第七話 元姫は体験と知識のあるべき有様を語る(4)
「さて、取り決めをしようじゃないか。魔法は禁止にしよう。純粋に剣戟を楽しみたい。まああたしとの攻防の中で詠唱をする暇ができるはずもないから無用な取り決めかな?」
「ああ、いいだろう」
人通りの少なそうな路地裏に着いた後、申し出が出される。
アダムは躊躇なくそれに応じるとリーリアに下がるよう身振りで伝え、剣を抜く。。
女戦士も腰の曲刀を抜く。
今までマントに隠れて全容が見えなかったが、片手で扱える半月刀のようだった。
リーチでは両手で持つ長大な長剣の方に分があるが、その程度の利で安心はできない。
相手は歴戦の勇士なのだ。
彼女の顔から笑みが消える。
お互いににらみ合いながらお互いの間の空間を適度な距離に広げ、構え、腰を落とす。
リーリアと、今や彼らを輪になって取り囲むほどになった観衆は固唾を飲んで見守る。
アダムは剣を日本剣術で言う八双に構えている。
持ち手を顔の右横に持ってきて、剣先は高くまっすぐに天頂を指し示めす。
腰は高く保持され左脚が前足となる。
対する女戦士は半月刀を右手で大きく後ろに担いだ格好。
こちらはアダムとは対照的に深く腰を落とし込み、大きく足を開いている。
先に仕掛けたのはアダムだった。
大きく踏み出された右足、たった一歩で彼我の距離を詰め切り、転回された体に引っ張られるように剣がアダムの右側から繰り出される。
その一撃はキーンと甲高い金属音を立てて女剣士の半月刀に防がれる。
これは予想通り。
アダムは左足を踏み出し、再度体をひねると今度は左側から剣を振るう。
日本刀で言う峰に当たる部分、両刃剣なので当然そこにも刃が有る。
裏刃と呼ばれるそれを使った一撃だ。
交差させた腕により裏返った刀身は裏刃を正確に女戦士の側頭部に切り込ませる……。
はずであったがまた半月刀で受けられる。
これも予想通りだ。
アダムの狙いは最後の一撃。
交差させた腕のひねりを逆方向へと解き放ち、剣を再び翻す。
その動作は神速だ。
剣筋は垂直に切り下される形となって女戦士の頭頂部から入り込み、唐竹割となって包丁を入れられたスイカのごとく頭部を両断する。
……というイメージを与え、敗北を確信させるために、アダムは寸止めでその一撃をとどめるつもりであった。
しかし……。
女戦士の左手に握られた半月刀の鞘が、それを防いでいた。
これは予想外の対応である。
アダムは慌てて剣を下ろし、自分の左方、女戦士が半月刀を持つ右手側からの切り付けに備える。
それは来なかった。
しかし意外な方向から……。
ぞくりと感じる危機感、アダムは咄嗟に腰を引いて回避する。
突き。
敵の左手側から!?
驚くべきことに女戦士は右手に持った半月刀を右手側からではなく、左手側から突きとして繰り出してきたのだ。
不可能だ。
ごく普通に右から返してきて左から突いたならアダムの長剣に阻まれていたはず。
どうやったのか。
後ろ手に回した右手、彼女自身の背後をくぐらせて背中側から剣の湾曲を利用し正面の敵を突く……。
王国にはない、東方の闘技の技法だった。
アダムは無理な回避で重心が崩れた体を後ろ飛びに背後へ運び、転がって受け身を取る。
仕切り直しだ。
女戦士は今や右手に剣、左手に鞘をもって踊るような動きをしている。
明らかに異国の剣法である。
「さすがだ! さすがだよ! この攻撃を見切れたのはあんたが初めてだ……! おっと、つい興奮してしまった。この距離は不味いな、魔法を詠唱されるかもしれない。ならば!」
魔法を使われる前に距離を詰めようという腹積もりである。
アダムが魔法禁止の取り決めを破ると決めてかかっての行動。
彼は侮辱されたような気持になるも、実際そうだったのだから仕方ない。
女戦士の半月刀が到達する前に精神を集中させると魔法を一つ、唱えた。
女戦士は警戒し、動きを一旦止める。
二人の間に透明な壁が現れた。
彼女は呆けたような表情で首をかしげる。
