第九話 元勇者と元姫はその目的に関し賢者に疑問を投げかけられる
魔族の世界と人間の世界の境目の町。
ここでは魔族と人間の共存が進んでいた。
このような現象は国境のすべての町で進んでおり、戦乱の終結にもかかわりがあった。
アダムは名実ともに勇者であった時代、こういう光景を見ては自分の使命に疑問を持ったものだった。
「本当に魔族と人間が共存しているのですね」
馬の上からリーリアは目を丸くして町の日常風景を目に焼き付けている。
そこには角を生やした魔族が人間向けの服を扱う店を開き、ゴブリンと人が共に人夫として働き、酒場で鱗肌と普通の人間が酒を飲みかわす光景があった。
「こういうのは珍しくないのですよ。百年前ならいざ知らず、今の時代は多種族融和の時代です」
「そうなのですか……」
王都では聞いたこともない話だ。
姫の思っている以上に融和は進んでいる。
つい最近まで両陣営が戦火を交えていたとは思えないほどだ。
実際、戦乱とはいってもその様相は百年で大きく変貌していた。
収奪的だった軍需品調達はいつしか正当な経済活動として市場を圧迫しない形で国に寄生し、軍事行動は立派な公共事業へと変わっていった。
やがて戦争をその経済の主眼として必要としなくなった中小資本家たちは、革命と即時講和という形で強制的な平和をもたらすことを画策し始める。
健全な商取引を両陣営間にもたらそうという動きが活発化し始めたのだ。
そのような時代の変遷に対応できなかったのが王室と勇者だ。
時代のうねりは革命による王政の打倒と勇者の追放という形で噴出した。
こうして世界は平和になったのだ。
勇者も姫も、その存在をここにねじ込む余地はないように思えた。
「この世界で今、魔王はどういう立場にいるのでしょうね」
リーリアは訊ねる。
この旅の目的に関わる重要な事項だった。
彼女の勇者はよどみなく答える。
「まずはそこに関しても生の情報を集めなければなりませんね」
集めてどうするのか?
魔王の存在、もはや世界に害なしと結論付ければ旅を止めるとでもいうのか?
そうではない。
そうではなかったのだ。
彼には、彼と彼女が背負い込んだものは単なる事実にぶち当たったくらいで降ろしていい使命ではなかったのだ。
自らに課した、存在の根本。
ともかく二人は宿を考えなければならなかった。
前の町のように馬鹿正直に宿屋に泊まればまたすぐに居所がばれ、焼き討ちに遭い、無用な犠牲を出すことになるやも知れない。
だからと言って市井の民の家に宿を借りるのもはばかられた。
夜になっても結論は出ず、二人は途方に暮れる。
「もし、そこな二人の旅のお方。お困りですかな?」
道端から馬上の二人に話しかけてきたのはたっぷりとひげを蓄えた老人。
何歳かわからないが(かなりの高齢ではあるようだ)足腰は確かなようで、背をぴしっとまっすぐに立てている。
「宿に泊まればいいところを所在なさげに馬であたりを闊歩するなど、何か事情がおありのご様子。どうですか? 私の庵に泊まられては? 安全ですぞ」
どう見ても怪しい。
しかし他に泊まる当てもない。
二人はせっかくの申し出だからとそれを受けることにするのだった。
たとえ窮地に陥ってもいつでも逃げ出せるように警戒しつつ……。
「狭苦しいところですがどうぞ」
そう言って席を進める老人。
二人は促されるままに平屋建てで三、四部屋しかない小さな家の小さな席に着く。
家の中はよく掃除が行き届いてはいるが、古臭いテーブルの椅子は二脚しかなく、老人は木箱を運んできてそれに座った。
どっこらせ、と、大儀そうな声を出しながら座る老人だった。
「いやはや年を取ると座るのも一苦労ですな。さて……」
老人はじっとテーブルをはさんだ向かいに座るアダムとリーリアを見据える。
その眼光はこれまでの好々爺然とした趣とはずいぶん違っていた。
あの、と、声を出しそうになるがそうしてはいけない気がして二人は随分長いことその視線に自分たちを晒していた。
老人が口を開く。
「旅のお方。どちらから参られたのかな?」
リーリアが答える。
「王都からです。革命騒ぎを避けて、落ち着く場所を探して旅をしています」
「ほう、それだけのためにこんな国境の町へ?」
リーリアは答えに詰まる。
嘘が下手なのだ。
代わりにアダムが答えようとするが、老人が手を掲げて制止する。
「嘘偽りはあなたの徳ではないはずですよ、リーリア姫」
「なぜ私のことを…!」
「やはりそうでしたか」
迂闊にも自分の正体を自ら明かしてしまう彼女だった。
苦虫をかみつぶしたような顔をするアダム。
「自己紹介がまだでしたな。私はジーベルと申すものです」
「賢者ジーベル!」
リーリアが驚きの声を上げる。
その名が王国中に広まる偉大な学識の徒であり、王国最高の使い手とも言われる魔法使いでもある。
「そんなお方がどうしてここに、それと、何故私がリーリアであると?」
ジーベルは一つずつ答える。
「まず、革命の中心には居たくなかった故、ここに仮の住まいを求めた次第。あなた様があなた様とわかったのは王の間に畏れ多くも賓客として招かれた過去があったからです」
