからな」

「……そうか」

 相槌を打ったシュターは、自らもカツレツを食べようとナイフを握る。


 その時、アデーレでも、おばちゃんでもない声がシュターの背中に掛けられた。


「やあ。シュター君だね?」


 今まさにカツレツにナイフを入れようとしていたところを、シュターは振り返る。


 そこにいたのは、黒い軍服の男だった。黒髪に黒い瞳の口ひげを生やした中年の痩せた男で、軍人らしくやたら姿勢が良い。初めて見る顔だが、穏やかで人の好さそうな目だ。左胸には三本の金の剣が交わったデザインの真っ赤なバッジが付けられている。そのどこか気さくそうな雰囲気にも関わらず、シュターの背筋に悪寒が走った。


 ――逆らってはいけない存在。


 三本の剣のバッジには、逆らってはいけない。というより、逆らえない。それがここのルールだ。


「……何でしょう」

「そんな構えないでくれたまえよ」

 苦笑を漏らした軍服の男は、茶色の包みをシュターに差し出した。

「……?」

 ナイフとフォークを一旦置き、包みを受け取ったシュターは感触を確かめる。何か固くて平たいものが入っているようだ。

「突然で悪いが、それを預かってほしくてね」

 男のセリフに、シュターは眉を顰めた。

「預かる?」

「ああ。それから何か出てくるかもしれないが、出てくるものの面倒も頼みたいのだ」

「へ?」

 意味が解らずきょとんとするシュターに、軍服の男はあっさり背を向けてしまう。

「それでは、頼んだよ」

「え、あの、何か出てくるって、いったいどういうことですか?」


 慌てて質問するも、男は答える事なく食堂から出ていく。


 呆然として、シュターは手の中の包みをまじまじと見つめるしかなかった。


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