「何かと思えば障壁魔法ではないか。一体何のつもりだ? 時間稼ぎか?」
アダムは自分たちの他に誰もいない路地にたたずむリーリアの姿を見やると、判断を仰ぐため数舜見つめる。
リーリアはコクリと頷く。
アダムは驚嘆するほかない技量を持つ女戦士に魔法障壁越しに声をかける。
「もういいだろう? 命のやり取りはもう十分堪能できたはずだ。これで手打ちにしないか?」
女戦士はバカにしたように返答する。
「へぇ、そうかいそうかい。やはり無傷で終わらそうだなんて甘いこと考えてたんだね」
――やはりばれていたか。
女戦士は頭に縦に叩き込もうとしたかりそめの一撃の衝撃を左手の鞘で受け止めていた。
彼女程の練度ならそれが致死を目的としたものでない、目前で止める威嚇の一撃であることは瞬時に分かったはず。
「戦う気がないのかい?」
問いかけがアダムに対し為される。
「そういう話じゃない。俺は挑まれたなら戦う。あなたのような手合いならまあ殺してしまっても仕方ないと思うだろう。ただお嬢様は無益さを感じているはずだ。意味があるのか? この戦いには」
女戦士はリーリアとアダムの顔を見比べた後、はははとせせら笑う。
「今更バカなことを。慈悲か? それとも怖くなったか? まったく理解できないね。戦う意味が欲しいのか? じゃ、こうしてやろうか、そんなにお嬢様が大事ならさ!」
予想外の行動に出る。
半月刀を掲げるとアダムの方とはまるで見当違いの方向、彼の大切な姫のいる方向へと走り出す。
彼は一気に血の気が引く思いがした。
まさか、そこまでするのか……。
姫は迫りくる凶刃に対応できるはずもない。
アダムがそれを止めんとしても障壁魔法を解除し、後ろから追い縋り、もしくは遠隔攻撃魔法で……。
だめだ、一手も二手も遅い、そう判断する。
間に合わない、姫様!!
振り下ろされた半月刀の冷たい刃が、姫の特別な血の流れる柔らかで温かな肉に食い込んでいく……。
はずだった。
しかしその刹那。
女戦士には何が起こったのかわからなかった。
突如として目の前、今まさに斬りかかっていた女の眼前、自分と目標の間にアダムが現れたのだから。
即時転送魔法……。
それも何の予備術式もなしに?
こんな高度な代物を扱える存在など大魔法師かそれともあの存在しか……。
思考は断たれる。
彼女の右腕がアダムの長剣の一撃でもって切り落とされたのだから。
「うあ……っ!?」
たまらず転倒、どしゃっと石畳の上にその身を転がす。
元姫と元勇者はその姿を見下ろす。
アダムは姫の危機に間に合った安堵からか深い息をついた。
哀れな敗者は思い至った可能性を口にする。
「まさか、あんた……ゆ……勇者?」
「気が済みましたか?」
リーリアが女戦士に話しかける。
女戦士は呆然とした顔で、今しがた自分に迫った危険を全く顧みていないかのように平然とした様子の気品あふれる女性を見上げる。
三歩の距離に半月刀を握りしめたままの腕がボタリと落ちていた。
「気が済む……? っは……なに言ってんだあんた。何を、こんな、あたしの、腕が……」
リーリアは地に伏したまま必死に自分の腕を止血している女戦士の顔の前に膝を突き、正座の恰好になると静かに語りかける。
「これはあなたがしてきたことの報いだ、などと傲慢なことを言うつもりはありません」
「だったらなんだっていうんだ! あたしは負けたんだ! 敗者を嬲るつもりかい!? とっとと消えな!」
女戦士はぜえぜえと荒い息をつきながら悪態をつく。
リーリアは少し考えると言葉を紡でいく。
「あなたは幾度となくこういう場に身を置いてきたのでしょう?」
淀んだ意識の中、地に付した女はうつろな顔で頷く。
「あなたはそれを誇りとしているのでしょう。しかし私にはそこに一種の下卑た欲望を見出さずにはおれません」
「なにぃ……?」
息も絶え絶えに何とか答えていると言った風の女戦士。
「あなたは求めすぎているのです。強欲だとは思いませんか? そんなに幾度も人の死に触れるような行為を繰り返したいなんて」