リーリアは恥ずかしさに顔を赤らめる。
フードで顔を半ば隠していても先方には正体がばれていたというのにこちらと言えば一度お目にかかったはずの相手を忘れていたのだから。
「まあそう気に病みませぬよう。リーリア姫。やはり追われているのですか。そちらの方は……」
アダムも身分を隠す必要がもうないので、偽りなく自分が勇者、いや、かつてそうだった者だと伝える。
ジーベルに何かする気があるのならもうとっくに何かされているはずだし、罠だとするならこの家やその周囲(無論、家に入る前に十分確認していたのだ)は何の変哲もなさ過ぎた。
「左様ですか。そうですか。して、お二方」
真剣そうなジーベルの声の調子に打ち解けかけた空気を再度引き締める二人だった。
「この旅の目的は何ですかな? ただ単に逃げ、落ち延びるだけというわけではございますまい」
「それなのですが……」
さすがにみなまで話すべきか躊躇する。
今の時代に魔王を倒し、王族身分を復古させようなど、いたずらに動乱の原因を作ろうとしているとしか思われまい。
そのことは二人も十分承知しているし、葛藤に悩むこともあった。
もちろん二人に政変や混乱を望む意思のあろうはずもない。
だが、使命を押し通すということはそういうことなのだった。
言葉に詰まってしまった両名の様子を見て、ジーベルの方から新たに質問を投げかける。
「勇者様。今は勇者ではないとおっしゃられるかもしれないが、勇者様とお呼びしますぞ? あなたの目的は何ですか? 勇者としての目的です。それはかつてと比べて今も変わらぬものですか?」
アダムは述べた。
滔々(とうとう)と勇者の責務を。
魔王が如何に残虐で酷薄であるかに始まり如何に彼の者が血を好み、戦乱の原因となり、世の平和を乱しているかを。
そしてその魔王をこの世から除くことがいかに重要な使命であるかを。
かつて自分でも完全には信じてはいなかった言葉を、今はすらすらと自信ありげに口にできる。
かつて……いや、今はもうその信心は四割ほどに落ち込んでいる。
それでも今の境遇になって、より強く責務として固く保持することに決めていたのだ。
ジーベルはそれにじっと聞き入っていた。
アダムが言うべきことを述べ終えるのを待ってから、ぽつりぽつりと言葉を返し始める。
「あなたは借り物の言葉で語っていますな。引用符付きの言葉の響きしか聞こえてきませんぞ」
突然の非難がましい物言いに面食らってしまう元勇者だった。
「人から聞いた言葉は語りやすいものです。なにせ自分がその言葉に説得された、という経験があるのですから。安心して説得の道具として他人に語り聞かせることができます。もっとも、今回はあなた自身、そこまで自分の言葉を信じていないような印象も持ちましたが」
その通りであった。
勇者としての運命が決定した幼いころから、何度も聞かされてきた言葉。
それを自己の言葉に咀嚼する労苦も厭ってただただ口を突いて出るままに語ってしまったというきらいがあった。
アダムは少々うろたえる。
自分は自身の運命に対しそれだけの認識しかもっていなかったのかと。
「次にその内容です」
ジーベルの言葉にアダムは身構える。
リーリアは黙って賢者の話に耳を傾けている。
「魔王が邪悪とおっしゃいましたがここ十年の間玉座にある現魔王ヴォルフガングは開明的なお方です。彼無くしてこの度の講和はあり得なかったでしょう。そんなお方を討つことが一体世界の平和に何の意味をもたらしましょうや?」
痛いところを突かれる。
彼自身答が出せないでいる部分だ。
答えに詰まる。
黙ってしまった元勇者を見て賢者は今度は元姫の方に質問する。
「リーリア姫様。あなたの目的は?」
彼女もまたアダムのように自分の夢を話し始める。
決して私心からではない、民のためを思っての行為なのだと。
自分が民の上に立つことで指針となれるのならこれ以上の喜びはないと。
ジーベルはまたそれにじっと聞き入ると言葉を返す。
「お言葉ですが姫様、それだけのためにご自分をせっかく共和制として成立した国家の上層に据えようなどというのは些か勝手が過ぎますな」
リーリアはそれを聞いて先ほどとは別の思いで頬を紅潮させる。
侮辱ととったのだ。
アダムはなだめようか迷う。
「勿論、あなた様が私利私欲からそうしようとしているわけではないのはわかっています。しかし国は共和制で十分回っていくでしょう。あなた様が元の地位に返り咲く意味は果たしてありましょうや?」
言い返せなかった。
二人は賢者の当然の問いにただ沈黙をもって答えるのみだった。
ジーベルは笑みを浮かべて、
「さあさあ、そう暗くならずに。今日はもう遅うございます。夕飯を支度しますから待っていて下され」
「私、手伝います」
「姫様!」
少女の素朴な申し出をアダムが制止する。
ジーベルは笑って応じる。
「いやいや、姫様に台所仕事を手伝わせるだなんて事は出来かねます。どうか、座って待っていてください」
二人は押し黙って座っている他ないのであった。