「あたしの勝手だろう! こういう風に決闘をするようになって以降は相手の同意のもとに戦ってきたし! 誰かに何か言われる筋合いなんかない!」
「これはあなた自身の姿勢の話なのですよ」
しかしリーリアの言葉を受け、口角に泡を浮かべながら言葉を返す。
「ふざけるな! 私がどんな風に生きようが私の勝手だろ!」
「せっかくの機会だから言わせてもらいます。よく聞いてください。体験はいたずらに繰り返すべきものではないのです。飽食が罪と言われるのはむさぼることがよくないからです。体験を手当たり次第にやってみるというのは本来よしたほうがいい、いえ、恥ずかしい行いとすら言えるかもしれません。世の人は何でもやってみろとは言いますが、感じたこと見たこと聞いたことを咀嚼する暇も設けずに次へ次へというのは自分を貶める行為です。あなたはそんなに殺し合いという体験がお好きなのですか? しかしそれが永遠に続く生き方ではないとわかるはずです」
「ああ、そうさ。それはあたしの死で終わるんだ。こんな形で、こんな半端な終わり方、嫌だ! あたしは何度も死線をくぐってきた! その経験を錆びさせたくない! 体験を重ねなければいけなかったんだ! 殺した相手のためにも! 私はここでしか生を見いだせないんだ! 他には何もない! 他の生き方など思いつかないんだ! 戦えなくなるくらいなら死ぬ! 今ここで殺してくれ!」
「どんなものにも終わりは来るのです。望まない終わり方であるとしたら、それはあなたの準備が足りなかったから……。それは受け入れなければ」
「嫌だ! いやだいやだいやだあ! もう殺せよ! 殺して終わらせてくれよぉ!」
じたばたと子供のように石畳でもだえる女戦士だった。
そこにはもはや往事のふてぶてしさは微塵もなく、ただただ幼い精神の発露が見られるだけだった。
アダムは無言でしゃがみ込むと女戦士の肉を露わにした右腕を優しく掴み、詠唱する。
緑の光がその傷口に集まり、急速に皮膚が伸張し、断面を覆っていく。
「すまない、俺の治癒魔法の熟練度では腕をくっつけることまではできない、本当にすまない」
無論、嘘偽りのない事実だ。
女戦士は幼子のように泣きじゃくった。
無傷なままの二人は立ち上がる。
片腕となった女が辿る運命など、暗澹たるものがあるということは明らかだったが、二人は女戦士との縁に見切りをつけると宿屋へと帰っていくのだった。
道すがらリーリアは、打ち明けるかのように彼の勇者に話しかける。
「あの人は、あの詩人の方とは真逆なんでしょうね。体験の方が肥大化しすぎて、それにおぼれてしまったかわいそうな人……」
元姫は暗い顔を見せる。
アダムはそれにどう反応してあげたらいいかわからない。
一人旅の長かった彼にはこういう時どうやったら人を明るくさせられるのか、わからない。
そしてリーリアは先ほど女戦士に話している間に思い至ったあることを話題にする。
意を決して、という風に
「私たちも終わりを受け入れるべきなんでしょうか? もう終わってしまった一つの時代の終焉を受け入れて、そして……」
そして……。
その言葉の先を、元勇者はわかっていたが、わからないふりをした。
それはあまりに危険で甘美な果実だ。
アダムははっきりと、自信をもって答える。
「どうかご自分をしっかり持ってください、姫様。我々には崇高な目的と大義があります。我々が本来のように役目を果たすことができれば、民はきっともっといい生活を送ることができるようになりますよ。希望と、目標ができるだけで人は輝くことができるものです。自信を持ってください。最近の姫様の活躍は本当にめざましいものがあります。私は本当にうれしいですよ。こんな素晴らしい人がこの国の姫様だったらどんなにいいかと」
「そう……そうですよね。その言葉を聞けて良かったです。本当に……」
二人は高く昇った太陽を目指すかのように並んで歩き続ける。
地面に落ちた影を引きながら、夢へ向けて。